トラが3びき。+ぶち。

トラ年の人間2ひきとトラから名前をつけた犬(ワイマラナー)1ぴき+ぶち(イングリッシュポインター)1ぴきのおはなし。

ゾーイ、最期の日々。

2013年11月06日 | 用務員便り

用務員です。
ゾーイの病気が判明してから亡くなるまでを書いてみました。
詳細に書いたので非常に長くなってしまいました。
お付き合いいただける方は読んでやってください。


ゾーイの病気が判明したのが10月15日火曜日。
その前からおもらしをしたり、フードを食べなくなったりと調子が悪かったのですが、血液検査、尿検査ともに特に異常はなく。
しかし、血尿らしきものが出てまずは膀胱炎の薬をもらって飲んでいたのですが
週末にたくさん吐いたため、10月13日日曜日の淡路島行をやめて週明けに精密検査をすることに。
15日の朝ゾーイを病院に預け、夜に迎えに行き私だけが結果を聞きました。

結果は非常に悪く左右両方の腎臓に腫瘍があり、そのすぐ横のリンパにも、肝臓の一部にもすでに転移しているとのことでした。
腎臓はまだなんとか動いていて尿を出していますが、ほとんど通過するだけの状態だろうということでした。
5歳とまだ若いため進行が早く、この時点でもう余命は1か月だろうと言われました。

このころはすでに徐々に食べてくれるものが減っていましたが
まだゾーイは普通に元気に走り回っていました。

次の日曜日(20日)、テコ家、ワイマつながりのみかりん家、ゾーイが大好きな私のいとこのCちゃんが来てくれたころも
痛みで震えていましたがまだまだ元気で、散歩に出たときには
初散歩のパピー、ノヴァと同じようにぐいぐい引っ張って歩きました。

その週は、鶏のムネ肉、モモ肉、レバー、玉子などをやり、ムネ肉はわりと喜んで食べましたが
やはり徐々に食べる量は減っていき、夜一回だけ私たちの手からなんとか食べるといった日々でした。
家の中ではしんどそうに寝ていることが増えましたが
庭に出ると相変わらず、嬉しそうに走り回り、
鳥や虫を追いかけたりクマルにポイントしては体当たりしてイヤがられたり。

26日土曜日、メイララ家とポインターつながりのdabatolaさんが来てくれて大喜び。
かなり食べる量も物も減っていたのですが
メイララ家のおいちゃんが作ってきてくれたカッテージチーズをぺろぺろと舐めました。

27日日曜日、もう何も食べてくれずdabatolaさんが持ってきてくれた
高級なウェットフードですら食べようとしませんでした。

せめて液体でなら栄養分を取ってくれるかと、水の代わりに牛乳を薄めたりオレンジジュースを薄めたりしましたが
水に何かを混ぜると一切飲もうとしません。

ネットで調べてアイスクリームなら食べるかもと冷蔵庫にあったピノの中身をやると少しぺろぺろ。
その姿を見て、コンビニにアイスクリームやシュークリーム、生クリームを買いに走りましたが
結局ほんの少しだけアイスクリームを舐めただけでした。

ありとあらゆる食べ物を口の前に持って行きましたが食べませんでした。
興味は示し、匂いをかいだり、クマルにやっていると自分も欲しそうに見つめているのですが
口の前に持っていくとぷいと横を向いてしまいました。
メイプルシロップやアイスクリームなどは鼻に塗って舐めさせましたが
それも2、3回するとイヤがって逃げました。

28日月曜日の時点では留守番前にあげるガムだけは食べていたのですが、
それも次の日には食べなくなりました。

獣医さんに話すと固いガムを食べるというのは不思議だったようですが
元気なときに大好きなものだったからかもしれません。

ガムを食べなくなってからもゾーイが最後まで食べたのは犬用歯磨き粉のチキンペーストでした。
ゾーイは本当に歯磨き粉が大好きで毎日の歯ブラシの時間もとにかく歯磨き粉を舐めたい一心で歯ブラシされていました。
あと、庭に出すと草を食べました。
どうせ後から吐くので止めたのですが、それでも目を盗んで食べていたようです。

その前から吐くことが増えていたのですが、食べなくなってから吐く回数がすごく増えました。
水だけは飲むのですが、水を飲んだあとはよく吐いていました。
何も食べていないので黄色い胃液か胆汁を吐きました。
日中も夜中も何度も吐きました。
健康な時の吐き気が何度か襲ってきたあとに実際に吐くという感じではなく
寝ていてもいきなりげぼーっと吐くという感じでした。
吐き気止めと胃酸止めをもらって飲ませていたので、それでも少しは軽減されていたのだとは思います。

そして、食べなくなってからも不思議なことにウンチはずっと出ていました。
タールのような絵の具のようなウンチで、最後のほうは液体のようになりましたが
亡くなるその日までウンチが出ていました。

オシッコも腎臓が悪くなっていき、最後には見た目にもはっきりと血尿と分かるオシッコでしたが
痩せてふらふらになっても自分でトイレシートに行ってする姿はあまりにも健気でした。

癌性の痛みに関しては飲むモルヒネから、より効くという貼るモルヒネ(の一種)に変えてからは
震えがまったくなくなり、私たちが触っても逃げたりイヤがったりということが一切なかったので
おそらくよく効いていたのだと思います。
吐いたり、血尿をだしたりと最後はとてもしんどかったと思いますが
ペインコントロールをうまくしてやれたことに関しては本当に良かったと思います。

病気が酷くなっていってからは、ソファで私のひざで寝ることがなくなりました。
いつも絶対と言っていいくらい私のひざで丸くなって寝ていたゾーイでしたが
人にくっついているのがしんどかったのでしょうか、自分一人でいつも丸くなっていました。
最後のほうは自分でもソファに乗れないことが分かっていたのか
下に敷いてあるクマルのベッドに寝ることが多くなりました。

それから時折私たちの目をじーーーーーっと長い間見つめていることが増えました。
あれは何だったんだろう。
いまでもよく分かりませんが、病気でしんどい中私たちを頼りに思っていてくれていたのでしょうか。
そういうときは撫でてやり見つめ返してやり声をかけてやりましたが、ゾーイは分かっていたでしょうか。

病気が分かってから、ブサ顔をしなくなったと半分冗談で言っていましたが
本当にそれまでのようにブサイク顔で寝ていることが極端に少なくなり熟睡できていなかったのかもしれません。
起きているときも表情がなくボーッとしていることが多くなりました。
病気の犬ってこんな顔をするんだなと思いました。

いままでバリケンで寝かせていたのですが、告知を受けてからは一緒に寝ていました。
そして、最後の夜はもう2階に上がるのもしんどいであろうゾーイのために
リビングに布団を敷いてクマルもゾーイも全員一緒に寝ました。
2階で一緒に寝るようになってからもやはりソファのときと同じように
私たちにくっついて寝ようとはせず、足元の布団の上で寝ていたゾーイでしたが
最後の夜は布団の中に入ってきたり、私の脚の間やどいなの足元などに行き
まるで最後の孝行をするかのように一緒に寝てくれました。

余命1ヶ月の告知を受けてからまだ3週間も経っていませんでした。
でも食べなくなってからはこの病状であれば1週間持つかどうかだと獣医さんに言われていました。
実際食べなくなってからはみるみるうちに痩せていきました。
17キロ台だった体重が13キロくらいになっていました。
足元も徐々にふらついてきていました。

最後の一週間は2人で交代で休みを取ってどちらかは必ず家にいてやることができて良かったです。
どちらかさえ一緒にいてやれれば、死に目にあえなくてもいい。
しんどい思いしなくて良くなるなら好きな時に逝っていいよ、と最後のほうは覚悟をしていました。

最後のほうまでずっと庭に出ると嬉しそうにしていたゾーイでしたが、徐々に庭でもできることが減っていき
クマルに体当たりはかなり初期にやめてしまい、遠くからクマルの動きを見つめていました。
それでもギリギリまでポイントしたり、思うように動けなくなってからも鳥の声に耳を澄ましていました。
やっぱり食欲よりも狩りの本能が強い仔だったんだと思います。

最後の土曜日(11月2日)、今日一日を一緒に過ごしてその夜に眠らせてあげようと決めました。
あと一日ならいけるかも。あと二日なら。
2人とももちろん心の中ではそう思っていました。
でももうオシッコもほとんど出なくなっている上に、この血尿では
一日の違いで尿毒症の発作に苦しむかもしれない。
呼吸も少しずつ苦しくなっていて、呼吸困難に苦しむかもしれない。
そうなる前に。
そして、週が明ければ確実にまた留守番しなければならない日々。
留守番中、私たちがいない中苦しんで逝ってしまうことだけは絶対に避けたかった。
土曜日の夜の予約を延ばそうとは2人とも口には出しませんでした。

病院までの道を運転しながら、赤信号が青に変わらなければ良いとあんなに願ったことはありません。
青信号が赤に変わってあんなにほっとしたことはありません。
でも確実に病院は近づいてきました。

病院でとてもお世話になったゾーイが大好きな獣医さんとともにそのときを迎えました。

最期の苦しみが来る前に、休ませてやれたこと
その決断はとても悲しいものでしたが、ゾーイのためには良かったと思っています。
ペインコントロールや安楽死を含めた終末医療に関しては
まだクマルを飼う前、犬を飼うと決めたときに二人で話し合ってほぼ一致した見解を持っていました。
その時を仮定して話すのと、実際に病気の仔を目の前にして決定するのとはまったく別の次元の話でしたが
やはり冷静なときに二人で話ができていたことは非常に良かったです。

ゾーイを連れ帰り、冷たくなっていくゾーイの側をどいなは離れることができず
私はクマルにあたたかさを求めました。

ゾーイがたった5歳で末期のガンになったことがつらい
病気で苦しんでいる姿がつらい
そう思っていました。
でも、本当につらいのはゾーイがいなくなったことでした。
ゾーイがいなくなるまで、本当につらいのはそこからだということに気付いていませんでした。
ここにゾーイがいないことが何よりも何よりもつらいです。

遊びにきてくれたみんなの前では明るく振る舞っていましたが
本当は病気が判明してから2人とも毎日泣いていました。
「飼い主の笑顔が大切」そんな基本的なことは当然分かっています。
でも、もうゾーイは治らない。たった5歳で。
そんなゾーイのために泣いてやって何が悪いのか。
私はそう思っていました。
ゾーイのためにいっぱい泣いてやろう、とさえ思っていました。
でもゾーイを本当に亡くしてからは涙を止めようとしても全然止まりませんでした。

いまは2人で全然関係ないことで笑ったかと思えば
突然嵐のように襲ってくる悲しみに泣き崩れたりしています。
この悲しみはこれからゆっくり癒していくしかないのでしょう。

ゾーイの病気が分かってから、ゾーイが亡くなってから
本当に沢山の方からメッセージをいただきました。
私には信仰はありませんが、みなさんのお気持ちを私の信仰としたいといまは思っています。
言葉では言い尽くせないほど感謝しています。
みなさんに心からお礼を申し上げます。