女性管制官がアメリカで医者になった場合ーアメリカンドリーム

アメリカでアメリカンドリームを達成するには?
マーティンもと子(旧姓多尾もと子)の場合は?

現場14ヶ月目、私は今・・・・・・ その1

2010-03-25 11:33:57 | Weblog

1982年1月号のPILOT誌より、抜粋。


「どこにお勤めですか?」とよくたずねられます。

「羽田空港です。」と答えると、まず

「売店かなんかですか?」という返事が返ってきます。

で、「お仕事はなんですか?」と聞かれた場合は、

「管制官です。」と答えることになるのですが、

そんな時はたいてい 「日本航空ですか、それとも全日空?」と言われ、

挙句の果てには 「航空券、安く手に入るんでしょう。」

などと言われてガックリくることもあります。

一般的には管制官が国家公務員であることすら知られていないようです。
事実、この私ですら航空保安大学校で研修を受けるまで、
航空路管制の存在を知りませんでしたし、
管制官といえば、空港の一番高いところで、
制服を着ていかめしく働いている男性の姿しか
想像していなかったのですから。

 そんな男性ばかりの世界に殴り込みをかけて、はや14ヶ月が過ぎました。
管制官の発令を受けたのが、今年の4月、
なかなか素直に女性を受け入れてくれない男性諸氏もいましたが、
11月1日付けで飛行場管制主席の資格も取れました。

いよいよ今月からTerminal radarの研修に入ります。
栄光(?)のFull-rated controllerまで最低あと一年。ARTS-Jを駆使してApproachやDepartureの
コントロールをするようになるんだと思うと、
本当にやっていけるのだろうかという不安もありますが、
夢はますます大きくふくらんでいきます。