ありがとうって伝えたくって

「同軸コリニアアンテナ研究会」でgoogle検索するとHPをご覧いただけます。研究成果がまとめてあります。

蕎麦、美味しかった 9月15日

2014年09月17日 04時12分32秒 | 

上高地から新島々を経由して、松本電鉄に乗り松本へ戻ってきた。

帰りのバスを待つ間に、駅前で蕎麦を食べた。立ち食いだったこともあって、余り期待はしてなかった。

[ラーメン屋、うどん屋が並んでいて迷ったが、ここに入って正解だった]

店に入ると、一番奥に行けと言われた。そこには、お盆と蕎麦猪口(そばちょこ)が用意されていて、セルフサービスで出汁を入れる。

その後は、流行りの讃岐うどん屋のように小皿を取って、天ぷらを選ぶ。こじんまり天ぷらや小皿が置いてある。

「やまかけ」にしようと、山芋、そして「ちくわ」の天ぷらを取った。

自社工場から到着した、生蕎麦が並んでいる。味は、ひょっとすると期待できるかも?

[珍しく普通盛りだ。ラップのかかっているのは、山芋]

生蕎麦の見た目通り、コシがあって美味しく食べられた。流石に普通の駅前の立ち食い蕎麦とは一線を角していたな。


下北半島番外編 じゃがいも

2014年08月21日 00時29分04秒 | 

風間浦村では、2日目の移動運用は、高台の公園で行った。

早朝?と言うこともあり、1時間に1人散歩に来るくらいだった。

運用を終えて片付けていると、犬を連れた人が近づいて来て、

「何をしているのか?」と尋ねられた。そこで、丁寧に無線の話をしたのは当然だった。

その方から「こいつは、熊に向かって行き戦った」とか「この公園で熊が寝ていた」とかの話になった。

そして帰り際に、「今採ったばかりのジャガイモだ。持って帰れ」と言われ、ありがたく頂いた。

キャンプ場で、その芋を半分以上を消費したのだけど、まだ残っていたので、本日、フライにして食べた。

[新鮮で採りたてのジャガイモは、柔らかくて美味しい]

スライスして、油で揚げた。

[1,2分揚げれば十分だった]

揚がったら(ほんの1,2分でOKだった)塩を振って美味しく食べた!!

移動運用も、こんな事があるから、更に楽しい。

[塩を振って食べた]


恐山へ行った 8月12日

2014年08月17日 00時18分39秒 | 

下北半島の移動運用の合間?に「恐山」を訪ねた。(本当は、観光の合間に無線運用をしていたのさ)

「イタコ」で有名な恐山が、どんな場所か見てみたかった。実は、風光明媚な「お寺」?だったとは。

[境内にて]

本堂の左側は、硫化水素があちこちから吹き出す、岩場となる。正に地獄の様相になる。

[硫化水素が目の前で噴き出している]

[硫化水素の吹き出す場所の賽銭は、黒く錆びていた。]

地獄を見下ろして、仏様や地像、観音達が佇んでいる。

[正に地獄に佛の姿]

硫化水素の吹き出す、岩場・・ガレ場を抜けると目前に湖が見えてくる。

地獄から・・極楽(美しい湖)へ向かう、そんな風情だ。浜の名は、「極楽浜」。

[島の海岸と見間違えるような、極楽浜。カルデラ湖だ。輪廻を表現するという風車が一輪回っていた。]

お堂のある場所まで戻り、境内にある無料温泉へ入る。泉質は最高で、肌がすべすべした。

[入山すると無料で使える温泉。洗い場も何もない。男女及び混浴、合わせて4ヶ所あり、泉質がどれも異なる。これは、男湯。]

最初、入山料を500円も取るのか?と思ったけど、十分に見どころのある場所だった。

入浴料と思っても良いか?

境内を、ゆっくり見ると2時間以上はかかる、そんな場所だった。


夏季休暇目前

2014年08月06日 19時20分49秒 | 

8月9日から17日まで夏季休暇になります。夏季恒例の東北方面へ移動運用に出かけます。

行き先は、青森北部を予定しています。天気が良ければ、八甲田山への登山も計画しています。

移動先からはローバンドのCWで出てきます。聞こえていましたら宜しくお願いします。

夏期休暇で登った山は、想い出深い。

[2013年は、岩手山でした。山頂にて]

[2012年は木曽駒ケ岳]

[2011年の月山は、本当に綺麗な山、青い空]

[月山の山頂小屋付近から微かに見えているのが、鳥海山]


御蔵の景色

2014年05月17日 16時20分34秒 | 

3月と4月に御蔵島で移動運用を行った。里の中心部にある村営「御蔵荘」でお風呂に入ったり、里の食堂で食事を採ったり、観光協会にある御蔵島の歴史を見たり・・・

御蔵島では、港のすぐ上にある「ふれあい広場」で無線運用を行いました。

そこには、東屋があり、三組のテーブルが置いてありました。正面には三宅島が見えて海が綺麗でした。

[公園の東屋とアンテナ(ポールには430MHzのコーリニアを張り付けて、ポールの先端には短波ローバンド用G5RVを取り付けています)]

バンガロー周辺には、アシタバが群生していて、毎食、それを炒めたり、茹でたりして、新鮮な野菜を美味しく頂きました。

[茹でたアシタバにツナを乗せて醤油をかけた。アシタバの茎が意外に柔らかくて甘くて美味しかった]

無線だけでなく、片道2時間のハイキングもしました。

島の南西にある「エビネ公園」へ林道をテクテク2時間歩いて出かけました。

[エビネ公園で見かけたエビネラン]

エビネ公園内から山を見上げた。

帰りは、ヘリで三宅島を経由して大島まで飛ぶ。乗り込む頃には、雨がポツポツ落ちてきた。

三宅島に到着する頃には、普通に雨が降っていた。

大島空港へ着陸直前の旋回中に撮影!撮影して良いのかい?

地上は、完全に雨だった。

大島からは、熱海行き最終高速船へ乗り込んだ。


2003年9月 インド タージ・マハルにて

2014年01月15日 21時18分27秒 | 

古いパソコンを処分しようと思ってディスクを掃除していたら、懐かしい写真が出てきた。

せっかくなので、旅の顛末を記録しておく。当時としては、最新鋭のコンデジで撮影したがこんなものだ。

当時は、東南アジア担当と言われ、タイ・インドへの出張に出かけていた頃があった。

インド出張は、ともかく、タージマハル廟の素晴らしさ、建設に至った経緯は、今でも深く心に強く残っている。

10年も前の記憶なので今は全く見違える都市になっているかもしれないが・・ご容赦願いたい。

[デリー着陸前にガンジス川が見えていた]

ニューデリーのホテル直下は近代都市のように見えるが、当時は近代のビル、邸宅とスラム街が、道を隔てて混淆するミスマッチな都市だった。

宿泊は一流ホテルであったけど、生物は食べなかった。しかし、最終日に食べた何かにあたってしまい(生で食べたのは、ヨーグルト以外にない)、帰りの飛行機でひたすら寝ていた。

快復したのは、帰国後2日後だった。

[ホテルよりニューデリー市内を眺める]

出張の終盤にタージ・マハル付近を観光した。

[タージマハル廟への入り口]

廟への出入りは、素足。靴の上に大理石を保護する赤い布を履いたのか?(定かではない)

廟の全体の壁面には、宝石を薄く伸ばした象嵌細工と彫刻がなされている。

[廟の宝石を使った象嵌細工と大理石彫刻]

重機のない時代に、総大理石の建物とドーム。(高さ58m)宮殿ではない。墓廟だ。

[タージ・マハル廟全景]

ハーン・ジャハーンが晩年幽閉されたアーグラ城からタージ・マハルを見る。晩年のハーンは、どんな思いで眺めていたのだろうか?

タージ・マハル(王妃ムムターズ・マハルのムムが消えターズがインド風発音のタージになったという説もある)

[アーグラ城からタージ・マハルの眺め]

[ニューデーリー移動の車中より市内を撮影]

[途中で車を降りてお土産を探した?食べても大丈夫か?]

[汚物、残飯が散乱していた]

これは10年前のニューデリーであって、現在とは全く異なる光景かもしれません。


日向薬師界隈

2013年12月17日 20時08分51秒 | 

大山見晴らし台から南へ歩くと日向薬師へ降りる登山道がある。

見晴らし台は、本当に極寒の世界だったけれど、そこから少し下った場所は、風もなく日が差してポカポカ陽気だった。

次からは、この場所で無線運用した方が暖かいだろう。電波の飛びは、そんなに変わらないと思った。

そんなわけで、日向薬師方面へ九十九折を下って行った。舗装された林道に出てから「日向ふれあいセンター」に立ち寄って缶コーヒーを飲んだ。

そこから20分ほど日向薬師方向へ歩くと右手に「日向山荘」が見えてくる。マス釣り場やバンガローやらある広大な山荘だ。

今は、来る人もいないのか、ひっそりとしていた。

そこに突然現れたのが、「大友皇子の陵」の立て札だ!!!いやいや、ここは何度も通っているが、初めてそれに気づいたのだ。

この名前を聞いて、「えっ!!」と思うのはかなりな歴史通だ。

実は、会社のキャビネットの暗証番号は0672なんだ。意味が分かるかな??

ここで、石雲寺の縁起を紹介しよう。

「寺伝によれば、今からおよそ千三百年前の養老2年(718)、諸国を行脚していた華厳妙瑞という法師が、日向の地へやって来たといわれています。
 法師が山中の石上に座し瞑想すると、渓谷に紫雲を認め、不思議に思った法師が、河原に降りると周囲3丈(約10メートル)程の石の上方に 紫雲がたなびいていて、法師は一心に仏・菩薩の名号を唱えたところ、仏・菩薩の御影が現れたということです。

里人に尋ねると、その昔、壬申の乱に敗れた大友皇子が近江国から逃れ住まわれ、この地で亡くなられ、 従者も殉死したといいます。 哀れに思った法師は精舎を建て、皇子の菩提を弔うこととしたそうです。法師は法相宗(ほっそうしゅう)の僧であったようです。
 皇子の墓所は当初、述言により松を植えただけだったようですが、鎌倉時代になって従者の子孫が石で五重の塔を建てたと伝えられます。」

大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子の戦った壬申の乱は、672年だ。

大友皇子は、自決したことになっているが、この地へ落ち延びたというのだ。

[大友皇子の陵]

[石板に書かれた縁起。ちょっと違うか]

[従者の子孫によって立てられたという五輪塔。苔むしていて文字も読めない]

こんな場所で「大友皇子」に出会うとは、思いもしなかった。

学生時代、「歴史民族部」として史跡を巡った昔が蘇ってきた。


「SL みなかみ号」に乗車(追記)

2013年08月21日 19時16分53秒 | 

【回想】

40年以上前は、夏休みの里帰りというと熊本県人吉市の母の実家へ行くことが多かった。

小学生・中学生の時代の自分にとって年下の従兄弟達と、近くの温泉に行ったり(湯あたりして吐いた記憶もある)、球磨川で泳だり、爆竹で遊んだり、野球をしたり、せみやカブト虫を採りに行ったり、遊びには事欠かなかった。

ただ、盆地特有の激しい雷雨だけには、毎日肝を冷やしていた。

親戚のおじさんが獲ってきたイノシシでボタン鍋を食べたり、納豆なる食べ物を見るのも楽しみの一つだった。

当時は、エンジ色の汽車に乗り、SLが走っていて・・トンネルに入る度に窓を慌てて閉めていたのだけど。

そんな40年前の旅を楽しめるかなと、本当に思い付きで「SL みなかみ号」へ乗ってみた。

旅の当日に、駅のパンフレットを見て指定券の有無を確認したのだから、行き当たりばったりだ。

乗車当日の切符は、まだ十分に残っていたので「水上=高崎」間を早速予約した。

【指定券 510円】

水上駅では、SLの整備場の地図が出ていたので、出発前の整備状況を見学に行ってきた。

水上駅から歩いて5分程で、整備場へ到着。係員2人がSLの回りを一周して点検していた。

このSL「C61-20」は、群馬県伊勢崎市の公園で1974年から野ざらしで展示されていた。

それをJR東日本が2011年に30年有余の時を越えて、復元・改修したものらしい。

【点検中のSL】

「C61-20」は、Cタイプなので動輪が三つだ。

15:00には、「C61-20」が整備場を出発した。

そこで慌てて、水上駅へ向かった。連結される客車は、ホームに停車していた。

「オハ12 368」だった。40年前のエンジ色の客車とはいかなかった。

ホームで見ていると、隣の線路を使い「C61-20」が近づいてきた。さすがに、SL連結の瞬間を見ようとホーム前方は黒山の人だかりとなった。

【乗車した車両オハ12 368】

【ホームに停車中の「みなかみ号」

運転士も乗客も楽しそうだ。

この日の「SL みなかみ号」の乗車率は、50%以下だった。

しかし、沿線の畑や山、鉄橋の傍でSLを待ち構える多くのカメラマンを見かけた。

そしてSLの雄姿に手を降る沿線の人々(おばあさん、家族、子供たち)が沢山いた。

そんな沿線でSLを暖かく迎える人々の心を感じる旅となった。

電車では1時間弱で到着する水上=高崎間を、SLは、2時間近くかけて走るけど、40年前の旅情を十分に味わえた。

ぜひ、味わってみてください。

(九州新幹線(2011年3月12日開業←悲運ですよね)のCMは、ここです。素晴らしいCMです。)


庄内町余目(あまるめ) 8月13日

2013年08月20日 20時15分05秒 | 

山形県庄内町余目(あまるめ)は、本当に鄙びた田舎町だった。

余目は、陸羽西線(りくうさいせん)、奥羽本線(おううほんせん)が乗り入れていて乗降客500人余りの小さな駅だ。

しかし、食べログを調べるといろいろ興味深い食べ物があり(ラーメン・焼きそば)、食堂・飲み屋の数は思ったよりも多かった。

余目駅を出て商店街を歩いて5分程度で到着。「ラーメンとやきそば」の「つるや」さんだ。

やはり店は、田舎な風情。こんなところで大丈夫か?心配になる。

【店はこんな感じ】

今日の最後の客は、僕か?ぎりぎり、昼に間に合った。

頼んだのは、「特大盛焼きそば」750円だ。

焼きそば大盛(普通)と書いてある?大盛りが普通サイズで、普通サイズが小に相当するのかな??

テーブルは4つ。座敷に机2つ。4人掛けなので最大24人??

ついに登場、「特大盛焼きそば」。横手焼きそばの派生かな。大皿に山盛りだ。

塩味の味付け。肉もたっぷり入っていた。お好みに合わせてテーブルに置いてあるソースをかけて食べるようだ。

さすがに特大盛を食べたので、夕食は食べられなかったくらいだ。

真似をして特大盛焼きそばを頼まないよう注意してください。


夏休みでした

2013年08月16日 06時08分42秒 | 

久しぶりのブログ更新です。

夏休みを利用して東北を旅していました。今回の主役は、「北海道&東日本パス」です。

10000円でJR東日本の普通電車が乗り放題という切符です。

電車に乗ることだけが目的ではなく、「岩手山登山」という目標もありました。

もちろん、無線も少しだけやりました。(重い機材を担ぎ上げた割には・・寂しい内容)

【一週間使い続けた切符は、よれよれになってました。↓使用後の切符

目的&立ち寄り先は、下記の通りです。

発駅    下車駅

横浜  → 宇都宮 (142.1Km) 2210円

宇都宮 → 北上  (378Km)      6090円 岩手山登山

北上  → 余目  (183.8Km) 3260円

余目  → 新潟  (156Km)  2520円 「きらきらうえつ」乗車

新潟  → 新宿  (331Km)  5460円 「ムーンライト えちご」乗車

新宿   宇都宮 (106.6Km) 1890円

宇都宮  足利  (67.1Km)      1110円

足利   水上  (98Km)    1620円

水上   藤沢  (219Km)       3570円 水上→高崎間「SLみなかみ」乗車

乗車距離 1681.6Km    通常価格 27,730円という長い旅でした。

でも楽しかったです。


神津にて 6月16日

2013年06月17日 19時44分47秒 | 

午後の上り高速船が利島に寄港しないリスクを回避するため、午前中の下り神津行きの高速船に搭乗した。

「午前の高速船は、利島に寄港しますか?」「条件付きです。」どの係員に聞いても答えは同じ。大型船でも答えは全く同じ。

利島から新島→式根を経由し終点神津に着いた。ここで一旦下船した。

折り返しの出発まで一時間あったので、昼食を取ることにした。しかし、何も調べる暇もなく高速船に飛び乗ってきたので、食堂があるのかさえも分からない。

港から少し離れた場所から遠目に見ると「営業中」の赤い旗がひらめいている。土産物屋かもしれないが、店はあるようだ。

「食堂ありますように」と願いながら近づくと食事と書かれていた。

【神津港で高速船 セブン&アイ 愛】

よっちゃーれセンターの2Fに食堂があった。

新鮮な魚を使った料理ばかりだ。いやいや、生姜焼き定食もあったけどね。私は「刺身定食」。友人は「海鮮漬け丼」にした。

今日の魚は、メダイ、赤イ、カンパチだった。お魚の他に、「あしたば吸い物」「あしたばかき揚げ」「あしたばお浸し」が付いてくる。

【刺身定食、見かけ通り美味しかった】

【海鮮漬け丼、他人の食べる丼の方が美味しく見えた】

食事を終えて13:30分の東京行きに乗り込んで、17:00少し前に久里浜で下船した。久里浜は晴れていて、伊豆諸島の雨の影すら見あたらなかった。暑かった。


だんご汁 5月17日

2013年05月29日 20時34分41秒 | 

かつての実家、大分に戻ると食べる物は、「ラーメン」、そして「だんご汁」だ。かつての実家には弟が住んでいて世話になる。

弟との待ち合わせには、少し時間があったので、「だんご汁」を食べに大分駅から近い「おより」へ行った。

前回来た時と店の雰囲気が違っていたので、中へ入るのを躊躇していると、店のおかみさんが出てきた。

「だんご汁、ありますか?」

「うちは、だんご汁屋やけん」。店の中に入りカウンターへ座った。今日は、敬老の日?

もちろん「だんご汁」を頼んだが、「やせうま」にするんだったと、後悔した。

ガキの頃は、うちの祖母が小麦粉をこねて、よく作ってくれた。ここのだんご汁は、正にそんな感じだ。

「やせうま」は、今度来たときに食べることにして、「だんご汁」を待った。すぐに「だんご汁」登場。やっぱり、「ほうとう」に近いかな?

1、2日の滞在では食べた物を十分には食べられないし、好きな温泉にも行けない。

更に無線運用なんて・・夢のまた夢??

次は、無線運用で九州に出かけたいと思っているが・・どうなることやら?


夜が遅い!?

2013年05月22日 05時00分00秒 | 

午後6時55分の九州の空だ。まだまだ、青空が青く見えている。

午後7時25分の九州の空だ。写真とは違い実際の街は、もう少し薄暗い感じはするけれど、花火をやれる状態ではないぞ。

九州は、少なくとも30分は日が落ちるのが遅く、朝日も遅いぞ。これだけ日が遅いと、夏至の頃は、確実に午後8時まで明るいだろう。夏の九州は、カリフォルニアみたいに夜遅くまで明るいぞ。

遊びに来てください。


九州新幹線に乗る 5月19日

2013年05月19日 06時40分53秒 | 

 九州に来るたびにいろんな電車に乗っている。

今回は、九州新幹線だ。熊本から博多まで乗ってみた。

外見は、東海道・上越・東北新幹線と変わらない感じだけど、やはりJR九州の統一された木にこだわった本物の木の内装となっていた。

【新幹線のフロント】

まだまだ、開通したばかりの九州新幹線は、まだまだ綺麗なものだった。全面が木を基調にして蛍光灯は、電球色で雰囲気にこだわったデザインだ。

扉の近くは2:1の座席配置で車椅子が固定できるようになっている。

 【内装は木で統一】

電球色の社内では、デジカメのホワイトバランスもちょっとおかしくなる。橙色に被ったり被らなかったりした。社内での撮影には、注意だ。

シートも東海道新幹線等のビジネス感覚ではなく、車内を木のイメージにこだわったデザインとしている。床もご覧の通りちょっと違うぞ。そしてシートの内側の肘掛の中に小型の机が収納されている。

森林の中で旅する感じで落ち着いた旅ができそうだ。

【車内、この車両には5、6人しか乗ってない。終点博多まで変わらず。後ろには、1人しか乗っていない】

シートに座って撮影するとこんな感じだ。車両によって色調が異なっているようだ。

去年の九州横断特急も素晴らしいと思ったが、本当にJR九州の意気込みが伝わってくるようだ。

九州新幹線に一度乗ってみては?