旧「澄空」

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イタリア・シチリア島ラグーサの街角

2008-04-28 | イタリア

2008年の3月に滞在していたイタリア・シチリア島・ラグーサの街角の様子です。


右にアイスクリーム屋さんがみえます。


老人憩いの家。それにしても宇宙を見ているかのような空の青さですね。


立派な教会のファサード(正面建築)


その教会を横から。ファサードが薄っぺらいのが面白い。


教会への道。

イタリアの縦列駐車はすごい

2008-04-25 | イタリア

イタリアの縦列駐車はス・ゴ・ス・ギでした車と車の間隔狭すぎ


真ん中の車はどうやって出るのか不思議です。


レトロな車も縦列駐車。上から二番目の白い車はでられないと思う。


黒い車、ぜったい出れないよね??


右上の車はトヨタのヴィッツ(欧州名ヤリス)ですね。このヴィッツ君も日本で生まれていたらこんな縦列駐車することなかったのにね。

この写真を筑波大のカナダの方に見てもらったところ「びっくり。カナダではこんなに近くにとめません。」という反応が、メキシコの方からは「こんなん普通だよ。ハンドル思いっきりまわせば、簡単にでられるよ。」との反応が返ってきました。





おまけ


アルファロメオのパトカー。

イタリア・シチリア島ラグーサの遠望

2008-04-18 | イタリア

2008年の3月に滞在していたイタリアのシチリア島の街、ラグーサをちょっと離れたところから眺めます。小山全体が街になっていますね。


ラグーサ旧市街は四方を谷で囲まれています。これは南の谷の上から見た写真です。


ラグーサ新市街から見た旧市街。ここからは夜景も撮りました。次の記事で紹介しますね!

イタリア

2008-04-14 | イタリア

2008.3.7~31までイタリアのシチリア島にインターンシップに行っていました。シチリア島ではラグーサ(ラグーザ,Ragusa)という街でホームステイをしていました。写真は教会です。


ラグーサの町並み。滞在中はほとんどの日が快晴でした!


ホームステイしていた家。地中海にあるシチリア島はなんとなく暖かそうな予感がしていたのですが、ラグーサは標高400メートルくらいの山の中の街だったので夜は寒すぎて死にそうでした。朝凍えて目が覚めても日中は強烈な日差しになっていて、昼夜の寒暖の差が大きなとこでした。
ラグーサは治安もよくホームステイでお世話になったイタリアの学生もみな親切だったので無事に三週間過ごすことができました。

これからしばらくイタリアの記事を載せていきます。

岐阜

2008-04-11 | 岐阜

日本各地の学生が集まる筑波大、中でも岐阜県出身の人は結構います。そんな岐阜に岐阜シティ・タワー43という新しい超高層ビルができたので2007.12.26にいってきました。


43階から金華山をながめます。頂上にちょこんと岐阜城が乗っかっています。この写真を撮ったのは午後四時前、冬至の直後ですぐ日が沈む時期だったのでこのまま夜景になるのを待ちました。


午後五時半、国道157号の光の川がきれいでした。

今日の一言
本当に日本各地の学生が集まる筑波大、でも今年の自分の学科の新入生には、岐阜、関西、中国、四国といった西日本の人がいないっぽいです。ちょっと残念。。。

近畿・山陰旅行7琴引浜

2008-04-07 | 
梅や桜の時期にも関わらず一ヶ月以上に渡って旅記を書いてきた2007年8月の近畿・山陰旅行の記事も今回が最終回です。


2007.8.8、余部鉄橋を後にし京都府京丹後市の琴引浜にやってきました。
琴引浜は石英を含んだ鳴き砂で知られているきれいな砂浜です。


琴引浜で泳いだ後は京都府宮津市の天橋立を見ました。


天橋立を見た後、京都市まで移動そして逢坂の関を越えて滋賀に入り琵琶湖花火大会を見ました!
琵琶湖花火大会は湖上から打ち上げるためか、かなり花火が大きいように思いました。

こうして2007年8月の大阪、兵庫、岡山、島根、鳥取、京都、滋賀の二府四県を巡る近畿・山陰旅行を終えたのでした。
旅記をご覧いただいた皆様どうもありがとうございました!



今日の一言
阪神絶好調!!!最近はセリーグを見るのが愉快でたまりません!

近畿・山陰旅行6余部鉄橋

2008-04-04 | 兵庫
2007.8.8、近畿・山陰旅行三日目朝、パンチ君達は城崎温泉へ、温泉でゆったりするよりも旅では動き回っていろいろなものを見たい派の自分は、兵庫県美方郡香美町の余部(あまるべ)鉄橋を見に行きました。


余部鉄橋JR山陰本線にかかる高さ41メートル50センチの鉄橋で、1912年に完成しました。今年で築95年と老朽化しているため、現在新しい橋が建設中でこの鉄橋はもうすぐ取り壊されます。


とてもこの先に駅があるとは思えませんが、この後山道を登って行くと餘部駅につきます。のどかな農村と明治時代の鉄橋の組み合わせはなんとも旅情をそそりました。


この写真は前日の夜に撮りました。はるか頭上を二両編成のかわいい列車が通り光の軌跡が残りました。山陰本線は列車の本数が少ないので列車が通る余部鉄橋を見たい時は事前に時刻表で確認してくださいね。しかも兵庫県には余部鉄橋のあるJR山陰本線餘部駅とJR姫新線の余部駅という似た名前の駅があるので注意してください!


余部鉄橋には悲しい歴史もあります。余部鉄橋列車転落事故です。1986年(!)12月、余部鉄橋を通過中の回送列車が強風にあおられ落下、鉄橋下の工場の従業員五人と車掌一人の計六人の方が犠牲になりました。余部鉄橋は13階建のマンションと同じくらいの高さ(41メートル50センチ)です。そんな高さから列車が落ちてくると思うと事故の衝撃の強さがかがわかります。
現場には、事故の様子を伝える手書きの冊子がいくつか置かれていました。それらを静かに拝読した後、慰霊碑の前で手をあわせました。