「じゃあ「事象世界時間保有説」を前提とすると見られる、近代哲学の主流派はどうして成立したんですか。なんとなく神学は諸学の王と言う答えになりそうな気もしますが。」
「ますます脱線を続ける事になるけど、いいかな。まずは、今話したスコラ哲学の持つ曖昧さがその原因さ。“永遠”の相の下で見つめられる「認識世界」と「事象世界」の関係が極めて不鮮明なのだ。
二重写し・不即不離である事ははっきりしているのだけれど、どちらが優先しているのかが曖昧極まりない。というか明確には出来ない。所謂普遍論争を生み出した原因そのものであり、論争が数百年に渡って延々と続いた理由でもある。
普遍的絶対神を持ち出す以上「事象世界」に時間などある訳が無い。予定説が正しいと言っているのではないよ。救われる者は予め救われているのだ。変な言い方に聞こえるかもしれないか、時間の概念が無い以上救われるものはその出生と生涯とは独立・並行して既に救われているのだ。逆に言えば救われないものはその生涯の如何にかかわらず救われない。
しかし救済宗教として見ればこうした考えはアキレス腱になりかねない。
一般信徒に取っての関心は、生理的時間の終末点にある死後の我が身の行方。信者の大半を占める、テンネンの「事象世界時間保有説」論者に冷や水を浴びせるような真似は、ビジネス(いやなら運動体と言いかえても良いよ)としては自殺行為でしかない。
神父と言う便利な制度を持つカソリッやオルトドクスは、徹頭徹尾没論理な儀式とカテキスムに終始する大衆部分と思弁的神学世界を分離し、その蝶番を神父の体(言い換えれば教会)に顕現させる事により問題を解決してきた。」
「棚上げとも言う。」
「その通り。永続しうるなら棚上げは最高の解決さ。だれも傷つかず気づかず。
しかし、神の代理人を否定し、個の直接対峙を求めたプロテスタンティストやフランスのユマニストの場合、安易と言うか融通無碍と言うか、ミザルキカザルイワザルの便利な解決は有り得ない。
この問題を根本的に解決しようとするならば、予め救われているからこそ神を信じる生涯をおくるのだと言う謂わばユダヤ教の先祖帰り(勿論救済を予定されるのは民族ではなく個々人)をするか、それとも神に代わる根源的原理を導入するしかない。
複雑に交差しあうのだけれど、カルヴィニスムからイギリス革命に至る路はユダヤ教への先祖がえり、ユマニスムから啓蒙主義に至る路は別の原理を探す旅。この二つの重なりの中で近代が生まれる。
ここで間違っちゃいけないけど、彼等の決定的優位を生み出したのは、科学革命と産業革命であって彼等の思考形態そのものではない事。
更に間違っちゃいけないのは、彼等共通の思考形態である直線的な時間観と、もう一つのドグマである、時間の進展にともない「事象世界」と「認識世界」の距離は縮まり、その究極的な一体化こそ神の意思の顕現である。”理性の顕現としての世界史”にせよ”一般意思としての理性の結実”にせよその表現形。ポストモダンや”利己的遺伝子”も極端な変奏曲と言える。
この二つのドグマ抜きには、科学革命も産業革命もありえなかったと言う事。この二つを踏まえて置く事がこれからの話に必要になる。」
「ますます脱線を続ける事になるけど、いいかな。まずは、今話したスコラ哲学の持つ曖昧さがその原因さ。“永遠”の相の下で見つめられる「認識世界」と「事象世界」の関係が極めて不鮮明なのだ。
二重写し・不即不離である事ははっきりしているのだけれど、どちらが優先しているのかが曖昧極まりない。というか明確には出来ない。所謂普遍論争を生み出した原因そのものであり、論争が数百年に渡って延々と続いた理由でもある。
普遍的絶対神を持ち出す以上「事象世界」に時間などある訳が無い。予定説が正しいと言っているのではないよ。救われる者は予め救われているのだ。変な言い方に聞こえるかもしれないか、時間の概念が無い以上救われるものはその出生と生涯とは独立・並行して既に救われているのだ。逆に言えば救われないものはその生涯の如何にかかわらず救われない。
しかし救済宗教として見ればこうした考えはアキレス腱になりかねない。
一般信徒に取っての関心は、生理的時間の終末点にある死後の我が身の行方。信者の大半を占める、テンネンの「事象世界時間保有説」論者に冷や水を浴びせるような真似は、ビジネス(いやなら運動体と言いかえても良いよ)としては自殺行為でしかない。
神父と言う便利な制度を持つカソリッやオルトドクスは、徹頭徹尾没論理な儀式とカテキスムに終始する大衆部分と思弁的神学世界を分離し、その蝶番を神父の体(言い換えれば教会)に顕現させる事により問題を解決してきた。」
「棚上げとも言う。」
「その通り。永続しうるなら棚上げは最高の解決さ。だれも傷つかず気づかず。
しかし、神の代理人を否定し、個の直接対峙を求めたプロテスタンティストやフランスのユマニストの場合、安易と言うか融通無碍と言うか、ミザルキカザルイワザルの便利な解決は有り得ない。
この問題を根本的に解決しようとするならば、予め救われているからこそ神を信じる生涯をおくるのだと言う謂わばユダヤ教の先祖帰り(勿論救済を予定されるのは民族ではなく個々人)をするか、それとも神に代わる根源的原理を導入するしかない。
複雑に交差しあうのだけれど、カルヴィニスムからイギリス革命に至る路はユダヤ教への先祖がえり、ユマニスムから啓蒙主義に至る路は別の原理を探す旅。この二つの重なりの中で近代が生まれる。
ここで間違っちゃいけないけど、彼等の決定的優位を生み出したのは、科学革命と産業革命であって彼等の思考形態そのものではない事。
更に間違っちゃいけないのは、彼等共通の思考形態である直線的な時間観と、もう一つのドグマである、時間の進展にともない「事象世界」と「認識世界」の距離は縮まり、その究極的な一体化こそ神の意思の顕現である。”理性の顕現としての世界史”にせよ”一般意思としての理性の結実”にせよその表現形。ポストモダンや”利己的遺伝子”も極端な変奏曲と言える。
この二つのドグマ抜きには、科学革命も産業革命もありえなかったと言う事。この二つを踏まえて置く事がこれからの話に必要になる。」
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