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金子勝 円安インフレと防衛費膨張の悪循環 財務省はインフレ課税路線

2024年04月28日 07時21分25秒 | 社会

金子勝@masaru_kaneko

【歯止めが効かない】1ドル=158円台に突入だ。アベノミクスはとうに破綻しているのに、キシダメもウエダメもインチキメディアも認めず口先介入でごまかし続けてきた結果、円安はもはや歯止めが効かなくなってきている。インフレ課税路線インフレも止まらないだろう。

【ボロボロの政府・日銀】日銀の金融決定会合で金融緩和継続が決まる中、ついに1ドル=157円台後半になってきた。財務省はインフレ課税路線にまっしぐら。投機筋は利上げがないなら為替加入をしてみろと挑発しているかのようだ。

【アベノミクスのツケが大きく日銀は動けず】予想通り、日銀の政策決定会合では追加利上げはできなかった。円安インフレと防衛費膨張の悪循環の中で、日銀は金融緩和を止められないことは完全に見透かされています。

【トルコ化するリスク】アベノミクスを礼賛したトルコの3月のインフレ率は、年換算で68.5%となった。アベノミクスと似た経済破綻と強権政治、マスコミ支配は悪循環を生み出した。政府と日銀の無力をみるにつけて、他人事ですませられない。

 

トルコのインフレ率、3月は68.5%-5カ月連続で物価上昇加速

2024年4月3日 ブルームバーグ Beril Akman

トルコのインフレは先月、5カ月連続で加速した。予想外の利上げにもかかわらず、インフレ率が70%に近づいている。

3日発表された3月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比68.5%上昇。ブルームバーグのエコノミスト調査での予想中央値(69.1%上昇)は下回ったが、2月の67.1%上昇から伸びが加速した。

自公政権への対案 金子 勝『市民連合』の提言

政治経済 「平成経済 衰退の本質」 金子勝 2019年4月刊

 

 


青森市 世界遺産・三内丸山遺跡を中心とした縄文文化⑤土偶、岩偶

2024年04月28日 06時04分41秒 | 青森県

三内丸山遺跡を中心とした縄文文化⑤土偶、岩偶。

 

円筒土器文化圏における縄文時代前期末葉~中期初頭の土偶に関する一考察

―大木式土器文化圏の土偶との比較を中心に― (抄)

折登亮子(青森県埋蔵文化財調査センター)2019年 年報 22

1 はじめに

円筒土器は縄文時代前期中葉~中期中葉、北海道南部~東北地方北部に分布する土器型式である。この円筒土器文化圏では、縄文時代前期末葉~中期初頭に土偶が多く作られるようになり、以降三内丸山遺跡周辺を中心として爆発的に増加する。一方、同時期に東北地方中~南部には大木式土器が分布する。大木式土器文化圏の太平洋側では、北上川下流域を中心に前期前葉から土偶が出土し、前期中葉~後葉に増加する。前期末葉~中期前葉には北上川上~中流域でいわゆる「板状O脚土偶」がみられるようになる。

円筒土器文化圏で前期末葉~中期初頭に土偶が急増することには、大木式土器文化圏の影響があるのではないかと考えた。今回は縄文時代前期末葉~中期初頭の両文化圏の土偶の比較を行い共通点・相違点をみていくことで、両文化圏にどのような影響関係があったかを考えたい。

2 研究史

村越は、岩偶の存在を重視し、円筒土器文化は本来土偶をもたない文化だった可能性を述べている。円筒土器文化圏における前期末葉~中期初頭の土偶の盛行については、これまで大木式土器文化圏の土偶の影響と、円筒土器文化圏に前期からみられる岩偶の影響が指摘されている。

大木式土器文化圏との関連性では、鈴木克彦が土偶の文様や板状O脚土偶の出土事例から、大木式土器文化の影響を受けて発生したものであると考察している。岩偶との関連性については、小笠原雅行が円筒土器文化圏の土偶の形状が岩偶に類似することから、大木式土器文化圏からの受容のみで土偶が発生したのでなく、岩偶からの系譜が認められることを指摘している。

4 土偶の属性分類

①三内丸山遺跡

 三内丸山遺跡は青森県青森市、沖館川南側の段丘上に位置する縄文時代前期~中期、平安時代の複合遺跡である。特に縄文時代前期~中期の拠点的集落であり、土偶は 2000 点以上出土している(小笠原 2017)。第 6 鉄塔地区・南盛土・西盛土・北盛土出土土偶116 点を分析対象とした。

腕形はY字・脚形は一脚が多数を占める。頭部は貫通孔があるものが少数見られ、裏面には縦線モチーフが施される。頭部 23 個体のうち、顔表現があるものが一定数あり、目や眉の表現があるものが 8 個体、口部に凹部をもつものが 9 個体確認される。胸部・臍部は共に貼付で表現されるものが大多数を占める。背面の正中線は凹部や沈線で強調されるものが多い。腕部は表裏共に横線が最も多く、次いで横線+渦巻が多いが無文も一定数ある。胴部表は縦線が施されるものが圧倒的に多く、渦巻が加えられるものもある。胴部裏は肋骨状が大半を占めるが、鋸歯状のものは少ない。

脚部は表裏共に斜線や斜線+渦巻が多いが、脚部裏面には背面の肋骨状モチーフがそのまま垂下するものが一定数見られる。

5 遺跡間の比較

土偶の属性分類を行った結果、6 遺跡の共通点として腕形では Y 字がやや多く十字が一定数、臍部の貼付、腕部表裏に横線、胴部表面に縦線、胴部裏面に肋骨状、脚部表裏に斜線や斜線+渦巻、渦巻が多いという点が挙げられる。文様モチーフが共通するものが多く、二文化圏の土偶がよく類似していることが改めて確認されたといえる。

一方、二文化圏を比較すると相違点も多くみられる。差異としては、脚部形は円筒土器文化圏では一脚が多く大木式土器文化圏ではO 脚・二脚が多い点、頭部貫通孔は円筒に少なく大木に多い点、頭部裏面では円筒は縦線、大木は無文が多い点、顔表現は円筒は目表現や眉鼻貼付が一定数あるが大木はそれらが少なく口~胸部凹部のみが多い点、胸表現は円筒は貼付が多いが大木では少ない点、腕部・胴部は大木の方が無文の割合が高い点、胴部裏面は肋骨状文様を形成するモチーフが円筒では直線・ホウキ

状が多いが大木では鋸歯状沈線が多い点等が挙げられる。

6 共通性・相違性の要因

相違点の要因として、まずは円筒土器文化圏をみていく。三内丸山遺跡の渦巻モチーフの多用に関しては、細沈線・沈線文に後続する時期に多くみられる縄押圧が施される土偶でも渦巻モチーフが多用されるため、三内丸山遺跡の土偶の特徴の可能性がある。

大木式土器文化圏については、北上川上~中流域どちらも頭部や腕部・胴部の片面もしくは両面が無文となるものの比率が高く、こうした無文の土偶は北上川下流域に多い。また、北上川上流域では脚部形態の比率で O 脚が減少し二脚・一脚が増加する点、顔表現の眉鼻貼付・胸表現が少量存在する点は、円筒土器文化圏の土偶の影響を受けた個体が一定数あることを示す。また、中流域では脚形の比率は O 脚が大半である点、顔表現・胸表現がほぼなく口~胸部凹部のみ多用される点などは、前期後葉の北上川下流域の土偶に類似するものが多いことを示す。つまり、北上川上流域は円筒土器文化圏、中流域は下流域との関係がより強く、地域ごとに異なる特徴を有するようになったと考えられる。

北上川下流域では前期前葉から土偶が一定数作られており、前期後葉には多く作られるようになる。

7 円筒土器文化圏内での板状O脚土偶の出土と隣接地域の状況

大木式土器文化圏→円筒土器文化圏方向の影響を示す事例として、円筒土器文化圏内での「板状 O 脚土偶」の出土事例を示す。

三内丸山遺跡や大日向Ⅱ遺跡では板状O脚土偶の影響を受けた可能性がある土偶が出土している。一方で、大木式土器文化圏で円筒土器文化圏の沈線系の土偶が出土した事例は確認できない。

これらの状況から、前期末葉~中期初頭には大木式土器文化圏から円筒土器文化圏への強い影響があり、土偶の製作や、土偶流行の開始そのものにも影響を与えたことが推測される。加えて、以前から鈴木が指摘しているように、前期末葉~中期初頭の円筒土器にはほとんど用いられない沈線で土偶の文様が施されることも、強い影響があったことを示唆している。

隣接地域の状況としては、北上川下流域では前期中葉から土偶が作られ、前期後葉(大木 5式)には盛行することが確認されつつある。北海道では土偶の流行は中期以降で、中期前葉には少なく中葉以降に増加することが指摘されている。また、北海道では細沈線や沈線、刺突が施される土偶は少なく、後続する縄を押圧するものからまとまった出土が確認されるようである。こうした状況からも、土偶の流行が徐々に北上した状況が推測される。

8 まとめ

 土偶の属性分類を行い遺跡間で比較した結果、円筒土器文化圏、北上川上流域・中流域において類似しつつも地域性がある土偶が分布することがわかった。また、その地域性は遺跡の位置が近いところでよく類似することが指摘された。

また、土偶の属性変遷と板状 O 脚土偶の出土事例から、大木式土器文化圏の土偶がやや先行して存在し、円筒土器文化圏の土偶や土偶流行の開始に影響を与えた可能性を提示した。

一方、円筒土器文化圏の土偶には岩偶も大いに影響すると考えられた。太平洋側に板状 O 脚土偶が複数搬入されているにも関わらず、円筒土器文化圏の土偶が一脚となった要因として、元々日本海側を中心として、土偶の流行以前に根付いていた岩偶の文化が引き継がれたものと考えるのが妥当と思われる。

また、本論では前期末葉~中期初頭に大木式土器文化圏→円筒土器文化圏への影響が強かったことを想定したが、中期前葉以降は円筒→大木の影響が強くなり、顔表現や縄押圧の使用などが南下することが指摘されている。

青森市 世界遺産・三内丸山遺跡を中心とした縄文文化④特徴的な土器と土製品


青森市 世界遺産・三内丸山遺跡を中心とした縄文文化③北海道・北東北の円筒土器文化

2024年04月27日 11時38分20秒 | 青森県

三内丸山遺跡を中心とした縄文文化③北海道・北東北の円筒土器文化。

円筒土器(えんとうどき)とは、その名の通り、円筒状(バケツ状)のシンプルなかたちをした土器で、東北地方北半部から北海道南西部にかけてをおもな分布域とし、縄文時代前期の円筒下層式土器縄文時代中期の円筒上層式に区分される。さらに前者は円筒下層式a型・b型・c型・d型、後者は円筒上層式a型・b型・c型・d型・e型に細分される。

青森県青森市の三内丸山遺跡や秋田県大館市の池内遺跡、秋田県能代市の杉沢台遺跡や北海道函館市のサイベ沢遺跡など巨大集落をともなう時期の土器であり、口縁部に文様帯を区画して設け、さまざまな押圧縄文によって装飾をほどこす点に前期・中期を通じた特色がある。

類似する平底円筒型土器が遼河地域、朝鮮半島北部からアムール川流域、沿海州にかけての広範囲で紀元前6千年紀頃から紀元前2千年紀ごろまでの間に発見されており、ハプログループN1を担い手とする遼河文明との関連が指摘される。

円筒土器文化圏とは、円筒土器を特徴とする文化圏である。この文化圏内では、土器ばかりではなく石器の種類(たとえば石篦)、竪穴建物の形や構造、土偶や岩偶のような精神文化に関わる遺物などにも強い共通性を有する。

縄文海進の最も進んだ縄文時代前期には北海道函館市のサイベ沢遺跡や青森県青森市の三内丸山遺跡、秋田県大館市の池内遺跡などの巨大集落が営まれ、そこでは従来の縄文時代のイメージを一新する発掘成果が相次いだ。巨大な竪穴建物(超大型建物)の検出例としては三内丸山遺跡のほか秋田県能代市の杉沢台遺跡などがある。

縄文時代中期後半の円筒土器文化圏においては、東北地方北部で大木(だいぎ)8式-10式の土器が出土することが多い。つまり、大木式土器は縄文時代前期から中期中葉までは東北地方南部を分布域とすることから、中期後半に入ってその北側に分布域を広げるものの、北海道にはおよばないということである。

円筒土器文化圏の北側の境界線は概ね石狩平野であり、それ以北の道北・道東地方には北筒式土器文化圏南側の境界線は概ね秋田市-田沢湖-盛岡市-宮古市を結ぶ線で、その南側には大木式土器文化圏が広がる。

 

「北東北における円筒土器文化の変容過程に関する考古学的研究」(抄)

永瀬史人(青森県埋蔵文化財調査センター):2015年 年報 18

1.はじめに

 北東北における代表的な縄文文化の一つとして、縄文時代前期から中期にかけて発達した円筒土器文化がある。関東地方や中部地方の縄文文化に比しても圧倒的な数量が製作されていた円筒土器のほか、竪穴住居群が列をなすように構築される集落の構成や大型住居の存在、翡翠などの流通を促した遠隔地域とのネットワークなど、個性と豊かさを象徴する事例をいくつも挙げることができる。

 しかし、中期中葉から後葉にかけて南東北に分布の中核がある大木式(だいぎしき)土器が北東北に及ぶと、円筒土器もその影響を受けてデザインが大きく変化する。このような過程は「円筒式文化の崩壊」とも理解されており、これまでに多数の研究者が土器や竪穴住居跡の観点からその有り様を論じてきた。

 三内丸山遺跡の大きな特色の一つである6本柱の大型掘立柱建物跡は、当地に大木式土器が広く受容された以後の文化要素であり、遺跡の特質を理解するためにはその文脈を踏まえて検討を重ねていくことが必要である。そこで本研究では、円筒土器文化からいわゆる「大木系土器文化」へ移行する段階に焦点を当て、いくつかの考古学的要素の検討から円筒土器文化が変容した過程とその背景を探りたい。

2.対象時期と地域

円筒上層式土器から大木系の「榎林式土器」へ移行する中期中葉から後葉の当該期の土器編年については、円筒上層式の終末に対する捉え方に絡んで種々の異なる見解が提起されており、細別呼称等において必ずしも一致をみていない。

 本稿では、青森県内で広く採用されている円筒上層a・b・c・d・e式の編年観(村越1974、三宅1988、小笠原2008)と、近年提示された小保内裕之氏による榎林1・2・3式の編年観(小保内2008)を主に参照した。なお、「榎林1式」(小保内2008)、「中の平1式」(鈴木1998)、「円筒上層e式新段階」(星2008)として従来の円筒上層e式を更に区分した段階呼称については当該期の中心的議論でもあり、別途検討が必要なテーマである。

ここでは、口縁部文様が沈線で施されるあるいは大木式の装飾突起を模倣したものなど、一般に定義される上層e式よりも明らかに後出の要素をもつものには「上層e式/榎林1式」の用語を便宜的に用い、上層e式から榎林式への移行段階を措定しておく。

 対象地域は、円筒上層式土器、榎林式土器が分布する青森・岩手・秋田・北海道である。

5.円筒土器文化にみられる「玉抱き三叉文」と「S字文」の受容

 縄文時代中期中葉以降青森県内では大木8a式土器、8b式土器の搬入品が各地で認められるようになる(成田2000、坂本2002など)。

 大木式土器の拡がりは、東日本に広域的に認められる現象であり、北東北の事例も同様の文脈の中で捉えられるべきである。そのような視点で土器の文様を観察したとき、注目されるのが円筒上層e式期に現れる「玉抱き三叉文」と「S字文」のモチーフである。

玉抱き三叉文は縄文時代前期、S字文は早期頃に出現し、長期にわたって各地の土器や石棒等の装飾に採用された、縄文時代に認められるもっとも象徴的色彩を帯びた文様である。

大木式土器では、S字文が8a式に、玉抱き三叉文が8b式に主要モチーフとして施されるようになり、そのデザインが円筒上層e式以降の文様にも取り入れられていることがわかる。

それは土器だけではなく、「第二の道具」(小林1977)である石棒や土偶に装飾される文様についても考察する手がかりになる。

8.結語

円筒土器文化から榎林式土器文化へ移行すると、石器組成や住居形態においても変化が生ずるとみられることから、外来要素の伝達が起因となり、文化変容が起こることは確かである。しかし、北東北の榎林式土器文化が外来の文化要素に席巻された地方型式かといえば、必ずしもそうではない。

例えば、大木式土器の器種組成は深鉢のほかに、浅鉢、壺などがありヴァラエティに富んでいるが、榎林式では、そのような器種のヴァリエーションは少なく、大半が深鉢で構成されている。

三内丸山遺跡をはじめとする津軽地域では大木8b式の浅鉢すら流通することは稀で、出土例はきわめて限定されている。

器種の少なさは円筒上層式や後続の最花式でも確認されていることから(、大部では大木系の文化要素を取り入れながらも保守的に生活のスタイルを維持する一面が垣間見える。

 三内丸山遺跡をはじめとする榎林式以降の文化の理解には、外来との接点だけでなくこのような独自性も重要な視点になるものと思われる。

青森市 世界遺産・三内丸山遺跡を中心とした縄文文化②北海道・北東北の土器の変遷