三内丸山遺跡を中心とした縄文文化⑤土偶、岩偶。
円筒土器文化圏における縄文時代前期末葉~中期初頭の土偶に関する一考察
―大木式土器文化圏の土偶との比較を中心に― (抄)
折登亮子(青森県埋蔵文化財調査センター)2019年 年報 22
1 はじめに
円筒土器は縄文時代前期中葉~中期中葉、北海道南部~東北地方北部に分布する土器型式である。この円筒土器文化圏では、縄文時代前期末葉~中期初頭に土偶が多く作られるようになり、以降三内丸山遺跡周辺を中心として爆発的に増加する。一方、同時期に東北地方中~南部には大木式土器が分布する。大木式土器文化圏の太平洋側では、北上川下流域を中心に前期前葉から土偶が出土し、前期中葉~後葉に増加する。前期末葉~中期前葉には北上川上~中流域でいわゆる「板状O脚土偶」がみられるようになる。
円筒土器文化圏で前期末葉~中期初頭に土偶が急増することには、大木式土器文化圏の影響があるのではないかと考えた。今回は縄文時代前期末葉~中期初頭の両文化圏の土偶の比較を行い共通点・相違点をみていくことで、両文化圏にどのような影響関係があったかを考えたい。
2 研究史
村越は、岩偶の存在を重視し、円筒土器文化は本来土偶をもたない文化だった可能性を述べている。円筒土器文化圏における前期末葉~中期初頭の土偶の盛行については、これまで大木式土器文化圏の土偶の影響と、円筒土器文化圏に前期からみられる岩偶の影響が指摘されている。
大木式土器文化圏との関連性では、鈴木克彦が土偶の文様や板状O脚土偶の出土事例から、大木式土器文化の影響を受けて発生したものであると考察している。岩偶との関連性については、小笠原雅行が円筒土器文化圏の土偶の形状が岩偶に類似することから、大木式土器文化圏からの受容のみで土偶が発生したのでなく、岩偶からの系譜が認められることを指摘している。
4 土偶の属性分類
①三内丸山遺跡
三内丸山遺跡は青森県青森市、沖館川南側の段丘上に位置する縄文時代前期~中期、平安時代の複合遺跡である。特に縄文時代前期~中期の拠点的集落であり、土偶は 2000 点以上出土している(小笠原 2017)。第 6 鉄塔地区・南盛土・西盛土・北盛土出土土偶116 点を分析対象とした。
腕形はY字・脚形は一脚が多数を占める。頭部は貫通孔があるものが少数見られ、裏面には縦線モチーフが施される。頭部 23 個体のうち、顔表現があるものが一定数あり、目や眉の表現があるものが 8 個体、口部に凹部をもつものが 9 個体確認される。胸部・臍部は共に貼付で表現されるものが大多数を占める。背面の正中線は凹部や沈線で強調されるものが多い。腕部は表裏共に横線が最も多く、次いで横線+渦巻が多いが無文も一定数ある。胴部表は縦線が施されるものが圧倒的に多く、渦巻が加えられるものもある。胴部裏は肋骨状が大半を占めるが、鋸歯状のものは少ない。
脚部は表裏共に斜線や斜線+渦巻が多いが、脚部裏面には背面の肋骨状モチーフがそのまま垂下するものが一定数見られる。
5 遺跡間の比較
土偶の属性分類を行った結果、6 遺跡の共通点として腕形では Y 字がやや多く十字が一定数、臍部の貼付、腕部表裏に横線、胴部表面に縦線、胴部裏面に肋骨状、脚部表裏に斜線や斜線+渦巻、渦巻が多いという点が挙げられる。文様モチーフが共通するものが多く、二文化圏の土偶がよく類似していることが改めて確認されたといえる。
一方、二文化圏を比較すると相違点も多くみられる。差異としては、脚部形は円筒土器文化圏では一脚が多く大木式土器文化圏ではO 脚・二脚が多い点、頭部貫通孔は円筒に少なく大木に多い点、頭部裏面では円筒は縦線、大木は無文が多い点、顔表現は円筒は目表現や眉鼻貼付が一定数あるが大木はそれらが少なく口~胸部凹部のみが多い点、胸表現は円筒は貼付が多いが大木では少ない点、腕部・胴部は大木の方が無文の割合が高い点、胴部裏面は肋骨状文様を形成するモチーフが円筒では直線・ホウキ
状が多いが大木では鋸歯状沈線が多い点等が挙げられる。
6 共通性・相違性の要因
相違点の要因として、まずは円筒土器文化圏をみていく。三内丸山遺跡の渦巻モチーフの多用に関しては、細沈線・沈線文に後続する時期に多くみられる縄押圧が施される土偶でも渦巻モチーフが多用されるため、三内丸山遺跡の土偶の特徴の可能性がある。
大木式土器文化圏については、北上川上~中流域どちらも頭部や腕部・胴部の片面もしくは両面が無文となるものの比率が高く、こうした無文の土偶は北上川下流域に多い。また、北上川上流域では脚部形態の比率で O 脚が減少し二脚・一脚が増加する点、顔表現の眉鼻貼付・胸表現が少量存在する点は、円筒土器文化圏の土偶の影響を受けた個体が一定数あることを示す。また、中流域では脚形の比率は O 脚が大半である点、顔表現・胸表現がほぼなく口~胸部凹部のみ多用される点などは、前期後葉の北上川下流域の土偶に類似するものが多いことを示す。つまり、北上川上流域は円筒土器文化圏、中流域は下流域との関係がより強く、地域ごとに異なる特徴を有するようになったと考えられる。
北上川下流域では前期前葉から土偶が一定数作られており、前期後葉には多く作られるようになる。
7 円筒土器文化圏内での板状O脚土偶の出土と隣接地域の状況
大木式土器文化圏→円筒土器文化圏方向の影響を示す事例として、円筒土器文化圏内での「板状 O 脚土偶」の出土事例を示す。
三内丸山遺跡や大日向Ⅱ遺跡では板状O脚土偶の影響を受けた可能性がある土偶が出土している。一方で、大木式土器文化圏で円筒土器文化圏の沈線系の土偶が出土した事例は確認できない。
これらの状況から、前期末葉~中期初頭には大木式土器文化圏から円筒土器文化圏への強い影響があり、土偶の製作や、土偶流行の開始そのものにも影響を与えたことが推測される。加えて、以前から鈴木が指摘しているように、前期末葉~中期初頭の円筒土器にはほとんど用いられない沈線で土偶の文様が施されることも、強い影響があったことを示唆している。
隣接地域の状況としては、北上川下流域では前期中葉から土偶が作られ、前期後葉(大木 5式)には盛行することが確認されつつある。北海道では土偶の流行は中期以降で、中期前葉には少なく中葉以降に増加することが指摘されている。また、北海道では細沈線や沈線、刺突が施される土偶は少なく、後続する縄を押圧するものからまとまった出土が確認されるようである。こうした状況からも、土偶の流行が徐々に北上した状況が推測される。
8 まとめ
土偶の属性分類を行い遺跡間で比較した結果、円筒土器文化圏、北上川上流域・中流域において類似しつつも地域性がある土偶が分布することがわかった。また、その地域性は遺跡の位置が近いところでよく類似することが指摘された。
また、土偶の属性変遷と板状 O 脚土偶の出土事例から、大木式土器文化圏の土偶がやや先行して存在し、円筒土器文化圏の土偶や土偶流行の開始に影響を与えた可能性を提示した。
一方、円筒土器文化圏の土偶には岩偶も大いに影響すると考えられた。太平洋側に板状 O 脚土偶が複数搬入されているにも関わらず、円筒土器文化圏の土偶が一脚となった要因として、元々日本海側を中心として、土偶の流行以前に根付いていた岩偶の文化が引き継がれたものと考えるのが妥当と思われる。
また、本論では前期末葉~中期初頭に大木式土器文化圏→円筒土器文化圏への影響が強かったことを想定したが、中期前葉以降は円筒→大木の影響が強くなり、顔表現や縄押圧の使用などが南下することが指摘されている。