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北海道 新ひだか町博物館①日高の縄文文化 静内中野式土器 静内御殿山式土器

2024年06月16日 09時22分25秒 | 北海道

新ひだか町博物館。新ひだか町静内山手町。

2022年6月9日(木)。

平取町二風谷の旧マンロー邸見学を終えたのは、16時ごろだった。最終目標は新冠町の道の駅「新冠」だが、新ひだか町の新ひだか町博物館が18時まで開館しているので見学することにした。国道235号線を進み、新冠町を通過すると、17時過ぎごろに交通量の多い地区に出て、イオン方向へ北進すると新ひだか町博物館に着いた。図書館を併設しているので閉館時間が遅いようだ。入場は無料。

 

北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】日高振興局保健環境部環境生活課

「縄文を含む各文化の一連の流れ【旧石器、縄文、続縄文、オホーツク、擦文、アイヌ】」

1.旧石器時代

【 約250万年前からの氷河時代 】

  • 氷期と間氷期が「数万年周期」で繰り返し、海水面はかなり大幅に上下。 氷河が発達すると海水面は低下、北海道とサハリン・大陸は「陸つづき」となり、マンモス等の大型動物が南下。
  • 数百万年前に「人類」が出現、猿人、原人、旧人、新人へ。 約10万年前、アフリカで現代人の祖先の「ホモ・サピエンス」が誕生し、世界へ拡散。
  • 約3万数千年前には、「北海道に人類」が住み始め、人びとは「打製石器(砕いて作る)」を使い、狩りや漁をし、「移動」して暮らす。 ただし、「日高地方」に旧石器時代の遺跡は少ない。
  • 「石器」は、剥片石器、石刀、細石刀、有舌尖頭器へと進化。

2.縄文時代

【 約1万5千年前 ~ 約2千数百年前 】

  • 氷河時代が終わりを告げ、気候が「温暖」となり、海水面は大幅に上昇、北海道は「島」となる。
  • マンモス等は絶滅する一方、中・小型動物が多くなり、また、森と海が豊かになって、「豊富に食料」が得られる。
  • このような環境に対応するため、「土器」、「弓矢」、「磨製石器(磨いて作る)」の使用が始まり、 土器の発明により「食料を煮たり保存が可能」となる。
  • 「狩猟、漁労、採集」を行い、竪穴(たてあな)住居で「定住化」、当時の大陸のような農耕や牧畜は行わず、生物多様性の中、自然と共生。
  • 土器は、粘土で形を作り、「縄で文様」をつけて焼き上げ、その名前にちなんで縄文時代と呼ばれ、土器の特徴などにより、【草創期、早期、前期、中期、後期、晩期】の六期に区分。
  • 耳飾り、首飾り、櫛(くし)、簪(かんざし)、腕輪等の「装飾品」も出土。

3.続縄文時代

 約2千数百年前 ~ 7世紀頃 】(本州の弥代時代、古墳時代)

  • 大陸からの渡来人により、稲作と金属器が伝わり、本州で「弥代文化」が始まるが、北海道には「わずかに鉄器」が伝わったのみで、引き続き縄文時代と同様の土器を使い、縄文文化を発展。

4.オホーツク文化期

【 5 ~ 9世紀頃 】

  • それまでの「北海道の文化と大きく異なる文化」を持つ人々が、サハリンから北海道のオホーツク海沿岸まできた、海獣狩猟と漁労活動が主の「海洋性文化」。

5.擦文時代

【 7 ~ 12世紀頃 】(本州の飛鳥時代、奈良時代、平安時代)

  • 本州の文化の影響を受け、それまでの縄文の土器が「土師器(はじき)に似た土器」になり、「擦文」の名は、土器の表面に木片による擦り痕がつけられたことに由来。
  • また、石器に変わり「鉄器」が多く使われ、アワやヒエ等の「雑穀」を栽培、本州と同じ「カマド」を持つ竪穴住居となる。

6.アイヌ文化期

【 13世紀以降 】(本州の鎌倉時代以降)

  • 「土器」が使われなくなり、本州からの「鉄器と漆器」が飛躍的に増加、竪穴住居から平地住居の「チセ」へ、カマドから囲炉裏へ。
  • 和人や大陸との交流を通じて、生活スタイルを「絶えず変化」。

日高管内の【主な縄文遺跡】

そもそも、道内の縄文文化は、東北地方に繋がる「南西部」と、大陸方面に繋がる「北東部」の2つの文化圏に分かれることが多く、日高地方は「その中間地域」であった。

縄文時代【早期】の特徴

【 約1万千年前 ~ 約7千年前 】

  • 土器の「文様」が、押型文、貝殻文、縄文と変遷。
  • また、道南西部は東北地方と同じ「尖底(せんてい)土器群」、道北東部では大陸の影響を受けた「平底(ひらぞこ)土器群」が広がり、日高地方は両者が混在
  • 「漆」、「銛・釣針(骨角器)」の使用が始まるほか、「石刀鏃(せきじんぞく)」と呼ばれる独特な矢じり等の文化が大陸から道東央部に伝播。

★駒場7遺跡 (新ひだか町静内柏台)

種  別:集落跡  出土遺物:土器・土製品・石器  

時  代:【 縄文(早期) 】・縄文(中期)

立  地:段丘  標  高:30m

そ の 他 :尖底土器と平底土器を出土して道南と道東の文化接触地と判明。 石刀鏃を出土。 漁網のおもりの石錘を大量に出土。 二四軒の竪穴住居址を発掘。 動物捕獲用落とし穴を大量に発掘。

新ひだか町 駒場7遺跡 PH-8 貝殻・沈線文土器  貝殻で文様をつけた

貝殻文土器には北海道東部で出土する平底と北海道西部で出土する底の尖った土器があるが、この遺跡では混在する。日高地方の縄文時代早期遺跡(約8000年前)の特徴である。

魚骨文土器 駒場7遺跡出土 東釧路Ⅳ式相当が出土した住居跡 ニシンの骨で文様をつけた

縄文時代【前期】の特徴

【 約7千年前 ~ 約5千年前 】

  • 「温暖化がピーク」を迎え、海水面が現在より数m上昇、内陸部の奥まで海水進出(縄文海進)
  • 食料が豊かになり、「人口増加」、大集落がつくられ、「貝塚」が内陸から多数発見。
  • 日高の土器は、粘土に植物繊維を混ぜてひび割れを防ぐ、砲弾形の「静内中野式土器」が代表的だが、その後、道南西部には、東北と同じ「円筒(えんとう)式土器」が広がる。

★中野台地A遺跡 (新ひだか町静内清水丘)

種  別:遺物包含地  出土遺物:土器・石器

時  代:縄文(早期)・【 縄文(前期) 】・縄文(中期)

立  地:静内川右岸段丘  標  高:30m

そ の 他 :静内中野式土器を初めて出土した遺跡。 縄文(中期)の北筒式土器も出土。 土器・石器製作場であったと推定。 動物捕獲用落とし穴を発掘。 二軒の竪穴住居址を発掘。

静内中野式土器

静内中野式土器(静内中野式尖底土器)は、縄文時代前期土器の標識資料で、胎土に大量の繊維又は撚糸を含んでいることが特徴である。

中野遺跡から発見されたものを標識土器とし「静内中野式土器」と呼ばれている。胎土に縄紐を何本も巻き上げのように入れて造った厚手で高さ30cm以上の大型の土器が主体で、口縁部はほぼ平縁で内湾するものもある。底は尖底で、文様は斜行縄文が主体である

縄文時代の早期後半に全道一円にひろがった平底の絡条体圧痕文・組紐圧痕文土器群につづいて、北海道南西部は、対岸の東北地方北部からの流れをくむ胎土に繊維を含んだ縄文尖底土器の文化圏にうつりかわる。

縄文尖底土器は、土器の全面を縄文や撚糸文、ときには竹管文で飾った縄文土器の名にふさわしい土器で、函館市春日町遺跡で出土した春日町式土器や、椴法華村で出土したトドホッケ式土器などがある。

噴火湾沿岸から道央部、道東部にかけては、道南西部の縄文尖底土器のバリエーションである静内町中野遺跡を標式とする中野式土器、栗沢町加茂川遺跡を標式とする加茂川式土器、名寄市日進遺跡を標式とする日進式土器、網走市大曲洞窟遺跡から出土した土器を標式とする綱文式土器などがある。

中野式土器は、砲弾形を呈する尖底土器で、文様は荒い斜行縄文が主体となる。胎土は厚く、多量の繊維や撚糸を混入する特徴がある。

縄文時代【中期】の特徴

【 約5千年前 ~ 約4千年前 】

  • 「大規模な集落」が多くつくられる。
  • 前期に引き続き、道南央部は「円筒(えんとう)式土器」、道北東部は「北筒(ほくとう)式土器」が広がり、日高地方は両者が混在。

★氷川遺跡 (新冠町東町)

種  別:墳墓  出土遺物:土器・石器・人骨  

時  代:縄文(早期)・縄文(前期)・【 縄文(中期) 】・縄文(後期)・縄文(晩期)・続縄文

立  地:海岸段丘・浦里川河口右岸  標  高:40m

そ の 他 :土器・石器を大量に出土。 特に円筒上層式土器・擦石を大量に出土。

縄文時代【後期】の特徴

【 約4千年前 ~ 約3千年前 】

  • 気候が「寒冷」となり、食料乏しく「人口減少」、集落は分散化、道北東部の遺跡は少なくなる。
  • 「土偶」や「石棒」が多くつくられ、また、石をならべた「環状列石(ストーンサークル)」や土手をめぐらせた「周堤墓」のような大規模遺構もつくられ、祈りやまつりに係る高い精神性が窺える。
  • 「土器」は小型化・多種多様化し、日高地方では土瓶のような注ぎ口のある「静内御殿山式土器」が出土。

★静内御殿山墳墓群 (新ひだか町静内目名)

種  別:墳墓  出土遺物:土器・土偶・石器・石棒・玉類・櫛・自然遺物  

時  代:縄文(早期)・【 縄文(後期) 】・縄文(晩期)・続縄文・擦文

立  地:段丘  標  高:40m

そ の 他 :道指定史跡。 出土遺物は道指定有形文化財。 静内御殿山式土器を初めて出土した遺跡。 大規模な墳墓群で約80の墳墓を発掘。 積石墓。 副葬品を多数出土。 土偶1個を出土。

静内御殿山墳墓群出土の遺物

静内御殿山墳墓群は、静内目名にあり、縄文時代後期末葉から晩期初頭(約3,000年前)の積石墳墓群である。

昭和27年(1952年)、静内高等学校郷土研究部によって発見されて以来、数回にわたり調査され、およそ80基の墳墓が確認されている。

墓壙内外からは、土器や石器、石製・土製の飾り玉、石製の首飾り、土製の耳飾り、朱漆塗りの櫛、土偶、石棒、香炉形の土器など祭祀に関わるものからなり、縄文人の精神文化を考える上で重要な資料が数多く出土している。

縄文時代の墓制、葬制研究上、重要な遺跡であることから、昭和39年(1964年)に北海道指定史跡となった。

縄文時代【晩期】の特徴

【 約3千年前 ~ 約2千数百年前 】

北東北を中心とした「亀ヶ岡式土器(大洞(おおぼら)式土器)」が道南央部に分布。

呪術的精神文化が高まり、「墓」は後期と同様、大規模・集中化。

壺形土器(埋壺)。舟形土器。旭町1遺跡SP-44,126,185出土。縄文時代晩期出土。

旭町1遺跡。縄文時代中期から続縄文時代の遺跡。

【続縄文】時代の特徴

【 約2千数百年前 ~ 7世紀頃 】(本州の弥生時代、古墳時代)

  • 「土偶、環状列石、周堤墓」が見られなくなる。
  • 前期の土器は「道の東西で異なった土器」に分かれ、道北東部では、地方色の強い「大狩部式土器」等が代表。
  • 後期の土器は全道で「後北(こうほく)式土器」が広がり、また、本州から文様のない「弥生式土器」が北海道へ広がる。

平取町 萱野茂二風谷アイヌ資料館 旧マンロー邸