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福島県 いわき市考古資料館①縄文土器 釣針 縄文犬

2024年06月08日 15時18分33秒 | 福島県

いわき市考古資料館。福島県いわき市常磐藤原町手這。

2024年5月24日(金)。

勿来関跡を見学後、いわき市考古資料館へ向かった。

いわき市考古資料館は、いわきの旧石器時代~江戸時代の遺跡から発見された土器、石鏃、石包丁、勾玉、陶磁器、石器、石製品、土偶などの土製品、刀子や直刀などの鉄製品、古代瓦、木製品、古銭などを通史的に展示している。

無料頒布の小冊子類が充実しており、ネット上でも見ることもできる。

「いわき市は福島県南東部に位置し、同県内では浜通り地方とも呼ばれる太平洋に面した地域です。縄文時代の太平洋沿岸には貝塚が数多く分布しますが、とくにいわき市は前期から晩期の貝塚が集中することでも知られます。後期や晩期にはシカの角で漁撈具や装身具を作り、晩期には寺脇型と呼ばれている釣針が発達しました。また、縄文時代の儀礼に用いられた岩偶や岩版などの石製品も、地域的な特徴をもつことで著名です。

一方、古墳時代には山の斜面に掘りこんだ横穴墓が盛行した地域として知られ、墓内には金銅製馬具や幡金具といった豪華な副葬品が納められていました。また、いわき市周辺には装飾古墳が集中しており、とくに中田横穴墓は、豊かな彩色で地域を代表しています。」(東京国立博物館 いわきの考古学―貝塚と横穴墓― 2017年)

今から 1 万年前になると気候の温暖化にともなって氷河が溶け、海水面が上昇、大陸から日本列島が独立する。動物相も、象やオオツノジカ等の大型動物に代わり、イノシシ、シカ、テン、ウサギ、カワウソ、キツネ等の中小動物が増えた。

また、落葉広葉樹が繁茂するようになり、クリ、クルミ、シイ、カシ、トチなどの木の実やイモ類等の資源も豊かになった。こうした環境の変化に伴ない、人々は竪穴式住居による集落を作り、狩猟・採集・漁労を中心とした生活を行っていたと推測される。漁労はアサリ・アワビ・サザエ・マダイ・スズキ等を獲る沿岸漁とカツオ・マグロ・サメ・イルカ等を獲る外洋漁で、漁法は尖頭具による刺突漁、釣り漁、網漁が行われた。

発掘された当時の貝塚からは、鹿角製U字形釣針、結合式釣針、粗製尖頭具(刺突漁法)、土錐(網漁法)などの骨角器が出土している。

また、土器に施された文様の類似性やいわき地方に見られない材質の石鏃が発掘されるなど、当時の人たちが、関東、中部、東北地方と広範な交流をしていた様子が窺える。

【縄文時代の遺跡】

○集落等遺跡

草創期(BC10000 年):竹之内(=三和町下市萱)、龍門寺(=平下荒川)

早期(BC7000 年):西ノ作(=内郷小島町)、大畑G(=泉町下川)

前期(BC4500 年):弘源寺(=平鎌田)

中期(BC3000 年):大畑、下大越(=平下大越)、郡(=勿来町窪田)

後期(BC2000 年):綱取(=小名浜下神白)、西郷(=常磐西郷町)、冷水(=遠野町上根本)

晩期(BC1000 年):寺脇(=小名浜)、山下谷(=川前町川前)

○貝塚遺跡

夏井川流域:薄磯(=平薄磯)、下大越、片寄(=平下片寄)、下山口(=平下山口)、弘源寺(=平鎌田)など

藤原川流域:大畑、綱取、寺脇、御代(=鹿島町御代)、西郷など

鮫川流域:郡、四沢(=勿来町)など

土器。

縄文時代早期。

縄文時代前期。

縄文時代中期。

縄文時代後期。

縄文時代晩期。

鹿角製結合式釣針(寺脇型)鹿角製銛頭 寺脇貝塚出土 縄文時代(晩期)・前1000~前400年 

鹿角製結合式釣針(寺脇型)鹿角製燕形銛頭 薄磯貝塚出土 縄文時代(晩期)

薄磯(うすいそ)貝塚。いわき市平薄磯三反田。

夏井川と藤原川によって形成された沖積低地のほぼ南端に位置し、海岸近くまで迫る丘陵先端の台地周辺に七地点の貝層の分布が確認されている。昭和57年(1982)いちばん規模の大きいA地点の緊急調査が行われ、縄文時代中期から弥生時代中期までの遺物が出土した。主体は縄文時代晩期で、釣針や銛頭、鹿角製斧状製品などの多数の骨角器が出土している。魚類ではマダイが突出しており、クロダイ、マグロなども多く、外洋性の漁労活動が行われていたと思われる。

福島県いわき市 勿来関(なこそのせき)跡


平取町立二風谷アイヌ文化博物館④装う タマサイ(首飾り)ニンカリ(耳飾り)

2024年06月08日 10時15分31秒 | 北海道

平取町立二風谷アイヌ文化博物館。平取町二風谷。

2022年6月9日(木)。

装う

アイヌの人々は、儀礼に参加するときなど、晴れ着の着用とともに装飾品も身につけました。代表的なのは、女性の首飾りや耳飾り、手甲・脚絆、鉢巻などです。

首飾りは、大小のガラス玉を連ねたもので、アイヌ語で「タマサイ」といいますが、特に、真鍮製の飾り金具がついているものを「シトキ」と呼んでいます。古いものは大陸からもたらされた青玉を連ねただけのものでしたが、本州の堺でつくられた「さかとんぼ」と呼ばれる色玉が入るようになると、色彩が一層豊かになりました。また、江戸時代末期から明治にかけては、江戸の松前藩下屋敷でつくられた「埋掘とんぼ」と呼ばれる色玉が用いられるようになりました。玉は大変高価で、女性が漁場などで働いた賃金すべてを使っても数個しか求めることができませんでした。

耳飾りは、細い真鍮を円形に曲げたものですが、なかには銀メッキしたものもあります。アイヌ語で「ニンカリ」といいます。江戸時代末期までは男性も着用していました。大小さまざまなものがあり、大きいものでは直径10㎝になるものもあります。

タマサイ。和名:玉飾り。

右から2つめのもののデータ。サイズ(mm)吊幅354。収集(製作)時期:1957年頃。収集(製作)地域:沙流川流域。

ニンカリ。和名:耳飾り。

材料・材質          金属製/男女

 

平取町立二風谷アイヌ文化博物館③着る 鹿皮衣 鹿皮靴 鮭皮靴 樹皮衣 木綿衣