川崎市多摩区枡形7丁目、宮前区初山1丁目などに広がる生田緑地には、日本で最も多く製造された蒸気機関車、D51形の408号機が静態保存されています。幼少時代に、生田緑地へ何度も行き、その度にこのD51を見ていました。最近、何十年ぶりかで生田緑地に行き、再びD51 408をみることができたので、撮影しておきました。
この蒸気機関車は1935年から製造されました。鉄道省の時代の車両ということになります。主に貨物輸送のための機関車でした。国鉄の蒸気機関車といえば、C11、C51、C57、C62などの名機がありますが、やはりこのD51が最も有名でしょう。デゴイチという愛称もあります。
D51のDは動輪が片側につき4つあることを意味します。上の写真では、シャフトが付いた大きな車輪が動輪で、それが片側に4つあります。ちなみに、Bは動輪が2つ、Cは動輪が3つ、Eは動輪が5つあることを意味します。
D51はテンダー形蒸気機関車の一種です。後ろに炭水車、つまり石炭と水を積んでいる車両(?)をつなげています。炭水車に積んでいた石炭を前の機関車の中にある釜で焼き、お湯を炊いて動かすためです。
蒸気機関車は、ディーゼル機関車や電気機関車よりもエネルギー効率が悪く、沿線の環境を汚染します。トンネル内で煤煙による窒息事故なども多発しました。国鉄が動力近代化を図って蒸気機関車を引退させたのは当然のことです。その後、復活運転をさせていますが、私には蒸気機関車を復活させる意味がよくわからない部分もあります。
運転席に入ることはできないので、外から撮影するしかありません。それにしても、運転席の構造はかなり複雑です。私は、小学生時代に、川崎市幸区にあった新鶴見機関区で行われたイベントに行き、ディーゼル機関車や電気機関車の運転席に入ったことがあり、マスコンやブレーキ弁なども見ましたが、これらとは比べものにならないほど、蒸気機関車の運転席は複雑です。
炭水車を後ろから撮影してみました。前照灯が付いていますが、炭水車に運転席がある訳ではないので、蒸気機関車は基本的に一方通行です。そのため、方向転換のためには転車台が必要になります。C11のようにバック運転が可能である機関車もありますが、D51では不可能とまでは言えないまでも苦手でしょう。
静態保存で、かつ野外に展示されているので、車体の痛みが非常に気になるところです。保存場所によっては荒廃し、結局解体されてしまった例もありますが、生田緑地のD51はきれいに保存されていました。
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