教師はなぜぼけるのか(7)
ぼけやすい傾向の方々として、ヒューマニストをあげる。
この業界に関わろうとする人々は「自分たちは真心込めてやっているんだから、向こうも倫理的な存在でないといけない」という押し付けが目立つ。障害者に対する見方が倫理的すぎる人は危険だ。特にボランティアさんたちは危険だ。
女性の場合は、ボランティアの人々。
「自分が人間らしい人間」であることを確認するために、その道具として、障害者や高齢者を利用している(そうではない人が大半ではある、と思いたいが)。
男性の場合は「会社人間」が危ない。「俺は家族を養ってきた」という自負が、養われる側に回った時、自分との関係が取りづらくなり、人生を投げる。
これまで、考察してみたが、このようにまとめられる。
つまり「教師」というのはある種の比喩であり(現実は、やっぱり多いけど、全員ではない)「元々の価値観がプラス志向単一であり、老いを敗北とし、自らが老いとなった時、自分との関係をうまくとれない人々」と言える。このような人々全員がぼけるわけではないと思うが、現場ではこの傾向は否めない。
人は「場」「関係」「個体」で成っている。とするなら「場」が「老いを受け入れやすい環境」を作ることが大切なのではないか。
ぼけやすい傾向の方々として、ヒューマニストをあげる。
この業界に関わろうとする人々は「自分たちは真心込めてやっているんだから、向こうも倫理的な存在でないといけない」という押し付けが目立つ。障害者に対する見方が倫理的すぎる人は危険だ。特にボランティアさんたちは危険だ。
女性の場合は、ボランティアの人々。
「自分が人間らしい人間」であることを確認するために、その道具として、障害者や高齢者を利用している(そうではない人が大半ではある、と思いたいが)。
男性の場合は「会社人間」が危ない。「俺は家族を養ってきた」という自負が、養われる側に回った時、自分との関係が取りづらくなり、人生を投げる。
これまで、考察してみたが、このようにまとめられる。
つまり「教師」というのはある種の比喩であり(現実は、やっぱり多いけど、全員ではない)「元々の価値観がプラス志向単一であり、老いを敗北とし、自らが老いとなった時、自分との関係をうまくとれない人々」と言える。このような人々全員がぼけるわけではないと思うが、現場ではこの傾向は否めない。
人は「場」「関係」「個体」で成っている。とするなら「場」が「老いを受け入れやすい環境」を作ることが大切なのではないか。