9月24日(金)
風死してまなこ悪いはみみなお悪いは
風死しては夏の季語。体感的にはまだ暑いもの。
補聴器と集音器の違いです。補聴器は声だけ拾う、集音器はみんな拾うガアガアピーピーなにせうるさい。お値段は5倍ほど違うけれど難聴のアタシには重宝する。難聴だが日常生活にはそのままでも生活できる。なんと言っても余分なものは聞こえないのがいい。悪口など聞いたためしがない。
目の悪いのは子どものころからだった。耳はたぶん職業病。長年カラオケスナックを営業していた。狭い店内で音量マックスの音源。加えて永年の水泳。随分昔のことだったがマリコさんが ねえねえ、となりやってるよ と声を潜めた。安普請の棟続きの借家でとなりは若い夫婦だった。昼から夜からお励みになっていたようだ。もっとも生まれつきだったのかもしれないアタシには何も聞こえては来なかった。これだけは未だに悔しい。日ごとナマが聞こえていたなんて。
聞こえない幸せもある。都合のいいのは噂話が聞こえない悪口が聞こえない何より世間が静かである。
明けだ、続いて2連休。1本映画を観るか。バーボンテネシー・ジャックダニエルをソーダで割る。
あっという間に彼岸花は色あせてきていて撮るのは断念する。
断捨離を果敢として実行に移している。前にも一度試みたが十分ではなかった残すものが多すぎる。お高かった背広などツイードなどコートなどもう着ることはあるまい。羊皮のロングコートなど2度ほどしか着なかった。それも随分昔に。後生大事にまつわり続けていた洋服ダンの二つを始末したい部屋が随分広くなるはずだ。中に吊してしてある衣類はこの5年は着ることもなかった。10年かもしれない。いやもっとだろう。虚しいのは喰った枝豆のからをまた口に含むときだ。愕然とする。
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