田代田の酒場日記

月夜に釜をぬくは難解でんな。男漁りという学説もある。犬の棒もここら当たりでは不慮のできごと 関東以北は幸運の棒。 

ジジイの片づけ邁進中~暑くもなく寒くもなし大方づけには絶好の時節でんなあ~

2021年10月08日 | Weblog

10月8日(金)

片づける去年着たもの着ないもの

マリコさんと暮らしていた当時の衣類が仰山あった。マリコさんは被服科を出ていたのでワイシャツなど襟を外して縦襟にしつらえてもらったものがずいぶん出てきた。どんどんゴミ袋に入れる。ジャンパーなど一枚あればいい。その一枚も要らないかも。じゃかすかゴミ袋に詰め込む。今日のゴミ出しには45リッターゴミ袋5になったのだった。

スーツなどもうこの先着ることはあるまい。二人の孫はまだ小学生だ。下は年長さんかもしれない。この子らがヨメをとるときはアタシは生きてはいますまい。50本くらいあってネクタイで膨らんでいたの洋服ダンスの扉が閉まった。スーツも惜しげもなくゴミ袋に入れる。ブレザーなど去年着る機会があったか。講演の依頼ももうないだろう。永く続いていた年一度の学校訪問はとうになくなった。どかどかゴミ袋に入れる。

ジジイの片づけを始めてこんなに気持ちのいいものかと気持ちの良さを発見する。でもまだ好きな本は捨てられない。このあたりがまだまだジジイではないな。

よく何でもため込んでいた。ため込むことも生きていくための生きがいでもあった。違うのだよ。捨てることに生きがいを見つけねば。羊の革のロングコートをアメ横で買った。えらい昔の話だ。その間2度ほどしか身に着けてない。要らぬでしょう。

買ったバカ着ないバカ居り秋の風

本などは幾つもくくられて月曜の分別ごみ日にまでと物置で待機している。

芭蕉翁など着更しふんどし一枚わらじは二足、それで生活はこと足りていたのだ。シューズも捨てる。ゴミステーションに並べておけば拾ってくれるかもしれない。母は着道楽だった。帯着物どのくらいあったか知らない。pTA参加の日などびしっと着物で来られるのがいたたまれなく恥ずかしかった。田舎なのだほかのお母さんたちはアッパッバーなのであった。浅草で暮らしていた母としては普通だったのだろう。店にも着物で出ていた。そんな母も介護施設に入るときは何も部屋になかった。少しづつゴミとして捨てていたようだった。ヒトにあげて上手に着ていられる姿を見るのが悔しい。 ぽつりと言ったことがある。母も持ち物はどんどん捨てていたのだった。

母の部屋から一つだけ持ち帰ったものがある。床に立てかけてあった柱時計だ。動かなくなったと下におろしていた。たぶん前にも同じことを書いている。この柱時計がなんとなしに復活したのだった。むろん時々ねじを巻くのを怠っていて止まることはあるがけなげに動いている。母の家にあった年代物の柱時計だ。

つけたテレビが離島で暮らす家族の生活を映し出していた。離島とはいえど電機やガスは来ているようだ。ガスはプロパンか。冬はたまらなく寒いだろうなあ。テレビなのでいいとこだけ切り取ってあっという間に終わってしまった。ゴミ処理なんかどうしているのだろう。現実に直面する素朴な疑問がふつふつわいてきたのだった。

 

 

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