森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

ロシアウクライナ戦争と東アジアの危機をどう回避するのか?

2022-05-24 11:48:13 | 国際政治・外交

前回のブログが2022年3月27日ですから、今日でほぼ1ヶ月半ぶりになります。

ロシアとウクライナの戦争が長引いています。この戦争に対する与野党、学識者などから聞こえてくる主張は、先に手を出したロシアが一方的に悪く、国際法違反!ロシアは即時軍を退け!という内容です。米国を筆頭にして、プーチン大統領は戦争犯罪者呼ばわり、強力な兵器をはじめとして世界の西側国からさまざまな援助がウクライナになされています。

一昨日5月22日、知人の主催する憲法カフェ『ウクライナ戦争と憲法9条』に参加しました。お話は、池袋の法律事務所にいらっしゃる大山勇一弁護士の要約に基づいて進められました。要約の後半部分の「3 日本のめざすべき方向は?」という部分は事実の列記ではなく大山先生の考え方が記述されていますが、私は共感するところがたくさんありました。

こういった世界情勢に関する主張というものは、まず事実に基づいてなされなければなりませんが、その事実が分からないことが多いのです。特に一番大事なポイントは本当はどうなのか、分からない場合がたくさんあります。何十年も経ってから公文書館で見つかったとか、あるいは最後まで真相はわからないことも多いと思います。
なので、大山先生の要約のように、ある程度は既知の事実に基づきながらも、自分自身の考えを構築することが大事だと思います。

昨日の憲法カフェでの討議、及び私自身が過去に得た知識から私は以下の通り考えます。

ロシア・ウクライナ戦争は、一般的にはいきなりロシアがウクライナに攻め込んだとされ、これは国際法違反でありロシア軍は問答無用で即時撤退せよというという声が、右派も左派も一緒に日本中を席巻していると感じられます。
ある左派の政党は、戦争を憎み平和を希求するその姿勢に対して日頃私は感動し共鳴していますが、この戦争に対する主張は上から目線のジャッジによる一方的な主張であり思考が不十分だと思います。それでは人類にとっていい結果を産みださないと私は思います。
正しいジャッジだからよいというのではなく、戦争を止めるにはどうするべきかと、そこを考える必要があります。
プーチン・ロシアが100%間違っているから世界が団結してプーチン政権を追い詰めろという主張です。ここに相手を理解しようとする意志や和解を望む気持ちは少しも感じ取れません。力で押し潰せばよいという冷たさしかありません。即時撤退せよという上から目線の命令のような主張では、相手を余計怒らせ、結果として戦争を煽るばかりだと思います。
プーチン・ロシアは核を持っています。このような一方的な追い詰め方は、私は大変危険だと思います。追い詰めた結果核兵器が使われた。それからでは遅いのです。核兵器を持つ国を力で押し潰そうとすることはやるべきではないと、私は思います。

バイデン大統領はロシアの侵攻の数日前にはロシアの侵攻を予言したようです。予言ができるはずはないので、何か事実を掴んでいたからだと思います。ゼレンスキー大統領は現時点ではクリミアについては黙っていますがその時はクリミアを取り戻すと公言し、クリミアを空爆したという話も聞きました。何が本当か私にはわかりません。

腕力が強いAと、弱いBがいるとします。AがBを殴ればBはどうするでしょうか。Aが殴ったと大声で騒ぎ立て、周囲を味方につけます。逆にBがAを殴ればAはどうするでしょうか。Bの場合と同じことをするでしょうか。そんなことはしないでしょう。そんなことをすれば、メンツは潰れ、腕力が強いという看板を下さねばならなくなるでしょう。ではどうするか。それを騒ぎ立てるのではなく黙っているでしょう。その代わり5倍にしてやり返すでしょう。

このAがロシアじゃないのかと、私はそんな気がします。両陣営はそれぞれ都合のいいプロパガンダをやるし、都合の悪いことは隠します。その上真相を知る人はごく僅かで、また喋らないでしょう。有り得る可能性を自分なりに推察するしかありません。
とても巧妙な心理戦略だと思います。

重要なことは、上から目線でジャッジし、問答無用の一方的な主張ではなく、両者の主張を取り上げなければ和解はできないということです。
大山先生の要約には、ロシアの主張が分かりやすくはっきりと取り上げられています。ここが上から目線の問答無用の人たちとは異なるところです。まさに両者を和解させたいという気持ちが溢れています。その中に、「(ウクライナは)ロシアに対して領土請求をおこなっている」という言葉が明記されています。ロシアは、上記の弱いBのように騒ぎ立てはしませんが、とても控えめではあるけれどこの部分に、侵攻の引き金を引いた直接の原因を述べているように私は感じとりました。

どのようにして戦争が起こるのか。どのようにして世界的な極悪人が作られるのか。再考してみると、身体に戦慄が走るくらい巧妙に仕掛けられているように思います。

このロシア・ウクライナ戦争から我々は何を学ぶのでしょうか?

もし日本と中国が戦端を開くとなれば、その発端はロシア・ウクライナ戦争よりももっと巧妙に仕掛けられるということです。日本の政治家は知らなかったという立ち位置で、例えばもし仮に自衛隊の一部と米軍が一体となり極秘に戦略を進めれば、真相が表に出ることは絶対にないでしょう。本当のことは極く少数の当事者を除いて誰も知らないのです。これは日本人の不幸であり、アジアの不幸であり、また人類の不幸でもあると私は思います。この不幸を防ぐには、ジャッジをするとしてもまず誰にも見える表面に出た現象だけでジャッジをしてはいけないということです。プーチン大統領の場合と同じように〇〇は悪だ!〇〇を許さない!と右派も左派も皆一緒のジャッジ・・・そこに戦争が生まれます。

でも、このロシア・ウクライナ戦争から学ぶ明るいこともあります。

プーチン大統領が、北欧2カ国のNATO加盟に柔軟な発言をし「何の問題もない」と述べたことです。5月17日配信のロイターの動画でのプーチン大統領の主張を聞いて、自分が何をしたいのかよくわかっている冷静な人だと思いました。「狂人」とか「悪魔」というプーチン像は、意図的に作られた虚像だと感じます。

https://sn-jp.com/archives/81414?fbclid=IwAR3lTzh8s5l18eTPdvX3xwEp4jRvmiO1ZCsu7CFIC_vXyD0RrWDgH6t66HE
(動画2分8秒)

スウェーデンやフィンランドは民主主義が徹底した国です。スウェーデンは多い場合は個人所得の何と60%が税金として徴収されます。なぜ国民はそれを黙っているのか。なぜそんな政府が支持されるのか。それはそのお金が真に人間のために使われていると考えるからです。徴収側の主張だけではなく徴収される側もそう考えています。人間社会として現代人類の行い得る最高レベルに進歩した社会だと思います。もともとスウェーデンは極寒の、じゃがいもしかできない極貧の国でした。スウェーデン社会民主労働者党のエルランデルやパルメが理想とも言える素晴らしい社会を作りました。

私は今はもうやめましたが、若い頃、スウェーデン社会を学びたいと思ってスウェーデン社会研究所の会員になり、スウェーデン大使館で何度も講演を聴きました。スウェーデンやフィンランドはNATOに入るけれども、西側に言われてロシアを脅かすような軍拡行為をしないと言明しています。その言葉がプーチン大統領には信じられるのです。プーチン大統領もこの動画の中で、「だがこの領土への軍事インフラの拡大は確実に我々の対抗措置を誘発するだろう」と述べています。スウェーデンやフィンランドはプーチン・ロシアが何を嫌がるのか、何をすれば戦争が起こるのか、それを明確に理解しています。それさえしなければ戦争なんか起こらないのです。敵対する陣営にある国同士でも、あえて表現すれば「仲良く」できるのです。

「プーチンさん。私たちはあなたの今回の行為を見て、あなたを心からは信頼できないの。私たちにも安心が欲しいの。だからNATOに入ります。でもあなたを脅かすようなこと、あなたを苦しめるようなことはしないわ」

スウェーデンとフィンランドはプーチン・ロシアに対してこう言っているのです。
その言葉を「わかっている」とプーチン・ロシアは受け入れたのです。

同じ言葉、同じ行為でもそれを誰がするのかで戦争になったり、「仲良く」行われたり・・。他国の信用を得るということはこれくらいの差を生み出すのだと、このニュースで感じました。

ここから中国に対してどのような態度を取ったら戦争にならないか学べます。
仮に、敵対する陣営同士であっても、北欧2カ国とロシアのように「仲良く」なること、つまり戦争をしない関係を作ることができるのです。

大山先生の要約には、中国に対しては、日本が「レッドラインを踏み越えない」という確固たる意思表明と行動実践、具体的には台湾に対する「中国の立場を理解・尊重する」という1972年日中共同声明の立場を再確認し、実践することとあります。
私も、この点はとても重要だと思います。
相手を脅かすこと、相手を嫌がらせること・・。相手に戦争を起こさせるほど酷いことをしない。これが戦争を起こさないための方法です。
北欧2カ国とロシアのように、あなたを脅かすこと、あなたを苦しめることをしない、つまりお互いが敵陣営にあっても「仲良く」ということが、北欧2カ国にできて日本にできないことはないでしょう。

人類には戦争を止める時が来ています。
日本が東アジアでまずそのモデルを世界に示すことができれば、どんなに素晴らしいかと私は思います。

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と、ここまで書いて一応終わりにしましたが、数日が過ぎてさらに追加したいと思いました。
今日は5月28日(土)です。以下に追加をします。

選挙に向けたキャンペーンとしてお願いされ、日頃の休日版に加えこの5月から取り出した日刊紙、それを見ると「戦争をさせない」という言葉が目につきます。
戦争をさせないって、本当にそんなことができるのでしょうか。

私はベトナム戦争が始まったいわゆる「トンキン湾事件」を思い出しました。
米国の一番の目標は中国でしょう。習近平が率いる現在の中国の体制でしょう。米国の目標は現在の中国を崩壊させ、親米中国に作り替えたいのだと思います。

ロシア・ウクライナ戦争が長引けば米国も2面同時は困難、多分中国に対する行動はずっと遅れていくでしょう。もしロシアがこの戦争で負け、プーチン・ロシアが滅んで親米国家に変わったとします。
そうすれば米国の行動は急変し、対中国まっしぐらになるでしょう。その時は日本が矢面になるでしょう。
もしプーチン大統領も健在、プーチン・ロシアも永らえられれば、米国はロシアとウクライナの和解を試みるでしょう。先般5月14日、米国国防長官がロシア国防相と電話会談をしたとのニュースがありました。

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米国防長官、ロシア国防相に即時停戦を要請 ウクライナ侵攻後、初の電話会談
https://times.abema.tv/articles/-/10023571
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あれほどプーチンを戦争犯罪者と呼び、強力な武器を渡して一方的にウクライナを援助していた米国がロシアに停戦を申し出るというのです。ロシアの侵攻を弾劾し、プーチン・ロシアを滅ぼし親米ロシアに変えるつもりではなかったのでしょうか?

私は、ロシア・ウクライナ戦争がさらに長引くと判断されれば、米国はプーチン大統領と和解し、戦争終結を図ると思います。中国に対する行動を起こしたいからです。
その時はプーチン・ロシアは中国につかないという約束が、絶対条件でしょう。プーチン大統領がそれを飲むなら、戦争犯罪人は無罪放免となるでしょう。それどころかウクライナなどロシアにくれてやる!などともなりかねないでしょう。正義はどちらにも同じではなく、現実には重みづけがあります。

以下は、私の一つの仮の想定です。
地続きのロシア・ウクライナと違い、海を挟んだ日本と中国はミサイル合戦になるでしょう。
台湾海峡かその周辺で航行中の日本の漁船のような民間船、あるいは海上保安庁や自衛隊の船が攻撃を受けて沈没します。乗組員は全員死亡。その後に、近くに中国軍の船がいたという報道がなされます。日本では中国軍、日本船を攻撃!日本船は沈没、乗員は全員死亡!と大きな記事が出て、連日メディアが煽ります。
無論、中国は全く関与していないという声明を出しますが、その時点で日本人はもうすでに中国に対する憎悪が上り詰めています。
その時、沖縄の自衛隊の基地から中国に向けたミサイルが北京近郊に発射され、その報復として今度は中国から日本本土にミサイルが発射される・・。
こんなシミュレーションが、私の脳裏に浮かびました。

「戦争をさせない」なんて、こんなあっという間の変化の中で本当にそれができるのでしょうか。
どのようなシミュレーションを考えているのでしょうか。

日本が、米国の尖兵として対中国戦争に追い込まれない方法は、中国、ロシア、インドが一つのチームとしてがっちり手を組むことが大きな要因になると思います。世界は2ブロックの対立になりますが、米国を中心とした西側ブロックも簡単には手を出すことができなくなり、米国の尖兵たる日本からも死神が去っていくと思います。
先に書いたように、所属するブロックが異なっていても賢くあれば「仲良く」できます。

それと日頃から中国を敵対視しないことです。
敵対視と言うことは、よいことはなるべく伏せ、否定的な内容、嫌なことを中心に表面に出すことです。これで日本国民の意識に相手に対する不快感が育ち、それが中国に対する憎悪に変わっていきます。我々はおかしいと思うことははっきりと言うと言って否定的なことを強く主張し、そのために中国に対する敵対意識、否定的な意識がその野党を信頼する人々の中に大きく育ちます。実際はそうではなくとも、まるで与野党の主張が一致したかのように国民には見えます。そしてその一致したかに見える方向に右派も左派も一致していきます。こうして実質的に中国に対する嫌悪感を煽っておいて、いよいよその意識が全国民に育ってきた時、我々は戦争を否定すると言ったってどうにもなりません。科学的にはあれはあれ、これはこれ、でよいのかも知れませんが社会事象は繋がっています。口先ではなく、本当に戦争を避けたいと思うなら、この辺は本当によく考えてもらいたいものです。そうすれば何を一番望んでいるのか、その真意がもっと正しく伝わりさらに支持が増えると私は思います。

先の大戦の終結後、中国から逃げ遅れた日本の敗残兵に中国は何と言ったか?「恨みに報いるに徳を以てす」と言ったのです。この言葉を思い出すことは、日本と中国の戦争を避けるための大きな力になると、私は思います。日本の敗残兵と中国政府の関係を描いた『再生の大地』と言う合唱劇がもっともっと広まればよいと思います。

「戦争をさせない」とは、敵が攻めてきた時に白旗をあげることではなくて、まず敵が攻めてくるようなタネを蒔かないこと、不幸にして既にタネが蒔かれてしまっていても、それが芽を出さないようにすることです。タネが蒔かれ、それが芽を出し成長して花が咲く。戦争という花だけを見て初めて戦争だけは絶対に嫌だとか、戦争を始めた国だけが悪いとか、そこに至る過程は何も考えず、結果だけをどうこう言っても戦争を無くすことはできないと思います。「戦争をさせない」とは、攻めてきたらどうする?ではなく、攻めてくるようなタネを蒔かないこと、芽を出させないこと、そのために人間だけに授かったこの大きな頭脳を使うということではないでしょうか。

 

 

 

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利他性ー自然科学と社会科学の架け橋として

2022-03-27 21:27:03 | 人類の未来

今年2022年4月2日に午後1時から市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」をZoomにて行います。

テーマ:利他性ー自然科学と社会科学の架け橋として

私は真の利他性(純粋の利他性)、つまり自分の利益を動機としない利他性が、現代以降つまり人新世において人類を導くと考えます。

昨年は、「真の利他性とは天動説である」と言うお話がありました。つまり本当は利己性に基づいてあらゆる生物はこの世に存在できるのだけれど、真の利他性があるように見えるから、あるいはあると思いたいから、それがあると人は考えるのだと、そう言うお話しと受け取りました。
以下の文章は、私の講演要旨の冒頭の部分です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ヒトは生き物である。宗教や生活習慣など特定の制約のない限りヒトは魚や牛や鶏を食べるが、もし魚や牛や鶏の身動きが自由であれば逃げるであろう。すなわちヒトは、自分個人の生存と繁殖のために嫌がるものを力づくで捕らえ殺して食べる。そうしなければ生物個体として存在し得ない。ヒト以外の動物もまた植物も、何らかの手段を用いて自己を存続させ、また自個体の遺伝子を未来に繋ぐことが必須である。でなければ、この世に存在できない。ゆえに地球上の生物はその100%が必然的に利己性をもつ。
これは生物がこの世にあるための原理と言い得る。
平易な言葉に変えれば“生き物は私欲で成り立っている”。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人間は論理的です。ですから、上記の文章が正しいと直感的にわかっていただけると思います。自分の利益をどんどん捨てて他人に与えていけば自分自身も自分の子孫も生存し得ない・・。論理的にそうなるでしょう。
しかし、果たしてそうか?
昨年の市民シンポジウムから丸1年が経ち、人間の持つ真の利他性とは本当にそのようなものか・・と考え続けて、1年後のこの市民シンポジウムにつながりました。昨年と同じような話になるかどうか。自然科学と社会科学の架け橋になるかどうか、私は最大限の努力を尽くすつもりです。
2022年2月24日、ロシアがウクライナに攻め入り戦争が始まりました。私がこの趣旨説明を書いている時点(3月27日)で、ロシアとウクライナの戦争終結に向けた会談はすでに何度も行われていますが、まだ奏功しておらず戦争は継続しています。先般もこの戦争に関する大きなシンポジウムに参加しましたが、ここでこの戦争について議論するつもりはありません。
私が大きな論点としてここで取り上げるのは、ロシアがウクライナへ派兵した大きな理由が、少数のロシア人を守るためということでした。ウクライナではロシア人は少数です。民主主義の原理は多数決にあります。多数決で物事を決めれば、少数者は常に不利になります。集団における人数の多い少ないが、この世に生きていくことの難易を決めます。集団 vs 集団、「俺たち」と「あいつら」。こうなると多数決は罪なものです。ある人たちを不幸に陥れます。実際に、この戦争の原因になっています。人間はこの矛盾を乗り越えることができないのでしょうか。利他性は集団内でしか働かないのでしょうか。集団を越えることができないのでしょうか。真の利他性とは一体何なのでしょうか。
・ハミルトンの方程式以外に、生物の存在における普遍的な原理は存在しないのか?
・人類は“集団”という壁を越えることができないのか?

今回の市民シンポジウムではこういう広い視点から問題提起をし、よく考え、自然科学と社会科学の架け橋になればと思います。

講演:
森中 定治(日本生物地理学会会長)利他性ー自然科学と社会科学の架け橋として
小林 佳世子(南山大学経済学部准教授)経済学における利己と利他
論評:
大門 高子(作家(児童文学)、作詞家、演出家)
大槻 久(総合研究大学院大学先導科学研究科准教授)
奥田 太郎(南山大学社会倫理研究所教授)
川上 祐美(上智大学、立教大学講師)
川西 諭(上智大学経済学部教授)
土畑 重人(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
クロージングアドレス:
悠木 そのま(キャリアデザインフォーラム代表理事)

ポスター
https://biogeography.iinaa.net/image/22poster.jpg
講演要旨(日本生物地理学会HP)
https://biogeography.iinaa.net/index.html

参加費無料

参加申し込みは、お名前と年齢を明記して学会事務局 (delias@kjd.biglobe.ne.jp)へ

 

 

 

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沖縄の未来・人類の未来

2021-12-14 09:08:12 | 人類の未来

 りゅうちぇるの『こんな世の中で生きていくしかないなら』を読んだ。りゅうちぇるは1995年生まれの26歳、TVタレントでおバカキャラらしいが私はTVを見ないのでわからない。表紙と巻頭に何枚もの本人の顔と容姿の写真がついているが、私の第一印象はジェンダーレス。本人は、そう呼ばれることを好まない。ジェンダーレスを気取っているのではない。何か別の目的のためにそうしているわけでもない。ただ自分が思うように生きているだけ。生まれたばかりの子どもがいるが、男は青、女はピンクという色分けをしないで育てる。男がピンクの服を着たっていいし、女が男を守ってもいい。
 高校生の時のツイッターでフォロワーは2万人を超えた。沖縄出身だが戦争を知らない世代。飛行機が爆音を響かせて飛ぶのが当たり前の中で生まれ、育った。
 そんな若者が「危険と隣り合わせだ」と実感したのは、2004年ヘリが沖縄国際大学に落ちた時。小学校3年だった。ヘリが上空で旋回するのを見ていたら、急に止まって垂直に落ちた・・・。
 沖縄では、戦争や基地について何も思わないほうが不思議。罪のない人同士が殺し、殺されるのは残酷だ・・・

 米国議会の諮問機関である「米中経済安全保障調査委員会」の11月17日の報告書は、台湾有事において米国が軍事介入の動きを見せた場合、グアムと沖縄の米軍基地が核兵器の先制攻撃の標的になる可能性があると指摘した。

 米国が日本の領土である沖縄まできて、中国に武力攻撃をかけようとする。中国政府が自国民を殺すための攻撃施設を無効にしようとするだろうことは、米国の報告書を待たなくても容易に想像できる。結局一番酷い目に合うのは沖縄だ。アベ元首相が右翼の集会で台湾有事の時は米国と一緒に台湾を助ける旨の発言をし、さらに尖閣は日本のものだと再三再四言ったらしい。これを聞いた台湾野党の国民党は怒り政局になりかねないという。
 尖閣は那覇から410km、東京からは1950km、一方台北からは280km、台湾も自国に所属する諸島だと主張している。

 先の大戦の後、カイロ合意に至る過程でルーズベルトは蒋介石に「アメリカと共に日本を爆撃することに協力すれば、日本の敗戦の後に琉球群島を与える」と誘い込んだが蒋介石はその申し出を断った。この事実は秘密にされていたが当時の部下の外交部長によって皆の知るところとなった。こういう経緯があって、台湾は「釣魚台(尖閣諸島)は台湾のものだ」と主張するようになり、米国は、沖縄の日本への返還にあたり、「(尖閣の)領有権に関しては米国は関わらない」と言い続けるようになったのだ。
 筑波大学名誉教授の遠藤誉という中国専門家が、このように解説しているようだ。
 さらにこうも書いていると言う。
 たいへん残念なことに、日本のマスコミや中国研究者、あるいは国際政治学者、さらには元外交官までが、元首相の発言が、「台湾の領土主権を侵犯する言葉を発したに等しく」、「台湾を侮辱したに等しい」という認識を持つ事ができないままだと。

 蒋介石が、沖縄をくれるという米国の言葉を遮って台湾からの日本の本土爆撃を断ったことで、日本は大きな恩を受けたような気がする。日本軍の台湾統治が礼節を保って好印象だったからかもしれないし、蒋介石が他国の人々を大量死させる爆撃を自国からはさせないという尊敬に値する信念を持っていたのかもしれない。いずれにせよ、台湾は日本本土爆撃の米軍基地にはならなかった。一方ベトナム戦争では、沖縄はベトナム爆撃の基地になった。ベトナムでは北の方に悪魔の島があり、そこから爆弾の雨を降らせる飛行機が飛んでくるというベトナム人の話を私も過去に聞いている。
 今度は沖縄が、中国に爆弾の雨を降らせる基地になるのだろうか。
 沖縄の人はそれを望むのだろうか・・。

 私は、さらにすごい話を聞いたことがある。先の大戦で沖縄は酷い目にあった。日本は戦争に負け、2度と武力で事を解決しないと誓い、平和憲法を建てて軍備を捨てた。これを喜んだのは日本本土の人ばかりではない。沖縄の人こそが心から喜び歓迎したのだ。佐藤栄作元総理が沖縄の本土並み復帰を成し遂げ、ノーベル平和賞に輝いた。私は沖縄の著名な新聞社の相応の地位ある方から聞いた。沖縄が日本への復帰を望んだのは、無論様々の理由がありそのうちの一つではあるが、日本の平和憲法、2度と戦争をしない、他国を攻撃する武力を持たないという日本独自の憲法があるからこそ、日本への復帰を望んだのだ。
 先の戦争で一番過酷な運命に弄ばれた沖縄だからこそ・・・この気持ちは人間として私にはとてもよくわかる。

 こういった沖縄の血塗られた歴史を考えてみると、私は沖縄は独立してもいいんじゃないかという気がした。無論それは沖縄の人々が考え決断することであるが、私個人として戦争時からの経緯を頭に浮かべると、ふっとそんな選択肢の一つが心を掠めた。独立国家となって日本や米国の武力基地を置かない。無論中国の基地も置かない。沖縄は中国も台湾も米国も日本も、どの国にもどの地域にも爆弾の雨を降らせはしない。人間の大量殺戮には加担しない永世中立の国家となる・・。
 私には、琉球群島をやると言われても「我々は他国の爆撃基地にはならない」とその誘いを断った蒋介石が重なる。

 来年参院選を経て与党が多数となり、憲法が改正される可能性がある。再軍備が公式に可能となる・・。
 2度と戦争のために武器を持たないという日本の志が消える。この時、沖縄は日本との訣別を可能とする最大の大義が生まれる。
 右翼にとっては長い間耐え忍んだ念願、他国を武力攻撃する権利を手に入れたという思いで心が満ちただろう。沖縄に対して財力で締め付けるような意地悪や、顔を隠して後ろから殴るような卑劣な暴力、コソコソした嫌がらせ、そういうことは一切やめ「ここで道は別れるが平和を願う心はどちらも同じだ。沖縄よ、達者でな」と堂々と祝福したらどうか。右翼も念願達成だ。沖縄が今まで沖縄人のためではなく日本人のために味わった苦しみを理解してやれ。

 欧州ではスイス・・永世中立国。米大陸ではコスタリカ・・軍隊を捨てた国・・。そしてアジアでは沖縄。いずれも小国で歩んできた歴史も違い、そこに住む人も違う。でも欧州に一つ、米大陸に一つ、アジアに一つ。人類の未来に続く道を指し示す同じ標識に燈が灯った。日本は普通の国になったが、その時同時に沖縄は、世界を照らす標識灯となった。

 りゅうちぇるのような若者。性に関わる表面的な縛りにとらわれない若者。
 男の子にピンクの服を与え、女の子が男の子を守ってもいい現代。
 こういう時代にこそ人類の選択肢が現れるのではないだろうか。

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映画 『護られなかった者たちへ』 を観ました

2021-10-11 10:34:30 | 原発・エネルギー

久しぶりに映画を観ました。

映画は1年に1回観るか観ないかなのですが、『護られなかった者たちへ』という映画です。

地元の美園イオンで観ました。生活保護の映画です。その実態が相応にわかります。
生活保護担当の言葉というか、その仕事自体が需給を受けようとする人の尊厳に触れるんですね。

福島の大震災で孤児となった二人の子どもを育てた倍賞美津子演ずる老婆が、二人の子どもに言われて生活保護を受けようとしますが結局自ら申請を取り下げて、その結果餓死する・・

なぜなのか? 私でもこの状況なら申請できないです・・

でも、生活保護担当が初めから受けさせないように仕組んでいるという見方は、一方的と思いました。
深く考えさせられる映画でした。見てとてもよかったです。

https://movies.shochiku.co.jp/mamorare/

 

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4枚カード問題

2021-09-24 13:49:11 | 人類の未来

2021年7月20日に前のブログを書いたから、それからはや2ヶ月が過ぎました。前回は、私は人間の持つ利他性について今年4月の市民シンポジウム以来ずっと考えてきて、8月26日の生物学基礎論研究会で、それを発表するつもりで研究会に要旨も送っていたので、その関連でブログを作成しました。


私が『プルトニウム消滅!』という本を書いていることもあり、「プルトニムをこの世から完全に消してしまう技術があるのか」という問いが元になって、銀座の交詢社で講演をすることになりました。プルトニウムはミサイルで他国に打ち込めば核兵器の使用となって世界の大ごとになりますが、世界の大ごとにしないで同じくらい恐ろしい使い方があります。1ミクロン以下の粉末にして空に撒くのです。空気中を漂い、1度撒かれたらもはや集めようがありません。その空気中を漂う微粒子1粒が呼吸で鼻から肺に入ったら・・。白血病や奇形児を生み出す劣化ウランの19万倍の力を持っていて、その地は2万年死の地になります。銀座や新宿の空で撒かれたらと思うととても恐ろしいです。他国と殺し合いなどしておれません。これはダーティーボム(汚い爆弾)と呼ばれ、以前からよく知られています。オバマ大統領なども講演で警告を発しています。日本ではなぜか話題にならず、私には大変不思議です。このようなプルトニムの怖さや具体的にどのように消滅させるのかを話そうと思いました。8月21日午後、講演1時間半、その後2時間質疑応答で午後丸半日の企画です。1時間半の講演は長すぎるので、人間の利他性についての話を半分加えたいとお願いしたら、OKになりました。私は、8月26日の生物学基礎論研究会のリハーサルを兼ねることができて、とてもよかったです。


前後しますが、歌では8月7日にポピュレールシャンソンコンクール・セミファイナルが神戸であって、神戸へ行って歌いました。残念ながら落ちました。8月24日には日本シャンソン・カンツォーネ振興協会(JCC)のコンクール東京大会があり、そこでは勝ちました。9月28日が国際声楽コンクール東京の歌曲部門です。これは埼玉予選を勝ち上がってのセミファイナルなのですが、ここで勝つと全国大会で日本歌曲を加えて3曲歌わねばなりません。負ければ無論それで終わりですが、勝った場合でも今歌っている「ああ愛する人の」というイタリア歌曲、日本歌曲の「落葉松」の他、自信を持って歌えるもう1曲がないので今年はそこで止めるつもりでした。ところが久しぶりにレッスンをいただいた新座の岩崎先生が「勝ったらなぜ止めるんだ!もう1曲くらいなんだっていい。いい経験だからぜひ参加したら」というので、気分が変わりました。あなたにぴったりだと言って、トスティの「暁は光から」を薦めてくださいました。
https://www.youtube.com/watch?v=va5Je7rmiFI
確かに私にあっている歌で伸び伸びと気持ちよく歌えそうですが、この頃かなりシャンソンにシフトしているので、初めての歌ではなく歌い慣れた他の歌を探します。それから9月30日が、JCCのシャンソン・カンツォーネコンクール全国大会です。これは是非、がんばりたいです。
こんなことをしていたら、あっという間に2ヶ月が過ぎてしまいました。


人間の持つ真の利他性について、少し記述があるので最近『最後通牒ゲームの謎』という本を読みました。ゲーム理論や、4枚カード問題は以前から知っていましたが、とても新鮮に興味深く読むことができました。
今朝の毎日新聞に菅首相の「まず自助」という言葉についてオピニオンとして3人の主張が出ています。竹中平蔵氏は「公助のためには、自助できる人が税金を納めていなければならない」と書いています。私のような年金暮らしの老人でも税金は納めています。自分自身が自助の立場にいることを改めて認識しました。宮本太郎氏は「コロナ下のこの1年間で日本は、自助は難しく、共助も瓦解しつつあり、公助も成り立っていない、言わば『無助社会』に近づいたのではないか」と書いています。北村年子氏は「助けが必要な人の口を塞ぐ最悪のメッセージだった」と書いています。そしてDaiGo氏の動画にも触れています。宮本氏に近い立場だと思います。公助とは何なのか?竹中氏と、宮本氏・北村氏でその認識が真逆であると感じました。
どうしてこのようになるのでしょうか。


先に述べた『最後通牒ゲームの謎』に、興味深いひとつの「4枚カード問題」があるのでご紹介いたします。ドイツのコンスタンツ大学での実験です。
(ルール)
 ある企業で企業年金をもらうには、10年以上の勤続がその資格である。
(カード)
カード1 年金をもらっている
カード2 年金をもらっていない
カード3 勤続10年以上
カード4 勤続10年未満
(質問)
企業年金の有無と退職者の勤続年数が記されたカードがあります。あなたはどの2枚を選べばそれがわかると思いますか?
(答)
あなたが企業の損得を重視する経営者であればカード1とカード4、あなたが働く人の利益を重視する労働組合の委員長であればカード2とカード3です。これって、どちらも間違っていないのです。立場によって真逆になるんですね。どちらも自分こそが正しい、相手が間違っていると確信しています。でもどちらもルールは単なる建前と化しています。仲間と敵、双方がルールそっちのけで闘うのです。
毎日新聞の竹中氏と宮本氏・北村氏の主張・・、私の中でこの4枚のカードと重なりました。


およそ600万年前に人類が初めて樹上から地上に降り立ちました。地上には肉食動物がいるので、暴力によって喰い殺され孤立していては到底生きていけません。自分だって同じことをしたでしょう。魚や鳥や自分より弱い動物がいれば殺して食べたでしょう。それがそもそも人間というか、生物の始まりです。その関係の中で、うまく機能するグループを作った人が、その後生き残りました。グループとは言葉を変えれば仲間のことです。そのうちにそのグループ同士が争い、暴力で相手の食糧などを奪うようになりました。そしてその後はより強いグループが残っていったのでしょう。仲間内には利他(善)、それがそのまま仲間外(敵)には利己(悪)になります。これは利他と利己が仲間か仲間外かで単に裏表になっているだけです。仲間の生命を守ることと敵の生命を奪うことが同じになります。もはや相手は同じ人間ではありません。これは真の利他ではありません。仲間はとても大事です。仲間がいなければ、肉食動物から人間は逃れることができず消滅していたでしょう。しかしその仲間それ自体が、仲間外を生み出します。先程の4枚カードと同じです。立場つまり仲間か仲間外かで確信が真逆になります。『最後通牒ゲームの謎』では「脱人間化」という恐ろしい言葉が出てきます。仲間外の人に対して「脱人間化」が生じている可能性が指摘されています。仲間外についてはもはや人間と見ていないということです。でもそんなことを口に出せば大ごとになりますから、もちろん口には出しません。入管で亡くなったセイロンのウィシュマさん、先般のアフガニスタンで10人もの民間人が亡くなったドローン攻撃・・、脱人間化が起こっているのではないかとの予感がします。
早く人間の持つ真の利他性についての論文を、世に出したいと思います。

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「情けは人のためならず」に思う

2021-07-20 14:50:19 | 人類の未来

リタイア後、趣味で声楽を一所懸命やってきました。愛好家部門ですがコンクールで、オペレッタでは1昨年1位、オペラでは昨年2位になりました。昨年からシャンソンを歌うようになり、今年はシャンソン・コンクールの参加をいくつか予定しています。でも明日7月21日は、第1回国際声楽コンクール東京があって、愛好家部門ではなく音大生、声楽家を含む一般の歌曲部門に出てO del mio amato benを歌います。埼玉予選で川口市リリア音楽ホールで夜7時30分ですが、正直合格か不合格か半々と思っています。

生物学では、カザリシロチョウを使った分子系統研究から種問題に発展し、さらに関連して「人間の持つ利己性と利他性」について思考を深めてきました。今年4月の市民シンポジウムでこのテーマを扱ったのは、私にとってはとても大きなプラスとなりました。6月17日に毎日新聞のコラム「くらしの明日」で、近藤克則千葉大学教授の随筆“人に情けを掛ける意味”が掲載されました(添付記事)。

「情けは人のためならず」の意味を尋ねると(ア)人に情けをかけると巡り巡って結局は自分のためになる、が45.8%、(イ)人に情けをかけて助けることは結局はその人のためにならない、が45.7%でほぼ同じとのことです。(イ)が、国語文法上の誤りだと以前から指摘されていますが、この近藤教授は実際場面からそれを示しました。つまり、9万人の高齢者を3年間追跡して色々調べ、ボランティアなどで情けを受けた人は認知症発生率が低くなることを指摘しています。

これはこれでとても興味深いです。でも私の視点はそこではなく、情けをかけることは(ア)しかないのか?という点にあります。言葉を変えれば、人に情けをかけることつまり利他は、結局は自分に返ってくるつまり利己なのかという点です。何もかも全て自分のためなのか?自分の得にならない無償の行為つまり純粋利他は、この世に存在し得ないのでしょうか?

この問題を考えるにあたって、まずハミルトンの包括適応度方程式に突き当たりました。
Fi = Fd + B x r - C
Fiは包括適応度、すなわち未来に生命をつなぐ可能性を示します。Fdは当事者の適応度、Bは他人(の適応度)です。今ある人が、自分の適応度(例えば自分の持つ財力、エネルギーなど)Cを、他人Bに注ぎ込んだとします。つまり利他をすれば、それだけ自分個人は未来に生命をつなぐつまり遺伝子を残す可能性を失うわけです。ところがBも自分と同類の遺伝子を持っています。Bの同類遺伝子の頻度率をrとします。ハミルトンは、B x r > Cの場合のみ、利他は進化する(生き残る)と言ったのです。Cを他人に与えます。自分自身はCだけ、未来に生命をつなぐ可能性を失います。しかし、Cを与えられた他人も自分と同類遺伝子を持っています。この世で利他が存在できるのは、利他のために自分が失った適応度CよりもB x rがより大きい場合のみだと、ハミルトンは断言したのです。この発見で彼は、京都賞を受賞しました。

この方程式は、見れば見るほどすごい方程式です。この世の総ての生き物の存在可能性、つまり生命のあり方を表しています。この地球における生命の仕組みそのものを式に表したといってもいいでしょう。言葉を変えれば、この式は生命方程式と言えるでしょう。また、リチャード・ドーキンスの有名な著作『利己的な遺伝子(The selfish gene)』にある“利己的な遺伝子”は、この世に存在しないことがわかります。生物が持つ利己性とは、単体の遺伝子、あるいは遺伝子の複合による部分的作用ではなくて、生命の仕組みそのものだからです。

こういうと多くの人が反発するでしょう。
「総ての利他は、自分の得のために、自己利益のためにやっているのか!そんなバカな話はない。無償の愛、無償の行為を人は美しいと感じ、感動し、涙した。いつの世でもそうだった。文学を見ろ!歴史を見ろ!それがすべて自分の利益のためにやっていた???自分のためにやっていたのなら、そんな行為に誰も感動などしない!涙など流さない!!」
これを“天動説”といいます。そうありたいから、そう見えるから、人がそう願うから、そう望むからそう見えるのです。“天動説”とは、はっきり言えば間違い、錯覚のことです。なんという話でしょう。全ては自分のためだったなんて・・!人間は、錯覚に感動し、涙してきたのでしょうか。
そうであれば、あまりにも悲しいと、人類の存在価値はどこにあるのか!とすら、私は思います。

ボウルズ&ギンタスが『A cooperative species(協力する種)』という本を上梓しました。上梓は2011年、日本語訳は2017年に出ました。ボウルズもギンタスもハーバード大学で学位をとった著名な経済学者です。両人とも分厚い専門書を何冊も出版した、社会に功なり名をなした方です。その二人がなぜ、70歳を過ぎてからわざわざ利己と利他という専門外の生物学に関わるような本を出版するのでしょうか。

彼らの主張は、ハミルトンの包括適応度方程式が示す人間の利他性は利己の範囲内、ではないと言いたいのです。この考え方に我慢がならないのです。それを言うために、やはり方程式を持ち出し、今度はプライスの方程式ですが、それを用いて利他性が利己を超えて人類に広く広がることを示しました。さまざまの人類社会の事例なども加えた大変な労作です。
70歳を過ぎてのこの心意気は、私はとても高く評価しますが、残念なことに着想がちょっと筋が悪い・・、彼らの主張はこの本の訳者自身すら・・、否定的な解説をしています。
ハミルトンの包括適応度方程式は絶対です。間違いはありません。でも、ボウルズ&ギンタスの心もよく分かります。なぜなら、私と同じ気持ちだからです。彼らの気持ちはよくわかります。人類に対して気概を持つ人間なら誰だってそう思うのじゃないでしょうか。

この人の世に存在する利他性は、全て利己性に基づくものなのでしょうか?では人類が長い間かかって思索を積み重ね見出してきた、善、仁、徳といったものは初めからないものねだりなのでしょうか?ソクラテス、プラトン、孔子・・・、近代ではカント、日本では『善の研究』で著名な西田哲学、それらの全ては人類が最初から持ってもいない夢、幻を追いかけてきたのでしょうか?

この生物学の定説を、覆したいと私は思います。
8月に生物学基礎論(生物哲学)研究会、来年4月に開催予定の市民シンポジウムでこれにチャレンジしたいと思います。

 

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2021年市民シンポジウムを終えて

2021-05-22 20:24:00 | 人類の未来

相模原障害者殺傷事件を切り口にして、人間の持つ利己と利他に切り込もうとしました。残念ながら私の主張はあまりご理解いただけなかったように感じました。でも、集団遺伝学を基盤にした進化心理学(生物学:小田亮先生、岡ノ谷一夫先生)、社会科学からの利他についての言及(心理学:藤井聡先生、社会学:宮台真司先生、経済学:松尾匡先生)、私の主張(生物学)、これらが合わさった場はおそらく初めてであり、初めての試みがスムーズに行い得たことはまずはよかったと思います。

人間がチンパンジーと袂を分かって600万年、樹上から地上に降りました。地上には肉食獣など強力な外敵がいるため、より強力な集団を作った人々が生き残りました。進化心理学はこの600万年を射程としているように思いました。外敵に伍して生き残り、強くなった集団。その集団同士が争い弱ければ食糧を奪われ、時には全滅・・。自集団の内には「利他」、外の集団にはそれが裏返って「利己」となる・・。「俺たち」と「あいつら」。所詮、利己と利他はこのようなものであって、純粋利他は存在しない。岡ノ谷先生が映画『鬼滅の刃』の感想で仰った「鬼の殺しすぎじゃないか・・」、この言葉に、私にはまさに進化心理学の射程、「俺たち」と「あいつら」の区別が如実に出ていると感じました。小田先生も同じです。純粋利他は天動説であって、そうあって欲しいという願いから出てくる夢まぼろしである。でもその夢まぼろしが集団同士の争いを防ぎ、戦争を防ぐ道具になっている・・。
つまり600万年の射程では、集団同士が争うことになってしまい、利他は役に立たず、ゆえに夢まぼろしの純粋利他をいみじくも小田先生は望んでいると感じました。
有性生殖は5億年の歴史を持ちます。600万年ではありません。他人の遺伝子を育てる。その個人がどう考えようと関係ありません。利他は人間が生きていくための仕組みです。少なくとも集団の内外から出てくる損得バーターの利他ではありません。有性生殖生物は、無関係の他個体の遺伝子を育てねば存続ができません。

ハミルトンの方程式から出てくる利他、人間は生物として実在します。実在するためには自己の遺伝子を増やさねばならない。無関係の他人に、無思慮にエネルギーを与えていれば、自分自身が実在できなくなります。それは38億年前の生命の誕生以来です。5億年前に有性生殖生物が出現した。この時に、無関係の(同種内の)他個体の遺伝子を育てねば自分自身が実在しえなくなった。原初の方程式に、新しい変化が生じたのです。38億年前に生まれた方程式を、600万年前以降の人間活動に当てはめるのが進化心理学と理解しました。5億年前に生まれた仕組みが抜け落ちています。

また機会があれば、この利己と利他に関わるシンポジウムをやってみたいと思います。

なお、当日の状況は以下の通りYoutubeに上げました。
ご関心のある方はご覧ください。

また、私の歌もYoutubeにあげています。
これは市民シンポジウムとは無関係です。
ご関心のある方はご覧ください。

市民シンポジウム
相模原障害者殺傷事件について
雨宮処凛(作家・活動家)、インタビュアー(幾島淑美)
https://youtu.be/aRwVqz3ryNw

人類の道
森中定治(日本生物地理学会会長)
https://www.youtube.com/watch?v=fsOmHS0pzzk

論評
藤井聡(京都大学教授)
https://youtu.be/0ENN5UbvWbs

論評
小田亮(名古屋工業大学教授)
https://youtu.be/J5YVUA3XyKk

論評
斎藤環(精神科医・筑波大学教授)
https://youtu.be/ksbv_zFW8rg

論評
松尾匡(立命館大学教授)
https://youtu.be/Rhx5uPzV81k

歌唱(オペレッタ・市民シンポジウムとは無関係)
https://www.youtube.com/watch?v=UvfKreXEDD0

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2021年市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」

2021-03-25 11:36:09 | 人類の未来

4月10日(土)午後、Zoomにて公開シンポジウムを行います。市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」(無料)
『種問題(生物学)から見える人類の道』 
(利他が人類を救うー相模原障害者殺傷事件を発端に、鬼滅の刃を切り口に)

大量の死傷者を出した相模原障害者殺傷事件を発端に、昨年末に映画史上に残る大ヒットをしたアニメ映画『鬼滅の刃』を引用し、
種問題(生物学)の視点から人間の持つ利他性について述べます。そしてそれが現代人類にとって階段を一段昇った新しい道となることを述べます。

総合司会:蒲生 康重(進化生物学研究所、日本生物地理学会庶務幹事長) 
お話(インタビュー):雨宮 処凛(作家、活動家) 
インタビュアー:幾島 淑美(全国浄化槽フォーラム理事) 
人類の道説明:森中 定治(日本生物地理学会会長) 
コメント:小田 亮(名古屋工業大学教授)、斎藤 環(筑波大学教授、精神科医)、篠田 博之(月刊『創』編集長)、藤井 聡(京都大学教授)、松尾 匡(立命館大学教授)、宮台 真司(東京都立大学教授)、森 達也(映画監督、作家) クロージングアドレス:岡ノ谷 一夫(東京大学教授)

なお、弊学会のHPにこのポスターとともに私の以下の資料を添付しています。
https://biogeography.iinaa.net/index.html

趣旨説明:森中
添付資料1 雨宮処凛著『相模原事件・傍聴記』を拝読して(森中、2020年11月)
添付資料2 映画「鬼滅の刃」と利他性について思う (森中、2020年12月) 
登壇者略歴(あいうえお順、敬称略) 

ご参加の場合は、必ず10日市民シンポジウム参加希望と明記してください。

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潜在意識が顕在意識に変わる時

2021-02-04 17:31:27 | 人類の未来

トランプ米大統領は、2021年1月20日に大統領職を辞した。
死刑囚リサ・モンゴメリー(52歳、見出しの写真)は、トランプ大統領辞任の直前、2021年1月13日に刑が執行された。

2004年、リサ・モンゴメリーは妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、自分の子どものように扱っていた。その妊婦は死亡。彼女の弁護士は、心神喪失によってリサ・モンゴメリーの無罪を主張した。しかし陪審は5時間足らずで有罪の評決に至り、彼女には死刑判決が言い渡された。死刑執行の日は、2021年1月12日と決められた。

事件に至るまでのリサ・モンゴメリーの凄惨な人生を弁護チームが調べ始めたのは、判決が下された後だった。新たな弁護チームは度重なる面会を経て、何十年にも及ぶ虐待、レイプ、凄惨な拷問の事実が突き止められた。
一言で言えば、彼女は少女の頃から、自分の母親によって支払いの対象とされてきた。分かりやすく言えば、ものを買ったり、家を修理したりすれば当然ながらその支払いが生じる。その支払いとして、リサ・モンゴメリーの身体が与えられた。逆らえば折檻、虐待、少女が母親や継父にあがらう術はなかった。

このような事実が明らかになって、死刑囚リサ・モンゴメリーにインディアナ州の連邦地裁が、死刑執行の前日2021年1月11日に執行延期の判決を出した。

私がこのことを知ったのは、毎日新聞がこのニュースを報じたからだ。
そのニュースはすでに消えてしまったが、Yahooニュースにも出た。
トランプ大統領は、米国において過去60年間の死刑執行の3倍以上を執行し、「急ピッチの連続執行」と呼ばれた。しかし米国の一地方の単なる一人の死刑執行が、わざわざ日本の新聞に掲載され、インターネット(Yahoo)にも掲載されるとは、私には不思議であった。
なぜこの死刑囚ばかりが掲載されるのだろうか??

インディアナ州の連邦地裁が、2021年1月11日死刑執行延期の判決を出したために、1月12日の死刑執行は取り止めになった。
まさに滑り込みセーフだった。
しかし連邦最高裁は、連邦地裁の死刑執行停止を取り消し、翌1月13日、人々に考える間を与えず、あっという間に刑を執行した。
このことも、毎日新聞のみならず、インターネットにも、朝日にも、日経にも、読売にも掲載された。
一体、米国の一地方の一女性死刑囚の刑執行がなぜ日本の大手新聞の総てに掲載されるのだろうか・・。

私は、毎日新聞でこの死刑執行の記事を読んだ時、トランプ政権に対して憤りを覚えた。
政治問題や人間の生き様について議論するMLで、先の米国大統領選挙について議論していたとき、この選挙には大きな不正が行われたと主張するトランプ大統領の応援者から、トランプは敬虔なクリスチャンだという主張があった。
この“敬虔なクリスチャン”という言葉が、死刑台の露と消えたリサ・モンゴメリーのことを、私に思い出させた。

私は以下のような内容の主張をこのMLに送った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私はトランプとも、この死刑囚とも、何の私的な関係ももたない。全く無関係の、赤の他人だ。でもこの人は死刑にならなければよいと思った。
インディアナ州の連邦地裁が彼女の精神障害から執行延期の判決を出して、ちょっと心が安らいだ。
それをトランプはあっという間に刑を執行した。
キリストは人の生命を奪えと教えているのか? 
敬虔なクリスチャンとは連邦地裁の判決などへのかっぱ、さっさと殺してしまえと言う人たちのグループなのか?
自分の味方をした人や、あろうことか自分自身にさえ恩赦を出すというのに。
一人の女の生命など知ったことではないというのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これに対して幾多のやりとりを経て、別の方から、以下のような反論が来た。

>トランプさんは神様ではないので、今回の選挙を含む大きな軍事作戦で手一杯で、残念ですがリサさんの不幸に向き合う余裕が持てなかったのではないかと思います。

これに対して以下のような再反論を送った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この主張には、私は納得できません。
死刑囚リサ・モンゴメリーには、インディアナ州の連邦地裁が死刑延期の判決を出していたのです。だからトランプ大統領が選挙を含む大きな軍事作戦で手一杯でリサさんの不幸に向き合う余裕がなかったのなら、その地域の連邦地裁といえば権威があるわけですから、その地裁の判決に従ったでしょう。
その地裁の判決をひっくり返して、退任直前にわざわざ殺したのですから、「この女はバイデンに生命の救いを求めているようだから、そんなやつは最後の最後に俺が殺してやる」とその女性に最後まで生命の期待を持たせてその上で殺したのだと私は感じています。残虐だと感じています。
きっとトランプは、自分を追い落とす憎いバイデンにせめて最後の一太刀をと言う気持ちだったのではないかと感じています。一太刀を浴びせるならバイデンに直接すべきだったと思います。自らの力では自分の生命を救うことができない50代の一人の死刑囚、バイデンに対してではなく、自分の生命すらどうにもできない無力の女性に世界最大の力を持った男が剣を振るったのです。
これは、大統領の職務を遂行したのではなく・・、その職務にかこつけて一人の女性の生命を弄んだのだと私は思います。
言葉がありません・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

赤の他人の、他国の一死刑囚に対して、私はなぜこんなにも憤ったのか。MLでメールのやりとりをするうちに、私の憤りはどんどんと強くなった。
なぜインターネットや3大新聞、他が、他国のたった一人の死刑囚に対してこれほど書くのか。しかも一々写真付きの記事として。

さらに刑が執行されて10日近くも経った1月22日に『レイプ・虐待被害の女性に死刑執行 「おきて破り」認めた裁判官は誰か』と題して後追い記事が出た。

さらに、2月3日に『女性死刑囚の刑執行をめぐる悲劇、虐待とトラウマと精神疾患』と題して後追い記事が出た(これらの記事は早晩消えてしまうので、PDFで保持)。

他国のたった一人の死刑執行に、なぜこんなに後追いが出るのか。この扱いは一体何だろうか!

この女性は、妊婦の腹を裂いた時は狂っていたのだと思う。でも、それから刑務所で何年もの年月を過ごすうちに自分を取り戻したのだろう。バイデンは死刑執行をしない人だと噂に聞いたのだろう。だから、大統領が変わる日を指折り待っていたのだろうと私は推察する。

彼女の目的は生命への憧れ。すでに罪を犯し死刑を宣告、自分ではどうにもできない自分の生命・・。でも、生命への憧れはある。自分自身を取り戻したのなら、それはなおさら強くなった・・。ここに赤の他人のことが、まるで自分のことのように心を掴まれる仕組みがある。
これは、人間の誰もが心の底に持つ真の利他性である。そんな気がした。

 

 

 

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日本学術会議会員の非任命問題に思う

2020-11-08 11:57:01 | 原発・エネルギー

首相の日本学術会議会員6名の非任命が大きな問題となって世間を騒がせています。
日本学術会議としては、法律違反だとか、学問の自由を損なうので憲法違反だとか、今までの慣習を踏みにじる行為だとか、あるいは過去の中曽根発言との相違を理由にして、首相に日本学術会議が推した6名を速やかに任命するよう主張しています。
首相は法律違反には当たらないと、堂々と明言しています。

自分自身が、自分自身の名において人を選ぶのに、自分自身が納得しない人を選ぶということ自体に無理があるように思います。それを首相は自分が選ぶ立場になってみて、はたと思い当たったのでしょう。これじゃ私は日本学術会議のロボットじゃないか! 昔ならいざ知らず、現代の民主主義社会でおいてこんなことが通るはずがない! この人たちは自分だけが正しいと信じ込んでいて、目が見えなくなっている! だからこそ、人間をロボットにしていることに気がつかないのだ。そこを突けば容易だ。この人たちは自分が正しい、相手が間違っていると手を替え品を替えて言うだけだ。その間違っている相手がどう言う戦略を取ってくるのか、何も考えていないし、むろん相手の戦略に対応する策も何も考えていない。ただ自分は正しいと、そればかり言い張っているだけだ。これじゃ楽勝だ・・。

法律違反 vs 法律違反ではない・・・そのどちらが正しいか、法廷で決着をつけようということになるでしょう。この時点で日本学術会議の負けだと思います。裁判になれば長い時間がかかります。そのうちに、さして関心のない一般市民の多くは忘れてしまいます。つまりその6名は任命されないまま月日だけが進むわけです。
しかも一般市民が冷静に考えてみて、なぜ私が私の名前で任命するのに、私が納得できない人を選ばなければならないのか、と首相が社会に訴えればむしろ、そうだ!首相の言う通りだとなりかねません。
日本学術会議の言いなりに首相が任命しなければならないとしたら、首相は日本学術会議のロボットじゃないか!と言う声が社会から上がってくるでしょう。裁判に負けてしまう可能性も出てきます。
だから任命者が納得できなければ、当然ながら任命しなくていいと私は思います。どちら側かに与する立場ではなく、私自身の頭で冷静、公平に考えてみて、任命者が他人の意志を強いられることには賛成できません。過去に中曽根首相が述べたことは、その時はその時の中曽根首相の判断があったのであり、それを今も無理強いしていると一般社会に訴えられれば、そんな過去の慣習など、変えてしまえ!と言うことになりかねません。

では、この問題のどこが間違っているのでしょうか。
首相が6名を外したことに問題はないと私は思います。けれども慣習に従って推薦された人を自らの意思で外す場合は、当然ながら公正な理由が必要です。首相だからといって恣意的に好き勝手に外したのであれば、それは誰も認めないでしょう。だから、どういう理由で外したかが重要なのです。外した理由が公正かどうかなのです。
だから、首相がその6名を外した理由について、それが受け入れられる正しい理由なのかどうか、日本学術会議と首相で納得いくまで討議すべきなのです。
ーーーーー
事件を起こした被告が、検察からなぜあんなことをしたのか、その理由は?と問われて、正直にその真の理由を言えばそれは犯罪なので、有罪になります。有罪にはなりたくない。さりとて嘘を言えば、今度は偽証罪になります。そんな場合どうするでしょうか。被告は黙秘をするのです。「黙秘権」は一般社会に認められた権利です。こう考えると、首相は、任命しなかったその本当の理由を言いたくないし、さりとて嘘も言いたくない。だから「黙秘権」を使っている状況だと、私は思います。
だから、任命されなかった6名が公式の記者会見をして、我々はなぜ外されたのか。その理由が、なるほどと納得できるものであれば我々6名は粛々とそれに従います。だからその理由を教えて欲しいと言えばいいのです。
首相は、それは個人情報だから公表を控えると言いますが、その当事者本人が、なぜ任命されなかったのか、それが知りたい。その理由に該当する個人情報などいくら公表してもらっても構わないと、記者会見で明言すればいいのです。
これで個人情報だから公表できないと言う論法は使えなくなります。そうすると「黙秘権」は被告のような弱い立場の人に認められた権利なのか、それとも人を任命するような強者の権利なのか、と言う議論になります。このような議論展開を図るのです。
ーーーーー 
裁判官が被告に「懲役3年の刑に処する」と言ったとします。そしてその理由はと問われて、「それは個人情報だから申し上げられない」と言ったらどうでしょうか? 俺は罰として懲役3年の刑を受けるのに、その理由はわからない! こんなバカげた話と同じことになります。非任命の6名は、いわば社会的に罰せられたと言えるでしょう。それはおかしいと、この問題に関心のない人も含め一般社会の誰もが分かります。このように一般社会に分かるように訴えるべきではないでしょうか。
ーーーーー
デビュー戦のリングで、首相が新任の挨拶代わりに、ちょっとしたジャブを放ちました。ところがそのジャブは、相手にはストレートパンチのような強烈な打撃を与えてしまい、食うか食われるかの生命を賭けたラウンドになりかけました。
ここでセコンドからタオルが投げられそうになりました。
つまり、複数の野党から、首相がその6名を存じ上げないと言うのであれば、では改めて日本学術会議会長がその6名を指名したら首相は任命してくれるかと質問しました。首相は、それは満更でもないとの様子・・。もしこれでその6名が任命されたら、私には、本当にバカバカしく思えます。

既に首相は、日本学術会議に手を突っ込むワーキング・チームを立ち上げました。民間の機関にしろとか、解体しろとまで声が出てきています。
ちょっとしたジャブを放ってみたら、結果として首相は予想外の大きい成果を得られるかもしれません。大山鳴動して結果は今まで通り、その一方で首相は少なくとも日本学術会議の中へ手を突っ込み、都合のよいように改革をなせるところまで持っていきました。これは歴代の首相ができなかったことであり、このままでは現首相の大手柄となるでしょう。首相のあのニンマリ顔は、ここまで見通しているように思います。

日本学術会議議長が、その6名を再指名してはならないでしょう。首相がその6名を知っていたか、知らなかったのか、そんなことは問題ではありません。
再指名するのではなくて、今の状態のままで任命しなかった理由について議論するリングを作り、そのリング上でジャブを打ち返す必要があると私は思います。その討議の上で任命するのか、非任命なのか改めて明確にし、そのワーキング・チームの解散も含めて討議の結論を出すべきだと、私は思います。

歴史ある日本学術会議、あらゆる分野の日本最高峰の叡智の集団が、こんな新参の首相のジャブに苦もなく捻られたら、おそらく今後右傾化は眼に見えるように進むでしょう。

涙が出ます。

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