「ん゜」という世界観

「ん゜」vol.14、無事終了いたしました。今後は細々とレコーディングっす。

プラチナチケット、歓喜の横浜☆

2005年04月30日 | サッカー関連のネタ
2002年、日本に世界最大のスポーツイベント、FIFAワールドカップがやってきました。サッカーファンとしてはぜひこの目に焼き付けたい、そう思った俺はチケット申込みが始まるや否や応募しました。競争率は覚えてないけど、確か200倍オーバーだったと思います。金沢在住なのでどの会場に行っても1泊しなければいけないし、仕事の休みの都合もあるので見にいける試合が限られてしまう。そんな中絞り込まれたのは6月9日、横浜国際競技場、グループH、日本-ロシア。応募用紙1枚で6試合ほど同時に申し込めたけど、俺はこんな事情でこの試合のみ応募しました。結果は・・・、1次抽選で見事当選!!!!。友達とか知り合いが結構申し込んでたけど、俺の周りでは誰も当選していません。逆に1試合のみ希望したのが功を奏したのか、サッカーの神が俺に下りてきたのかは定かではないけれど。

そうと決まれば横浜での宿探し。でも横浜国際競技場がある新横浜はどこも満室、さすが世界規模のイベント(汗)。探しに探してやっと見つけた所も、「W杯中は特別警備が入るので、宿泊料が通常の3倍です」なんて言われる始末。もうこうなりゃもうヤケクソだ!!、せっかくの機会だし横浜で一番有名な所に泊まってやれーってことで、みなとみらいのインターコンチネンタルホテルを予約しちゃいました。駅で言うと桜木町かな。みなとみらいは真新しいものばかりだし、山下公園や中華街は近いしもう最高☆、・・・新横浜は遠いけど(泣)。

そして当日、新横浜駅から競技場まで15~20分ほど歩かなければいけないんだけど、その道のりは「チケット譲ってください」ってボードを持った人々がいっぱい。「多めに申し込んどけば、高額で売れたのになぁ」なんて、悪魔の心が右往左往するなか、チケット当選者の優越感を味わいながら競技場に向かいました。20:30キックオフの4時間ぐらい前に着いたけど、開門前のゲートにはJAPANブルーに身を包んだ人達が大行列!!。もちろん俺も背番号10の青いレプリカを着て決戦に備えました。きっと選ばれていれば中村俊輔がつけていたであろう背番号、本大会で10番をつけたのは魂のストライカー、ゴン中山でした。

そして運命のゲーム。後半開始早々、稲本の先制ゴール!!。その後ロシアの強烈な猛攻をしのいでW杯初勝利をあげたことは、今さら述べることではないのかもしれません。鳥肌が立ちました。涙が出そうでした。この目で日本サッカーの歴史が変わる瞬間を目撃したのです!!!!。これからもきっと何度もW杯を見ることができるだろうし、もしかして日本の勝利を生で体感することがあるかもしれない。でも日本がW杯で初勝利したゲームは、どんなに俺が長生きしたって二度と見ることはできません。俺にとって生涯忘れることのない思い出となることでしょう。

少し自慢話チックになってしまいましたが、俺はこれからもずっと日本代表を応援し続けます。ドイツW杯に向けて苦戦を続ける日本代表ですが、きっと困難を打ち破って本大会出場を成し遂げてくれると信じています。あの日の横浜のピッチに立っていたメンバー、楢崎や宮本や小野や柳沢や中田浩二や鈴木や福西や中田ヒデ、そして稲本が選ばれているジーコJAPANだからね♪。

西村"JP"智之という男

2005年04月29日 | 「ん゜」関連のネタ
リザストでドラムを叩いている、ちょっと怪しいナイスガイ、それが西村"JP"智之です。その生態は多くの謎に包まれていて、神出鬼没で行動範囲がかなり広いことは判明しています(汗)。俺とJPは一応違う「市」に住んでいますが、昨日も偶然本屋でバッタリ!?(笑)。あなたの街にもJPがっ?!。

彼との出会いは大学時代。俗に言う「友達の友達」ってヤツで、顔は知っているけど名前は知らないって程度でした。友達が「JP」って呼んでいたので、俺も本名は知らないままJPって読んでいました。7、8人いるグループの中で一番遠い場所に座るぐらいの関係で・・・。

大学2年の春、初代ベーシストとなる滝原とバンド結成の話をしていて、お互いの大学の掲示板にドラマー募集をかけようということになりました。そしてやってきたのがJP。俺はJPがドラマーだと言うことを知らなかったので、JP側からすれば募集をかけていたのが俺だとは知らなかったので、お互いに「えーっ、おまえかいっ?!」ってな感じでビックリしてしまいました。「西村智之」って名前であることもこの時初めて知った訳で(笑)。そして試しに3人でスタジオに入ってセッションしてみたところ、俺も滝原も、そして初めて一緒にプレイしたJPも、共通の「何か」を感じ取ったようでした。その「何か」をうまく説明することはできないけれど、初めて一緒にバンドをしたのに何年も共にバンドをしてきたような、やりやすさというか気持ちよさがありました。もう10年近く一緒にやっているけど、あの頃の感覚は今もずっと生き続けています。ドラムは基本的にリズムを刻む楽器だけど、JPのドラムはメロディーを浮き上がらせてくれる。シンプルにリズムを刻み続けて、隙間があったらとことん目立つドラムを叩く。JPより上手いドラマーはたくさんいるのかもしれないけど、リザストのドラムはJPじゃなければいけません!!。そして何よりも、俺のマニアックなギャグを上手く拾えることも重要!?。滝原が脱退してリザストをどうしようか悩んでいた頃、「Lizard Man Streetってお笑いコンビで復活しようか?」って真剣に話してたぐらいですから(笑)。

次回の「ん゜」では、こんなJPのピンポイントドラムが見れること、間違いなしです!!。それに加えてJPは、毎回リザストとは別の企画物バンドを率いて「ん゜」に参上しています。それもドラムではなくギターやベースを持って!?。今まではそのバンドを「シャア専用○○(○○には食品名が入ります)」と名乗っていましたが、前回でシャアシリーズを完結させてしまった今、どんなバンドを率いてくるのでしょうか?。その辺もお楽しみに!!。

ギター&ボーカルというスタイル

2005年04月28日 | 「ん゜」関連のネタ
リザストは3ピースバンドである。ギター、ベース、ドラムのシンプルな構成だから、誰かが楽器をプレイしながらボーカルを取らなければいけない。そんな訳で俺が泣く泣くギター&ボーカルをしているんですぅ・・・、いやいや、そんな安易な理由ではなくて!?(汗)。・・・まぁ、それも一理あるんだろうけど。

高校の頃からオリジナル曲を作って、ギタリストとしてバンドをしていました。曲調はビートロックに近い感じでしたが、今思えば当事から口ずさめるようなポップな曲を作っていたと思います。当事のメンバーを振り返れば、ドラムは上手くは無かったけど幼馴染で気心が知れたやつ。ベースは後にリザストの初期メンバーとなる滝原、しっかりとした技術を持っている人。問題がボーカルだったK君・・・。一言でいうと「音痴」(泣)。ドラムがどこからともなく引っ張ってきた男なんだけど、音域が全然無いし音は外しまくりだし。俺の大切な曲がボロボロにされていくような思いでした。その頃から自分の曲を人に歌われるのが怖くなってしまったのです。「次にバンドをするときは絶対に俺が歌おう」って思って作ったのが、このLizard Man Streetなのでした。

今では免疫ができたのか、もしくは演奏してくれる他のバンドがすばらしいのか、自分の曲を客観的に聴くのは大好きになりました。特にPavlov Dogのリザストカバーは凄すぎっ!!。うちらと同じ3ピースバンドだけど、こちらはベースを弾きながらボーカルを取っています。同じ曲でもパブロフがアレンジした曲は、うちらよりも何か重厚な感じがする。川ちゃんのドラムは神業だし、新ちゃんのギターは歯切れがいいし、そして何より、ベース&ボーカルのイナちゃんが「リザスト大好きっ♪」って顔で歌ってくれてる(笑)。それに加えて、パブロフのオリジナル曲もすばらしい♪。鋭いメッセージが、「さわやか」かつ「重たさ」を持ったメロディーに乗って突き刺さってきます!!。俺のパブロフおすすめチューンは「O2」です!!。リフがかっこよすぎます!!!!。次の「ん゜」、パブロフは必見です!!!!。

90年代のコロンビア代表が好き☆

2005年04月27日 | サッカー関連のネタ
俺はサッカーが大好き!!。「点数がなかなか入らなくてイライラする!!(怒)」って人も多いけど、そこが逆にサッカーの魅力なんです。「1点」が持つ感情の爆発度、他のスポーツと比べても群を抜いていると思う。そのためにもサッカーにおける「イライラ」は、実は大切な要素だと思います。

日本人なのでサッカー日本代表を心から愛してはいますが、日本以外のナショナルチームならコロンビア代表が大好きです♪。って言っちゃってるけど、今のコロンビア代表はアストンビラのアンヘルとかインテルのコルドバとか、有名どころしか知らないんだけどねぇ(汗)。90年代初期~中期にかけてのコロンビア代表にシビれてました。金髪アフロの天才司令塔カルロス・バルデラマ(画像・左)、サッカーを覚えたカール・ルイスとも言える快速FWファウスティーノ・アスプリージャ(画像・右)、ドリブルまでしちゃう超攻撃的GKレネ・イギータ、その他黒髪アフロのアルバレスやミニミニFWデ・アビラなどまるでおもちゃ箱のようなチームでした。ドーハの悲劇で'94アメリカW杯出場を逃した我らが日本代表でしたが、俺はコロンビア代表が出場していたのでワクワクしながら本大会を見てました。でもこのアメリカW杯でコロンビア代表を待っていたのものは・・・。地元アメリカ戦でエスコバルが自殺点、その後射殺されるというニュースはW杯史上最大の悲劇となってしまいました。日本代表が初出場を果たしたその次の大会、'98フランスW杯。コロンビア代表は今をときめくベッカムにFKを叩き込まれ散っていきました。日本代表、3戦全敗・・・。

そして2002年に日本にW杯がやってきたのです☆。実はプラチナチケットゲットして、青いユニフォームを着て俺も横浜に飛んだのですが、その話はまたいずれということで。

Lizard Man Street?、「ん゜」?

2005年04月27日 | 「ん゜」関連のネタ
我がバンド、Lizard Man Street(リザードマンストリート、通称リザスト)は3ピースポップロックバンドです。ボーカル&ギター担当の出倉寛三(俺)、高校時代から共に活動していたベースの滝原慎也、大学で知り合ったドラマー西村"JP"智之の3人によって、1996年春に結成されました。この一見不気味なバンド名の由来は、3人の身長を表す「L・M・S」から英単語を拾ってきてつけました。その後、1998年に滝原が脱退、現ベーシスト窪祥之が加入して現メンバーになりました。それぞれのキャラ紹介はリザ裏(ブックマーク参照)におまかせしましょう(汗)。一言でポップロックと言ってしまうのは簡単だけど、俺はパンクやポップスに影響を受けて育った人間だし、窪はいろんなジャンルのバンドでベースを弾いてきた人だし、JPは軽音楽部上がりで洋楽寄りの男だし、多分普通のポップロックではないような気がします。ただ一つ言えるのは、メロディーをとても大事にしているバンドだってことですかね。バンドの細かいことはこれから少しずつ紹介していくと思いますので、今日はこの辺で・・・。

そんなリザストが不定期で行っているのが自主ライブ「ん゜」です!!。なんやかんやで年に1~3回のペースで開催しながら、もう10回を数えてしまいました。「ん゜」の意味はですねぇ・・・、ごめんなさい、全くといって無いのであります(泣)。「何これっ?!?!」って思ってもらいたくて、目に留まって気になってもらいたくて、インパクト重視でつけたライブタイトルなんです。金沢の情報誌CLUBにライブ告知が出た時なんかは、「ん゜」じゃなくて「h゜」って書かれちゃったこともあるんだけどぉ(死)。ライブのコンセプトは基本的に「何でもあり!!!」です。パンクがいたりヘヴィメタがいたりビジュアル系がいたり、「音楽ジャンルのサーカス」って感じのイベントです。

そんな「ん゜」の11回目が正式決定いたしました☆。7月3日(日)、金沢AZで行います!!。開始時間等は現在調整中ですが、今回もまた様々なジャンルの猛者の出演が決定しています。重厚なサウンドと超絶テクが炸裂する、金沢のメタルシーンの新星「RUDRA(ブックマーク参照)」。複雑にからみあったアンサンブルが印象的な、テクニカルインストバンド「α-note」。そして我らが戦友、うちらとはまた違ったタイプの3ピースポップロックバンド「Pavlov Dog」。以上、前回の「ん゜」にも出演してくれた3バンドの参戦が決定済みです。まだまだ増える(増やす)予定なので、決定次第ここで発表していきますね。それと同時に出演希望のバンドも募集してますのでよろしく!!。

愛犬はな

2005年04月26日 | 出倉寛三個人のネタ
我が家のアイドル、出倉はなちゃんです。コーギーのメスでまだ10ヶ月です。こないだの日曜日は滋賀県のとあるテーマパークまで、コイツを連れてドライブに行って来ました。そこで突然マーチングバンドが現れて、ビックリしてお漏らししてしまいました(泣)。ホント臆病・・・。でもそんなとこがかわいいんだよなぁ(笑)。

流行に乗っちゃいました♪

2005年04月26日 | 出倉寛三個人のネタ
みなさん、はじめましての人ははじめまして♪、見慣れた方はまいどさん☆。リザードマンストリート(通称リザスト)でボーカルとギターを担当しています、リーダーの出倉寛三と申します。DEGUと呼んでくれれば幸いです。巷で話題の「ブログ」ってヤツに手をつけてみました(笑)。

ホントのことを言いますと俺は一度ホームページ運営に失敗しています(泣)。5年ほど前だったかなぁ、ドリームキャストと電気屋さんのネット体験コーナーを利用して、一生懸命更新なんかしてたんだけどねぇ。それってさすがに無理がありすぎた(汗)。今みたいに常時接続が当たり前って時代じゃなかったから、電話のモジュラーコードをドリキャスにブッ刺して、電話代気にしながらセコセコとやっていた記憶があります。その上普通の生活も波乱万丈を極めてたもんねぇ。そんなこんなでいつの間にかいなむー氏が開設してくれたリザストの公認HP(ブックマーク参照)におんぶに抱っこだったんだけど、ブログの存在を知りまた挑戦してみることにしました。どれくらいの頻度で更新できるのかわかんないけど、やれるとこまでやってみたいと思います!!。