年金暮し団塊世代のブログ

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フェルメール作品メモ(#09)  牛乳を注ぐ女

2008年04月16日 | フェルメール


The Milkmaid  「牛乳を注ぐ女」
1658-60, oll on canvas, 45.4 x 40.6 cm,
Rijksmuseum, Amsterdam, Netherlands


陶器製のボウルにミルクを注いでいるこのキッチン・メイドは低い視点から描かれている。 これが彼女の存在の確かさを強調している。
 水差しを持っているたくましい腕に窓から光が降り注いでいる。 彼女の頭の左上の白壁にある釘の影や、破れた窓ガラスから注いでいる光といった非常に小さい物へのフェルメールの光の精細な扱い方に感嘆させられる。

メイド一人の人物画というのは、17世紀のオランダ絵画には滅多にない題材である。
この「牛乳を注ぐ女」は、17世紀の画家であるPieter Aersen (1509-1575)とJoachim Bueckelaer (c.1530-1573)によるキッチンの前景に召使いを描いた絵を思い出させる。

台所の窓際のテーブルの上鍋に召使いが牛乳を注ぐ。 朝の光が窓から明るく射し込み、身近な家庭生活のひとこまが実に堂々とした存在感と生命感をもって描かれている。
 召使いの頭巾、胸、左肘、テーブルの上のパンと動いてきた我々の視線は、まるで永遠に流れ続けるような白い牛乳に引きつけられる。 テーブルの篭、胴着、パン、スカート、床と褐色から黄、赤へ続く流れ、それに対応するテーブルクロスとエプロンの青と緑、これらの色彩と対比する右の壁の白い空間にはシミや釘まで光の中にくっきりと浮かび上がっている。 窓からの光と色彩の画家フェルメールの特徴が余すところなく出ている代表作である。

太い腕と手で午乳の入ったピッチャーを支えて注意深く牛乳の流れを量る不動の眼差しが女の力強さを示し、窓から射し込む光は女の頭巾と額を照らし、まくり上げた袖の深く広いヒダを強調している。 テーブルの上とバスケットの中のパンが示すように、命を支える食物を提供するという仕事の重要さで、女の立像が魅力的なものに成っている。

フェルメールはこの絵の前に同様なイメージの風俗画を描いている。 即ち、「#04/娼家にて」(1656)、「#05/開けた窓辺で手紙を読む少女」 (c.1657)、「#06/居眠りをする女」(c.1657)、 「#08/笑う女と役人」 (c.1658)である。 これらの絵は、空間に人物を注意深く配置することで、雰囲気やムードを創り出す方法を彼が示したものである。

しかし、例えば「#06/居眠りをする女」とこの絵は全く違う(メランコリーではなくヒロイックな)ムードだが、空間に女を注意深く配置した点は同じである。 つまり、女のごつごつした粗々しさが、破れたガラスや穴の開いた何も掛けられていない壁だけのシンプルな部屋に、ぴったりと合っている。壁に掛けられたバスケットと手桶以外、女の関心事(=午乳を注ぐこと)を妨げるものは無い。
 それを補強する為にフェルメールは、透視画法的には、消失点を右手の甲の直ぐ上方に置いて、女の行動(=牛乳を注ぐ)の重要性を強調している。 更に水平線を低く置いて、女を見上げる形にして、女の物理的な存在感を強調している。

女の前のテーブルは四角形ではないように見える。 前側の辺は画面に平行だが、斜めになった右側の辺は、直接女に向かっている。 つまり、フェルメールは構図上の理由でテーブルの形を変えている。 フェルメールはこうした変更を他の絵でも行なっている。

光線の扱い方も透視画法と同じムードを形成している。 部屋に満ちあふれた光は、女の量感あふれたフォルムを形作るように女に直接降り注いでいる。 フェルメールは、人物と後方の壁の明暗のコントラストで女の存在感を強調している。 女の右手を前面に出す為に、壁の影の部分に右手を置いている。 女の身体の影の部分を明るい背景に置いて、構図の右側の壁を明るい色に塗っている。 女のシルエットを強く出す為に、女の腕と肩の外郭を白い線で塗っている。

「#06/居眠りをする女」(c,1657)と同様にフェルメールは、望みのムードを創り出す為に構成を修正している。 X線分析で、女の後方の壁に掛けた恐らくは地図を消している事が確認されている。 更に、赤外線分析で、右下部分のフロアー/足温器/壁との境界のタイルの代わりに、洗濯物の入ったバスケットを消している事が確認されている。 この変更は多分より大きな空間を創り出すのと共に、足温器のサイズと、壁に掛けたバスケットと手桶のサイズとも関係している。 つまり、図像学的な意味合いを持っていると考えられる。 洗濯物の入ったバスケットは、他の家事にも責任がある事を示すので、食物の提供準備者としてのメイドの役割を減じる事になる。

足温器は、後方のタイルのキューピッドのイメージで示される不変の愛への恋人の願望という象徴的な意味を持っている。 しかし、ロマンティックな恋というよりもむしろ、メイドの人間的な温かさと、食物を提供するという女の仕事への明白な貢献を示したものであろう。

女が注意深く量っているミルクの流れは決して止らないかのごとく、女の存在は何かしら無限(タイムレス)であるかのように思われる。


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