>NHK大河ドラマ軍師官兵衛特別展を福岡市博物館で見ました。
朝起きるとニンニク臭い。きのう食べた「博多祇園の鉄なべ」の餃子二人前の写真です。
オススメの地図もらってホテル向かいに見える店に出かけました。店はもう大賑わい。一人前8個500円二人前を3回48個注文。一人24個?も食べたからです。
小さめ薄皮パリパリで美味、安い、早い流行るワケです。
:食べログ→5人前
いつもの鷲さんと九州4日間、鹿児島からレンタカーで周る弥次喜多道中最終日の博多で予定外で運良く。
7月から9月21日まで展示約2ヶ月間の最終日前日に10万人目の記念入場者が出たとネットで見ました。
我々はその前日の19日に入場。記念品に1,000人ほど残念!かすりました。
入場パンフ
5月から7月の2ヶ月間、江戸東京博物館で先行展示のあと福岡に。
信長、秀吉、家康3人の天下取りの行方を左右した天才軍師官兵衛ゆかりの品々が一堂に・・でした。
「如水の赤合子あかごうす」と恐れられた「白檀塗合子形兜(びゃくだんぬりごうすなりかぶと)」は期間限定。盛岡に帰っていました。
このフタ付きの容器を意味する「合子」の兜は長政から栗山家に下賜され、2代に仕えた重臣栗山善助の子栗山大膳が黒田騒動で陸奥盛岡藩預りとなった時に持っていったとされます。
中でも興味深かったのは、国宝「圧切長谷部へしきりはせべ」と日の本一の槍「日本号」。
TVでは岐阜城で信長に謁見し播磨攻略と中国征伐策を提言した官兵衛。江口洋介信長が圧切長谷部の抜き身を見せて官兵衛に授けた場面です。
信長がこの刀で隠れた膳棚ごと茶坊主を圧し切り成敗したことから「圧切へしきり」と伝わる名刀。間近に見て興奮です。
1回会っただけで信長が気に入るほどの時間があったのでしょう。
黒田の兵の数を野次られて「兵は脆道なり」戦は騙しあいで兵の数ではない、いかに有利に戦えるかを考え相手を騙すことだと場を切り返したNHK。
調略、懐柔・・・裏切りとは言いませんが戦わずして政治的工作で勝ち残るまさに孫子に学んだ軍師です。
中国には「二人で井戸をのぞくな」という諺があるそうです。偉大な「論語」はその必要性から中国に生まれたのでしょうが読まれたのは輸入した日本でした。
「子曰く君子は義に喩り(さとり)小人は利に喩る。」仁、徳、義より利の中国に論語は無用のようです。
戦後田中角栄を受け入れ握手した周恩来は立派でした。
もうひとつの「日本号」はご存知「黒田節」の母里太兵衛(もりたへえ)が福島正則から呑み獲った逸話で知られます。
刃長79cm、全長約4m、重さ2.8kg。龍の浮彫と柄の青貝螺鈿貼が見とれるほど美しい大槍です。六尺の大男だったという槍の名手太兵衛でなければ似合わない長さです。太兵衛の具足もありましたがデカイものでした。腕の部分は鎖帷子が多く動きやすく造られているようです。
速水もこみちはお似合いのいい役をもらったと思います。
本能寺、山崎の戦い、清洲会議を経て秀吉は天下人に。
そして官兵衛は高山右近の勧めでキリシタンになります。「汝の敵を愛せよ」をどう理解したんでしょうか?
小姓上がりの石田三成の台頭はさながら映画「踊る大捜査線」で机上から現場を指揮するキャリアを見るようです。
多くの秀吉子飼いの武将から見たら三成は秀吉に悪口チクる実戦知らないご機嫌取りに映ったようです。
来週以降TVは秀吉の猜疑心がますます増大し勘兵衛との溝が深まっていきます。
その能力故に秀吉に恐れられていた官兵衛のことも脚色評価されて秀吉の耳に入ったのでしょう。
信長以来の唐入り構想文禄の役で朝鮮に渡った官兵衛は秀吉の怒りを受けて出家し如水と名乗るのです。
「人に媚びず、富貴を望まず」という遺訓。
「思いおく言の葉なくてついに行く道は迷わじなるにまかせて」
秀吉のバテレン追放令のあともキリシタンのまま59年を生き抜いた如水の辞世です。
:福岡市博物館入場パンフ
ガラス展示ケースの中にびっくりするほど小さく光っている金印。
小さすぎてPCグラフィックで3D画像で大きく見る工夫してあります。
鈕(ちゅう)と呼ばれる取っ手は蛇が振り返っているユニークなデザイン。近くにレプリカを触れます。
印面一辺の平均2.347cm 小さいのに重さ108.7gは金です。 X線分析は金95.1%、銀4.5%、銅0.5%、その他不純物の中国産だそうです。
パンフには1784年に志賀島で発見、福岡藩主に献上されたとあります。
今日のオマケ、常設展示の「国宝 金印 漢委奴国王」に出会えてラッキーな九州最終日でした。
朝起きるとニンニク臭い。きのう食べた「博多祇園の鉄なべ」の餃子二人前の写真です。
オススメの地図もらってホテル向かいに見える店に出かけました。店はもう大賑わい。一人前8個500円二人前を3回48個注文。一人24個?も食べたからです。
小さめ薄皮パリパリで美味、安い、早い流行るワケです。
:食べログ→5人前
いつもの鷲さんと九州4日間、鹿児島からレンタカーで周る弥次喜多道中最終日の博多で予定外で運良く。
7月から9月21日まで展示約2ヶ月間の最終日前日に10万人目の記念入場者が出たとネットで見ました。
我々はその前日の19日に入場。記念品に1,000人ほど残念!かすりました。
入場パンフ
5月から7月の2ヶ月間、江戸東京博物館で先行展示のあと福岡に。
信長、秀吉、家康3人の天下取りの行方を左右した天才軍師官兵衛ゆかりの品々が一堂に・・でした。
「如水の赤合子あかごうす」と恐れられた「白檀塗合子形兜(びゃくだんぬりごうすなりかぶと)」は期間限定。盛岡に帰っていました。
このフタ付きの容器を意味する「合子」の兜は長政から栗山家に下賜され、2代に仕えた重臣栗山善助の子栗山大膳が黒田騒動で陸奥盛岡藩預りとなった時に持っていったとされます。
中でも興味深かったのは、国宝「圧切長谷部へしきりはせべ」と日の本一の槍「日本号」。
TVでは岐阜城で信長に謁見し播磨攻略と中国征伐策を提言した官兵衛。江口洋介信長が圧切長谷部の抜き身を見せて官兵衛に授けた場面です。
信長がこの刀で隠れた膳棚ごと茶坊主を圧し切り成敗したことから「圧切へしきり」と伝わる名刀。間近に見て興奮です。
1回会っただけで信長が気に入るほどの時間があったのでしょう。
黒田の兵の数を野次られて「兵は脆道なり」戦は騙しあいで兵の数ではない、いかに有利に戦えるかを考え相手を騙すことだと場を切り返したNHK。
調略、懐柔・・・裏切りとは言いませんが戦わずして政治的工作で勝ち残るまさに孫子に学んだ軍師です。
中国には「二人で井戸をのぞくな」という諺があるそうです。偉大な「論語」はその必要性から中国に生まれたのでしょうが読まれたのは輸入した日本でした。
「子曰く君子は義に喩り(さとり)小人は利に喩る。」仁、徳、義より利の中国に論語は無用のようです。
戦後田中角栄を受け入れ握手した周恩来は立派でした。
もうひとつの「日本号」はご存知「黒田節」の母里太兵衛(もりたへえ)が福島正則から呑み獲った逸話で知られます。
刃長79cm、全長約4m、重さ2.8kg。龍の浮彫と柄の青貝螺鈿貼が見とれるほど美しい大槍です。六尺の大男だったという槍の名手太兵衛でなければ似合わない長さです。太兵衛の具足もありましたがデカイものでした。腕の部分は鎖帷子が多く動きやすく造られているようです。
速水もこみちはお似合いのいい役をもらったと思います。
本能寺、山崎の戦い、清洲会議を経て秀吉は天下人に。
そして官兵衛は高山右近の勧めでキリシタンになります。「汝の敵を愛せよ」をどう理解したんでしょうか?
小姓上がりの石田三成の台頭はさながら映画「踊る大捜査線」で机上から現場を指揮するキャリアを見るようです。
多くの秀吉子飼いの武将から見たら三成は秀吉に悪口チクる実戦知らないご機嫌取りに映ったようです。
来週以降TVは秀吉の猜疑心がますます増大し勘兵衛との溝が深まっていきます。
その能力故に秀吉に恐れられていた官兵衛のことも脚色評価されて秀吉の耳に入ったのでしょう。
信長以来の唐入り構想文禄の役で朝鮮に渡った官兵衛は秀吉の怒りを受けて出家し如水と名乗るのです。
「人に媚びず、富貴を望まず」という遺訓。
「思いおく言の葉なくてついに行く道は迷わじなるにまかせて」
秀吉のバテレン追放令のあともキリシタンのまま59年を生き抜いた如水の辞世です。
:福岡市博物館入場パンフ
ガラス展示ケースの中にびっくりするほど小さく光っている金印。
小さすぎてPCグラフィックで3D画像で大きく見る工夫してあります。
鈕(ちゅう)と呼ばれる取っ手は蛇が振り返っているユニークなデザイン。近くにレプリカを触れます。
印面一辺の平均2.347cm 小さいのに重さ108.7gは金です。 X線分析は金95.1%、銀4.5%、銅0.5%、その他不純物の中国産だそうです。
パンフには1784年に志賀島で発見、福岡藩主に献上されたとあります。
今日のオマケ、常設展示の「国宝 金印 漢委奴国王」に出会えてラッキーな九州最終日でした。
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