4月出航のメディアシップ。
20階の展望パノラマ。
南方向に信濃川本流と角田、弥彦山を望遠。
OB会の納涼会に誘われ昨日の金曜、久しぶりに新潟に出てきました。
車ならまだしも、JR越後線岩室~新潟間は往復で1,140円もスルのです。ガソリン≒8リッター分です。
つい億劫になります。
もったいないので、この春万代橋東詰にオープンした新潟日報社本社見学に一本早い電車に乗りました。
8:00am~23:00pmの間が基本開館時間です。
19階、20階の最上階が展望フロアで開放されています。
東方向は新潟駅前に続く東大通が通ります。
遥か正面手前はに五頭連峰、奥に朝日連峰を望遠するすばらしい眺めです。
雪が付いたらまた来たいものです。
この眺めが夜11時までタダだなんて。市内の人がうらやましいところです。
西方向は大河信濃川にかかる万代橋。
向こうに佐渡の島影が。
思い出すのは北原白秋の「砂山」。
海は荒海 向うは佐渡よ
すずめ啼け啼け もう日はくれた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ
暮れりや砂山 汐鳴りばかり、
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ
かえろかえろよ 茱萸(ぐみ)原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
1922年に新潟で開催された童謡音楽会に参加したあと北原白秋が雑誌に発表した「砂山」。
6月半ば、今は学校町の新潟大医歯学病院が建つ師範学校講堂で開かれた音楽会で白秋は、自分の作詞した歌を歌う子どもたちに新潟の童謡を作ると約束したのだそうです。
会のあと護国神社裏の松林を抜け佐渡を一望する寄居浜に案内されての情景は印象深かったに違いありません。
悲しいかな今の寄居浜はコンクリ護岸壁とテトラポッドで囲まれて、当時の面影はありません。
白秋は寄居浜から日和山に長く続く砂山に「驚いたのは砂山の茱萸(ぐみ)藪で、見渡す限り茱萸の原つぱでした。」と書くほどの印象を受けたのです。それも砂浜でなく砂山なのです。
「茱萸(ぐみ)原わけて」の情景を思い出すのは熱い砂山を越えて波打ち際まではだしで駆けたことのある昔を知る人たちだけです。
大河信濃川の左岸に沿って角田山の海沿いから約30kmもの間、海流が運ぶ堆積と季節風の侵食のバランスで伸びて来た砂丘の先に新潟湊は発達しました。
そしてその海岸は古くから侵食防止にたくさんの松やアキグミが植栽されたのです。
寄居中1年だった横田めぐみさんが事件に遇った通学路が奇しくも「砂山」のイメージを焼き付けた白秋の帰り道だったかもしれません。
営所通から坂あがって護国神社脇通って浜に下る道。
現職首相では麻生太郎氏。大勢が視察に訪れた「砂山」への道です。
最初に曲をつけたのは中山晋平。翌年の1923年には山田耕筰が別のメロディーをつけました。
そのほかに何人も曲があるそうですが、知られるメロディーはこの二人のものです。
わたしは山田耕筰バージョンが日本海の荒涼とした情景を思い出して好きです。
海の見える風呂で独りなら小声で歌います。もちろん露天です。
オーシャンビューなら瀬波温泉大観荘の露天が今までのベストですが、佐渡を見ながらはご近所間瀬田ノ浦温泉「海華亭かわい」をトップに推します。
拍子方の忘年会は3年連続ここに泊まろうと思っています。
北方向は信濃川河口の新潟湊です。
河口の遥か遠方に粟島がうっすら見えます。
柳都大橋の下流右岸にはヨットが係留。
脇の朱鷺メッセ最上階31階からの眺めも抜群です。
2011年の「日本夜景遺産」に選ばれた全国14か所に朱鷺メッセからの夜景もはいっています。
弥彦山山頂に続いて新潟県2番目の選定です。
ここメディアシップは二番煎じですね。
なんと椅子テーブルのドリンクコーナーに自販機。
この景色タダ見できます。
探しましたがアルコール持込禁止の文字見つかりませんでした。
ここは親切です。朱鷺メッセやNEXT21の展望にはこんな場所どころか椅子さえありません。
亀田のサラダホープ17片入り小袋と500mlカンビールあれば文句なし最高のナイスビューポイントであります。
おまけに展望トイレも完備してました。
高いとこ嫌いな人は大変でしょうが・・・
もうじき6時です。
駅前の納涼会場までゆっくり15分。
6時半に遅刻しないようガラス張り外丸見え下半身ザワザワのエレベーターで地上に降ります。速い!!
外向きで下見れば、わざわざ遠くの遊園地の絶叫系に乗らなくても十分アドレナリン出まくりますよ。
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