◆日本軍歩兵の一斉射撃
●明治時代(明治天皇 第2次伊藤博文内閣)
War is declared between the Qing Empire of China and the Empire of Japan.
飛躍(ひやく)し日清 この勝利。
1894年 日清戦争 95年 三国干渉
下関条約
遼東半島
李鴻章
1894年、朝鮮で全琫準(チョンポンジュン)の指導する東学党が起こした甲午農民戦争を契機に、日清の対立が激化、日英通商航海条約の締結によって開戦の障害がなくなった第2次伊藤内閣は日清戦争の開戦に至った。
仁川(インチョン)郊外でおこった豊島沖の海戦《日清戦争の最初の戦いなので「冒頭」と考えよう!》に引き続く黄海の海戦にも勝利した日本は李鴻章を相手に下関条約を結び、
遼東(リャオトン)半島を獲得したが、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉を受け、日本は遼東半島の返還を余儀なくされた。
▼豊島沖の海戦
▼全琫準 古阜郡衙の官吏であった彼の父も百姓一揆を指導して刑死している。1890年に東学の第二世教主・崔時亭の門に入り、農民反乱の指導や閔氏一族の勢道政治弾劾などに活躍していた。
〈下関条約と三国干渉〉
1895年、日本全権伊藤博文・陸奥宗光外相と李鴻章《「交渉」する人「李鴻章」》との間で下関条約が調印された。
内容は(1)朝鮮の独立の確認、
(2)清国の遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲、
(3)賠償金2億両(日本円で約3億円)の支払い、
(4)沙市・重慶・蘇州・杭州のを開市・開港、などを規定している。
のち、三国干渉によって日本は遼東半島を清国に返還した。
受験 ブログランキングへ
日本史 ブログランキングへ