◆高野房太郎
●明治時代(明治天皇 第2次松方正義内閣)
Labor Union Realization Association is organized by Takano Fusataro.
いや苦難(くなん)でしょ 房太郎。
1897年 職工義勇会 高野房太郎 労働組合期成会
日清戦争後、工場労働者の数が40万人に達し、労働組合をつくる動きがあらわれた。
このような情勢の中、アメリカ労働総同盟の指導をうけて帰国した高野房太郎は1897年4月、職工義勇会を結成し、『職工諸君に寄す』という印刷物を発行して労働組合の結成を呼びかけた。
さらに同年7月、高野房太郎や片山潜は職工義勇会を母体として労働組合期成会を組織し、労働運動の指導にあたった。
しかし、1900年に治安警察法が施行されると、衰退し01年に解散した。
〈労働者の実態〉
労働者の過酷な状態については、1899年に横山源之助が『日本之下層社会』を、1903年に農商務省が『職工事情』をまとめ、1925年には細井和喜蔵が『女工哀史』を著した。
横山源之助の〈之〉は『日本之下層社会』の〈之〉。
農商務省の〈ショ~ショウ〉の音は『職工事情』のタイトルにもある。
また細井和喜蔵の〈喜〉は『女工哀史』の〈哀〉の対義語であることを意識すれば、これらの著書と筆者名が簡単に覚えられる。