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さなえのうた

歌いながらあちこちに出没します♪

フィガロの結婚を解くカギ①~フランス革命

2020-07-25 | オペラ研究
フランス革命・・・。
1789年に始まったこの革命、
学校の社会や歴史の授業で、名前を聞いたことがある…。

1789年といえば、1989年のちょうど200年前。
天安門事件があり、冷戦が終結し、
ベルリンの壁が崩壊し、
昭和から平成に変わった1989年のちょうど200年前。

レ・ミゼラブルの舞台、
民衆の歌が響くところ、
ベルばらの舞台、
断頭台に送られるマリー・アントワネット。

今で言ったら・・・?
デモ、白煙筒、プラカード、・・・警察による放水や発砲。

歴史を動かそうとしている時、
歴史が動こうとしている時。

その10年位前に書かれたボーマルシェの戯曲に、
モーツァルトが作曲をしたオペラ『フィガロの結婚』。

そういえば、民衆を導く自由は、
女性の姿で描かれているんだよなーと、
スザンナ歌いは思ったりする訳です。

写真はNYに行った時のもの。
911の前でした。

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オペラ研究!

2020-07-24 | オペラ研究
4連休。
感染しない、感染させないをテーマにステイホーム中です。

23区内では感染爆発が起こっていると思うので、
遊びに出歩かず、買い物や散歩に行くくらいで過ごしています。

で。
学生時代、特に院生時代に勉強したことなど、
思い返して練習してみたりしている訳です。

フィガロ、椿姫、ボエーム、魔笛、コシ、ルチア、愛妙、電話、夕鶴、ファウスト、ジュリエット・・・。
リート、イタリア現代歌曲、日本歌曲・・・。

時間があるので、ここで綴ってみようかな~などと目論んでおります。

今だからこそ、できることを。

稼ぎ口がないので、将来が不安ではあるのですが。

まあ、お付き合いくださいませ。
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ミカエラ

2010-02-02 | オペラ研究

カルメンの音楽稽古でした♪



  



自分の歌うところは、だいたい覚えましたし、
ピアニストや、共演者との息も合ってきましたし・・・



あとは、立ち(実際に演技しながら動くこと)が入った時に、
いろいろと変化していく過程を楽しむだけとなりました。



  



今日は時間があったので、
ピアニストの伊藤さんと、
ミカエラのキャラクターについて、
ちょっと話をしたりしました。



  



ミカエラというのは、
カルメンにのめり込んでいくホセを止めようと
必死になってすがっている・・・
そんなか弱いキャラクターではなく、



バスク人であり、母の代理です。



  



カルメンに象徴されるエロス的な愛と相反する、
キリスト教的なアガペの愛の象徴です。



  



母の愛であり、キリスト教的な神の愛です。



  



キャラクター的には強くて・・・
よって、リリコという、強いソプラノの声が要求されます。



ところが私はレッジェーロなので・・・ 



  



一見して、いかにも強いよね!
・・・というキャラクターではなく、
一見するとか弱そうなんだけど、実は強いよね!
・・・というミカエラを作り出せたらいいな~と思い、
そのようなお話をしました。



  



「か弱い」感じは出せると思うので、
「実は強い」感じをどこでどのように出すかが課題です。



  



いろいろ計算しなくちゃ~!



がんばります!



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ギロー版とアルコア版

2007-07-10 | オペラ研究

カルメンの本番まで、あと僅かです!



今回のカルメンでは、ギロー版で演奏されますが、



ギロー版って何か、ご存知ですか?



  



ビゼーが『カルメン』を作曲した時、



このオペラは、アリアや2重唱以外の部分を



台詞で繋いでいました。



モーツァルトの魔笛や、



メリー・ウィドウなどのオペレッタなどと同じ形ですね。



再演の時・・・作曲家は亡くなっていたのですが、



ビゼーの友人ギローが、台詞の部分に音符をつけました。



いわゆるレチタチーヴォというものです。



ついでにバレエもつけられて再演されたのですが、



これがギロー版。



対して、もともとの原典版をアルコア版と呼びます。



  



アルコア版とギロー版の違い・・・



などと言う難しい問題は、音楽学者さん達にお任せして、



ミカエラの立場から、決定的な違いを一つだけ。



ギロー版では手紙の2重唱の後のレチタティーヴォで、



ホセが「手紙を読んでしまうから、そこで待っていて」と言うと



ミカエラは「駄目よ! 読み終わったころに戻ってくるわ!」と



自分がいなくなってから読んで欲しいと告げます。



どうしてかと言うと・・・。



アルコア版では、



ホセが「手紙を読んでしまうから、そこで待っていて」と言うと



ミカエラは「ええ、待っているわ!」と言うのです。



ホセの母からの手紙の内容は、ホセが読み上げます。



「元気でやっているかい?



立派にお勤めを果たしたら、村に帰ってきて、



お嫁さんをもらいなさい。



実は、お前に勧めたい娘がいます。



それは、この手紙を持っていく娘だよ・・・。」



それを聞いて、慌てたミカエラは、



頼まれた買い物があるから行って来る、と



その場を後にするのです。



恥ずかしくなってしまったのですね。



アルコア版では、全てのやり取りが台詞で行われますが、



ギロー版では、ちょこっと省略されてしまっているのですね。



内容を知っている手紙を渡すギロー版と、



手紙の内容は全く知らなかったアルコア版。



・・・。



アルコア版の方が、このシーンは演じやすいよ~と思う今日この頃・・・。



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リューってどんな人?パート2

2006-11-22 | オペラ研究

プッチーニは、『トゥーランドット』を書き終えることなく、

この世を去りました。

初演の日、指揮者トスカニーニは

第3幕のリューの死の場面が終わると指揮棒を置き、

観客に向かって、こう言いました。

「ここで・・・この部分で、ジャコモ・プッチーニは

彼の仕事を終えました。

彼にとって、死は芸術よりも強かったのです。」

補筆された幕切れまでのシーンまでを“完全に初演”されたのは

翌日のこと。

リューの死までを作曲したところで、

プッチーニは力尽きたのです。

   ~~~~~~~

リューには、モデルとなった実在の人物がいたと言われます。

彼女の名前はドーリア。

プッチーニ家で働く若い小間使いでした。

自動車事故で足を骨折し、動けなくなっていたプッチーニの

身の回りの世話をするために雇われたドーリア。

当時、まだ16歳でした。

よく気がつき、よく働くドーリアは、プッチーニの足が完治した後も、

小間使いとして彼の家で働いていました。

・・・が、プッチーニの妻エルヴィーラが、二人の関係を疑い始めたのです。

お陰で、ドーリアは仕事を辞めざるを得なくなりました・・・。

しかし、エルヴィーラの追求は収まらず、

精神的に追い詰められたドーリアは、服毒自殺をします。

   ~~~~~~~

ドーリアとリューの関係については、

プッチーニは一言も語っていないようです。

彼の書簡などにも、書かれていないと思います。

付け加えるならば、

幕切れのトゥーランドットとカラフの2重唱の部分の台本を受け取ったのは

1924年の10月・・・死の1ヶ月前です。

癌が進行して、気力も体力も衰弱していく中、

最後まで妥協を許さずに書き直させ続けた・・・ラスト・シーン。

愛を知らぬ冷たい女性の心が、愛によって目覚め、

優しい女性として生まれ変わる、大切なラスト・シーン。

・・・プッチーニには、そのシーンを作曲する時間が

残されていませんでした。

トゥーランドットへの熱い思いが、

作曲家から作曲する時間を奪ったのです。

「リューの自殺」までを書き終えて、

プッチーニは入院をし、手術をします。

「リューの自殺」を書き終えるまでは、頑なに入院を拒否していたそうです。

死を予感していたかもしれない彼は、

リューのシーンだけは、自分の手で書きたかったのでしょうか。

手術は成功・・・しかし、遅すぎました。

手術から5日目の朝、プッチーニは息を引き取りました。

   ~~~~~~~

台本が仕上がるのが遅すぎた。

彼の体力が限界に達してしまったのが、

偶然にも、リューのシーンを書き終えた時だった。

・・・それが真実かもしれません。

しかし、偉大な作曲家の最期に、

特別な想いを持ってしまうのは、当然のことでしょう。

進行する前に、癌細胞が取り除かれていたら・・・

もしプッチーニが、もっと早くに手術を受けていたら・・・

もしプッチーニが、リューのシーンまでは

絶対に自分の手で書くのだと意地を張らなかったら・・・。

真実は分かりませんが、

今回は、補筆された部分を演奏しない“純プッチーニ版”での上演。

偉大な作曲家が息を引き取ったのと同じ瞬間に、

息を引き取ってしまう女性を歌えるという経験が出来ることを

楽しみたいと思います。

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