goo blog サービス終了のお知らせ 

さなえのうた

歌いながらあちこちに出没します♪

リューってどんな人?パート2

2006-11-22 | オペラ研究

プッチーニは、『トゥーランドット』を書き終えることなく、

この世を去りました。

初演の日、指揮者トスカニーニは

第3幕のリューの死の場面が終わると指揮棒を置き、

観客に向かって、こう言いました。

「ここで・・・この部分で、ジャコモ・プッチーニは

彼の仕事を終えました。

彼にとって、死は芸術よりも強かったのです。」

補筆された幕切れまでのシーンまでを“完全に初演”されたのは

翌日のこと。

リューの死までを作曲したところで、

プッチーニは力尽きたのです。

   ~~~~~~~

リューには、モデルとなった実在の人物がいたと言われます。

彼女の名前はドーリア。

プッチーニ家で働く若い小間使いでした。

自動車事故で足を骨折し、動けなくなっていたプッチーニの

身の回りの世話をするために雇われたドーリア。

当時、まだ16歳でした。

よく気がつき、よく働くドーリアは、プッチーニの足が完治した後も、

小間使いとして彼の家で働いていました。

・・・が、プッチーニの妻エルヴィーラが、二人の関係を疑い始めたのです。

お陰で、ドーリアは仕事を辞めざるを得なくなりました・・・。

しかし、エルヴィーラの追求は収まらず、

精神的に追い詰められたドーリアは、服毒自殺をします。

   ~~~~~~~

ドーリアとリューの関係については、

プッチーニは一言も語っていないようです。

彼の書簡などにも、書かれていないと思います。

付け加えるならば、

幕切れのトゥーランドットとカラフの2重唱の部分の台本を受け取ったのは

1924年の10月・・・死の1ヶ月前です。

癌が進行して、気力も体力も衰弱していく中、

最後まで妥協を許さずに書き直させ続けた・・・ラスト・シーン。

愛を知らぬ冷たい女性の心が、愛によって目覚め、

優しい女性として生まれ変わる、大切なラスト・シーン。

・・・プッチーニには、そのシーンを作曲する時間が

残されていませんでした。

トゥーランドットへの熱い思いが、

作曲家から作曲する時間を奪ったのです。

「リューの自殺」までを書き終えて、

プッチーニは入院をし、手術をします。

「リューの自殺」を書き終えるまでは、頑なに入院を拒否していたそうです。

死を予感していたかもしれない彼は、

リューのシーンだけは、自分の手で書きたかったのでしょうか。

手術は成功・・・しかし、遅すぎました。

手術から5日目の朝、プッチーニは息を引き取りました。

   ~~~~~~~

台本が仕上がるのが遅すぎた。

彼の体力が限界に達してしまったのが、

偶然にも、リューのシーンを書き終えた時だった。

・・・それが真実かもしれません。

しかし、偉大な作曲家の最期に、

特別な想いを持ってしまうのは、当然のことでしょう。

進行する前に、癌細胞が取り除かれていたら・・・

もしプッチーニが、もっと早くに手術を受けていたら・・・

もしプッチーニが、リューのシーンまでは

絶対に自分の手で書くのだと意地を張らなかったら・・・。

真実は分かりませんが、

今回は、補筆された部分を演奏しない“純プッチーニ版”での上演。

偉大な作曲家が息を引き取ったのと同じ瞬間に、

息を引き取ってしまう女性を歌えるという経験が出来ることを

楽しみたいと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« リューってどんな人? | トップ | めっきり寒くなりました »
最新の画像もっと見る

オペラ研究」カテゴリの最新記事