大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

情報過多の時代…「もうけっこう」

2008年01月24日 | 音楽
ニワトリから学んだもの

自分が高校生のとき、…すなわちインターネットも携帯電話もない時代…。

シンガーソングライターの、きくち寛さんが文化祭に来てくれて、そのとき放送部という特権を生かして、コンサート前の楽屋にインタビューに飛び込んだことがあった。

そのころといえば、ヘビメタやハードロック全盛で、恐ろしいほどに楽器屋にはど派手なエレクトリックギターが並び、雑誌「ギターマガジン」などを開いても、生ギターの姿を見かけることはほとんどなかった。
その背景で、生ギターとパーカッションとウッドベースの3人で、高校の文化祭のアトラクションというのは、個人的には、とても有意義で、楽しいひと時だった。

そんな時代に彼が歌ったなかで、「…こんなに多くの情報にかこまれて~♪(Tokyo Golden River)」というくだりがある。

同級生の一人が、あの歌いいねえ…なんて言ってたのを思い出した。

余談だけど、しばらくあとに、地元のライブハウスに彼が来たときに、別の友人と出かけたこともあった。
たしかミカンを差し入れに、「届いたみかん」(彼の歌のタイトルにある)だとかなんとかいいながら。


あれから20年以上の時は過ぎて、今日、友人の大工の作業場にて。
どういうわけか、そこのオヤジさんが飼っていた烏骨鶏(うこっけい)が一羽、居ついている。(というより、意図的にここに置いているのか?)

そうそう、鶏って「目を塞ぐと、周りからの情報が無くなる…ってことで、寝たように動かなくなる」とか言ってたっけ。
烏骨鶏でもそうなるのかな?

よしよし、とーとーとっとっと~…。

簡単につかまる。
鶏の脳みそとはよく言ったもので。

うん、たしかにおとなしくなった。


しばらくしてもじっとしている。
目を塞いでいる間は実におとなしい。
烏骨鶏でもそうなんだ。

台の上に置いても、目を塞いでいる限り静かなもの。
手を離すと、はっと我に返ったかのように、とととととと、けっこうけっこう、と逃げていった。


あまりに情報にあふれすぎて、とうとう何が本当かさえもわからない今日このごろ。
たまに自分で、鶏のように目を塞いでみるのも、いいかもしれないな。


皮肉にも、きくち寛さんのこの歌も、インターネットで簡単に見つかって、彼の情報も、ホームページにあった。
あのころで「こんなに多くの情報」だったんなら、今はいったいどうなるんだよな…。
久々に彼の歌が聴きたくなった。



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