大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

かかしのブルース

2007年11月10日 | 見聞録
加川良さんの曲であったっけ…。



♪国道55線を下って~
って…。

(徳島県阿南市にて)



お山の杉の子

2007年11月10日 | 見聞録

切り口からは流れるように水が湧いてきた。
さっきまで立っていた杉は、チェーンソーとクサビによって山の斜面にその巨体を横たえた。

年輪を数えたら95だった。



つまり、この木が植えられたのは1915年ころ。

いわゆる「戦後の植林」よりもずっと前。



杉の木は、高度成長の象徴。

それが今になって、この戦後の植林にあたまをかかえる森林の現状。

そのなかで、各地で、杉材を見直そうと動き出している…。
この山はその先駆者とも言えるだろう。
W田さんらのT協同組合の動きは尊敬に値する。



もっとも全国的な本当の課題は、こんな100年級の木ではなく、戦後の若い木なんだろうけれど。

数年前に一日に1300?もの豪雨によって崩れた山の上から剣山を眺めながら、山の生態系のことを考えていたけれど、今の私の頭の構造ではとても答えは出せそうにはない。




いずれにせよ、いつの時代も国の政策によって振り回されるのは、末端の消費者と生産者なんだ。

山からの帰り道、昔の唱歌をいつの間にか口ずさんでいた。


~♪大きな杉は何になる~お舟の帆柱 梯子段~
とんとん大工さん たてる家~たてる家
本箱、お机、下駄、足駄、おいしいお弁当食べる箸
鉛筆、筆入、そのほかに~楽しやまだまだ役に立つ~役に立つ

♪さ~さ負けるな杉の木に~すくすく伸びろよみな伸びろ~
スポーツ忘れず頑張って~頑張って
すべてに立派な人となり~正しい生活ひとすじに
明るい楽しいこのお国~わが日本を作りましょう~作りましょう



皮肉にもこの杉の子が今、問題児扱いされている。

(徳島県那賀町にて)
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因みに「お山の杉の子」の戦時中の元詩はこうです。
いろいろ考えると心が痛い…。

作詞:吉田 テフ子

むかしむかし そのむかし
椎の木林の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の 禿山は
いつでもみんなの 笑いもの
これこれ杉の子 起きなさい
お日さまニコニコ 声かけた 声かけた

一ィ二ゥ三ィ四ォ 五ィ六ゥ七ァ
八日九日 十日たち
ニョッキリ芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日は
これを眺めた 椎の木は
アッハハのアッハハと 大笑い 大笑い


こんなちび助 何になる
びっくり仰天 杉の子は
おもわずお首を ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも 考えた
なんの負けるか今に見ろ
大きくなって 国のため
お役に立って みせまする みせまする


ラジオ体操一二三
子どもは元気で 伸びてゆく
昔々の 禿山は 禿山は
今では立派な 杉山だ
誉れの家の 子のように
強く 大きく 逞ましく
椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ


大きな杉は 何になる
兵隊さんを 運ぶ船
傷痍の勇士の 寝るお家 寝るお家
本箱 お机 下駄 足駄
おいしいお弁当 食べる箸
鉛筆 筆入れ そのほかに
嬉しや まだまだ 役に立つ 役に立つ




さあさ 負けるな 杉の木に
勇士の遺児なら なお強い
体を鍛え 頑張って 頑張って
今に立派な 兵隊さん
忠義孝行 ひとすじに
お日さま出る国 神の国
この日本を 守りましょう 守りましょう