1979年に出版されたArthur Haileyの”Overload”は,文字通り火力発電所のオーハーロード,つまり発電能力が電力需要に追いつけなくなって,大規模な停電を惹き起こす,という話です。ただし,このときの発電所は原子力発電所ではなく火力発電所です。
40年以上前に読んだものですから,筋書きすらまともには覚えていませんが,電力会社のオーバーロードというものは,発電能力が需要に追いつけなくなった時に起こるものだ,と知りました。小説”Overload”でのオーバーロードは,カリフォルニアのある火力発電所で起こったトラブルから発生したものでした。背景には,企業内部での権力闘争が絡んでいたと記憶していますが,小説の筋書きをこれ以上追うことはやめておきます。
問題は,このオーバーロードが,今年の夏にもこの日本で起ころうとしていることです。
なぜか。昨年3月に東電福島原発で発生した人災とも云うべき原子炉本体の実質上のメルトダウンに引き続いた放射能拡散に過剰反応した人々と,それに乗じたかたちの原発反対派の運動が底流となった,見当違いの自然エネルギー礼賛があります。
とくにここで書こうとしている風力発電と太陽光発電は,聞こえは良いが,実際には見当違いの,単なる感傷的自然礼賛に乗った企業,似而非企業,それらに迎合する学者,時代に寄り添う評論家,そしてずぶの素人の極論に過ぎません。
これには但し書きが付きます。『ただし,日本では』です。ここに書くことは,あくまでも,日本では,と云うことです。誤解無きよう。
風力発電と太陽光発電は,なぜ日本では通用しないのでしょうか。
先ず,風力発電ですが,考えてみて下さい。日本で恒常的に質の良い風が吹いているのは何処ですか。即座に挙げられるような場所がありますか。
別に強風である必要はありませんが,安定した風速・風量が得られることが条件です。何故ならば,吹いても直ぐ止んでしまう強風,強弱が著しい場所なぞは風力発電には良質とは云えない風だからです。
最近,北海道のある場所の風力発電設備の羽根の1本が根元から折れると云う事故がありました。直径40メートルもある風車の,3本ある羽根の中の1本が根元から折れれば,即座にバランスを失い,発電機を支える柱そのものも直立出来なくなるのは当然です。
つまり,その瞬間に,この風量発電機は存在しなくなるのです。
倒壊の危険は,羽根の破損だけが原因とは限りません。数十メートルはあろうという支柱そのものが腐食その他の原因で根元から折れることも考えられます。羽根が折れてバランスを失った発電機本体が,支柱の頂上からバランスを失って落下することもあり得ます。
これらの事故の原因は,風の質の悪さにあると考えてもよいでしょう。
残念ながら日本には,風力発電に適した良質の風を恒常的に供給してくれるような場所はないのです。
いや,海の上にあるさ,と楽天的にあるいは無責任に云う人たちがいるでしょうが,建設に,またメンテナンスにどれだけの費用が要るか分かりますか。本四連絡橋レベルの周到な設計と,強力な防錆措置を施せますか。残念ながら,風力発電で一発儲けよう,などというさもしい考えしか持たない起業家あるいは似而非発明家には,望むべくも無い過酷な対処が必要なのです。
学者・研究者にも期待できません。今回の原発事故後,直ちに必要とされながら現場配備にもたついた,学者先生の発明になるロボット。テレビで見る限り,動かないのが当然です。
最悪の条件にはほど遠い,甘い設計だったのです。走行用キャタピラひとつ,横から小石でも挟まれば止まってしまうような構造だったではありませんか。
使命感にあふれた企業内部の技術者が,日夜努力して初めてなし得るような開発でなくてはならないのです。学者が想定する甘い条件は通用しません。
ともかく,日本では安定した良質の風が望めない限り,風力発電は口先だけの「自然愛好家」の趣味の域を出ない発想なのです。あくまでも「日本では」の留保条件付きですが。
次は,太陽光発電です。字面からしても,如何にも女性好みの発想ではありませんか。音もしない,危険も無さそう。さんさんと降り注ぐ太陽が,静かにせっせと発電してくれる。
しかも,発電してくれた分,自家消費分を除いて売電すれば小遣いが入る。誰が原資を負担するのかも考えずに。太陽光発電しない方が悪いのよ,と云わんばかりに。
それでは訊きます。自宅の屋根に取り付けた太陽光発電パネルは,誰が掃除して,誰がメンテナンスするのですか。
太陽光発電ではありませんでしたが,アメリカの一流メーカー3Mが開発した,という雪国向けの屋根材の相談を受けたことがあります。十年以上前のことです。
積雪が数メートルにおよぶ日本の雪国では,毎年除雪に苦労していることは,今冬の東北・北海道地方を見れば,改めて書くまでもありません。屋根からの落下事故による死者まで出る難問です。
そこで3Mも考えました。なに積もったら自重で滑るようにすればいいのさ。簡単なことさ。
なるほど小才のきく誰しも考えつきそうなことです。3Mには必要な材料がそろっていたのです。摩擦抵抗が小さいフッ素樹脂コーティング剤,コーティング技術,屋根材。
しかし,実際に東北地方で実験的に施工してみると,大失敗でした。
せいぜい施工後ひと冬が限度でした。「日本では」針葉樹林などが多く,住居の周りは針葉樹林に囲まれている,という地方が多いのです。
そしてそういう場所では,樹木から多量の樹脂類,いわゆる松脂の類が放散され,それは家屋,特に屋根にこびりつきます。樹脂ですから,簡単には落とせません。
しかも悪いことに,1年で松脂がこびりついて滑らなくなるとはいえ,フライパンと同じフッ素樹脂コーティングを施した3Mの屋根材は,元来滑りやすいように出来ているのです。掃除も大変だし,第一,屋根に登ろうとしても滑落してしまうのです。そう作ったのですから。
結局,全面的な葺き直し,屋根の張り替えに終わってしまいました。Ⅰ年で駄目になってしまったのです。3Mも懲りたようで,姿を現さなくなりました。
太陽光発電を行うためには,太陽光発電パネルを出来るだけ大面積に張り詰めなければなりません。しかも,日本の緯度の関係上受光面積を最大にするよう地面にできるだむ水平,平行に張り詰めなければなりません(これは,日本に限ったことではありませんが,太陽光に直角に置くことが必要です。)。ビルの壁面まで利用して,と宣伝しているメーカーがありますが,効率が遥かに落ちて採算に合いません。売れて喜ぶのはメーカーだけです。無責任な話です。
現在市販されている太陽光発電パネルが,どれだけの防汚措置を施しているか知りませんが,本来太陽光の透過特性を向上しなければならないわけですから,防汚特性に優れた機能性酸化チタン膜さえ許されるかどうか分かりません。
そんなパネルが上向きに,出来るだけ水平に設置されるとしたら,松脂はおろか,鳥の糞さえもこびりついてしまいます。鳥に向かって糞をするなと叫んでも通用するはずもありません。しかも,デリケートなパネル表面は,トタン屋根に登るようにはいきません。構造を熟知した施工業者に任さねばならないでしょう。
1年に効率が半減するとすれば,4年も経たないうちに効率はゼロになってしまいます。
高いお金を払って,元が取れるとおだてられた人たちの嘆きが聞こえそうです。
そして,この悲劇は各家庭だけではありません。
風力発電とは違いますが,営業的に太陽光発電を行おうとしても,日本では太陽光発電に必要な大面積の平地がありません。棚田とは違うのです。諸外国のように沙漠があるわけでもなし,採算に合うだけの平地を確保できないでしょう。
またまた海があるさ,と云い出すかも知れませんが,海水に汚れ,塩がこびりついたパネルをどうやってメンテナンスするのでしょうか。
今どき,原発を再稼働せよ,と云うだけでも命がけのことです。ましてや原発を新設せよ,などと云ったら袋叩きにされるかも知れません。
原発を取り巻く今日の状態を「羮に懲りて膾を吹く」などと書いたら殺されるでしょう。
しかし不思議に思うのは,世界の中でもとりわけ科学を信頼してきた日本人が,これほどまでに科学を信じなくなってしまったのはなぜでしょうか。
「なぜ2位ではいけないのですか」と,世界に冠たる日本のスーパーコンビューターについてこんな質問をした馬鹿な大臣がいましたね。
今回の原発事故は,菅 直人という,団塊のクズ世代の,とんでもない愚か者と,社内抗争に勝ち抜いたに過ぎない無能社長が率いる東京電力という特殊企業が起こした人災とも云うべき事故でした。これまで事故らしい事故に縁遠かった東電ならば,こんな社長でもふんぞり返っていられたのです。緊急時にはまるで無能でも。
もはや電力の鬼と云われた松永 安左エ門,黒四ダムを完成させた太田垣 士郎はいなくなりました。社内抗争を乗り切る才覚さえあれば良いのです。
かつての日本人ならば,現状で考えられる限りの安全性を確保して,より完璧で安全な原発を建設できるでしょう。
現に,福島原発事故後にも,諸外国から原発新設の商談が舞い込んできているではありませんか。もちろん,日本の技術を信じてのことでしょう。けして賄賂の多寡では無いはずです。2位に甘んじる日本人ではありません。そういえば,「2位」云々の質問をした大臣も日本人ではなかったのではありませんか。国籍はともかく。2位に甘んじることは,日本人の気質(temperament)では考えられないことです。古くは戦艦大和然り,今日のスーパーコンピューター然り,小惑星探査機「はやぶさ」の帰還もこの系譜の上にあります。
最近のテレビで,「原発は怖いですね。でも,夏の猛暑もいやですね」,とNHKの街頭インタビュウに応える女性がいました。本音でしょうが,日本の将来をどのように考えているのでしょうか。こう云う人が日本を駄目にしていくのではありませんか。震災被災地のサンマを1匹食べて良いことをしたつもりでいながら,被災地のがれきは怖いから受け入れられないと云う人たち。
心地よいソファで顔にゲルマニウム・ローラーを転がしながら,シーベルトだベクレルだと云っているだけの人たち。
今年の夏に,老朽化した火力発電の故障でオーバーロードが起きなければよいのですが。
太陽光発電は言われる通り現在は制約が
使い道も不透明ですし、年金管理のB/S精査もゼロの中で
「国内への対処は視野に無く、他国への理解や配慮もゼロ、増税だけが命」と言う政権は北朝鮮よりも遥かに劣る
と考えていますが・・・如何なものでしょうか?
大ですし、原理からして中高緯度ではハンデが有ると思います。
遮光してエネルギー取得ですから極論を言えば、ツンドラを広げる。
これを避けて利用するなら、現在の20%程度(システムでは10%前後)の効率を最低でも6倍にはする必用が有ると思いますし、最大発電力を重視するか平準化出力を重視するかの他のエネルギー事情との釣り合い、補償関係も重要と思います。
何よりも一般電力の発電コストが10円強なのに48円の仕入れコストと言うのは異常ですよね。
薄膜、フラーレンなどの技術を用いて理論では90%以上も考えられる中で、せめてトータル60%効率なら、家庭レベルのピークカット/屋根上なら実用にもなると思いますし、このレベルならビルでも平準太陽見込角を考慮して昼間の節電には実用可能かなと愚考しています。
家庭とビルとではターゲットが違うと考えています。
夢とすれば・・・放射性物質を光源にして、家の土台の下に埋め込んでしまう発電ユニット/保守無用 など。 生存中に見るのは無理と思いますが。