大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

再生可能エネルギーなんか存在しない―政府もマスコミも御用学者もなぜ嘘をつく

2012年09月13日 21時31分24秒 | エネルギー問題

先ず,最初に考えて見て下さい。思考実験です。
断念材,例えば発泡スチロールでできた長方形の箱の中央を,縦に仕切ります。そして,2つに分かれた箱の一方には冷水を,もう片方には熱水を入れます。それから注意深く,静かに中央の仕切りを持ち上げます。
すると,冷水と熱水が混じり合います。やがて対流も起こって,最後に両方の水は同じ温度に近づくでしょう。
しかし,その後はいくら手間と時間をかけても,元の冷水と熱水に分かれることはありません。頭の中での実験ですが,経験的には日常経験することでしょう。
全く同じようなことは,コーヒーにミルクを入れてかき混ぜても起こります。一度混ざってしまったコーヒーとミルクは,どんな方法でも,元のコーヒーとミルクには戻りません。これを分離するには,大変な手間と時間が掛かります。不可能といった方が間違いありません。
最近では,人から人へと流れる情報も,コーヒーとミルクのように,混ざり合ったら元には戻せないことがはっきりしており,これを扱う学問として,情報理論がかなりな程度確立されています。情報も含めて,系の乱雑度を表すのに,エントロピーという通常では耳慣れない量が使われていますが,ここでは気にする必要はないでしょう。ただ,乱雑度(エントロピー)は,増える一方だと云うことは記憶しておいて下さい。常識にも合致する原理とも云えます。

冒頭で書いた思考実験では,水の保有するエネルギーが問題にされています。水の持つエネルギーは,中に含まれる水分子が自由勝手に動き回る程度によって異なります。分子の活動が活発になればなるほど,水の温度は上がります。熱くなるのです。逆に分子の活動が不活発になれば,水の温度は下がります。冷たくなるのです。どんどん冷えて氷になれば,分子は動かなくなり,氷になります。
このエネルギーは,熱い方から冷たい方に流れるだけで,逆の現象は絶対に起こりません。
忘れてならないのは,自然界のエネルギーは,すべていろいろ姿を変えることがあっても,熱に変わったら最後,冷たいものが放っておいても熱くなる,と云うことは絶対にないのです。再生不可能なのです。
譬えは悪いが,人の噂も広がることはあっても,収束することはないのと同じです。独裁者が強権で噂を抑圧しようとしても,陰では広がる一方なのと同じです。これが情報のエントロピーです。

ここ1,2年,「再生可能エネルギー」なる奇妙な言葉がもてはやされています。
政府が国家規模で,如何にも再生可能エネルギーなるものが存在するかのように毎日この言葉を発信しています。困ったことに,今年つまり2012年7月には,「再生可能エネルギー法」なる法律まで発効してしまいました。その結果,各家庭まで通常の電気料金に上乗せするかたちで,再生可能エネルギー賦課金の名目で月々数百円徴収されることになってしまいました。
この法律では,電力の安定供給と環境負荷低減(人為的二酸化炭素削減のつもり?)を目的として,自然エネルギー(太陽光・風力・中小規模水力・地熱・バイオマス発電)の利用を促すのだそうです。
しかし,そもそも再生可能エネルギーなぞ存在しないのです。
上に挙げた自然エネルギーも,再生はしていません。
地球上の生きとし生けるものが享受しているのは,ほとんどが太陽から一方的に流れてくる光と熱と考えてよいでしょう。他に,地熱エネルギー,地球の自転エネルギー,月の引力による潮汐エネルギーなどが利用可能だとしても,根源的には,すべて太陽の存在に依存しているのです。水は,雨として地上に降って,ダムに溜まり,その位置エネルギーを使って発電する。その水は海に集まり,太陽熱で蒸発して水蒸気となって天空に戻る。そして,雨となる。これらはすべて,太陽光が姿を変えているだけです。
注意すべきは,大規模水力発電は,当たり前にあるものとして,上に規定された自然エネルギーの範疇に入れてないことです。

太陽は,地球とは較べものにならないほど大きいので,無限のように見なされていますが,実際には,太陽そのものも有限なことは,今日では小学生でも理解しています。そして,太陽から送られてくる光と熱が,地球上で利用できるすべてのエネルギーの根源だと考えてよいでしょう。(太陽そのものの寿命は数十億年かも知れませんが。)しかし,地球から太陽にエネルギーの「お返しをする」などと云うことはあり得ないのです。
 
とすると,再生可能エネルギーなどと云っているエネルギーは,実際に存在するのでしょうか。
これも,すっかり悪名高くなったIPCCの造語だそうですが,再生可能エネルギーは英語では“Renewable Energy”とされています。
私は,てっきり“Regenerative Energy”かと思っていましたが。
“renewable“というところに,なにか含みがありそうで,すっきりしません。
用語はともかくとしても,政府の再生可能エネルギーと称するものには,その実現可能性と,量的確保に大きな不安があります。政府の云う再生可能エネルギーが,これまでに確立された火力・水力・原子力(この3つで世界の発電の約97%)に代われるものでしょうか。これこそ再生可能エネルギーが詭弁に過ぎないと主張する理由です。
太陽電池が発電できるのは,太陽光が降り注いでいる間だけです。しかも,設備費が高価になり,それは電気料金に跳ね返ります(再生可能エネルギー賦課金)。風力なぞ,風が止めば使えません。中小規模水力も,最初から中小規模というだけあって,国家規模で工業を動かす力にはなりません。(滑稽ですね。)バイオマス発電は,既に今年の世界的干魃で破綻してしまいました。アメリカでは,トウモロコシを使って発酵したバイオアルコールで発電あるいは自動車燃料にしようと設立したはずの会社が破綻の危機にあります。いや,既に倒産が始まっています。付け加えれば,太陽電池パネルを当て込んだドイツの企業が,中国の安いパネルに押されて,倒産しています。日本で唯一期待できるのは,火山国日本としての地熱発電ですが,地熱が入手できるのは国立公園内か,温泉地であり,そこでの試掘あるいは利用には,多くの問題があります。
到底不可能です。それなのに,民主党野田政権は,2030年までに原発依存率をゼロにすると云うのです。この主張は,これまで世界でも稀な良質の電力に依存して繁栄してきた日本を,世界の最貧国にするだけでしょう。
このことに,非常な危惧を抱いています。