四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

ふるさとにて…その1 ~本谷さんとの再会~

2012-10-02 00:05:00 | コラム
…僕の躰は確かに今日は四万十市に居ます。
でもこの文章は過去ね(笑)
出発前に仕込んでいます、お得意?の時限ブログです。
さて現在はオカリナ奏者の「ホンヤミカコ」さんのプロデューサーとして
このスケジュールをこなしている僕ですが本谷さんと十数年ぶりに再会したのは
今年の5月に行われた本谷さんの舞台公演への案内メールがきっかけでした。
この辺の経緯は今までは閲覧できないようにしていましたがもう良いかと。
本格的に僕のプロデュースが始まったので今までの本谷さんと
現在のホンヤさんを繋いでも良いかな?と思います。
…自分で言うのも変ですが縁があったんでしょうね(笑)
でも今年の5月の僕はまさかこうして自分がホンヤさんのプロデュースを
するなんて思っていません、当たり前ですが(笑)
では( ̄^ ̄)ゞ再会からのブログを今日はその日の事を書いたブログです。
面白いのは↓此処ですね。

「いつか本谷さんに四万十の川の上に小舟を浮かべてオカリナを吹いて貰おうと思います。
そしてそれを、彼女の音楽を世界に向けて配信したい‥」

僕はこれを実現する為に今日、四万十市にいるんですね。
夢をひとつ叶えちゃました僕(笑)ではどうぞ!

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ホンヤミカコさんの初舞台、「ダイニングトーク」の初日に行って来ました

2012-05-03 00:37:44 投稿のブログ

なんじゃ、このクソ雨はよぉ~!!
あっスイマセン、つい地が出ました、乱暴な言葉遣いですね(笑)
行きましたよ、オカリナ奏者ホンヤミカコさんの初舞台に。
で、今朝から続いている雨は降り止む事もなくほぼ嵐。
強風で傘がひっくり返りそうになりながら駅までチャリで行って
新宿から小田急線で下北沢までね‥

作・演出:友澤晃一 T1project
出演・金井千佳・村上隆文・ホンヤミカコ・福田裕也

 

考えて見ればトモフスキーのライブを今野さんと
見に行ったのも下北沢だったな‥昔、僕が住んでいた町。
下北沢の駅って凄く狭いんですよ、良く人が落ちないなぁと思う位。
しかも住んでいた町なのに出口を間違えそうになって‥
すっかり田舎者になってしまった、お上りさんでした(笑)
案内の地図だと本多劇場の隣だからすぐに分ると思っていたら
???何処??と、迷ってしまいました。
本多劇場のあるマンションの管理人が親切な人で一緒に捜してくれて。
「えっ、ここ?」分んなかった(笑)地下1階にある凄く小さなホールでした。
造りからすると最近ですね、新しかったです場内は。
クソ雨、もとい、激しい雨の悪天候にも係わらず100人程の客席は満席でした。




よっぽど行くのを止めようか?と思うほどの悪天候です。
でもブログにも書いたしこの日の為に休みも調整したし
何より本谷さんに「必ず行きます!!」と返事のメールを
送っていたので行きました、良く頑張った俺(笑)
本谷さんから初舞台だと言うメールを貰って、あれっ?って言う感じでした。
本谷さんはストリートパフォーマンス時代からバルーンや
パントマイムをライブに取り入れていたので舞台経験のある人だと思っていました。
しかしまぁ女は皆、女優さんですね、演技で大泣きしていた(笑)
帰って来れるのかなぁと思う位の入れ込みようで終演後に逢うのが
心配だったのですが、ケロッとしてた本谷さん、女優だねホント(笑)




「四半世紀振りですね~っ!」と両手で握手してくれました。
「いや、20年振り位だなぁ?」と思ったのですが
歳を取ると5年位の誤差や記憶違いは当たり前なので突っ込みませんでした。
彼女はステージに上がっている時は凛としていてとても厳しい表情を見せる人なのですが
笑うとね目が「三日月」になる(笑)、久し振りに見た彼女の三日月。
「変わらないですね~っ」と言われて「そう?」と笑いました。
そして少し安心しました、昔と同じ自分に戻れている事に‥
少しの間、話をして他に彼女との話を待っている人にバトンタッチして
下北沢の劇場を後にしました、外は相変わらず強い雨のままでした‥




あの頃の本谷さんはまだ自分の音楽を模索している頃で
繊細で硝子細工の様に硬くてそして脆くて‥
彼女に言葉を伝える時は非常に神経を使っていた事を思い出しました。
彼女が東芝EMIからのメジャーデビューが決まった時に僕は彼女に
「これからは毎日音楽を、自分のメロディーを作って行くんだよ
とても辛い作業になるけれど大丈夫?頑張れる?」と聞きました。
「はいっ、大丈夫です!私メロディーを作る事が好きですから!」と
本谷さんは答えました‥
あの時の彼女の言葉が本当だった事は、時の流れが証明しています。
あれから彼女は12枚のCDアルバムと6冊のスコアブックと
幾つかの書籍やビデオを世に送り出しました。
あれから彼女は休むことなく創作を続けているのです‥




僕は一番後の席の左端で彼女の舞台を見ていました。
高校に行く通学バスで座っていた場所と同じ、不良の席(笑)
僕の隣に座った親父たち(僕もですが)2人組がパンフレットを見て
高知県がどうのこうのと言っていました。
多分5月の終り頃に本谷さんがライブをやる横浜公演の関係者だと思われます。
僕は「北海道は帯広生まれの本谷さんを、土佐の高知に連れて行ったの俺だよ‥」と
心の中で呟きました。
人の縁とはどんな所で形になるのかも予想がつかないものです。
僕が休眠した後に、高知新聞の森さんと本谷さんが土佐に僕等の音楽の足跡を残してくれました‥



『風に抱かれて~本谷美加子の四国巡礼~』
高知新聞社刊 A5判・216頁 定価1,800円 CD付き

これは本谷さんサイドが動画にアップした動画だからここに貼っても良いでしょう。
いつか本谷さんに四万十の川の上に小舟を浮かべてオカリナを吹いて貰おうと思います。
そしてそれを、彼女の音楽を世界に向けて配信したい‥
彼女はこの舞台が終わった後に韓国でオカリナの演奏をする予定が入っています。
でもいつか‥叶えるつもりではいますが本谷さんの音楽を四万十の流れに浮べてみたい‥
四万十の碧(あお)い空と翠(みどり)の川面に日本のオカリナ奏者の
第一人者に成長した彼女の音楽を浮べてみたいと僕は思っています‥

星空とフランケンシュタインが出来るまで‥

2012-10-01 05:03:10 | コラム

以前にこの楽曲「星空とフランケンシュタイン」について
書いた記憶があったのでどのブログだっけ?と捜しました。
なにせ沢山ブログを書いて来たので何時どんなタイトルで書いたのか
すぐには思い出せません‥ただ不思議と書いたかどうかはハッキリ分ります。
おんちゃんになって記憶力も落ちましたがその辺はまだ大丈夫?です(笑)
この話はカテゴリーはTANBOで「CHANCE!」と言うタイトルで書いてます。
ブログを読み返すと橋田への御説教?愚痴?になってましたね(笑)



「CHANCE!」と言うブログは内容的に
「星空とフランケンシュタイン」と言う作品の項より
橋田への注文が多いので此処で作品についての補足をさせて下さい。
と言うか思い出話かな(笑)
この作品は1992年の9月にインディビジュアルレコードより
発売されていますので丁度20年前です。
僕がこの曲を世に出すきっかけは先のブログで書きましたが
この時のテーマは「30代の音楽」だったのです。
30歳を過ぎた僕等の世代の音楽を世に出そうと‥
本来はミニアルバムを作るつもりだったのです。
で、僕がライブハウス時代に知り合ったの仲間の音楽を集めました。



実際に彼等にコンタクトを取って逢いに行きました、久しぶりに。
色んなアーティストの卵達と逢いました。
しかし残念ながら如何にインディーズレーベルとは言えソニーの
看板を背負った楽曲として僕を満足させるものはありませんでした。
もちろん橋田にも声を掛けました、で唯一引っ掛かった曲。
僕がんっ?と思った曲が松田の「フランケンシュタイン」と言うフレーズでした。
原曲の歌詞は最終的なものと全く違います。
詳細は覚えていませんが本人、松田の書いた歌詞はラブソングだったと思います。
で、僕は松田の許可を得て全面的なコンセプト変更を了承して貰いました。
そして僕が考えていたテーマをプロの作詞家の小林まさみさんに
電話で、口頭で説明しました。
‥流石にねプロに慣れる人は違うんですよ、僕の依頼に対して
100%以上の言葉を書いて来てくれました小林さんは。



これはある意味僕にはキツイい、傷つく出来事でした。
何故なら僕自身がこのレベルで自分の言葉を書く事が出来ないと言う
才能の限界を思い知らされた事でしたから‥
出来あがりを読んで「はいOK、すげぇ良い出来です、ありがとう!!」と
小林さんにはOKを出して後は版権、著作権の事を説明した程度です。
僕はこの時期凄く多忙でしたので松田のレコーディングにも
顔を出す事が出来なかったし、小林さんにさえ直接逢っていません。
それでもね仕事を形にする事が出来るんですよ‥
ディレクターの宮田さんにまる投げしましたから(笑)
なぁ松田、宮田さんもこの楽曲のコーラスをしてくれてんだね‥
忘れてましたねそんな事実を。



ソニーの、SD側のディレクターの宮田さんは実は別のルートで
僕等と繋がっていた人なんです。
僕の友人がYAMAHSAのポプコン(今はありませんが)の全国大会に出場した事があります。
この時のバンド名が「雨に神様」と言うへんてこりんなバンド名でした。
実はこのバンド名、田んぼの橋田の楽曲と関係があるんです‥
橋田とこのバンドのバンマス(バンドマスター、リーダーの事)は
僕を通して友人になっています。
その友人が橋田の楽曲「アメリカンサマー」と言う曲をどう言う訳か
「雨に神様」と聴き違えて大笑いした事があります。
橋田の灰汁の強い幡多弁がそう聴こえたのでしょう(笑)
余りにも面白い聞き間違いなのでそのままバンド名にしたんだそうです。
聞いた人は意味不明ですよね、こんなへんてこなバンド名は(笑)
で、その時のポプコンの全国大会に宮田さんもシンガーソングライターとして
出場していたのです、不思議でしょ人の縁って‥



その宮田さんがSDに配属になる前に関わっていたのが「THE BOOM」です。
しかもこのバンドの初代マネージャーだった奴は僕のライブハウス時代の
元部下です、あんまり使えないので僕のケリを浴びていた奴です(笑)
ちなみに社長のSさんは元、長渕剛さんのマネージャーだった人です。
ブームのマネージャーだったM君、あいつどうしてんだろう今頃‥
でもこの子は埼玉では最高レベルの浦和高校の出身なんですね。
ゴダイゴの「タケカワユキヒデ 」さんの後輩なんです。
偏差値では土佐の学芸高校よりもはるか上、日本のトップクラスです。
でも本当にそんなの関係ないんです音楽の世界では(笑)
なんか取りとめのないブログになりましたが人は色んな縁で繋がって
その縁が作り出す作品の不思議さを少し理解して貰えたらと思っています。
そしてこの先のシマレコもきっと色んな縁が繋がって行くだろうと
今の僕は思っています‥



星空とフランケンシュタイン

2012-10-01 04:57:34 | Reading Videos




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茜色の夕陽に 僕と兄貴の長い影が延びる
夕暮れのバス停で僕と兄貴は親父を待っている
日の暮れた後の夕闇が恐くて 
僕は兄貴のランニングシャツの腰の辺りをギュッと掴む
「こらっ!あんまり掴むな、シャツがのびる!!」
本当はすでにだらだらとのびたランニングシャツなのに
兄貴は僕の手を放そうとする
僕は夕闇が恐くて意地になって手を固く握りしめる
コールタールとガソリンの混ざった匂いを残して
バス停にバスが止まる 
親父が降りて来た その影はとても大きくて とても長くて
まるでフランケンシュタインの様に思えたっけ‥




「パパ、アイスがとけちゃうよ‥」
僕の腰の下から息子の声が聞こえて僕は我に帰る
あの頃の僕には親父がスーパーマンの様に思えた
両の肩に僕と兄貴を捕まらせて
四万十川の対岸へと泳ぎ着きそして帰って来た親父
僕も兄貴もまだ金槌でまるで泳げなかったあの頃
両肩に僕等を捕まらせて水を切って泳いでくれた親父‥

この子の目には僕が 父親としての僕は
どんな風に映っているのだろう‥
あの時僕が感じたフランケンシュタインの様なでかさに
僕は映っているのだろうか?少し自信が無い(笑)




「天気が良かったら 明日は海に行こうか?」
僕の問いかけに息子は目を輝かせた
君の瞳に僕の背中 どんな風に映る?
僕は君にとって逞しくて強い父親に見えるかな?
君の無邪気な瞳を見詰めて僕は考える
親父から繋いだ命の鎖 それが君だよ
そして君も又 その鎖を次の命に繋いでくれ
それが人間の姿だから‥
僕もそうやって命を君に繋いだんだと
何時か君も気がつくだろう
僕の手をギュッと掴む君の指
僕と親父と君がひとつの鎖になる
それが「Chain of life」、命の鎖だよ‥




何かにつまずいて夢が バラバラに砕け散っても
無邪気な君の笑顔の力で 僕は生き返るのさ‥

「そろそろ帰ろうか、ママが心配しちゃうから」「うん‥」
君は少し名残惜しそうに 夜空に浮かび始めた星を見てる
「ねぇパパ、今日の晩ご飯は何かな?」「んっ?何だろうな(笑)」
きっとママはお前の好きなものを沢山作って待ってくれているよ‥
「ん~っハンバーグがいいな、プリンでもいい!」
「プリンはご飯じゃないだろう(笑)」

君は君の為に自分の人生を 真直ぐに生きて欲しい
僕は僕の為に君を守るから‥
僕は親父からそうやって育てられた
だからね君もそうやって育てようと思う‥

僕の影と 君の影と 親父の影が重なって
ひとつの影になる
遠い故郷の潮騒が 聴こえた気がした‥


行ってきま~す!!その前に…

2012-10-01 03:15:14 | コラム
マジかよ…現在10月1日午前4時30分。
これから居ない間のブログを仕込むのか俺?大丈夫か?
さて台風は一過しました。
でも昨夜は凄かったね、台風フェチ?の僕はテンションがグッと上がりましたが(笑)
実はあの台風の中を本谷さんは「榛葉昌寛チャリティーリサイタル」のゲストとして
静岡県の掛川市美感ホールを新幹線でとんぼ帰りしてしていたのです。
で、何の問題もなく台風を交わしてスケジュールを消化してきました(笑)
僕は強度の晴れ男なので自分の仕事に何の心配もしていませんでした。
大丈夫でしたね(笑)今日の土佐は最高の天気の筈です。
台風一過の秋晴れでふるさとはお迎えしてくれるでしょう(笑)



さて今日のブログのタイトルは「行ってきま~す!!その前に…」です。
何がその前かというと、作詞家の小林さんが僕のブログを見つけてくれました。
もう懐かしくて嬉しくて…
一番仲の良かった古い友人です、小林さんも再会を喜んでくれました。
再会のコメントがこれです。
…あっ小林さん、僕にコンタクトを取った人間はブログで公開されるという
慣例?がシマレコブログでは出来ています。
貴方も洗礼を受けてくださいね(笑)

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フランケンはすごくいい仕事した

ひさしぶりでござる
なんか自分の名前検索してたら「星空と~」がヒットしてさ。泣けるほど懐かしかったよ~♪
元気でやってるみたいでよかった。
昔の仲間とかでど~んと飲みたいね。

僕も小林さんと再会出来てすごく嬉しいです(笑)

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もちろん「鏡月」と「シュウェップスのグレープフルーツ味」だっけ笑

↑この辺に記憶の障害が見られますね(笑)
あっ、小林さんは僕より2歳上のお兄さんです、僕の実兄と同い年です。
小林さん「シュウェップスのグレープフルーツ味」
で焼酎を割って飲んでいたのは合っていますが、お酒は「トライアングルの25度」です。
あの頃は「眞露」はあったけど「鏡月」はまだ日本では馴染みがありませんでした。
さて、これで「星空とフランケンシュタイン」の作詞家と作曲者とプロデューサーが
揃いましたので記念に「星空とフランケンシュタイン」を
久し振りに期間限定で後悔します。
ソニーが隣接権で動画の削除を要求しないことを願いながら(笑)
ついでに小林さんが僕を見つけてくれたブログとReading Videosを復活させます。
…手抜きですよ、それが何か?(笑)
スイマセン、この態度は宜しくありませんね。
では先ずは動画を、その後で古いブログを続けて投稿します。