四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

縁あって…

2014-06-27 15:13:00 | コラム
縁あって…
新しいブログを始める事になりました。

啓蒙かまぼこ新聞。
今は亡き中島らも氏のお仕事を
なぞった様な仕事(ブログ)を始めました♪

先輩の高知県の特産品を扱った会社
㈱市左衛門カンパニーの仕事を紹介するブログです。
市左衛門は正式名、江口市左衛門と言い
約400年前に実在した母方の先祖です。
と言う事で、僕とたい君は遠い親戚な訳です(笑)



近所の幼馴染ではありますが
再会したのもつい先日です。
何かお互いに意気投合してあれこれと
話をする内にこう言う事を始めました。

四万十川歳時記
と言う格調高い?ブログを始める前に
目先の小商いに?走ってしまいました(笑)

まぁ、ホンヤさんのCDを凄く気に入ってくれたし
頑張って売ってくれるそうなので
僕も出来る限り協力したいと思っています。

暇なな時にでも…ご覧下さい♪(^◇^)

ザエモンくんの、こじゃんとうまい!高知県ブログ♪~㈱市左衛門カンパニー公式サイト~

※ごく少数の下田地区読者への情報:米屋のたい君の会社です♪

やるけどね…

2014-06-22 22:34:53 | コラム
ホンヤミカコさんが四万十市移住後の
初、慰問コンサートの選曲を出して来た。
中々良い選曲だ♪

が、ホンヤミカコの代表曲のひとつ
“大地の旅”は背景動画と音源調整した
カラオケがありません。

…ん~、時間が無い時にやってくれるね(笑)
多分選曲した時には、そんな事一切考えないんだろうな?
まぁ良いけど(ー_ー)!!作りましたから。

童謡も新しい曲がある。
くどいようだがそれは、背景動画と音源調整した
カラオケを作る必要がある訳です(ー_ー)!!
やりますけどね…



韓国公演の時も一度もやった事の
ない曲がずら~っと並んで…
「どうしても必要ならこれを全部作りますが
今回は時間が無いので動画カラオケがある曲から
選曲して下さいって言いましたよね?」
「…忘れてました」
忘れてただと~?!←これは心の中の声です(笑)
マジで険悪な空気になりましたもんあの時は(ー_ー)!!

でも今回はまぁ素直にやります。
余裕はないけど出来なくもないから。
毎回慰問の為に僕等が陰で投資する
エネルギーはハンパねぇです。
最高レベルのクオリティーをボランティアで!
と、言いだしたのが自分だから仕方ないですけどね♪

気のりはしないが…

2014-06-21 21:35:49 | コラム
来年の2月末から3月頭にかけての
台湾公演と文化交流の依頼が来ている。

多分、韓国のデジョン公演に
来ていた人だと思う。

が、ん~(ー_ー)!!
正直乗り気ではない。
でも、やろうと思っている。
理由は…年をとったから。

若い時なら先ずやらない。
相手方の情報が少ないし、意思疎通が
上手く行かないと苦労しても失敗する。
現実的に先方からのメールが文字バケして
読みにくいし、詳細の案内の内容も
意味が分からない文章が多い。

日本語の読み書きが出来る人間が
先方にいないと公演なんて無理。
そしてなにより…
何か内容も図々しい(笑)
偏見を待たない様に気をつけてはいるが
ん~、やっぱり何か図々しいし
いまいち中国人を信用出来ない(ー_ー)!!



でもやろうと思う(笑)
この年で先送りしたら何時になるか分からない。
森館長は台湾に詳しいので教えて頂こうと思う。

もちろん来年も韓国でやりたい。
だからしんどくても両方実現させようかと思う。
でも中国人相手のビジネスは…自信がない(ー_ー)!!

打ち合わせ

2014-06-21 04:39:09 | コラム
慰問コンサートの打ち合わせに行った。
四万十市に来て、
初めて行なう慰問コンサートは渡川病院。
地元の人なら直ぐに分かる心の病の病院。

施錠された扉を開けて,
患者の声が聞こえる廊下を歩く時は流石に驚いた。
まぁ、今の世の中病んでいる人の方が多い気もする…



次の慰問コンサートの打ち合わせ先の病院は、
幡多けんみん病院,凄く大きくて立派な病院。

移動の合間に延光寺の先のご住職に
ホンヤさんの移住のご挨拶をし、
お遍路の納め札を買う。
病んで札所に行けない人の為に
ホンヤミカコが代理参拝をする為の物。

この四国でホンヤミカコが成す事のひとつが、
いよいよ始まる…
でも今日の訪問先は全て
宿毛市なんだよな(; ̄O ̄)

僕もホンヤさんも
四万十市に住んでいるんですけど(ー_ー)!!

かなり、くたくた…(;一_一)

2014-06-19 23:03:57 | コラム
四万十市に住んでいます(笑)
韓国ツアーの疲れも抜けないまま引っ越しの荷造りをして
猫のCUROをキャリーバッグに詰め込んで?JALに¥5000もの
ペット料金を支払い、JRにもペット料金を支払いつつ何とか
四万十市まで辿りつきました…

猫のCUROもパニック状態だったけど最後は諦めて恨めしそうに
僕の顔をキャリーバッグから見ていました(^-^)

おや?
僕は6月の13日に四万十市に帰って来ているんですけどもう19日ですね。
…ん~、何してたのか?記憶も定かではないですね。
あっという間に月日が流れてしまっています。(ー_ー)!!



おお、思い出した。
やっぱり何をさておいてもパソコンが使えるようにしてたんだ(笑)
以前にもここで書きましたが僕の実家の地域はフレッツ光が通っていません。

そこでNTTコミニュケーションズの久君に“テザリング”と言う
インターネット共有方法で何とかなると教えて貰いました。
で、先ずは携帯をiphone5sに変えて、5sをルーター代わりにして
インターネット接続をすると言う方法の準備をしました。

先に四万十市に移住しているホンヤミカコさんにもこの方法を教えて
すでに携帯をiphone5sに変えて貰ってテザリングをしていました。
彼女のPCはMacなので互換性からiphone5sにして貰ったのですが
僕のPCはDELLでネットはエキスプローラーです。
iphone5sは小さくて老眼には扱いにくいのですが、ホンヤさんに勧めた以上
責任もあるので仕方なく?僕も5sにしました(ー_ー)!!



で、四万十市のドコモショップでiphone5sの契約をしていたのですが
僕が移住したのは金曜日の夜です。
住民票等の書類の変更をまだ終えていませんでした。
「…ん~、住民票や免許の書き換えをしていないと本契約は出来んわなぁ(ー_ー)!!」

んじゃ、月曜日にまた来ま~す!!
と言う話をしていたら…
四万十市観光協会会長で、そのドコモショップのオーナーでもある岡村さんと偶然会いました。

「おお、豊、もんたか?豊も観光協会の会員になれば?」
「良いっすか?」「かまんで」「んじゃ♪お願いします。」
「お前、車がないがやろ?」「はい」
「車貸しちゃろか?」「…良いんですか?」
「丁度空いた車があるけん、かまんぞ」「あざ~す!!」

と言う訳で僅か数分の会話で僕は
車をリースして四万十市観光協会の会員になる事になりました(笑)



岡村さんは有言実行の人だからその日の内に自ら車を運転して僕に届けてくれました。
本当に有り難かったです。
地方都市は交通手段を持たないと何も出来ません。
実際ホンヤミカコさんは買い物難民でしたし(笑)

昨日はその車を使って高知の龍馬記念館の森館長の所まで行きました。
今年のよさこい祭りに龍馬記念館の踊り子としてホンヤミカコさんと参加する為です。
久し振りに森館長の高知弁を聞きながら申請書類を書いて衣装代等を支払いました。

打ち合わせをしていたら龍馬記念館のFM番組の収録が来ていたので飛び込みで
収録して来ました♪
オンエアーは来週の月曜日の朝だそうです。

で、明日は宿毛市まで慰問コンサートの下見と打ち合わせに行きます。
午後から3本の打ち合わせがあります。
それもこれも岡村さんが僕等に車を貸してくれたから出来る事です。
本当に有り難い事です…



さてお借りしたKHKの軽ワゴン車には、MicadukiRecods Micaco号と言う命名を私がしました。
略してMica Mica号です(笑)

暫くはこの車で高知県を走り回る事になるでしょう♪(^-^)

受け身となりゆき…

2014-06-13 01:42:18 | コラム

引っ越しの荷造りもいよいよ大詰め。
パソコン周りを段ボールに詰めれば終わりです。
後1日早く頑張ればもっと楽だったのになぁ(;一_一)

しかし随分と長い間、埼玉に住んだなぁ…
僕が埼玉に来たのは自分の意思ではありませんでした。
左遷か栄転かは分かりませんが当時在籍していた
新宿ルイードの田中さん(僕の師匠です)の業務命令。
「宮崎、お前は明日から北へ行け!」
「なんじゃそりゃ!?」と言う流れで埼玉に来ました…

まぁこの街での沢山の出会いが僕の音楽人生の
財産になった訳だから感謝するべきですね。
思い起こせばその“新宿ルイード”への入社も
自分の意思では無いんですね。

僕の兄貴分の小山さんがルイードを辞めたので
責任者の田中さんに
「バイトしてるくらいならうちに来いよ」と言われ
「ん~、それもそうですね」と言う入社でした。

バンドのカステラもフリークスの穴沢さんから
「カステラを新宿ロフトに取られそうだから何とかして」
と言われ「んじゃ、口説いて来ますわ」と
練習後の彼等を集めて「俺がカステラの窓口になろうか?」
と言ってカステラの代理人になりました。

インディーズで解散するつもりで日比谷の野音を
ブッキングしたらソニーの今野さんがカステラをやりたいと。
「ん~、今野さんとならメジャーも良いか?」と
またまたカステラを口説いてメジャーデビューさせたんです。
それでなり行き上、プロダクションを作って社長になりました。

インディビジュアルレコードも当時の
SD事業部の野中さんのプランニングだし。
インディビジュアルの命名も野中さんです。
僕はフリオ・イグレシアスを日本で大ヒットさせた
野中さんと仕事が出来るならと、引き受けました。

そして現在ホンヤミカコさんのプロデュースを
しているのも、彼女に頼まれたからです。

つまり僕の人生、実は受け身なんですよ。
人に言われたり頼まれたりしてなりゆきで
仕事を頂いて来たんです(笑)

僕はどう言う訳かある日「こうしなさい」
みたいな事が起こり色んな仕事をして来ています。
あんまり考えなくてふと、「ああ、これか?」
みたいな感じです。
それを周りの優秀な人達がお膳立てしてくれました。
つまり僕の実力なんてないです。
運と人に助けられて何とかこなして来た感じです。

なにより不思議なのは必要な時に必要な人が現れて
僕を助けてくれています。
なんと恵まれた人生でしょう♪(^-^)

明日は故郷ミシシッピーに帰ります。
日本語では四万十市とも言いますが…(ー_ー)!!
故郷の友達と幼い頃に撮った写真です。
何となく別人に見えるのは気のせいです。

ちなみに“離婚”も先方様がそうしたいと言うので
「…そうですか?」とお受けしました。
本当に何もかも、受け身の人生なんです(笑)
(T_T)/~~~~


ぶぇ~…(ー_ー)!!

2014-06-12 01:40:20 | コラム
まだ引っ越しの荷造りは終わっていない。
でもわざわざ僕の為に開いてくれた送別会
ぶぇ~、時間が無いのに…(;一_一)
と思いつつも行って良かった♪

都内某所。
背広の襟に2020年東京オリンピックの
ピンバッジをつけたお二人と会う。
まぁ、普段の仕事は関係ない。
背広を脱いでビールで乾杯♪

「韓国ツアー、お疲れさまでした」
あざ~す♪」
…まぁ私、高卒の学歴通りの軽い人間です(笑)

今回の韓国ツアーが僕にもホンヤにも
とても楽しい仕事であった事を報告しつつ
僕が四万十市に行ってからの構想を語る。

…んっ?
今日はホンヤミカコのブレーンストーミング
でもあります(^◇^)

「で、俺は四万十市に行ってこう言う事をやりたいけど
これは認可が要るじゃないですか?」
「ああ、そこはこう言うやり方もありますよ」
「えっ、そうなんですか?じゃ、ここは…?」
「そこはこう言うのが一般的ですけど
この方法もありますよ」「おおっ、そうっすか♪」

まぁ、何が何やら分からないでしょうけど
大人の会話です(笑)
しいて言えば凄く優秀な塾の先生が僕の為に
個人教授をしてくれていると思って下さい(^◇^)

アーティストが最高の能力を出せる環境を作る。
経済的にも技術的にもね。
それが取りあえず今の僕の目標ですね♪

四万十市引っ越しまで後…
ぶぁ~!!間に合うのか~?(ー_ー)!!


ふりだしに戻る…?

2014-06-11 04:17:23 | コラム
あと数日で四万十市に帰る。
はて、18歳の時あの町を出た理由は何だっけ?
え~とあの頃の田舎者らしく都会に、東京にあこがれてだっけ?
もう少しましな理由だな。
俺は作詞家になりたかったんだ…なれなかったけど(笑)

作詞家になろうとして出逢った仲間との縁で、何時の間にか音楽業界に就職して…
ライブハウスの新宿ルイードの制作が俺の業界のスタートだった。
そっから沢山のミュージシャンやバンドと出会った。

ライブハウスのブッキングマネージャーとして独立して
それから音楽プロダクションやレコード会社も経営した…
沢山の出会いと沢山の現場を経験した。



そして長い眠りについた。
目覚めた時には時代はふた昔も過ぎていた。
長い長い眠りだった…

自分が何をして来たか何をやりたいのかも忘れかけた頃
音楽が目覚まし時計になって…
自分の音楽の原点である四万十市の仲間の原盤をかりて
四万十川レコードを作った。

やってくれる人がいないので仕方なく自分でYouTubeに動画の投稿をはじめて
ここでもまた出会いがあった…
素人の動画に沢山のメッセージを世界中から貰った。



そう言う時間を1年以上過ごした頃
遠い昔のアーティストと再会しプロデュースを依頼された。
ソニーのSD事業部と提携して作ったレーベル、インディビジュアルレコードのアーティスト
ホンヤミカコはメジャーデビューして20年間も走り続けていた。

オカリナと言う楽器で、言葉を持たない音楽で、彼女は世界的な評価を得ていた…
韓国の子供がホンヤミカコの楽曲を、まるでスタンダードの楽曲の様に
演奏している動画を見て感動した。

ホンヤミカコのプロデュースをしている間、四万十川レコードは開店休業状態だった(笑)
“田んぼ”の松田から、四万十川レコードはホンヤミカコレコードやねや、と言われ
「ほんまよ(笑)」と答える始末だ。



「創作活動の為に自然の中に身を置きたい。そしてお遍路さんももう一度やりたい」と
ホンヤミカコが突然言い出し
「んじゃ、四万十市に拠点を作ってそこから四国遍路をやりますか?」「ええ♪」

あっと言う間に物事が決まり、今ではすでにホンヤミカコは四万十市に住んでいる。
俺は後数日で30年近く住んだ埼玉を引き払って四万十市の実家に帰る。
昨年の暮れに父親を亡くし、ひとり暮らしになっている母親の事も気になっていた。
そう言う意味ではホンヤの希望と、自分の都合を合わせた折衷案が四万十市への移住だった。

しかしである。
よくよく考えてみたら俺は田舎が、あの町が退屈で故郷を出たのだ。
田舎に3日もいたら退屈で時間を持て余してしまう。



まぁ、今はホンヤミカコの仕事があるので四万十市、いや四国で退屈する事もないだろう。
実際、スケジュールが次々と入っているし…
でも少し考えてしまう所がある。

俺の人生、ひょっとしたら、ふりだしに戻っていないか?
何でこの年で四万十市に帰ってるんだ?

う~ん。
折衷案とはいえ、決して望んだ訳ではないのだ。
人生すごろく、そろそろゴールだぞ…今、ふりだしに戻って良いのか?
まぁ、幸いに夢だけでおん出た18歳の頃とは少しは違ってそれなりの人脈はある。
都会の現役のノウハウを四万十市に持ち込む事は出来る。

しかし不思議なもんだ。
つい数カ月前までこの事態なんて想像もしていなかったのだ。
でもまぁ良いか。

今はまだ…人生を語る気はないから(笑)


よさこい、ねぇ…

2014-06-10 01:23:34 | コラム

「よさこいソーラン祭りって、よさこい祭りのパクリ?」と
北海道道民のホンヤミカコさんをからかった事があります。
上手く言葉にして反論出来ずにホンヤさんは、
悔しそうな顔をしていました(^◇^)

5月の頭に龍馬記念館の森館長を訪ねた時に
「今年のよさこい祭りに参加しないか?」と
ホンヤさんが館長に誘われて“喜んで♡”と答えていました。
その時に「森館長も踊るのだから宮崎さんも参加ですよ!」
とホンヤさんに言われ「え~っ(ー_ー)!!」と曖昧な返事をしました…

この話を韓国から帰る時に思い出し
よさこい祭りの日程を確認して見たら
スケジュール的には参加OKです。

でも僕は
「俺、太陽アレルギーでデブだし…
それに、よさこいってマジでハードな練習をするらしいよ…」
「なに言ってるんですか!館長も踊るんですよ!!」と
僕の意見はホンヤミカコさんに一蹴されました…(ー_ー)!!

で、今日の夕方森館長から
「ほんまによさこいは出るがか?」との電話。
「はい!出ます!喜んで!!」
「ホンヤミカコも参加する言うてかまんか?」
「はい!ガンガンと宣伝して下さい!!」
これで本決定ですね…(ー_ー)!!

僕は確かに高知県生まれだけど中村市
現四万十市生まれで、高知のよさこい祭りは
踊るどころか生で見た事もありません(^◇^)

でももう森館長にお返事した以上やります!
ユニフォームも買いますし練習にも参加します!
は~っ。
四万十市で練習ビデオを見ながらホンヤさんに
しごかれるのか…(ー_ー)!!

でも。
これで僕も本当の高知県人になれるかも知れませんね(笑)


1,100通の想い…

2014-06-06 22:21:01 | コラム

今回の韓国ツアーを思い立って
その全てが終わるまでに交わした
僕と韓国側の通訳を務めて下さった
阿部さんとのメールのやり取りは
1,100通を越えているらしい…
阿部さんの韓国サイトの投稿にそう書いてあった。

僕もある時やり取りのメールの数字が
1000を越えているの見て
んっ?間違いか?…
と思っていたがどうやら事実らしい(笑)

ふ~っ。
入念な準備をしたつもりでもステージは生き物だ。
毎日狂犬の様に吠える僕をイビョング先生をはじめ
韓国スタッフの皆様やホンヤミカコも許してくれた…
ここにも書いたがその日の状況の中で最高の
ホンヤミカコのステージを作る為だ。

韓国の若者には日本から来たオジサンの
吠える姿は迷惑だったと思うが気持ちは不思議と伝った…
プロのステージ制作をキチンと受けて止めてくれた。

今だから書けるが釜山(プサン)の会場入りして
余りの準備不足に「ガオ~ッ!!」と吠えていたら
阿部さんから「この会場に前日セッティングして
スタッフが帰る時にカギを閉め忘れたら機材が3点ほど
盗難にあったそうです…」との事。

「えっ、んじゃ今日の機材はもう一度彼等が集めてくれたの?」
「はい、そうです…」と阿部さんが答える。
良く見たら買って来たばかりの機材の箱もあるじゃん…

泣けたよオジサンは…
「ありがとうな!!良く頑張ってくれて!!」
コンサートが終わってスタッフの若者を
ひとりひとり皆抱きしめた…

凄いよ…
「ホンヤミカコのステージを絶対成功させる!!」
と言う彼等の気持ちは本当に嬉しかった…

僕と阿部さんが交わした1,100通のメールは
その数と同じだけの想いとして
このコンサートツアーを支えてくれました…
だから僕もホンヤも
「人生最高のツアー!!」と言えたんだと思います。

僕の1,100通の想いを…
キチンとイビョング先生や韓国のスタッフに伝えてくれた
阿部千代野さんに心から感謝致します。

でも僕等はもうチームです。
明日に、次の仕事の為に
また1,100通以上のメールをしましょう♪

…んっ?
そりゃ迷惑メールかも知れんなぁ(笑)(^◇^)


2014-06-05 22:35:28 | コラム
故郷、四万十市に
記録的な豪雨を
もたらした雨雲は
緩やかに関東(ここ)まで
辿りついて来たらしい…

降り始めた雨は
四万十の町を越えて
この街に来たものなんだろう…

四万十の空の下に
今日は星が輝いているだろうか?

それは遥か昔
唐の国に輝いた星と
同じ星の輝きかも知れない…

ホンヤミカコ :韓国テジョン市コンサート
唐月星星より








韓国マッコリツアーを終えて…

2014-06-04 03:46:25 | コラム
さて、韓国でのマッコリツアーを終えて帰国して2~3日経ちます。
先ずは思った通りかなり過酷なツアーでした。

韓国ツアースケジュール

2014年5月24日(土) デジョン・オカリナフェスティバル ゲスト出演コンサート

2014年5月25日(日) デジョン・オカリナフェスティバル マッコリツアーオープニング

韓国マッコリツアー

2014年5月26日(月) プサン(釜山)

2014年5月27日(火) テグ(大邱)

2014年5月28日(水) インチョン(仁川)

2014年5月29日(木) チョナン(天安)

2014年5月30日(金) ソサン(瑞山)

ん~と、結局9日間で、計11本のステージをこなしたのかな?



僕が言い出しっぺだからこのツアーに関しては全責任があります。
十分に準備して念入りに検討したつもりでも所は外国です。
えっ?ありゃ!おっ!!とまぁ毎日叫んでいました(笑)

でも今回の韓国ツアーを受け入れくれた韓国のオカリナ界の指導者
イビョング先生は凄かったです。
もの凄いパワーと事務処理能力、そして人格者でもありました。

この方は韓国でホンヤミカコの楽曲を真っ先に広めてくれた人です。
2006年の日本大使館の招聘によるホンヤミカコの韓国公演は
イビョングさんのプロモーションにより、韓国のオカリナ市場に広められた
ホンヤミカコの知名度が引き金になったと言えると思います。

まぁ、ある意味ホンヤミカコのフリーク、大ファンでもあります。

凄かったですよ。
イビョングさんのホンヤミカコへの尊敬度は。
それはホテルや食事、仕事やプロモーションに至るまで実にきめ細やかで素晴らしいものでした。
ホンヤミカコ自身が自分の人生の中で受けた最高のおもてなしのツアーだったと言っていましたし。



僕も昨年にはホンヤミカコに同行して、韓国のオカリナ指導者向けのセミナーを
経験していたので韓国でのホンヤミカコの人気は知っていましたが今回は凄かったです。
昨年は先生の先生と言う仕事だったので余り一般のファンと接する機会もなかったのですが
今回はツアーなので当然ホンヤミカコのオカリナファンの前に立ちました。
まぁ、ちょっとしたアイドル並みの人気でした(笑)

さて、今回のツアーの初日はイビョング先生の主催するオカリナフェスタのゲスト演奏でした。
その室内コンサートの前に昼間、野外ステージで300人のオカリナオーケストラと
ホンヤミカコのオリジナル楽曲“オカリナマーチ”を演奏すると言うイベントがありました。

盛り上がりましたよ~♪
日本人が作った楽曲を300人の韓国のオカリナ奏者達が演奏するんですから。




ああ、少し疲れて来たのでもう寝よう(ー_ー)!!
機材や色んな事で実は私、吠え続ける狂犬と化していました。
そんなに大声をあげた訳ではありませんが(笑)

でもそれは全てホンヤミカコのステージを仕上げる為のものなのでイビョング先生達にも
理解して頂けたようです。
でもホンヤさんから「宮崎さんが私の為に一生懸命ステージを作ってくれているのは分かりますが
もう少し柔らかい言い方をしても良いのでは?」とご意見を頂きました。

「ですよね、自分でもそう思うのですがついロック系の荒さが出てしまいます(ー_ー)!!」
「ロックのコンサートではありませんよ…」「は~い!」と言う感じですか(笑)

でも人の気持ちや気迫は言葉が通じなくても案外伝わるもので
僕は各地のコンサート仲間から「宮崎兄ィさん!!」と呼ばれていました(^◇^)

…んっ?
このブログでは僕はCUROだっけ?
何か最近はフェイスブックと混同して良く分からなくなっていますね(笑)
つ~訳で、僕も人生最高のツアーと言えるくらい完全燃焼出来たツアーでした。
この年でこんな仕事が出来た事をホンヤミカコさんに感謝しますよマジで(^◇^)