馬ですよ。
人間万事塞翁が馬です。
これはタイトルがGoogleの検索に引っかかって訳の分からんページに
掲載されるのを防いだタイトルです。
要するに僕は「人間万事塞翁が馬」と言う中国の故事について書きたかったのです。
「人間万事塞翁が馬」と言う小説のタイトルをご存知ですか?
昔、東京都知事だった意地悪ばぁさんの青島某氏が直木賞をとった小説のタイトルでもありますね。
この諺の意味は「人生における幸不幸は予測しがたいという事」だと思います…
「Imperscrutabili sono le vie del cielo」
「人間万事塞翁が馬」をGoogleの翻訳機能で訳すとこう表記されましたが
僕が聞いたイタリア人はこう言っていました。
「ラピタ・エパタ・ゴージェ」
…韓国で「マッコリ」をたらふく呑んだ後の会話なので果たして何処まで正確なのかは
自分でも自信がありませんがイタリア人のエミリアーノは確かにカタコトの日本語でこう言いました。
先の韓国での仕事の夕食会で韓国オカリナ協会の会長のホンさんや
通訳のサラやホンヤさんとアニョンのとあるお店で呑んでいる時に偶然?
オカリナの発祥の地イタリアの重鎮で大学教授のエミリーノさんがその酒席に乱入して来ました。
韓国のオカリナ製造業者のN社の御曹司と通訳の韓国のオペラ歌手と一緒でした。
ホン先生やホンヤさんからエミリアーノ教授を紹介されて
僕もホンヤさんからこの人の事は話には聞いていましたが
まさかこのタイミングでイタリア人のエミリアーノ教授と会うとは…
自分の引きの強さ?に我ながら感動しました。
で、年を聞いたら…
何だよ俺よりずっと年下じゃん(笑)
御髪がすっかり007のショーン・コネリーみたいだったので
俺より年上?と思っていたら何だガキじゃん(笑)
既にどっかで呑んできたらしいエミリアーノはこの時、かなり出来上がっていました。
それで何を思ったのかこの「ラビタ・エパタ・ゴージェ」が
「人間万事塞翁が馬」である事を僕に教えてくれました。
取り敢えず僕は???んっ、本当はホンヤさんに言っていたのかなぁ?
と思いつつも僕はこのブログのネタになると思いお店のティッシュペーパーに
エミリアーノの言う事をポールペンに書いて置きました。
ラッキー(^O^)
そのマメさが効をなして?今日1本のブログネタになりました(笑)
僕が少しショック?だったのは、もう僕ぐらいの年になるとね「長老」ですね(*゜▽゜*)
リアルの現場で僕位の年の人間はもう居ないんですよ…
今回の仕事で会った人の中で最年長?は韓国のオカリナ製造業者N社の社長位でしたね。
この人でさえ僕とタメ年ですよヽ(;▽;)ノ
月日の流れと如何に自分がこう言う現場から遠ざかっていたのかを改めて気付かされました…
人間万事塞翁が馬。
人生における幸不幸は予測しがたいと言う諺についてですがまさしくそうだと僕は思います。
今、此処にある現実が貴方や僕にとって不幸な出来事だとします。
辛くて悲しい現実が貴方や僕を支配します。
でも案外人生って後からの結果で判断していますよね。
苦しみや悲しみも自分を磨くための事だったとしたら…
そう思えたらそれはきっと幸せな事でしょうね。
痛みや苦しみの中では分からない事も時が経つと見えてくる様な気がしませんか?
年を取るという事をそう言う風に捉えられたら…
と、韓国の酒場での会話から思い起こしました。
人の人生は大きな大河の流れの中で彷徨う芥(あくた)の様に
小さくてつまらないものかも知れません。
大河の流れの中で流離ったり滞ったりしています。
でも流れの中に身を任せつつも自分の行く先や目的を持てれば…
いつかは大海原にたどり着けるのではないかと僕は思います。
四万十川の終着の町で生まれた僕は海がそこに見えているのに
海まで行けないジレンマでずっと苛立っていました。
僕にとっての大海原はきっと世界です。
色んな国の色んな町でもっと音楽を楽しめたら凄く幸せだろうなぁ…
と今は思っていますが人生はきっと
「人間万事塞翁が馬」なのでしょうね…
人間万事塞翁が馬です。
これはタイトルがGoogleの検索に引っかかって訳の分からんページに
掲載されるのを防いだタイトルです。
要するに僕は「人間万事塞翁が馬」と言う中国の故事について書きたかったのです。
「人間万事塞翁が馬」と言う小説のタイトルをご存知ですか?
昔、東京都知事だった意地悪ばぁさんの青島某氏が直木賞をとった小説のタイトルでもありますね。
この諺の意味は「人生における幸不幸は予測しがたいという事」だと思います…
「Imperscrutabili sono le vie del cielo」
「人間万事塞翁が馬」をGoogleの翻訳機能で訳すとこう表記されましたが
僕が聞いたイタリア人はこう言っていました。
「ラピタ・エパタ・ゴージェ」
…韓国で「マッコリ」をたらふく呑んだ後の会話なので果たして何処まで正確なのかは
自分でも自信がありませんがイタリア人のエミリアーノは確かにカタコトの日本語でこう言いました。
先の韓国での仕事の夕食会で韓国オカリナ協会の会長のホンさんや
通訳のサラやホンヤさんとアニョンのとあるお店で呑んでいる時に偶然?
オカリナの発祥の地イタリアの重鎮で大学教授のエミリーノさんがその酒席に乱入して来ました。
韓国のオカリナ製造業者のN社の御曹司と通訳の韓国のオペラ歌手と一緒でした。
ホン先生やホンヤさんからエミリアーノ教授を紹介されて
僕もホンヤさんからこの人の事は話には聞いていましたが
まさかこのタイミングでイタリア人のエミリアーノ教授と会うとは…
自分の引きの強さ?に我ながら感動しました。
で、年を聞いたら…
何だよ俺よりずっと年下じゃん(笑)
御髪がすっかり007のショーン・コネリーみたいだったので
俺より年上?と思っていたら何だガキじゃん(笑)
既にどっかで呑んできたらしいエミリアーノはこの時、かなり出来上がっていました。
それで何を思ったのかこの「ラビタ・エパタ・ゴージェ」が
「人間万事塞翁が馬」である事を僕に教えてくれました。
取り敢えず僕は???んっ、本当はホンヤさんに言っていたのかなぁ?
と思いつつも僕はこのブログのネタになると思いお店のティッシュペーパーに
エミリアーノの言う事をポールペンに書いて置きました。
ラッキー(^O^)
そのマメさが効をなして?今日1本のブログネタになりました(笑)
僕が少しショック?だったのは、もう僕ぐらいの年になるとね「長老」ですね(*゜▽゜*)
リアルの現場で僕位の年の人間はもう居ないんですよ…
今回の仕事で会った人の中で最年長?は韓国のオカリナ製造業者N社の社長位でしたね。
この人でさえ僕とタメ年ですよヽ(;▽;)ノ
月日の流れと如何に自分がこう言う現場から遠ざかっていたのかを改めて気付かされました…
人間万事塞翁が馬。
人生における幸不幸は予測しがたいと言う諺についてですがまさしくそうだと僕は思います。
今、此処にある現実が貴方や僕にとって不幸な出来事だとします。
辛くて悲しい現実が貴方や僕を支配します。
でも案外人生って後からの結果で判断していますよね。
苦しみや悲しみも自分を磨くための事だったとしたら…
そう思えたらそれはきっと幸せな事でしょうね。
痛みや苦しみの中では分からない事も時が経つと見えてくる様な気がしませんか?
年を取るという事をそう言う風に捉えられたら…
と、韓国の酒場での会話から思い起こしました。
人の人生は大きな大河の流れの中で彷徨う芥(あくた)の様に
小さくてつまらないものかも知れません。
大河の流れの中で流離ったり滞ったりしています。
でも流れの中に身を任せつつも自分の行く先や目的を持てれば…
いつかは大海原にたどり着けるのではないかと僕は思います。
四万十川の終着の町で生まれた僕は海がそこに見えているのに
海まで行けないジレンマでずっと苛立っていました。
僕にとっての大海原はきっと世界です。
色んな国の色んな町でもっと音楽を楽しめたら凄く幸せだろうなぁ…
と今は思っていますが人生はきっと
「人間万事塞翁が馬」なのでしょうね…