四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

猫と共に生きる

2017-06-15 02:17:26 | コラム
猫、犬、貴方はどっちが好きですか?

つ~話ではなくて
私のネットネームは「curo」です。
もう十年以上飼い猫の名前を
インターネット世界で名乗っています。
理由は簡単です。
誰がネットの世界で
自分の本名を名乗るものか(笑)

しかしです。

Facebookは基本的に実在SNSですので
流石にネットネームは使えません。
仕方なくFacebookでは本名で投稿していました。
が、親から貰った姓や名前を
グローバルなネット世界で公表するには
細心の用心が必要です。
と言う事でバーチャル世界のブログとは
しばらく遠ざかってしまいました。



さて、彼女が私の飼い猫
いや、御主人様のcuroさんです♪
人間なら90歳以上の貴婦人でしょうか(笑)

私の大好きな漫画家
「水木しげる」さんの漫画の中に
アフリカの“ドゴン族”の格言がありました。
「猫は生きる為に働かない!」
ん~っ、納得しましたね、名言です。

で、冒頭の問いかけに戻りましょうか。
猫、犬、貴方はどっちが好きですか?

私は犬も猫もどっちも好きですが
飼い主としての責任を果たすなら
犬は無理ですね。
なぜなら朝っぱらから
「ワンワン(!ご飯!)
ワンワンワン!(散歩とウンチ)」
なんてリクエストされても
夜型の私には対応ができません…



自分に対する貢献度や
実用的な役割を果たすなら
圧倒的に犬の方が良いと思います。
猫は現実的な役割としては
何の有用性もありませんから。
つ~か私の事を自分の従僕だと
多分彼女は思っているだろうし(笑)

自分の気分で
「お腹すいた~、ご飯!!」だし
「ちょっと~、トイレが汚いわよ!」
と怒るし、私がパソコンで仕事をしていば
「ねぇ~何してるの?遊ぼうよ♪」と
キーボードの上に座り、私の仕事の邪魔をします。

まさに究極のマイペース。
気分次第の生き物、それが猫ですよね。
まぁそれでもこの先も私は
猫と共に生きる、でしょうねぇ~♪

ん~っ、猫漫画でも書こうかな(笑)


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よだかの星

2017-06-13 04:33:05 | コラム
そう言えば随分と久しく
星空を見上げてないなぁ…
星の綺麗な所に住んでいるのに
夜空を見上げる事も忘れてしまっている。

夜空と言えば小さい頃に読んだ
宮沢賢治の短編を思い出しました。



よだかは、実にみにくい鳥です。
顔はところどころ味噌をつけたようにまだらで
くちばしはひらたくて耳までさけ ...

美しい、はちすずめや
かわせみの仲間でありながら醜い姿で
勇ましい鷹からはお前が鷹の名前を
名乗るのはおがましいので
これからは市蔵と名乗る様に言われる。

宮沢賢治のセンスなのだろうが
何で市蔵?なのかは笑ってしまうが(笑)

誰からも好かれず誰からも愛されず
生きている夜鷹…



故郷を追われる様に捨て
見知らぬ場所で生きている夜鷹は
自分が生きて行く為には沢山の虫達の命を
奪って生きている事に気が付きます。
夜鷹は生きる事に絶望し
太陽に焼かれて死のうとします。
でも太陽にはお前は夜の鳥だから
星に願いを頼めと言われ
星に願いを告げても相手にされずに笑われ
それでも空へ空へと飛び続けます…



この話は皆さんは読んだ事がありますか?

私は何故か子供心に生きて行く事に
暗たんたる絶望感を感じた事を
思い出してしまいました。

宮沢賢治の心の中に住む仏神が
この話を書かせたと思いますが
切なくて辛い立場に生きて行く事の孤独感と
世の中から不条理に扱われる事の悲しみが
醜い夜鷹の姿を借りて語られています。

夜鷹は宮沢賢治自身であり
また私達自身でもあるのでしょう。



空へ空へと飛び続けた夜鷹の身体は
青白く激しく燃える
夜空の中でもひときわ輝く美しい星となります。
そしてその星は、よだかの星と呼ばれました…

ねぇ…。
最後の星になるくだりがなければ
実に後味の悪い話です。

でもそれは浄土真宗から日蓮宗に改宗して
不遇な中にも魂を燃やし信仰に生きた
宮沢賢治自身の姿なんでしょうねぇ…(。-_-。)

小学校の授業でこの話を学んだ後
しばらくは私は「よたか」と言われましたね。
私の名前が単純に「ゆたか」だっただけの
話なんですけどね(笑)

ゆたかの星は
夜空の何処にあるのかなぁ…なんてね(・ω・)ノ

よだかの星 (日本の童話名作選)
宮沢 賢治
偕成社


宮沢賢治全集〈5〉貝の火・よだかの星・カイロ団長ほか (ちくま文庫)
宮沢 賢治
筑摩書房

誰が撮ってんだろう?

2017-06-12 05:37:43 | コラム
オカリナ奏者のホンヤミカコさんが
インスタグラムを始めました♪(^-^)

それは私も知っていましたが
一体誰が撮影しているのか?



現在ホンヤミカコさんは
北軽井沢オフィスに居ます。
北軽井沢のお仲間の皆様は
インスタグラムの先輩達。



普通に考えれば“つくつく村”の
カブちゃんが撮影していると思いますが
ひょっとしたらカスタムナイフ作家の
福田さんかもしれないし
またまた福田さんの奥様の可能性もあります。

ありえないと思いますが
ホンヤミカコさん自身が
セルフィーで撮影している?
まぁこの線は無いな…(。-_-。)



この上の写真の解析度からしたら
カメラはスマホでは無さそうだ。
本当はもっと解析度が高いのですが
私がインスタグラムから
写真を転用する方法を知らないので
iPhone6Sでスクリーンショットを撮り
それをトリミング編集したので
少し画像が落ちました(´・_・`)



多分この写真はカブちゃんの
一眼レフで撮影したと思います。
iPhoneのカメラ撮影よりも写真が綺麗です。
ホンヤさんに直接聞けば良いのですが
あえて聞きません(笑)
ホンヤさんとカブちゃんが
インスタグラムの世界用に
色々と考えて撮影している気がします♪



私は今、スマホのアプリで
このブログを書いています。
私のパソコンは画像が多くなり過ぎて
凄く重たくなってしまいました(。-_-。)
パソコンの画像で書くより
改行のずれが少ないし
寝そべっても書けるから楽です(笑)



私はカブちゃんの撮る夕陽のファンです。
色と言い色彩の柔らかさと言い
本当に綺麗な夕陽の写真です♪。

北軽井沢は今、空や山や草や木も
一番綺麗な季節の様ですね♪(^-^)

追記♪
このホンヤさんが映る写真は全て
ホンヤミカコさんが三脚を立てての
自撮り撮影だそうです。
と言う事はカメラはiPhone5sですね。
いや〜、本当に凄い人だなぁ〜(。-_-。)

CD BOOK Station~Ocarina chai ステーションからオカリーナチャイ ホンヤミカコ オカリーナ名曲集 1993-2013
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QUITO キト
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EMIミュージック・ジャパン


今、祈りの中で
本谷美加子
日本コロムビア

ふたりいれば良い…

2017-06-10 04:37:10 | コラム
私は今年57歳になりました。
まぁ熟年から初老に
差し掛かった所と言えるでしょうか。
そこで思うのですが人生の成功と幸せは
ふたりいれば良いのではないかと。

少し抽象的すぎるので補足します。

皆さんは大抵は働いていますよね?
会社員でも自営でも良いですが
皆さんの収入を決定する人それって誰でしょう?

会社員なら上司ですか?
自営業なら大口の顧客でしょうか?
つまり貴方より上の立場の人や
社会的に大きな組織の方。
そう言う人の貴方への評価が
貴方の収入を決めていませんか?

もっとリアルに言うと
織田信長の引きがあったから
豊臣秀吉は太閤さんにまで
出世する事が出来たと言えます。

世の中の出世って決して
能力だけでは無いですよね。
極論すれば好き嫌いで決まるとまで
言えるのではないでしょうか?
釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいに
組織的な評価は低くても
スーさん(社長)に好かれていれば
まぁよっぽどの反社会的行為でもしない限り
会社員として生き残れます。



貴方の仕事の上司が凄く優秀で
仕事が出来る方なら
貴方も仕事をしていて楽しいですよね。
そして貴方自身も凄く優秀で
仕事が出来る方だとします。
でも貴方は、貴方より上の立場の人に
引き上げて貰わないと組織での出世は
出来無いのです。
矛盾していますが仕事が出来るだけでは
組織では生き残る事は出来ません。

ある程度の、まぁ係長や課長までならね
仕事だけでも出世出来るでしょう。
でもその上の部長辺りから仕事だけではなく
社内的な政治、つまり派閥等に属さないと
その上までの出世は出来ません。

見上げて下さい。

世の中のトップと呼ばれる人達は
心身ともに優秀な方ばかりでしょうか?
分かりますよね。
社会的に成功する人には
かなり変な人がいますよね(笑)
特に政治なんかね
自国のトップを本当に自信を持って
支持出来る国民はそうはいないでしょう。
それでもね、引き上げて貰えれば
自分への恩恵があるので殆どの人は上を見て
上の人の顔色を見て暮らしています。



で、ひとり目。
人生の成功を得るには
貴方より上の人に貴方を支持して貰える事。
それが社会的な出世です。

ではふたり目の貴方に幸せをくれる人とは?
そりゃ貴方のお奥さんや旦那さんや恋人
つまり異性ですね。
いくら仕事で出世出来ても
社会的な成功を収めても
自分の安らげる空間が無いと
人には幸福感がありません。

社会的に成功すればするほど
家庭が上手く行くのが
難しくなって行きますね。
大体は男の方がね、お金にものを言わせて
若いネーちゃんに走りますよね(笑)
若い時から最後までずっと女房一筋!なんてね
そう言う方は少ないと思います。




お父ちゃんもお母ちゃんも
真っ黒になって働いて一生懸命子育てして
もうなりふりかまわず子供の為だけに頑張っても
その子が良い子に育つとは限りません。
そう言う親が居ても私の様に
出来の悪い子供がいます(笑)

ではまとめましょう。

人生の成功は
貴方を認めてくれる上司に出逢う事。
人生の幸せは
貴方を愛して支えてくれる異性に出会う事。
このふたりに出逢えれば貴方の人生は
満足出来るものになっている筈です。

でも大変残念ながら大抵はどっちかひとりです。
もちろんそれでも十分だと言えるでしょう。
「どっちにも出逢えてねぇ~よ!」と言う方も
世の中には多い筈です。
それはそれでね、頑張りましょう。

でも自分だけが満足する人生もあります。
これはアーティストや職人さんの
気質の中にあります。
芸術は究極の自己満足です。
自分を突き詰めて
他人様から感動や共感を得る作業です。
それに時代と言うものが認めてくれて
初めて生活出来るレベルになります。



それでは私の人生は?

ん~っ、どっにも逢ったけど
どっちも残す事が出来なかった。
そう言うバランスの悪い人生でしょうか(笑)

94歳のガールフレンド♪

2017-06-09 03:11:59 | コラム
ガールフレンドが出来ました♪
年齢はタイトルにも有りますが
御歳94歳だそうです。
では馴れ初めについて書きましょうか。

彼女と出逢ったのは今日です。
そして名前もお互いに知りません。
きっかけは私がベランダで
洗濯物を干している時に
(私はバツイチなので
当然自分で洗濯しています…

「お宅のネコちゃん?
この間私の家の庭に来てたけど。」
「ああ、家の猫と良く似た猫が
この辺にいますね。でも家の猫はまだ
外に出した事が無いのであの猫とは違いますよ」
なんて会話から始まりました。

「洗濯物を綺麗に干すね~」
「そうですか?」
あっ、私と彼女の位置関係を
書いてないですね。
僕はマンションの2階のベランダに居ます。
彼女は道を挟んだお向かいの
1階のタバコ屋さんにいます。



さてその前にもうひとつ情報が要りますね。
私は3年以上生まれ故郷の四万十市で
暮らしていたのですが
仕事で海外に行った時に
高知市から四万十市迄戻るのが
年齢的にきつくなって来ました。

先月もホンヤミカコさんの
韓国公演の仕事があって
韓国に10日ほどいました。
まぁそれもあって
高知市内にオフィスを用意しました。
先月の韓国公演に行く前にバタバタで
引っ越しをして横浜銀行本店の
コンサートをやり韓国に行って来たのです。

おっと本題に戻りましょう。
ベランダの2階から道の向こうの
1階のタバコ屋さんで道を挟んで
彼女と会話をしていたのですが
さすがに94歳。
少しお耳の方も遠くなっているようなので
「これからタバコ買いに行きますね~♪」と
飼い猫を抱いて彼女の居る
タバコ屋さんの窓口に行きました。

そこでまた少し世間話。
彼女は書道を習ったり
絵を習ったりしているようです。
お耳は遠くなったようですが
言葉もしっかりしているし
メイクもバッチリ
お肌もとても綺麗でした。



抱いていた飼い猫が飽きてきたのか
バタバタし出したので
「また来ますね~♪」と帰ろうとすると
「飴舐めるかね?」とブルーベリーの飴の袋を
2袋もくれました。
「こなに良いですよ~」
「いっぱいあるんだよ」
と大きなビニール袋にパンパンの
飴を見せてくれました。
私は割と遠慮しないたちなので
「んじゃ頂きます!」
とその飴を貰いました(笑)

新しい町は流石に高知市内で
生活導線に必要なお店が
歩いて行ける範囲にあります。

買い物も便利だし
高知名物のちんちん電車に駅にも
歩いて5分程で着きます。
高知駅からもちんちん電車で10分程です。



四万十市で暮らしていた時の様に
朝起きたら小鳥の鳴き声がしたり海や川が
すぐ近くにある場所では無いですが
やはり利便性が高いので生活が
機能的になりました。

まぁ高知市内も鏡川が流れているし
少し車で移動すれば桂浜も近いです。
梅雨入りした割にはまだ雨が少ないですが
もうすぐ土佐の夏が来ます。

おっそうだ!
四万十の海辺に暮らしていた時は
台風は脅威でしたが
高知市内だと海辺程では
無いんじゃないかなぁ?

新しい場所には色々と
新鮮な感覚があります。
これからは道の向いの
94歳のガールフレンドとの会話が
私はとても楽しみになっています

燕舞う頃に… ~ブログを再開します~

2017-06-08 05:48:30 | コラム
う~ん…

前回の投稿が2016年の6月30日だから
ほぼ1年位の感覚を開けての投稿になりますか。

まぁねぇ…色々と言うか
もうこのブログを止めよう!と思う位の
本当に辛い事が起こりまして…
その衝撃と悲しみは今も続いているのです。



そもそもこの「四万十川レコード公式ブログ」は
私と幼馴染の松田浩二がバーチャルユニット
YUSIMAを組み、その宣伝用ブログとしてスタートしました。
2011年の7月29日に初投稿をしています。
以来間隔を置きながら744本の投稿をして来ました。

累積閲覧数は734、288PV有ります。
多い時には一日の閲覧が3、000以上有った日も有りました。
なのにグズグズになってしまったのは
私がFacebookを始めたからです。
それと私が生まれ故郷の四万十市に戻った為に
松田浩二と何時でも会えるので
ネットメッセージを書くのに照れてしまっていたのも一因と言えます。



さて、私がもうこのブログを止めよう!
と思った理由は昨年の7月に
松田浩二を癌で失ったからです。

一昨年の12月にYouTubeバーチャルレベールだったシマレコが初のリアルライブをやりました。
田んぼ、森秀一さん。そして20年ぶりに復活してくれた久保田義雄さん。
その全ての音響PAと映像を私が担当致しました。もう本当に楽しくて、ガンガンビールを飲みながら音響をやりました。
そして終わった後にはさらに打ち上げで飲みまくり最高な一日を過ごしました。

これからも定期的に
シマレコのリアルライブをやりたいな♪
なんて当時の私は思っていました。

開けて2017年の1月中旬。
四万十市観光協会会長でKHK社長の岡村さんから
「豊、浩二が入院しちょうぞ。癌になった言いようぞ…」
と聞き、驚いて浩二に連絡し直ぐに
彼の入院している病院駆けつけました。
そして浩二の口から「胆管癌のステージ4」
と言われ私は絶句してしまいました…

病室の松田浩二は少し痩せた位で
声も元気だし何より本人が明るいので
「浩二なら治すだろう。」と私は信じていました。



松田浩二とその家族は癌と真っ向から向き合い
その闘いを続けていました。
私も私なりに浩二の闘病に役立つような
情報を集め折りにふれ彼に伝えていました。
しかし浩二は…あんなに頑張った松田浩二は
逝ってしまいました。

私は常々「浩二より先に逝きたい」
と思っていました。
何故なら「奴を見送るなんて俺は耐えられない。」
と言う気持ちが有ったからです。
そう言う悲しみを自分が経験するのが
嫌だったのです。
でも私は彼を見送る方になりました…

16歳の時に二人で楽曲を作り始め
ブランクは有りましたが最後まで二人での
創作活動は続けていました。
一番最後の楽曲はメロディーは完成していましたが私が作詞の手直しをそのままにしていた為に
未完のままで終わりました…
何時でも出来る。そう言う気持ちが
そう言う私の甘えが楽曲を未完にしました。



奴を失ってからの私は本当に身体の半分が
心の半分が無くなった様な虚無感にとらわれました。
折りに付け浩二が居ない事を思い出し
涙が止まりませんでした…
「あいつはもう居ないんだ…」
そう気付く度に失った友の存在の大きさに
心が震えました。

そしてその三ヵ月後に
私が音楽を目指す出会いを作ってくれた
岡村剛承さんも癌で逝ってしまいました。
岡村さんは私が四万十に戻った頃から
闘病されていました。
岡村さんには高校時代から
本当に可愛がって貰いました。

私は1年の間に、人生の道しるべであった
龍馬記念館の森健志郎さん。
松田浩二、そして岡村剛承さんと
自分の本当の理解者を失いました。
だからこのブログも「もう止めよう!」
と思いました。
「全部消してしまおう!」と思いました。
でもそうするには浩二との思い出が有り過ぎました。

私はもう一度このブログを書き始めます。
まだ全部振り返る事は出来ませんが
少しずつこのブログを始めた頃を思い出そうとしています。

このブログは松田浩二と始めたものです。
ブログの閲覧を上げる為に色々な研究や
思考錯誤をしました。
その過程を全部松田浩二は見ていてくれました。
二度と浩二の意見を聞く事は出来ませんが
何となくこれからもこのブログを浩二が
読んでくれそうな気持になりました。
作詞家になれず作家にもなれず、
それでも文章を書くのが好きだった私は
もう一度文章を書く事と向き合って行こうと思っています。
自分でも忘れてしまっていた、
あいつと作った時間をもう一度辿り直してみたいと思っています。

燕が空を舞っています。
新しい命が空を舞っています。
燕舞う頃に…
私もゆっくりと歩き出そうと思います。

四万十川レコードのブログですが株式会社ミカヅキレコードのイベントの宣伝をします♪

2016-06-30 00:52:17 | コラム
さて、前回の投稿の後に直ぐに投稿をしようと思いましたが
色々とやるべき仕事が続いていたのでまた時間が経ってしまいました…

この四万十川レコード公式ブログは本来は
四万十市に在住する私の昔の音楽仲間の楽曲を
YouTubeで紹介する事が主旨のブログだったのですが
私がオカリナ奏者のホンヤミカコさんのプロデュースを始めたので
実際のプロの活動を書いたりするのがメインになってしまいました

しかし昨年の暮れには私の念願だった四万十川レコードのメンバーで
生ライブをする事が出来ました♪



森秀一さん、田んぼ、そして20年近くの沈黙を破って
南風の久保田義雄さんもこのライブの為に復活をしてくれたのです



が四万十川レコードはネット上のバーチャルなレーベルです。
私の職場はホンヤミカコさんのレーベルのミカヅキレコードです。

さてそのミカヅキレコードですが先月の半ばに株式会社として
正式に設立をいたしました。
まぁこれには色々な理由があるのですが先ずは第一段階の計画が
ミカヅキレコードの法人化でした。

そして月末には第二段階の計画もクリアしました。
来月からは第三段階の計画の履行を始めます。

それに伴って様々な事業計画があるのですが
その第1弾として私がプロデュースする新規音楽イベントを始めます♪



このイベントに関してはFacebookの株式会社ミカヅキレコードのページに
詳細を書いています。

Facebookのページにはこちらから♪

只今、出演者を募集中です♪四万十市近辺に在住の皆様、是非ご出演下さい

あれから…

2016-06-16 00:03:54 | コラム
前回の投稿からはや10ヶ月程経ちましたか…
時の流れは本当に速いですね。
台湾や韓国に行ってよさこい祭りでホンヤさんが踊ったと言う様な事を
前回の投稿では書いてますね…

あれからね、色々な事がありました。
昨年の11月には我々は外務省の依頼で中米3カ国での公演をして来ました。
ニカラグア、パナマ、ドミニカ共和国でのカリブ海巡回公演です。



ただその前に我々はとてもとても辛い経験をしました…
僕とホンヤミカコさんが心より尊敬していた
高知県立龍馬記念館の館長の森健志郎さんが突然に
本当に突然に逝ってしまわれたのです。

胸部動脈瘤の破裂でした…
多分森さん自身も自分が死んだとは思わない死に方です。
本当にあっと言う間に逝かれています。

僕は自分の親父が死んだ時よりも泣きましたし
今でも森さんの死を受け入れる事が出来ません。
本当に本当に僕らには大切な方でした。
だから僕はご家族にお断りしてね
森さんの遺骨の一部を分けて貰いました。
それ程僕は森さんと別れる事が辛かったのです…



上の写真は森健志郎さんがFacebookに投稿された最後の写真です。
夕陽の龍馬記念館…とても綺麗ですね。

森さんは僕らのカリブ海巡回公演をとても喜んでくれました。
「ワシも一緒に行きたいくらいじゃ(笑)」とね
本当に僕らの海外公演を喜んでくれたんです。
だから僕らは森さんが使っていた眼鏡を借りて
森さんと一緒にカリブ海を廻って来ました。

各国では外務省の優秀な書記官の皆様が公演のお膳立てをしてくれました。
それでも言葉や文化の違う国でオカリナの公演演奏をするのは
本当に大変でした。
でもおかげ様でどの国でスタンディングオベーションが起こる程
我々の音楽を喜んで頂けました。



今年の2月に桂浜荘で森健志郎さんとのお別れ会がありあした。
式典の中で我々も、ホンヤミカコさんが森健志郎さん達
シルクロードの会の皆さんと中国に旅行した時に作った曲で
唐夜星々(タンイエシンシン)と言う曲を演奏しました。

森健志郎さんが大好きな曲でしたが
森さんのお葬式では我々は演奏出来る状態ではなかったので
この日にようやく森さんにこの曲を手向ける事が出来ました…



あれから…本当に色々な事がありました。
今でも僕らは森さんが居ない事を受け入れる事が出来ていません。
でももう僕らは二度と森さんの声を聞く事も
笑顔を見る事も出来ないのです…本当に淋しいです。

丁度二年前の今頃に、僕らは高知県に移住して来ました。
龍馬記念館のシェクハンド龍馬像の前で
森さんは満面の笑顔で「よう来たねや。」と言ってくれました…



龍馬記念館にはこの春から新しい館長さんが就任されています。
そして森健志郎さんがお膳立てした新しい龍馬記念館を増設する為に
暫くは龍馬記念館はお休みをする事になります。

少しとげのある言い方になりますが
僕らにとっては森健志郎さんが居てこその龍馬記念館でした。
桂浜荘で森健志郎さんとお別れしてから僕らは
桂浜には行っていません。

龍馬記念館にはもう森さんは居ませんが
あれから毎日僕らは森さんと一緒に暮らしていますかから…

半年ぶりの投稿ですか(笑)

2015-08-15 00:28:39 | コラム
ご無沙汰致しております。
前回の台湾公演の投稿も知り切れトンボで
はや半年が過ぎてしまいました…

まぁ色々と、次から次へと仕事があるので
ブログへの投稿も間が開いてしまいました。

と、もうひとつ理由がありますね。
facebookです。

こちらは実名投稿のSNSですのでどうしても
知り合い向けの内容になります。
それとfacebookは告知媒体でもあるので
ついついこちらへの投稿を優先してしまいます。

しかし本人的にはネットネームのCUROで投稿していた
このブログ時代が一番楽しかったんです(^^♪
そしてこのブログで知り合った人達と
実際にお付き合いしたり仕事をしたりしています。



さて、ホンヤミカコさんの台湾公演は大成功でした♪
そして台湾に沢山の友人が出来ました。
音楽を通しての交流は言葉が無くても
深い所でお互いが理解する事が出来る!
その現実に改めて感動を覚えた日々でした…



台湾から帰った翌日には四万十市の観光開きのイベントと
四万十消防署の1日消防署長をかけ持つハードな一日となりました。

四万十消防署の1日消防署長をやる事になったのは
僕の同窓会です。
そこで当時四万十市の消防署長をやっている奴が
僕の中高の同級生だったんです(笑)
そこで一気に話がまとまりました♪



少し話を急ぎますがつい先日まで韓国公演に行っていました。
昨年のマッコリツアーを一緒に廻った韓国のオカリナの指導者達に
逢いたくなって彼等のイベントに参加していました。

その後は本当は韓国観光でもするつもりでしたが
動画用の素材を撮影している内についスイッチが入って
本気でホンヤさんのプロモビデオ用の撮影をしてしまいました(笑)



韓国には韓屋と言う建物を民宿に改造して
営業している人達がいます。
僕の仲間の女性の旦那さんがそれを始めたので
一度泊まってみたかったんです♪

そこでホンヤさんに貸衣装を着て貰ったら
凄く絵になったので急に本気モードになって
2日間もプロモ素材を撮影してしまいました。

後ろ姿の写真は韓国の民俗村と言う観光地です。
日本だと京都の太秦撮影所みたいな場所です。

そして韓国から帰国して直ぐに北軽井沢と四万十市で
演奏があり
その後で桂浜の龍馬記念館のチームでよさこい祭りに参加しました♪



昨年からホンヤさんと僕はこのチームのメンバーになりました。
が、今年は僕は旅の疲れによる体調不良で
踊り子としての参加はせずに撮影を担当しました。

今年の参加メンバーには高知県在住のシンガーソングライターの
堀内佳君が歌い手として参加してくれました。



と言う事で、まぁ多忙な日々を過ごしております(笑)

そしてこのブログのタイトル「四万十川レコード」の
アーティストによるライブも実は行ったんです(笑)

その話は次の機会に話させて下さい(@^^)/~~~


台湾公演♪

2015-02-27 06:18:06 | コラム
長い長い1日であった(。-_-。)

起床時間から遡ると
原地入りするまで
14時間もの行程…(´・_・`)

ホテルにチェックインして
蔡先生達と夕食をとり
蔡先生の自宅にお邪魔すると
嬉しいサプライズが♪



蔡先生のオカリナ教室の
生徒さん達が
夜の9時過ぎなのに
集まってくれて
大歓迎してくれたのだ♪(^-^)



長旅の疲れを吹き飛ばす
子供達の元気な声。
ホンヤさんと一緒に
コンサートの日に演奏する曲を
披露してくれました…(´・_・`)



こう言う場面に出くわすと
ああ、音楽って良いな♪と思う。

身体は疲れ切っているが
明日から台湾の人に
ホンヤミカコのオカリナを
届ける事が出来るが
本当に有難く思う(。-_-。)



皆さんに満足して頂ける
ステージを
ホンヤミカコと共に
作りたいと思います♪(^-^)

冗談では無いのです!(T_T)

2015-02-25 01:45:36 | コラム

ふ~っ(´・_・`)
やっと今回の台湾公演の
行程表の詳細が組み上がった。

実は、である。
夕方に某宅配便業者から電話があり
今回発送した商品がまた税関を
通らないと電話があった。

??どうして??

台湾への発送商品は
¥130,000がFOB規定で上限だとは聞いた。
納得したから再送した。

所がである。

台湾の税関を通るのは
ひとり1日1個の荷物までで
その上限が¥130,000までだと言う。
つまり今回は5箱の荷物があるので
日にちをずらして1日1個ずつ送るのが
正解らしい…(T_T)

当然もう間に合わない。
ブチ切れである。
台湾側は確実に売れる個数を言って来ていて
それが結構な額になるのだ。
つまり僕が今回の公演で大損をこくのである。

来ましたよ~責任者が。
まぁ僕も大人ですけど今回のケースは
許せません。

何故ならそう言う規定がある事を
キチンと知らずに集配を受けて
挙句の果てにもう間に合わない!
と言う所で連絡が来たからです。

まぁ嫌味を言っても仕方ないので
後は対策です。
どうすればこの問題をクリア出来るのか?
先に送ったCDBOOKは間にあいました。
残る4個、これをどうするかです。

結局、沖縄から戻った4個の荷物を
僕がキャリーで転がして台湾まで持参します。
総量30kgの荷物です。

当然荷物の超過分の料金も掛かるし
税関で課税されるでしょう。
まぁ持ち込む事は出来そうですが
あした台湾のエバー航空に電話して
確認します。

某宅配便の責任者は明後日の朝
高知空港に荷物を持って来て
僕にキャリーに積んだ30キロの
荷物を手渡します。

結局これが最終結論ですが
上手く行くかはまだ分かりません。

四万十市の宅配業者は
この書類を書いて外国に配送した事が
無い事は知っています。

でも自社の商品です。
知らなかったでは済みません。
おかげで仕事が遅れてしまい
下手すれば今夜は徹夜になります。

全く冗談では無いのです!!(T_T)

シーナさんの訃報

2015-02-15 00:12:14 | コラム

シーナ&ロケッツのVo、
シーナさんの訃報を知る。

享年61歳か…(。-_-。)

ライブハウス時代には
随分とお世話になったバンドだ…。

めんたいロック♪

九州のミュージシャン達の
サウンドが好きだった僕は
鮎川さんのレスポールの音が好きで
シナ&ロケのライブは楽しみだった…。

そしてシーナさんのコケティッシュな
雰囲気も好きだった(´・_・`)

僕が自分で経験して思う事は
自分が音楽業界に入る前から
活動していたミュージシャンに会うと
凄くドキドキした。

まだ自分が何者でもなく好きだった
人達に会うと素人に戻った。
逆に自分がその世界に入って知り合った
バンドやミュージシャンが売れると
喜びはあったがそれはもう仕事になっていた。

大宮フリークス時代にお世話になった
シナ&ロケや優歌団、ARBやBGB,tec…
そう言う皆さんにはやはり特別な思いがある。
素直にお世話になったと思える。



長い長い音楽生活を
紆余曲折しながらも続けておられる事は
刺激になるし尊敬もしている。

走り続ける事。
それしか音楽家の存在意義はない。

何故なら音楽家の居場所は
ステージの上しかないのだから…。




シーナ&ロケッツは細野晴臣さんの
プロデュースで設立された
アルファレコードのYENレーベル出身の
ミュージシャンだと思う。

ゲルニカやヒカシューと言う、
一般的にはニューウェーブと呼ばれた
ミュージシャンを集めたレーベルだ。

僕はシナロケのこの曲が当時は
とても新鮮で格好良く新鮮に思えました。

僕が彼等と会った頃は僕はまだ20代。
ミュージシャン達もまだ30代だった…。

少しずつ、もう会えない人が増える事は…
自分の青春が死んでゆくみたいで…
やっぱり哀しい(。-_-。)

んとにもうっ…!!

2015-02-12 01:43:19 | コラム
旧gooメールから
新gooメールへのデータ移行
約2,000通のメールの、フォルダへの
振り分け作業がやっと終わった(´・_・`)

本当は個別フォルダに
移行出来る設定があるらしいのだが
上手く行かず2,000通のメールの分類を
する羽目になってしまった…(T_T)

ふざけるな!!Google!!である。

でもメールを整理している内に
何か昔を思い出して…整理の手が止まった。

お片づけの時に昔の思い出の
写真とかを見つけて
つい手が止まってしまうアレである。

今、韓国の阿部さんから
facebookにメッセージが来ているが
阿部さんからの最初のコンタクトは
ホンヤさん用のブログへのコメントだった…

それが韓国でマッコリツアーをして
カラオケ屋で打ち上げをする
仲になったのだ…(。-_-。)

人の縁とはホント不思議。

昨年の夏の高松の古市先生との
ご縁も仕事が始まりだ。

北海道の尾崎さんからのホームページへの
コメントも見つけた。

みんな最初は知らない人だったんだ…

関係ないけどfacebookのCMって
何であんなにダサイの?

俺と泉君に仕事をくれれば
もっと気の利いた事が出来るぜ(´・_・`)

ホンヤさんのお土産の十勝ワインの白に
トマトの上にスライスした
モッツァレラチーズをのせて
バジルと黒胡椒をふったものをつまみにひと休み。

今夜はもう少し仕事があるのだ…(。-_-。)


墓参り

2015-01-20 00:49:31 | コラム

じゃがたら。

暗黒大陸じゃがたら
最後はJAGATRAの
江戸アケミさんが
高知県立中村高等学校の
大先輩だと教えてくれたのは
KHK社長、現四万十市
観光協会会長の岡村さんだった。


僕や田んぼが
ガキの頃からお世話になった
馬君、岡村さんが
江戸さんと中高の同級生だったと
聞いて凄く驚いた記憶がある。

何故なら僕がブッキングをしていた
ライブハウスに
じゃがたらは何度か出演していたからだ。

スケジュールの窓口は
ギターのOTOさんだったから
僕が直接江戸アケミさんと
話す事はなかった。

風の噂で江戸さんは
心の病を持っていると
聞いていたので
余計に距離感があった…

僕がプロデュースと
マネージメントをしていた
カステラと言うバンドは
一応ジャンル的には
パンクバンドだ。

ただ、全員早稲田の
学生だったので
高学歴知的パンクバンド?
と言われていた。

江戸アケミさんは
スターリンの遠藤ミチロウさんと
ほぼ同時期の
日本のパンクバンドの
草分けの方だ。

だから余計に驚いた記憶がある。

岡村さんの昔話で
まだ中学生の江戸さんと
自転車で下田の海を
見に行った話しを聞いた。

その頃から江戸さんは
とても繊細な人だったらしい。

都会の中で
音楽と戦い続けて
逝ってしまった人の墓は
四万十市にある。

怖がらず話せば良かった…

江戸さんを思い出すと
そう言う悔しい思いがある。

先輩…。
四万十にもんて来たけん
墓参りに行きますね。

岡村さんにお墓の場所を
教えて貰わないとな…。