平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さてこの度私CUROは「インディビジュアル・オフィス」を
設立する運びとなりました。
これもひとえに皆様の…って(笑)
でも実はこれは冗談でも洒落でもございませんでして…
実は既にインディビジュアル・オフィスは実在しております。
と言うかもう仕事も始めています。
ホンヤミカコさんの高知県立美術館ホール・コンサートの全制作は
実は「インディビジュアル・オフィス」の受け仕事です(笑)
大分前に高知のこのコンサートチケットの事をブログに書いて
チケットの版下を公開しました。
ああ、老眼には見えにくいなぁ…
このチケットの一番下の右端にしっかりと企画制作:インディビジュアル・オフィス
の文字があるんですね実は。
と言う事でこれは後追いの情報の公開です。
実は本当は今日、正確には7月2日になってしまったけれど
まぁ7月の1日付でこの情報と一緒に皆様にご報告するつもりで今迄引っ張っていました。
前フリ?はしていたので分かる人にはお分かりだったと思いますが
私、6月30日をもちましてお世話になった会社を退社致しました。
ん~っ普通は大決断でしょうね。
僕等の年で努めていた会社を退社する訳ですから…
でもまぁ僕はそう言う部分は少し人様と違った感覚を有しているので
余り感慨はありません。
そもそも「あれ?」と僕が思ったのが韓国から帰った当日。
都内に着いてからホンヤさんと打ち合わせをしている時に突然
「えっ?」と気が付きました。
詳細は割愛しますが僕がホンヤミカコさんのプロデュースを始めて丁度1年ですか。
そして僕は最初から彼女に「新しいアルバムを作りましょう!」と言い続けて来ました。
と言うか僕の出したプロデュースの条件?が
「アルバムアーティストのサイクルで活動する事」だったんです。
ホンヤミカコさんは今年でCDデビュー20周年です。
その間にオカリナの世界では女性としては第一人者に成長しました。
まぁオカリナ奏者としては「先生」クラスです。
でも僕は余りその辺の事には興味がありませんでした。
何故なら僕はシンガーソングライターとしてオカリナアーティストとして
ホンヤさんを世の中に送り出ました。
で勝手に冬眠と言うか引退というか要は彼女の視界から消えました。
今のホンヤさんのポジションは彼女が自分で勝ち取って来たものです。
その間、僕は一切彼女の力になってあげる事がありませんでした。
それが僕の中で「負い目」になっていたのは確かです。
縁あってもう一度彼女のプロデュースをする事になって
やっと新しいアルバムが出来る所まで来ました。
この間僕はいわゆる「ダブルワーカー」で、凄くハードな生活をしていました。
ホンヤさんの為に行う仕事の時間に制限がありました。
また僕自身も肉体的にもう無理かなぁ…
と言う所まで疲弊していました。
夜勤明けの思考力の低下は自分でも驚く程感じるようになっていました。
そして…あんまり給料は上がらないのに責任だけは増えると言う?
現代の労働者の典型みたいな環境にいました(笑)
でもそこには仲間やクライアントからの信頼関係があったので仕事は楽しかったです。
さて話を戻して韓国からの帰京日。
都内でのホンヤさんとの打ち合わせをしている時に
余りにも疲れきっている僕をホンヤさんは心配してくれてました。
でも彼女は最初から全面的なプロデュースを依頼してくれてたんですよ。
まぁ何となくホンヤさんから報酬を頂く事には抵抗があったし
自分もまぁ食って行けてたし…それよりも何よりももう一度
音楽業界で戦う?だけの自信もなかったんですよ。
でも凄く良いアルバムが出来て…
まさにこれをいつ売るの?「今でしょ!」とその時に気がついた訳です。
僕は短気な割には計画的?な人間なので確かに焦点を持って行動していました。
それが突然「ああ、今なんだ…」と気がついたんです。
そこに気がつくと僕は決断も行動も早いです。
翌日には職場の責任者に伝えて会社にも伝えてクライアントにも伝えました。
まさに晴天の霹靂な状況です。
なんせ韓国に行くまでは僕は7月から始まる新しい仕事の中心的な役目を
要求されていましたので。
まぁこれも急な退社の重要な要素だったんですが…
今ここで辞めないと仕事が動き始めたら抜けられなくなる。
と言う事も急な決断をした理由でした。
それと退社の1ヶ月前には会社に伝える契約なのでバタバタで動いたんです。
と言う事で昨夜からずっとレコードの版下デザインの入稿をしていました。
なんせこれが飯のタネなので早く製品化しないといけません(笑)
さて此処まで書いて来て、皆さんは読んで来てある疑問が浮かびますよね?
僕の行動や思考は…一家の大黒柱の行動じゃないですね(笑)
いつ言おうかとは思いましたが一度だけ言います。
つまり僕は一家の大黒柱じゃなくなっています。
はい、×がつきました(笑)
もうこの辺の事は言いたくないので言いませんがひとつだけ。
今年の春に息子も大学を終え就職しています。
つまり大きな人生の区切りと責任は果たしました。
まぁ残りは…好きな事をやって暮らそうか?と。
ただし、田んぼの松田からは「かまんがか?それで?」
と言う大人のご意見を頂きましたが(笑)
まぁ、かまんがやないか?
知っている人は分かるけど僕が普通に結婚して生活している事が
異常でしたしね(笑)
随分と前に同じく田んぼの橋田昭和と久し振りに電話した時に
「われ、まだ離婚はしてないがか?嫁さんもよう我慢すらぁねや(笑)」
とぬかしくさったので「×」と言ったら橋田は絶句していました(笑)
橋田は「老後の自分の為に音楽を残したい」と言う様な事を言って
俺に足を蹴り上げられています。
さあて…平和に暮らしていて、大人になった昔の友達を
音楽でひっぱり回しちゃろうか?と思っています。
どうせ俺の世間のイメージは「アウトロー」でしょうから(笑)
さてこの度私CUROは「インディビジュアル・オフィス」を
設立する運びとなりました。
これもひとえに皆様の…って(笑)
でも実はこれは冗談でも洒落でもございませんでして…
実は既にインディビジュアル・オフィスは実在しております。
と言うかもう仕事も始めています。
ホンヤミカコさんの高知県立美術館ホール・コンサートの全制作は
実は「インディビジュアル・オフィス」の受け仕事です(笑)
大分前に高知のこのコンサートチケットの事をブログに書いて
チケットの版下を公開しました。
ああ、老眼には見えにくいなぁ…
このチケットの一番下の右端にしっかりと企画制作:インディビジュアル・オフィス
の文字があるんですね実は。
と言う事でこれは後追いの情報の公開です。
実は本当は今日、正確には7月2日になってしまったけれど
まぁ7月の1日付でこの情報と一緒に皆様にご報告するつもりで今迄引っ張っていました。
前フリ?はしていたので分かる人にはお分かりだったと思いますが
私、6月30日をもちましてお世話になった会社を退社致しました。
ん~っ普通は大決断でしょうね。
僕等の年で努めていた会社を退社する訳ですから…
でもまぁ僕はそう言う部分は少し人様と違った感覚を有しているので
余り感慨はありません。
そもそも「あれ?」と僕が思ったのが韓国から帰った当日。
都内に着いてからホンヤさんと打ち合わせをしている時に突然
「えっ?」と気が付きました。
詳細は割愛しますが僕がホンヤミカコさんのプロデュースを始めて丁度1年ですか。
そして僕は最初から彼女に「新しいアルバムを作りましょう!」と言い続けて来ました。
と言うか僕の出したプロデュースの条件?が
「アルバムアーティストのサイクルで活動する事」だったんです。
ホンヤミカコさんは今年でCDデビュー20周年です。
その間にオカリナの世界では女性としては第一人者に成長しました。
まぁオカリナ奏者としては「先生」クラスです。
でも僕は余りその辺の事には興味がありませんでした。
何故なら僕はシンガーソングライターとしてオカリナアーティストとして
ホンヤさんを世の中に送り出ました。
で勝手に冬眠と言うか引退というか要は彼女の視界から消えました。
今のホンヤさんのポジションは彼女が自分で勝ち取って来たものです。
その間、僕は一切彼女の力になってあげる事がありませんでした。
それが僕の中で「負い目」になっていたのは確かです。
縁あってもう一度彼女のプロデュースをする事になって
やっと新しいアルバムが出来る所まで来ました。
この間僕はいわゆる「ダブルワーカー」で、凄くハードな生活をしていました。
ホンヤさんの為に行う仕事の時間に制限がありました。
また僕自身も肉体的にもう無理かなぁ…
と言う所まで疲弊していました。
夜勤明けの思考力の低下は自分でも驚く程感じるようになっていました。
そして…あんまり給料は上がらないのに責任だけは増えると言う?
現代の労働者の典型みたいな環境にいました(笑)
でもそこには仲間やクライアントからの信頼関係があったので仕事は楽しかったです。
さて話を戻して韓国からの帰京日。
都内でのホンヤさんとの打ち合わせをしている時に
余りにも疲れきっている僕をホンヤさんは心配してくれてました。
でも彼女は最初から全面的なプロデュースを依頼してくれてたんですよ。
まぁ何となくホンヤさんから報酬を頂く事には抵抗があったし
自分もまぁ食って行けてたし…それよりも何よりももう一度
音楽業界で戦う?だけの自信もなかったんですよ。
でも凄く良いアルバムが出来て…
まさにこれをいつ売るの?「今でしょ!」とその時に気がついた訳です。
僕は短気な割には計画的?な人間なので確かに焦点を持って行動していました。
それが突然「ああ、今なんだ…」と気がついたんです。
そこに気がつくと僕は決断も行動も早いです。
翌日には職場の責任者に伝えて会社にも伝えてクライアントにも伝えました。
まさに晴天の霹靂な状況です。
なんせ韓国に行くまでは僕は7月から始まる新しい仕事の中心的な役目を
要求されていましたので。
まぁこれも急な退社の重要な要素だったんですが…
今ここで辞めないと仕事が動き始めたら抜けられなくなる。
と言う事も急な決断をした理由でした。
それと退社の1ヶ月前には会社に伝える契約なのでバタバタで動いたんです。
と言う事で昨夜からずっとレコードの版下デザインの入稿をしていました。
なんせこれが飯のタネなので早く製品化しないといけません(笑)
さて此処まで書いて来て、皆さんは読んで来てある疑問が浮かびますよね?
僕の行動や思考は…一家の大黒柱の行動じゃないですね(笑)
いつ言おうかとは思いましたが一度だけ言います。
つまり僕は一家の大黒柱じゃなくなっています。
はい、×がつきました(笑)
もうこの辺の事は言いたくないので言いませんがひとつだけ。
今年の春に息子も大学を終え就職しています。
つまり大きな人生の区切りと責任は果たしました。
まぁ残りは…好きな事をやって暮らそうか?と。
ただし、田んぼの松田からは「かまんがか?それで?」
と言う大人のご意見を頂きましたが(笑)
まぁ、かまんがやないか?
知っている人は分かるけど僕が普通に結婚して生活している事が
異常でしたしね(笑)
随分と前に同じく田んぼの橋田昭和と久し振りに電話した時に
「われ、まだ離婚はしてないがか?嫁さんもよう我慢すらぁねや(笑)」
とぬかしくさったので「×」と言ったら橋田は絶句していました(笑)
橋田は「老後の自分の為に音楽を残したい」と言う様な事を言って
俺に足を蹴り上げられています。
さあて…平和に暮らしていて、大人になった昔の友達を
音楽でひっぱり回しちゃろうか?と思っています。
どうせ俺の世間のイメージは「アウトロー」でしょうから(笑)