新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

核保有大国のトップに世界観が欠如している悲劇

2022年03月30日 11時57分42秒 | 戦争と歴史

昔の帝国陸軍が外地で敗戦濃厚となり「撤退」したことについての大本営発表は、「転進」だった。
 
最近似たような話が、ウクライナで起きているらしく、ロシア軍がウクライナ首都キエフを攻めきれず撤退したらしいのだが、「本当の撤退ではなく(部隊の)再配置だ」と米国防総省の見立てがあった。
 
しかし、傍目からは、「プーチン大統領は大誤算…米英最強「特殊部隊」がウクライナ侵攻前から現地潜入し暗躍」ということらしい。
 


 
それにしても日本国内では相変わらず「戦争反対」と意思表示することは問題ないのだが、戦争を仕掛け侵略したロシアのプーチンが「絶対悪」という見方が主流である。
 
しかしいざ戦争状態になれば明らかに戦場では「殺し合い」になることは歴然としている。


 
今まで幾度となくウクライナ問題は「米露間の問題」と言ってきたが、その米国内でも米国のやり方に疑問を持つ少数意見が健在であると、このブログ主は豊富な海外メディア資料をもとに、こう論じていた。
 
アメリカでは少数意見が生きている - 保守派の賢者で功臣のG.ケナンの警告
       
前回、内田樹と平野啓一郞を批判した。大勢順応と付和雷同と阿世保身としか言いようがなく、残念であり、日本の知的レベルの低さの証左だ。内田樹の23日のAERA寄稿でも、「『ウクライナ政府はネオナチに支配されている』というプロパガンダを信じるのは情報統制下にあるロシア国民だけだろう」と書いていて、ウクライナの政権がネオナチに支配されている事実を否定している。マスコミのCIA御用論者や松原耕二と同じ見方をしていて、それを「陰謀論」として排斥する立場に立っている。
ウクライナがネオナチの巣窟になっていること、極右民族主義が復古台頭してテロを行っていること、彼らがウクライナの政権と軍部を壟断していること、そのバックにCIAがいて資金と謀略工作の支援をしていること、これらのことは、侵攻前までは世界のリベラルの中で一般常識であり共通認識だった。決して「プロパガンダ」などという範疇で括られる事柄ではなく、ロシア国民だけが認識している事実でもなかった。内田樹は、本気でそれを虚妄な政治宣伝だと信じて切り捨てているのだろうか。
日本の言論はまともなものが何一つない。知性のレベルを証するものがない。商売の動機から阿諛追従と思考停止で済ましているものばかりだ。今回の危機と侵攻が始まって以来、私の目に止まって膝を打ったのは、元外交官の浅井基文の議論だけだ。3月6日のコラムでは、侵攻に至った経緯と構図を客観的に整理し考察した上で次のように結論している。これぞ知識人の言葉だろうし、われわれに求められている正しい態度だろう。
私たちとしては、西側論調に振り回されることなく、ロシアがウクライナ軍事侵攻を余儀なくされた原因をしっかり見て取ることが求められる。ロシアの安全保障環境を際限なく損なおうとする西側、特にアメリカの「東方拡大」戦略にあることを見極めなければならない。(略)ロシア糾弾に終始するのは本末転倒であり、私たちは何よりもまず、ウクライナをNATOに加盟させてロシアの息の根を止めようとするアメリカの戦略的貪欲さを徹底的に批判することが求められている。
一方、海外に目を向けると、少数派から少なからず真摯な言論が行われている状況が見える。日本とは様相が異なる。米ジャーナリストのララ・ローガンは、テレビ番組に出演して以下のように論じていた。当を得た論陣であり、勇気がある態度だ。テレビでこの発言を真正面からできるところが日本とは違う。

私たち西側のメディアは、起こっていることの現実を認めていない。西ウクライナは、そもそも第2次世界大戦においてナチスを支援したのであり、ナチスの本部だったのです。実際CIAとアレン・ダラスはウクライナのナチスに対し、ニュルンベルク裁判において起訴に関する免責を与えました。
このように、ウクライナ内部のナチスに資金提供し武装化させている米国と米国諜報機関の長い歴史があるのです。これらは、新しく生まれたネオナチ・グループではないのです。これらは、第二次世界大戦からの正真正銘のナチスなのです。ですから、2013年、2014年に起きたウクライナのカラー革命をCIAが支援していたことを知ったとき、おかしいと思わなければならないのです。
彼らがウクライナの指導者を決定させたのです。ヴィクトリア・ヌーランドと米国大使による電話会議で、誰がウクライナを率いるかを決定したのです。 (略)人々は、歴史を知らなさすぎます。私は、プーチン擁護者ではありません。そんなことをする必要などありません。ジャーナリストとして、何が真実であるかを理解しようとしているのです。

シカゴ大学のジョン・ミアシャイマーも、少数派の立場から活発に議論している一人で、エコノミスト誌に3月17日に寄稿した『なぜ西側がウクライナの危機に責任があるのか』が話題になっている。講演を撮った動画は現時点で2350万回も再生されている。その発言の中で重要なのは、今回の戦争の責任が欧米にあると堂々と指摘している点だ。

欧米では、プーチンは旧ソ連のような大ロシアを作ろうとする非合理的で常識はずれの侵略者だという見方が主流である。したがって、ウクライナ危機の全責任は彼一人にあるとされている。しかし、それは間違いである。2014年2月に始まったこの危機の主な責任は、欧米、とりわけアメリカにある。
ウクライナをめぐるトラブルは、実は2008年4月のNATOのブカレスト首脳会議で、ジョージ・W・ブッシュ政権が同盟に働きかけ、ウクライナとグルジアを『加盟させる』と発表したことが発端だった。ロシアの指導者たちは、この決定をロシアの存亡にかかわる脅威とみなし、即座に反発し、阻止することを誓った。
英国の学者のマーティン・ジャックも、ミアシャイマーと同じ意見を述べている。米欧がロシアを冷戦の「敗戦国」として卑しめ、不当に扱ったことが、今回の戦争の原因となったと喝破している。海外では、こうして著名な論者が少数派としてマスコミに登場し、正論を述べて公共空間の議論を起こしている。日本にはそれがない。逆に、ほんの6年前、辺野古に来て基地反対派を支援したオリバー・ストーンを喝采し、感謝感激していた左翼リベラルが、今は掌を返して憎悪の唾を吐き、「陰謀論者」だと糾弾して袋叩きしている。
ミアシャイマー的な認識と主張が、潜勢的にせよ、アメリカ国内で多少の支持があるのは、その立論の根拠として、ジョージ・ケナンの存在があり、ケナンが晩年に発していた古典的言説の余韻があるからだろうと私は想像する。ケナンの意義と影響は大きい。現代アメリカの安保外交の神殿に祀られる主神そのもの。ケナンへの畏敬はアメリカ人なら誰もが共通するところに違いない。ソ連封じ込め策を提唱し、冷戦の戦略を設計・指導したケナン。アメリカに勝利と繁栄をもたらした帝国の恩人。
そのケナンが、1997年、ニューヨークタイムズに寄稿し、NATOの東方拡大を「冷戦終結後の米国の政策の中で最も致命的な誤り」だと批判、警告を発して撤回を進言していた。ロシアの反発を招き、米欧の平和と安全のリスクになると予言していた。クリントン時代のことで、当時はまだ米ロは蜜月下にあり、99年にポーランド・チェコ・ハンガリーの3か国が旧共産圏国として最初に加盟する前の提言である。実に慧眼としか言いようがない。さすがインテリ。93歳の老体で渾身の諫言を発していた。
25年前のケナンの予言が的中した世界となった。ケナンの言に従えば、戦争の原因がアメリカにあることは否定できない。直接の責任者はプーチンだが、戦争の遠因と構図を作り、戦争に追い込んだ責任者はアメリカである。アメリカの外交の失敗の結果だ。アメリカに唯一の超大国の地位をもたらした賢者で老臣のケナンの忠告に従い、NATO東方拡大は断念すべきだった。私見を言えば、ポーランド、チェコ、ハンガリー、そして、スロバキア、スロベニア、クロアチアまでは目を瞑れる。が、そこで東方拡大は中止すべきだった。
キッシンジャーがウクライナを緩衝地帯にすべきと唱えたのも、故岡本行夫がバルト3国へのNATO基地設置に反対していたのも、下敷きとして、保守で現実主義者の先哲ケナンの警告があったからだろう。高齢で老練の元外交官ほどその立ち位置に準拠する慎重派が多く、ケナンの影響力の大きさに感じ入る。ケナンは保守派国際政治学の教科書だった。私は、フィンランド、バルト3国、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ブルガリアと、縦に長く緩衝ベルトを置くべきだという持論である。ケナンに従えば、これが現実主義の対ロシア外交策に他ならない。
ロシアを敵とする神聖軍事同盟のNATOを存続させるなら、この南北緩衝ベルトを永久固定させるべきで、それができないなら、NATOを解散するか、NATOにロシアを入れるべきである。ケナンはこの案に賛成してくれるだろう。結局、ケナンの懸念どおり、欧州の平和は破れて大きな戦争が勃発した。「米国の政策の中で最も致命的な誤り」が、25年後に形となって表れた。矛盾が噴出した。冷戦の頃というのは、東西・米ソは厳しく対立していたけれど、戦争の危機に対して当事者に緊張感があり、為政者に責任感があった。今はそれが消えてない。


 
冷戦時代と比べればはるかに大量の核兵器が米露に存在し、一触即発となり核兵器が使用されればもはや地球レベルの悲劇が待っていることは言うまでもない。
 
したがってこの21世紀の大国間の紛争では、より強い「戦争の危機」に対する当事者の緊張感と責任感が問われるのだが、残念ながら両大国のリーダーが次期大統領選挙での勝利という己の保身に走る「小粒」な政治屋に成り下がってしまったことが、最大の悲劇かもしれない、とオジサンは思う。  
 

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