「陰謀論者と侮辱され、終末論者と罵倒されながら」今回の「ウクライナ問題」について、
大きな戦争というのは必ずイデオロギーの戦いがある。今回もそうだ。プーチンの言う「ウクライナの非ナチ化」の問題を、無視したり安易に否定することはできない。欧州のネオナチも、日本の靖国・日本会議も、戦後世界の平和秩序の根幹をなす反ファシズムの思想(歴史認識)を否定し転覆する勢力だ。
— 世に倦む日日 (@yoniumuhibi) March 11, 2022
と言っている筆者が、今までの米国の仕掛けた侵略戦争の戦争犯罪を改めて非難していた。
「なぜ米国の侵略戦争だけが正義で、米国の戦争犯罪だけが不問で免責なのか」
オリバー・ストーン作の『ウクライナ・オン・ファイヤー』は、Youtube もニコ動も、アップロードした動画が次々と消されている。削除され制限をかけられつつ、新規にアップロードが続き、それをまたアドミニが封殺するといういたちごっこが続いている。作品が世間の目に触れ評判が広まると、ウクライナの真実が透視され、この戦争の意味の理解と洞察が進んでしまう。そうなると具合が悪いため、西側当局は必死になって検閲をかけ、視聴されないよう権力的物理的に遮断・妨害しているのだ。 まさに言論・表現の自由の規制である。このことは、逆に、オリバー・ストーンの分析と解説が当を得ていて、正確で秀逸で説得力があることを証明するものだ。弾圧に怒ったオリバー・ストーンは著作権を放棄し、Rumble から自由にダウンロードできるようにしたらしい。プーチンを悪魔視してロシアを全否定し、世論の全体をゼレンスキー支持とウクライナ応援の一色に塗り潰すためには、この作品の存在は都合が悪いのだ。閲覧禁止にしないと、西側の戦争遂行の空気作りの上で邪魔になるのである。 われわれは、欧州から遠く離れた東アジアの市民なのだけれど、この戦争に参加させられていて、ウクライナ陣営に属する国家の国民として援護することを半ば義務づけられている環境に気づく。テレビは毎日欧米側のプロパガンダを流し、鬼畜ロシアを叩いて視聴者にプーチンへの憎悪を増幅させ、打倒ロシアの感情を燃えたぎらせている。まさにオーウェルの『1984年』の世界だ。オリバー・ストーンの動画をネットで細々と案内・推奨し、理性と知性のバランスに拘る者は、陰謀論者のレッテルを貼られて袋叩きされ排除される。 日本は憲法9条の国で、非武装中立を原則とする国ではなかったのか、と、か細く孤独な心境で想う。国際社会で紛争が起きたとき、どちらの側にも与せず、中立の立場で間に入り、戦争で血を流すのはよくないから話し合いで解決しようと促し、お金で解決できるのならウチが少し出すからと言い、善意の第三者として平和の方向に周旋し努力するのが、日本の国是と方針ではなかったのか。それが平和国家日本の哲学ではなかったのか。なぜ一方の当事者に加勢して一緒に戦争しているのか。 ずっと昔、中学生の頃、ウィングスの『アイルランドに平和を』をラジオでよく聴いた。ポールの名曲で、ヒットチャートでも1位になり、今でもカラオケで歌える。北アイルランド紛争が激化する折、この曲は、北アイルランドをアイルランド共和国に返還せよという過激で直截なメッセージを発していて、英国では放送禁止処分となっていた。日本では大ヒット。子どもながら、これが憲法9条の中立だなあと思い、日本を誇らしく感じたものだ。半世紀前の思い出だが、私の信念の中で理想とする日本はそのまま変わらない。 Great Britain and all the people Say the people must be free Meanwhile back in Ireland There's man who looks like me ポールは歌詞の一節でこう言っていて、英国と英国政府に追随する一般の欺瞞と二重基準を告発している。meanwhile の単語はここで覚えた。ポールらしい純朴な訴えが胸に響く。 子どもと妊婦のいる病院が爆撃された。死傷者が出た。何の罪もない民間人が殺されている。大量殺戮だ。戦争犯罪だ。そうだ、そのとおりだ。プーチンの責任を問うて弾劾しないといけない。だが、同じことをアメリカはどれだけやってきただろう。どれだけ子どもや民間人を残虐に大量に殺戮し、知らん顔をして責任逃れしてきただろう。アフガンで病院を空爆して犠牲者を出したとき、そこにテロリストが潜んでいるという情報を得ていたからだと、恥ずべき言い訳をして無差別攻撃を正当化したのは米軍ではなかったか。 日本人は、なぜその事実を対置しないのだろう。ファルージャの市街戦では2080人の死者が出ていて、市内の人口の3分の1が米軍の総攻撃で殺害された。あのとき、米軍はファルージャを包囲し、市内から脱出しようとする民間人を封鎖線から市内へと追い返した。無差別に、誰一人容赦なく攻撃と殺害の対象にした。ファルージャ市民全てを「テロリスト」にして砲弾と銃撃を浴びせた。そのことを、御用専門家は日本のテレビで悪びれず堂々と語っていた。ABCニュースのジョージ・ステファノプロスは、現地から(だったと記憶するが)、ファルージャを「悪魔の巣」と呼んでいた。 ロシアは安保理常任理事国で、その拒否権を使って何でも国際法違反を押し通せる。これでは国連は機能せず、国連は大国による「力による現状変更」を阻止できない。そのとおりだ。その批判に異論はない。だが、それは、アフガン戦争とイラク戦争がまさに同じだったではないか。イスラエルのガザ侵攻と虐殺を擁護し免責したアメリカの国連外交がそうではないか。なぜ、それは問題視されず、無視され黙認され正当化されたままなのか。「力による現状変更」をこれまで数限りなく行ってきたのは誰なのか。アメリカではないか。侵略戦争しても民間人虐殺を重ねても、アメリカだけは常に不問にされる道理は何なのか。 国連発表の数字によると、この侵攻でのウクライナの民間人死者は8日までの2週間で516人である。1日平均37人。イラク戦争のとき、3月20日の侵攻から4月19日の1か月間で、多国籍軍は1652人の民間人を犠牲にした(最大1939人)。1日平均55人。イラク戦争のときの方が数が多く、アメリカの方が多く民間人を殺している。米軍は高性能の誘導ミサイルを多く持っていて、ピンポイント爆撃を自慢するが、イラク侵攻時の米軍攻撃による1日当たりの民間人犠牲者の方が、今回のロシア軍によるそれよりも多いのである。今回、ロシアはキエフ空爆を手控えた。 侵略戦争の定石であり、米軍は必ず作戦の工程表として実行するところの、初期大規模空爆の波状攻撃をキエフに対して行わなかった。理由はさまざま言われていて、小泉悠は、ロシア軍にとって精密誘導弾の装備は高価で、米軍のように大量に無造作に使用消費できない台所事情によると説明している。私は、プーチンがキエフ市民の流血に躊躇し、国内外の世論を配慮したからだろうと推測する。空爆をすれば民間人の死傷者は大量に出る。いずれにせよ、イラク戦争のときのアメリカの方が民間人を大量に殺している。だが、われわれのマスコミ報道は、19年前、空爆の下で殺される無名の民間人には全く無頓着だった。 ファルージャの身の毛もよだつ大虐殺についても、何の責任追及もされず、まともに事件検証されていない。ブッシュとラムズフェルトの戦争責任は沙汰なしで済まされた。米軍は最初からイラクでクラスター爆弾を使った。劣化ウラン弾も使用した。アフガンの作戦ではMOAB(大規模爆風爆弾)も投下した。イスラエルのガザ侵攻では白リン弾が民間人に向けて発射されている。これらの非道について、日本のマスコミではベタ記事以下の扱いで、何の非難も憤慨も発せられなかった。どうしてこれほど今回と違うのだろう。なぜアメリカの非人道兵器使用は素通りされ、ロシアのそれには怒りが沸騰するのか。 世界各地でロシアを糾弾する市民のデモが続いている。あのときも、19年前も空前のデモが世界中で発生して怒濤の渦となった。日本でも久しぶりに大型の市民の反戦集会が開かれ、日比谷公園だったと思うが私も参加したことを覚えている。世界で起きたデモは今回よりもずっと規模が大きく、反対のエネルギーも強く激しかった。ロンドンでは100万人が集結した。NYでも50万人の巨大デモが実現した。ベトナム戦争以来の盛り上がりだった。私は毎日世界のデモの様子をネットで追跡し、気分を高揚させていた。 が、あれほど多くの市民が声を上げたのに、アメリカの侵略戦争を止めることはできなかった。アメリカ政府とブッシュ政権は微動だにせず、平然とイラクで無辜の民を虐殺しまくり、8年間に及んだ戦争の犠牲者数は50万人と推計されている。ブッシュとラムズフェルドを国際司法裁判所に、などという動きは寸毫も起きなかった。アメリカはイラクを制圧し、図に乗ってリビアとシリアを攻撃し、CIAの手でカダフィを惨殺した。アラブの春に便乗してアメリカがリビアとシリアに手を出した頃は、もう誰もその侵略に反対する者はおらず、西側のマスコミはCIA報道部に変わっていた。 自由と民主主義と法の支配の普遍的価値がどうのと、金科玉条のフレーズが振り回され喧しく連呼される時代に入り、力による現状変更がどうのと、中国とロシアを悪罵し排斥するナラティブが定着し、刷り込みの連続でセメント化し、言語と思考が薄くなる『1984年』の世界になった。今はまさに戦前から戦中に移行する局面だ。私は年をとって甲羅がぶ厚くなり、人生も終盤に近づいた所為か、ウクライナの戦禍の映像を見てもあまり心を動かさない。間もなく日本も同じ戦場になると予想しているからだ。 ずっとそう言ってきたからだ。荒れ野のヨハネのように。陰謀論者と侮辱され、終末論者と罵倒されながら、審判の日が来ると言ってきたからだ。丸山真男は「戦争は一人の人間がボタン一つ押すことで一瞬にし て起こせる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」と言った。倫理が崩壊して、誰も平和の努力をしなくなったとき、戦争は起こる。 |
ウクライナ・オン・ファイヤー 日本語字幕
この「世に倦む日日」の指摘内容は決して陰謀論などではなく、国内ではまだ「ロシア・プーチン憎し」一辺倒なのだが、海外メディアではこんな見方も出ている。
「これはアメリカが引き起こした危機 『プーチンは犠牲者だ』世界には親ロシア目線でウクライナ侵攻を報じる国がこれほどある」
アメリカの「皮肉で偽善的な涙」 西側諸国も戦争を引き起こしてきたじゃないか。それなのに戦場がヨーロッパになった途端、まるでかつてない大事(おおごと)が起きたように騒ぐなんて、どこかおかしいのではないか──そんな違和感を覚えている国もあるようだ。「西側諸国のダブルスタンダードに対する批判は、ロシア同盟国の国営メディアだけにとどまらない」と英紙「ガーディアン」は報じる。 南アフリカの日刊紙「メール&ガーディアン」のオピニオン記事は、この紛争を「矛盾に満ちている」とした。ウクライナで起きている戦争を「ヨーロッパ以外で起きている紛争よりも酷いもの」として扱っているように感じられる西側メディアの報道、そして政府の反応を批判しているのだ。 「ロシアの介入によるウクライナに対する暴力と人命の損失を嘆きながらも……一歩下がって、世界の他の国々がこの紛争をどう受け止めているかを見ることには価値があるだろう」 ナイジェリアの「ガーディアン」紙の見出しには「支配への恐れ、潜在的な敵がロシアによる侵攻に拍車をかけた」とあった。ヨーロッパにおけるNATOの拡張政策が、今回の侵略が起きた原因の一つであるとの見方が、広く浸透していることが反映されている。 そしてキエフで現地を取材しているブラジル人ジャーナリストのヤン・ボエチャットは、アメリカのブリンケン国務長官がウクライナ紛争の犠牲者のために流す「皮肉で偽善的な涙」に失笑を禁じえないようだ。米軍がイラクで引き起こした殺戮について言及しながら、次のようにツイッターで語っている。 「オバマ政権下のアメリカは、プーチンと同じように残酷なことをモスルで行った。死者を悼む人は誰もいなかった。米軍の戦闘機がひとり残さず殺したからだ」 イラク戦争から6ヵ月後、荒廃したモスルを取材した際、被害者の遺体でつまずいたことを思い出すと彼は言う。そしてこう締めくくった。 「残酷さ、野蛮さ、不正な行為は残念ながら、プーチンとロシア人だけによるものではない」 「戦争の犠牲者たちが弔われるかは、加害者が何者であるかによって決まる。だが彼らはみんな、犠牲者なのだ。ウクライナ人、イラク人、シリア人、アフガニスタン人。一般市民たちはみんな、犠牲者だ」 |
◆ベネズエラの評論家、アルベルト・アランギベルは、プーチンによる侵攻を「必要な戦争だった」
◆中国人学者の王朔(ワン・シュオ)は、今回の出来事は「アメリカが作り出した危機」
◆メキシコ紙「ラ・ホルナダ」の論説委員
「ウクライナ侵攻の唯一の原因がプーチンの『野心と邪悪さ』であるという幻想を捨て、NATOによる東側諸国に対する威圧がいかに災いへの道を開いたか、この『厳しい真実』に直面する時が来た」
◆南アフリカの主要な新聞である「デイリー・マーベリック」
「ウクライナ侵攻に対する西側の対応は偽善的だったか? 紛れもなくイエスだ」
◆ベネズエラメディア「テレスール」のマドレーヌ・ガルシア記者
「いつになったら、アメリカの罪と侵略行為に制裁が下るのだろう?」
◆キューバ共産党の機関紙「グランマ」
「ヤンキー帝国による無慈悲なキャンペーン」「紛争そのものはモスクワとキエフの「不和」にすぎない」
日本からはるか離れた国で起きている惨劇を我々日本人は安全な茶の間で「テレビ観戦」しているかもしれない。
テレビ画像は見る者にあたかもすべてが「事実」のように映し出される。
ロシアとウクライナ政府間の「情報戦」とも指摘されており、なかなか国内ではその「真実」が伝わらないかもしれない。
そんなときは、日本の官民問わずテレビニュースから少し距離を置いて海外のニュース記事にも目を配ることが目前の事実の裏側を知る機会になるのではないだろうか、とオジサンは思う。
★学生時代によく聞いたこの曲を最近は思い出して聴いている。
ピーター・ポール&マリー(PPM) -悲惨な戦争(The Cruel War)-
【歌えるオールディーズ 1】 悲惨な戦争 (ピーター・ポール&マリー)