猫のCOCOとヒゲじいさんのなっからさくい生活

なっからさくいは「めっちゃ気軽な」って感じ、ちっとんばいデブなシャム系猫といい歳こいたじいさんの自楽な生活記録です

小さな川の小さな堰、馬場川が風呂川から分かれているのは前橋るなぱあくの県道の向かいの路地の脇…

2023-06-22 07:27:38 | なっからさくい生活

広瀬川の十六本堰、広瀬川から端気川を分水するための分水堰です。水門は広瀬川側だけ、水位観測装置によって自動的に制御される水門です。下流の農地は田植えの最盛期を迎えています。広瀬川も端気川も満水状態になっています。


堰の端気川側には、余水吐きがあります。水位は堰堤の天端いっぱいになっています。余分に分水された水はこの堰堤を越えて向こう側の暗渠に落ち、水門下流の広瀬川に放水される仕掛けになっています。農業用水の役割を担う前橋の川にはいろんな堰が見られます。

 

 
ちょいと出かけたついでに「前橋るなぱあく」北側の風呂川を覗いたら、満水状態、いっぱいの水が流れていました。ここで働いていた18年前のことです、風呂川が右に曲がっているあたりで、カラスの幼鳥が水に落ちて溺れかけているのを見っけて、熊手を使って助けたことを思い出していました。まだ飛ぶことのできない幼鳥でした。

 川沿いの木の巣から落ちたみたいでした。たまたま私に会いに来ていた友人のМさん、「オレんちで面倒見てやるよ」って連れ帰ってくれました。宮城村で養豚業を営んでいる友人でした。後日、無事に飛び立っていったって知らせが届きました。

 風呂川は、るなぱあくの外周から県道の下をくぐって向かいの大正用水の事務所脇へ流れて行きます。川の流れている土塁の下、現在は駐車場に使われているところに、昔は「上毛撚糸」のノコギリ屋根の工場がありました。

 


県道を潜り抜けた風呂川は大正用水の事務所と社会文化会館の間の道沿いを流れています。この先に風呂川から馬場川を分ける分水堰があります。右側の塀越し見える背中姿の銅像は、大正用水の初代理事長で県議会議員をしていた高橋義助(よしすけ)さんです。伊勢崎の国定の人でした。

 
ここには水門が二つあります。一つは旧知事公舎跡(現るなぱあく臨時駐車場)の脇を流れる水路の水門、風呂川の水路の右側に取り付けられています。こちらの水門は全開放していました。

 
もう一つの水門は、風呂川の真っすぐ方向にあります。こちらの水門は下がっていて、下部が少しだけ開けられています。水は水門の下の隙間を潜り抜けて勢いよく下流へ流れ出しています。こちら側の水門で水量の調整をしています。この水門が、馬場川の始まりなんです。


右方向に曲がって前橋公園方向へ流れているのが風呂川の本川です。ここから風呂川は前橋公園の広場を巡り、前橋地方裁判所の堀を流れ、前橋市役所脇に向かいます。


こっちが馬場川、大きな木が見えているのは前橋の戦災復興の先頭に立った故関口志行さんの旧宅です。「あたしが嫁に来た頃はさ、朝の3時になると人が来て水門の操作をしてくんだいね、うるさくて、目が覚めちまって、父ちゃんが怒り出しちゃたりして…」、水門近くに住んでいる女性の話です。たまたま出会ったので昔のことをお聞きすることができました。私とほぼ同じ年頃の方でした。


「それにさ、こっちもにぎやかだったいね。今はたまにしか人がいないから静かなもんだ…」。社会党支部や労生協が入っていた建物です。社会福祉法人青風舎を立ち上げた友人の大河原宏さんも、若い頃にここで働いてたんだいね、先立って逝っちまったけど…。

 


関口志行さんは前橋市の初代公選市長、「雨亭」と名乗った俳人でした。当時のお宅の庭には馬場川の水を引き込んだ池があって、時々遊ばせてもらっていたんです。関口さん旧宅の下流の馬場川にはもう一つ分水があります。

 
日本キリスト教団前橋教会の南側、青く塗られた水門が2基見えます。正面の水門は閉じています。左側の水門が開いていて馬場川の流水の全量がそちらへ流されています。正面の水門の先は暗渠で、何処につながっているのか分かりません。それに、この水門が上がっているのを見た記憶もないです。水門の先の馬場川の行く先に前橋ハリストス正教会の礼拝堂が見えています。

 

 <前の晩に叱ったんで、昨日のヒゲは真面目に暮らしてました。変なことは何もしなかったですよ>

 
<昼食も、玉子納豆と海苔の冷掛けうどん作って食べて、オレのおやつすませてから、アンズのコンポートとアイスクリームを食べていたいね。きちんと暮らしてないと痛い目に合うから気を付けないと…>

 


馬場川は街の中を抜けて三河町へ流れてきます。帰りに川沿いの道を通ったら、「第一舟橋」と勝手に命名した橋に係留された舟の上にカルガモが休んでいました。


二羽のカルガモが休む古びた舟には、草が生えてきていました。この先、国道50号を潜り抜けた松竹院裏にも馬場川の分水堰があります。


それからスイカズラの甘い香りに出会って帰って来ました。

 

 
夕食は黒豚のバラ肉の冷しゃぶ。タレはうわじま麦味噌を使ったゴマダレです。ブロッコリーのスプラウトを添えました。小鉢は、冷ややっこと沖縄風の人参しりしりです。汁は青さ海苔とネギでした。

 ユキ子さんの両親へも同じメニューを器に盛り付けてお届けです。

今日は馬場川の下流の方へ行ってみましょうか。雨が降り出しそうな空模様です。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。           

1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会、毎年春に公演会を開催しまいりまして本年4月の公演で79回目を迎えることができました。そして、7月24日には浴衣ざらい(会場:昌賢学園前橋ホール)を開催いたします。また、来春4月7日には第80回美登利会公演を予定しております。会員一同これからも精進を重ねてまいりますので、あい変わりませず宜しくお願い申し上げます。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください

第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい

 


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2 コメント

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Unknown (SIN)
2023-06-22 22:25:11
関口志行市長は、お名前だけは存じていたのですが、自宅のお庭で子を遊ばせるなど、随分気さくなお人柄だったのですね。

役についておられる方は、何かと近づきにくい雰囲気がありますが。

確か、前橋駅前のケヤキ並木などを整備されるなど、戦後の復興事業に尽力される中、市民から「他に先にやることがあるだろう」といわれながらも事業をやり遂げたと、子供のころ「前橋の歴史」という漫画で読みました。

あと、おひげ様、梅雨寒など天候の変動が激しいですから、どうかご自愛ください。ブログを読んで少し心配になりました。
関口志行さん (ヒゲクマ)
2023-06-23 08:57:30
SINさん、
市長時代の関口志行さんの姿で一番よく記憶に残っているのは、ご自宅の洋館でどなたかを相手に碁打ちをしている姿です。時折笑い声が聞こえて。幸の池脇にある顕彰碑には碁盤が据えられています。それから、臨江閣の車寄せの植え込みの中に小さな句碑があります。
 世念を 捨しに非ず 竹植うる
「国会議員やった、市長やったからって、特別じゃあないんさ。世間の俗っぽい考えを捨てられないままに生きてきたんだよ。 みんなと同じなんだいね。ただ曲がったことが大嫌いでさ、竹みたいに真っ直ぐに生きようと努めてきたんさね」なんてことみたいです。戦災復興事業の技術者確保のため前橋工業短大(現前工大)を設立したときに、時の文部大臣の天野貞祐に「空襲でやられた貧乏市に大学なんか作れない」と言われて猛反発した逸話が残っています。
ご心配かけますが、あんじゃあないです。

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