気ままにサッカー日記とかやっていながら、
なぜ卓球?と思われる方もいらっしゃるであろう。
カミングアウトすると、
小学4年生から卓球をはじめて、
高校の3年間に至るまでの9年、
どっぷり卓球部だった。
朝から晩まで走って、筋トレして、
ボールを追っかけて試合に勝つことばかり
練習してたが、スポーツにおける頭が悪くて
そのうえ、応用力がなかったものだから
(平たく言えば、才能がなかった)
人はまとめるものの中途半端にしか
試合で活躍出来ない人だったように思う。
いつも副部長とかやってたっけ。
周りはオリンピックに行くような選手も後輩に
何人かいるような環境だったから、
余計に勝てないストレスはコンプレックスとして
強かった。
緊張から解放されて、
半分冷やかしで誘われた大学の卓球部は
レベルもそんなに高くなくて、
気も楽だったせいか、割と楽しめたが
その頃は、もうマラソン競技に取り付かれていて、
卓球はほとんど熱が冷めていた。
(とかいいながら、大学の間ほとんど
かけもち部員だったんだけど。)
で、卒業して又何年かブランクがあって
30になってから、5~6年、
某埼玉のある市の卓球連盟とかに
縁あって所属させてもらうことがあり
そこで今さらだが、競技の卓球の面白さを
再認識して、いろいろな人に教えてもらい
ある程度リハビリするところまでいったのだが、
仕事との折り合いや、その土地を離れることになった
関係で、またここ数年やる機会を失っている。
考えてみると40年くらいの人生のうち
卓球やってる時間が20年近くになる。
この競技になかなか勝てないことで
僕はいろいろなことを学んだ。
向き不向きや限界まで努力することや
工夫することは尽きないことや、
やってもやっても上がいることや。
また、スポーツはやることはとても楽しい
けれど、勝ちたいと思わなくなったら
やっぱり伸びないのだということや
もうさまざまな、未だ、答えの分からない
ことも含め僕の中の大きなブラックボックスを
この競技は育んできた。
たぶん今後も、また競技としての卓球に
どこかで興味を持つのかもしれないが、
また勝てないことで何かを教わるのかもしれない。
僕にとって
そんな熱くて苦い想いが卓球には付きまとう。
なぜ卓球?と思われる方もいらっしゃるであろう。
カミングアウトすると、
小学4年生から卓球をはじめて、
高校の3年間に至るまでの9年、
どっぷり卓球部だった。
朝から晩まで走って、筋トレして、
ボールを追っかけて試合に勝つことばかり
練習してたが、スポーツにおける頭が悪くて
そのうえ、応用力がなかったものだから
(平たく言えば、才能がなかった)
人はまとめるものの中途半端にしか
試合で活躍出来ない人だったように思う。
いつも副部長とかやってたっけ。
周りはオリンピックに行くような選手も後輩に
何人かいるような環境だったから、
余計に勝てないストレスはコンプレックスとして
強かった。
緊張から解放されて、
半分冷やかしで誘われた大学の卓球部は
レベルもそんなに高くなくて、
気も楽だったせいか、割と楽しめたが
その頃は、もうマラソン競技に取り付かれていて、
卓球はほとんど熱が冷めていた。
(とかいいながら、大学の間ほとんど
かけもち部員だったんだけど。)
で、卒業して又何年かブランクがあって
30になってから、5~6年、
某埼玉のある市の卓球連盟とかに
縁あって所属させてもらうことがあり
そこで今さらだが、競技の卓球の面白さを
再認識して、いろいろな人に教えてもらい
ある程度リハビリするところまでいったのだが、
仕事との折り合いや、その土地を離れることになった
関係で、またここ数年やる機会を失っている。
考えてみると40年くらいの人生のうち
卓球やってる時間が20年近くになる。
この競技になかなか勝てないことで
僕はいろいろなことを学んだ。
向き不向きや限界まで努力することや
工夫することは尽きないことや、
やってもやっても上がいることや。
また、スポーツはやることはとても楽しい
けれど、勝ちたいと思わなくなったら
やっぱり伸びないのだということや
もうさまざまな、未だ、答えの分からない
ことも含め僕の中の大きなブラックボックスを
この競技は育んできた。
たぶん今後も、また競技としての卓球に
どこかで興味を持つのかもしれないが、
また勝てないことで何かを教わるのかもしれない。
僕にとって
そんな熱くて苦い想いが卓球には付きまとう。