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回り道を全力疾走

意識レベルの低さ

2009-12-13 22:35:27 | 未分類
よく、僕らはこういった言葉を使います。

『ターゲットは、意識の高い学生でいこう』
とか
『こういったイベントには意識の高い人しか興味をもたないよ』
とか

きっと、企画する側は所謂上から目線というフィルターで考えているのでしょう?

上から目線と客観視の違いは?


上から目線は主観が入っている?


では客観視は主観は入っていない?


まぁとにかく、企画をする側としてはそういった、ハイレベルかローレベルかという区切りで参加者を考え、コンテンツを決めることがあります。


そして、よく陥りがちな思考が、その意識の高い人間がスゴイとかエライといったイメージ。


社会人に混じった勉強会や、社会問題の講演会などに行くと、大人たちから、
『若いうちからスゴイね』とかいわれます。

いったい何をほめられているか分からないまま、とにかく自分はスゴイと錯覚する

本当は、そこで何を学んだか、何を感じたかの中身が重要なはずなのに、その行動をしたという枠組みだけで評価される。


ODAのハコモノ支援と同じか。


意識レベル。

社会問題に対する意識

ジェンダーに関する意識

政治に対する意識

教育に関する意識

国際関係に対する意識

地域活性化に関する意識

経済に対する意識

ノーマライゼーションに対する意識


僕らが意識レベルという言葉を使うときは、多分こういった意味合いで使うことが多い。


そこに、自分たちの生活に対する意識というのはあまり入ってこないように思える。

企業なんかはそこに金が発生するから、無理やり生活と関連付けようとしているところもあるが、


やっぱり、普通の人が意識するのは自分の生活とその周辺のこと。


それに集中している人は、意識レベルが高いと言わないのはナゼだろう?



一人一人のエゴが世界を動かしている。

例えば
”エコ”は”エゴ”ではあるが、それが悪いかと言えば、そうとも言い切れない。



意識レベルが高い、低いという捕らえ方は、よろしくないかもしれない。

でも、自分が少し優越感に浸れるので、きっとやめれないだろう。


優越感はアルコールのようなものだ。