B&B&B

回り道を全力疾走

雑雑記

2011-04-30 23:06:19 | 未分類
そもそも異業種交流会って何のためにするんだろう?と考えてみる。

自分はどうして興味を持つのか、ゴールはあるのか。

恐らく、他の世界に対する羨望と知的好奇心、あと優越感なんかもあるかもしれない。
では、そのゴールは?

貴重な情報モシクハ技術をもち、今後連絡を取り合うような人との接触。


だとすると、出会うことが一次目的の場では、ひたすら相手と自分の情報交換を行う必要がある。


フリートークスタイルのイベントに弱い理由は、そういうところだ。


少しでもオーガナイズされていれば、多少チャンスはあるんだが…。


俺って、典型的な日本人って思うのはそういうところ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言霊の行方

2011-04-29 16:29:16 | 未分類
礼儀に関する指導を会社に入ってよく受けるようになった。

一般化されてしまったがために、その必要性を感じながらも、本質がないという点で、否定的な印象を持っている。

例えば、飲み会の翌日、出張後の朝「部長にちゃんとお礼言っとけよ」というようなことを言われたり。
挨拶は役職の低い方からするものだ。とか言われたり。


いまだに、納得できない。

あいさつとか感謝の言葉ってのは、本来心の底から湧き上がってくる感情を言葉に変換したものであって、機械的に行うものでもないやろうに。

本当に感謝してなかったり、申し訳ないって思ってないのに言われたところで、何の魅力も感動もない。それは言霊の宿ってない虚無的な空気の振動でしかない。

そんな事をしなくても、感情表現に乏しい人に対しては、絶対に感動させたるって思うし、

礼儀作法を知らない人でも自主的に感謝の言葉を出してしまうくらいの事をしたいって思う。それが理想。

『礼は虚礼から』って言葉は、決して虚礼が大切だとは言っていない。感謝したいときに、それを表現上手くできない初心者の学習のための言葉。


『親しき仲にも礼儀あり』って言葉も、よく考えてみると、タダ単にお互いの「当たり前」のレベルが高くなっているだけで、さらに大きな恩を売ることが出来れば、親しい間柄でも自然と礼は出るはず。例えば、借金を肩代わりするとかね(笑


もっと、『会社人』は自分の心から湧き上がってくる感情と向き合って、素直にそれを出せばいいのにと切実に思う。それが出来ないから、『社会人ごっこ』が深刻化してしまってウツとかストレスになるんでないかいな。


という感じで、社会にはびこっている日本のタテマエに関する不満をつらつら。


昨日はちょうど、一個下の後輩と終電近くまで飲んで遊んでいた中で、そういったことを考えていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やすらぎの日々

2011-04-27 07:28:32 | 未分類
観葉植物の数がふえた。
ストレス社会には緑が必要です。

冬を越せなかった植物も、何とか復活してくれた植物も、それぞれひたすら生きて自分の役割を果たしている。

どんなに人間が二酸化炭素をだしてもプルトニウムを放出しても、植物は死ぬ寸前まで空気を浄化し酸素を吐き出し続ける。

俺も、自分の役割をひたすら果たさなきゃって突き動かされるが、いったい自分の役割ってなんだろう?

人は自分の役割を自分で考え決めることができる。未来を認識できる唯一の動物。時間の概念がある唯一の動物。

詰まるところ人の役割は未来をつくることじゃないかと思う。未来に責任がある存在。


俺はひたすらその役に没頭しよう。

楽しく、気楽に、いきいきと
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リズム

2011-04-22 08:00:56 | 未分類
意図的に生活リズムをつくる。

リズムとは必ずしも一定とは限らない。

激しいビートを刻むこともあれば、ゆっくり奏でるようなリズムもある。

生活リズムを作るってのは、意図的に自分をもっていきたいほうこうに誘導する。

…あれか、あまり使い方がわからんけどライフハックってもんかな。

自分がよく使う言葉ではセルフタイムマネジメントってほうがしっくりくるんやけど、


とにかく、今日は朝から運動も家事も絶好調やったんで、いいリズムで1日が過ごせそうだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きるとは

2011-04-20 19:13:31 | 未分類
慣れてしまえば、何でも当たり前と思えてしまう。

人間の動物的な能力の一つ。

順応や適応能力。

今では地震も日常と思えてしまうくらい慣れてしまっている。

種を守るために本能的に身に付いている能力で、ヒトや動物はその力で多少の気候変動でも生きて長らえてこれた。

人はその力を、現代社会においては、組織などの対人関係においても活用している。


しかし、人は、そんな力とは相反する能力ももっている。

抵抗力。反抗心。拒絶力とでもいうのだろうか。

コレは種の保存的な長期的な目的ではなく、自我の維持、一個体の保守の為に使われる



マクロ的な事象に関しては、適応力
ミクロ的な事象に対しては、抵抗力を

そうやって人というのは生きていて、恐らく自分もそうなんだと思う。

じゃあ、自分にとってのマクロとはミクロとは何か。

その境界線はどこか。


例えば会社、例えば先輩後輩、例えば校則、例えば任意という暗黙の了解。


ラインがハッキリしないから苦しみが増す。


絶対に抗えないものが少なくなってきた現代だから、抗いたくないものに対してだけ順応するという選択をする方が生き方として楽だと感じる。


実際、抗えるか抗えないかは気持ち次第というのがほとんどだ。

時間くらいじゃないだろうか抗えないのは。自然ですら現代科学で抗えるようになってきた。


順応と抵抗のハザマで今日も生きる僕
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする