弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

武蔵野人の思い

2011年12月16日 | Weblog
 今日、久しぶりに東京は清瀬市の雑木林を散策してきた。
 清瀬市は、僕が子供時代を過ごした土地である。その後はるかに長い時間を隣接する埼玉県所沢市で過ごしてきて、両者は風景や町の様子などほぼいっしょなのだけど、子供時代との連続性を感じられる分、「ふるさと」を強く感じるのは清瀬市のほうなのだ。地元の人以外にはどうでもいい話だろうけど。

 子どもの頃カブトムシやクワガタを捕りに行った森は、今は住宅地になってしまっているところが多い。が、まだ残っている森や林には、昔の面影がちゃんとある。
 今日歩いた雑木林も、昔と変わらず、歩道に一面落ち葉が積もっていて、なかでも多いのはクヌギの葉っぱだった。目当ての虫がいる木といえばたいていクヌギだったな、ということを思い出す。何十年も経って、同じクヌギの葉を踏みしめながら、そんなことをしみじみ思い出す日が来るとは思わなかった。

 しみじみ思うことは、もう一つあった。自分は武蔵野人だな、という思いである。
 「武蔵野」というのは、昔の東京・埼玉あたりが「武蔵国」だったことにちなむ。今の「武蔵野」はその原野、森林の面影が残る東京郊外(都心の北部~西部)あたりをまとめて呼ぶ言い方だ。ただ厳密に言うと、そのなかでも雰囲気の異なる3つ~4つの区域に分かれるのではないか、と僕は昔から漠然と考えている。詳細に論じるほどの知識はないからやめておくけど、たとえば僕の地元は武蔵野のなかでも「北多摩」に当たる。北多摩と南多摩では、風景が微妙に違う。
 まあそこまでの細かい話はともかく、僕にとって「武蔵野人」であるという自覚は、日常感覚としては「日本人」とか「アジア人」という自覚より、場合によっては強かったり、意外と「自覚する頻度」も高かったりする。とりわけ、森や水辺などを歩いていると、その意識がおのずと頭をもたげてくる。別に国定公園や観光地のような風光明媚な場所ではないけれど、落ち着くというか、ここは自分のフィールドだな、と自然に了解される感じがあるのだ。

 以前、東京で生まれ育ち、大人になってからは関西にずっと住んでいる知人と話したことがある。その人はたまに東京方面に来ると、ちょっとした隙に見かける林などが「関東の植生」であることに、いつもなつかしさを感じる、ということだ。僕自身は西日本に行った際、その植生を意識して歩いた経験がないので、実感として比較して言えるわけではないのだけれど、その話はなんだか理解できるのである。
 その「植生の違い」と関連してか、オナガという鳥は関東を中心に、本州東部にしかいない、という話がある。優美な見た目に似合わず、ギューイギューイと恐竜のようなワイルドな声で鳴くこの鳥は、こちらでは珍しくない。森にもいるし、家の庭先にも群れでやってくる。清瀬市では昔から「市鳥」なのだ。だけど、これが西日本にはいないんだという知識を得てみると、その姿に触れるたび、「ふーん・・・」と思い至ることになる。知識があっての話だけど。
 それより昔、実感を持って「ああそうか」と思ったのは、西日本の土の色のことだ。西日本では土は黄色、もしくは白っぽい色をしている。僕はハタチを過ぎるまで、これを知らなかった。関東ローム層の上で生まれ育ったこちらにしてみれば、土といえば黒、深く掘ると赤(火山灰により生成された“あかつち”)、と決まっている。西ではそうではないと知って、また実物を実際に見て、結構なカルチャー・ショックを受けた。
 西と東では他にも様々な違いがあるけれど(汁物などに代表される料理の味付けの違いとか)、この土の色の違いというのは、今に至るまで、僕にとっては一番驚いたことである。だって、それは後から発展してそうなった、というものじゃなく、日本列島のできた最初から違っていた、ということなのだから。
 ともあれ、そうした知識や経験がいろいろ混ぜこぜになりながら、自分のなかで「武蔵野人」という自覚が深まっていったように思う。

 それを自覚した、一番古い記憶はいつか。まだ「武蔵野人」なんて言葉は思いつかなかったけど、おそらく20代の初め、初めての海外旅行から帰ってきた時ではないかと思う。
 一週間くらいの旅行から帰って、成田空港に着いた時、空港内をどんどん進んで行って──あらゆるものが、なじみの「現代日本式」に整えられている建物内を歩いていて、相当にウンザリした気持ちになったのである。何もかもが小ぎれいに行き届いて、安心安全が押し付けられて、すべてが定規で測ったように計算されていて、広告は新しさと高品質をとことん誇示して、物価は高くて、新聞や雑誌の表面に踊る煽り口調は相変わらずで、店員の言葉遣いは丁寧だけど何か冷ややかで機械的で・・・──そうしたすべてに、身がちぢこまるような、肩が凝るような感覚を覚えた。空港から地元に向かう高速バスの中では、旅行での高揚した気分など吹き飛んで、道路際の街の景色を眺めながら、一気にざらざらした不機嫌な気持ちに落ち込んでいくのを感じていた。
 だが自宅の近くまで来て、見慣れた武蔵野の木々、土の色、鳥や虫の声に触れると、ああ帰ってきた、とりあえず良かったな、と、ちょっとくすぐったいような安堵感が湧いてきたのである。不機嫌な気持ちはにわかに持ち直した。「日本」に帰ってきたのはウンザリだったが、武蔵野に帰ってきたのはひとまず嬉しかった。
 「ふるさと」というのは、そういうことなんだろうな、と今にして思う。

 今年3.11の後、生まれて初めて福島県を訪れた。ごく部分的な、短い旅行だったけど、得たものは大きかった。その一番大きなものは、これを言葉で伝えるのが難しい。言うなれば、「福島の人にとっての福島」がどう見えるのか・感じられるのか、その片鱗を脇からのぞくことができた、というような感じのものである。
 福島は広い。地域によってその風貌は違う。大きく分ければ浜通り・中通り・会津ということになるが、たとえば浜通りにしても、北部の相馬あたりと南部のいわきあたりでは違う。
 いわきなどは「常磐」という呼び方があるように、文化や風景は北部茨城との共通性が大きい気がする(古代には「なこそ関」あたりで切れていたのだろうけど、中世以降、連続性を持って発展したのではないか──よく調べてないけど)。僕の「武蔵野人」という発想・感覚になぞらえれば、いわきの人も「福島人」より「常磐人」と自覚できる部分があったりするのではないか。そんなことを想像してしまう。
 いずれにしろ、決して小さくはない、そういった内部の「地方差」が、中通りにしても会津にしてもあるだろう。「福島」は行政単位の名前であり、そのなかに多様な・豊かな「地方」を包含している。それをふまえない部外者が口にする「福島」には、血が通っている感じがない。──そうした実感を持てただけでも、福島に行って良かったと思うし、それは「武蔵野人」という自覚を持っている今の自分だから持てた実感なのだろう。それを思うと、その意味からでも「ふるさと」武蔵野に感謝したくなる。

 そして、そのような地方差が考慮されることなく、たとえば浜通りの被災者が会津若松の仮設住宅に住まわされていても、それを「同じ福島だからよかっただろ」的な感覚で処理してしまう「日本人」に対して、どう考えたらいいのか。
 「日本」の名の下に、「ふるさと」が奪われる。奪われたその人たちに、「がんばろう日本」と呼びかけて、事足れりとする。こういうことを、なんと呼んだらいいのだろう?偽善?退廃?非現実?超現実?なんだろう?

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2 コメント

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Unknown (tokoro)
2011-12-16 23:48:54
武蔵野というと自分にとっては台地の上ってイメージが強いですね。朝霞・新座の雑木林や富士見市役所周辺の畑、入間の茶畑や国分寺駅近くの断崖。

もちろん都会の東京とも違うし、湿地や低地の広がるさいたま市あたりとも違う。雑木林があって、牛を飼ってて、富士山が見えて…。私が幼少の頃に越してきた所沢はそんな所でした。今じゃかなり変わっちゃいましたが…。

清瀬は学生時代アルバイトで通っていた街で、自転車で愛宕山の交差点から柳瀬川を渡ると森の向こうに団地が見えて、あぁ東京に来たんだなとよく思ったものです。あの辺は今でもあんまり変わってないですよね。254からニトリの近くの交差点を入ると並木が立ち並ぶ通りがあって、あの辺もちょっと田舎臭くって。東京なんだけど何か懐かしい。自分が住んでいる所よりも密集していて、人も多いのだけれども都会って感じがしない。清瀬独特の空気を感じます。

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>tokoroさん (レイランダー)
2011-12-17 22:07:15
江戸時代の人からすれば、江戸を含む武蔵国にある野山はぜんぶ「武蔵野」だったようですね。今はそのうち、都市開発されてないところ、されそこなったところを指して言っているような感じがします。
台地というのは、僕らのような北多摩の者からすると当然な感じがしますけど、それはこっちの感覚に過ぎなくて、たぶんさいたま市も「武蔵野」の一部ということに一般的にはなってる・・・のかな?
以前、エレカシの宮本が何かの文章で、自分の地元の赤羽あたりを「武蔵野」と書いてるのを読んで、えっ、あの辺も武蔵野かよ、と変な気分になったものです。でも、それも間違いではないんでしょう。

吉祥寺のある「武蔵野市」は北と南の間の「中多摩」みたいな位置にありますけど、僕にとっての武蔵野はやっぱり清瀬あたりが一番しっくりきますね。心理的なものでしょうけどね(笑)。
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