弱い文明

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日曜の朝─ルー・リード追悼の続き3

2013年11月11日 | 音楽
 最初にルー・リードの曲を聴いたのはFMラジオで、方向性に行き詰っていたリードが心機一転、シンプルなギター・ロックのサウンドで後年の活動のベースとなるスタイルを見出したアルバム『ブルー・マスク』発売のタイミングだった。それは間違いない。
 だが自分の中で、なぜか「本当の最初」のように感じているのは、その数ヶ月後(だったと思う)に高校の同級生に借りて聴いた『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』の1曲目、「日曜の朝」の方だ。世間にリードの曲が登場したという意味での、文字通りの「1曲目」ではあるが、自分が出会ったのは順番が違う。なのにそれが「本当の最初」と感じられるというのは、ルー・リードという存在と離れられなくなってしまった、そのきっかけという印象がはっきり残ってしまっているからだろう。僕は今でも、このレコードを初めてターン・テーブルに載せ、「日曜の朝」のイントロとリードの声が部屋の中にこぼれ出すやいなや、「世界」が溶け出し、変容(トランスフォーム)していった「平日のたそがれ」の感触を覚えている。
 確かブライアン・イーノが昔言った言葉だったと思う。『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』はリリース当時、3000枚しか売れなかった。だが、数は重要ではない。重要なのは、このアルバムを買った3000人が、すべてバンドやら何やらを始めたことだ──自分もその一人だ、と。
 実に的確な賛辞だと思う。この意味でヴェルヴェット・アンダーグラウンドは言わばパンクの元祖というか、いずれパンクが出現するために10年前に仕掛けられた時限爆弾のようなものでもあった。
 でもそうしたスタイルや発想の革新性と同時に、僕はこの彼らのデビュー・アルバムに対しては、“霊的な”つながりを自覚せずにはいられないのだ。音楽が何かを連れてくる“霊的”な気配をたたえるがゆえに、1曲目の「最初」という印象が強められたのかも知れない、とか。

 ルー・リードは日曜の朝に死んだ。この時の様子を、妻のローリー・アンダーソンが記している文章がある。
「ルーは日曜の朝に木立を見つめながら彼のミュージシャンとしての手を宙で動かしながら、太極拳の有名な第21式を行いながら息を引き取りました」
 http://ro69.jp/news/detail/91524

Sunday Morning

日曜の朝が 夜明けを連れてくる
落ち着かない気分が寄り添う
夜の明け初め 日曜日の朝
無駄にした年月が 
すぐ背後に押し寄せてくる

よく見るんだ 君の後ろにある世界を
いつも誰かの気配が周りにあって
君を呼ぶ予感
大したことじゃない

日曜の朝 落ちていく私
知りたくもない感覚に包まれて
夜の明け初め 日曜日の朝
そこは君が横切ったすべての通り
そんなに昔のことじゃない

よく見るんだ 君の後ろにある世界を
いつも誰かの気配が周りにある
そして君を呼ぶだろう
どうということもないんだ

日曜の朝
日曜の朝

 http://www.youtube.com/watch?v=3qK82JvRY5s

※奇しくも太極拳の師と「日曜の朝」を「共演」するルー・リードの映像
 http://www.youtube.com/watch?v=uquBzrZlImY

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