弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

風評ではなく、現実

2011年07月06日 | 原発 3.11 フクシマ
 三ヶ月ほど前に「安心と安全は違う」という文章を書いた。それを、もう一度別の言い方で、やっかいな「風評被害」という概念に絡めて書いておく必要を感じている。
 それはこういうことだ。「風評」や「風評被害」という概念自体に、何も罪はない。ただ、今の日本におけるその使い方は、適切ではない。風評というレッテルによって、この場合は放射能汚染の現実を隠蔽するように使われている、という側面が濃厚である、と。
 自分らに都合の悪い告発を「風評」扱いして片付けられるなら、権力や大企業(マスメディアを含む)、すなわち「犯人」たちには好都合なことだろう。
 そして、物事の中身を自分の頭で考えて判断する習慣のない国民は、「風評」のレッテルを貼られた情報は、不安を煽るニセ情報、社会的害悪だと思い込む。そうであってくれた方が自分らの安心感につながるからだ。問題は「安心」ではなく「安全」なのだけど、彼らにはその区別がつかない。

 風評を恐れて風評の前からある客観的な事実を無視・隠蔽しようとする者には、風評被害よりもっと恐ろしい被害がやってくる。それでもいいのだろうか。
 事実に基づいてできるだけの対策をとっておくことは、風評を撒き散らすのでなく、むしろ風評を抑えるために一番有効だ。逆に事実を把握せず、お上の「安全だ」という怪しい断定にすがって、やみくもに風評だ風評だと言い立てれば言い立てるほど、風評は増大してしまう。

 たとえば農産物にしろ、水産物にしろ、「不検出」もしくはきわめて微量の検出であると当局が発表する場合、そうなるような時期にそうなるような産物を検査している、はじめから「安全」という結論ありきのパフォーマンスが行なわれている可能性が、悲しいかな、高い。
 水産学が専門である三重大学の勝川俊雄准教授が、ご自身のブログの「水産庁のストロンチウムの検査が酷すぎる件について」という記事の中で、以下のように指摘をしている。

「汚染水にさらされる前の魚のみを検査しているのだから、ストロンチウムが不検出という結果は当然です。「ストロンチウム不検出」というアリバイを作るための出来レースのような印象を受けます。」

「水産庁の調査は、国民を放射能から守るのが目的ではなく、低い値を出して「問題はない」と主張するのが目的のようです。こういう姿勢で検査をしている限り、消費者の信頼は得られないでしょう。ちょっとわかる人が見れば、ストロンチウムが検出されそうな魚を検査してないことは、一目瞭然です。「ストロンチウムの汚染を隠すために、福島近辺の魚を避けているのではないか」と、かえって不安を煽りかねません。」

 同氏のみなと新聞(水産食品の業界紙)への寄稿も参照。「風評」があるとしたら、何がその本当の原因なのか、氏は的確に(新聞向けなのでかなり穏やかな言い回しを使って)そのメカニズムを言い当てている。

 風評被害を防ぐには、
(1)様々な立場の個人・団体からの偏りの少ない(100%偏らないことは不可能だ)調査と意見の収集
(2)収集したデータ・意見に基づき、できるだけ危険を大きく見て予防策を講じること
の2つが絶対に必要だと思う。
 現実に政府がやっているのは、原子力ムラの利権に関わる集団からの意見聴取と、それに基づき、できるだけ事態を小さく見る、楽観的なシナリオの採用。
 安心したいという大衆心理に迎合し・つけこむために、安心だというポーズを取ったり、安心だという言葉の拡散に力を注ぐ以外、実質的な手を打っていない。かろうじて採っている対策なども、遅れ遅れになるか、原子力利権の外にある集団からの圧力を受けて、ようやく腰をあげる有様だ(沿岸海産物の調査など、グリーンピースが調査を申し出たのを受けて、はじめて「自分でやるからいい!」と重い腰を上げた)。あるいは、米国の勧告があるものについては、もう少し早まるのかもしれないが、とにかく、この順番は当分変わることがないようである。つまり、政府は後からついて来る。市民が先にやるしかない。せめてその費用だけでも保障してくれるなら、まだしも良心的だけど・・・。

 (2)の観点についていえば、皮肉なことに、防衛・テロ対策・治安対策などでは滑稽なほど大げさに過敏に(そして的外れに)策を講じてきた警察・行政の指向性が、どこか別の国の出来事のように、原発問題関連では吹き飛んでいてることに、気づいている人は結構いるだろう。2011年9.11以来、.駅のゴミ箱の撤去、監視カメラの増強配備、いまだに街中は「対テロ特別警戒中」である。1995年のオウムのテロ以来、テロらしいテロなど一つも起きていないここ日本で、「特別警戒」はいつまで続くのか。そもそも解除が予定に入っているのか。
 一方、掛け値なしに国民の暮らしの脅威となっている放射能については、「安全」宣言を垂れ流す。これは何を意味するのか。──この観点からも、結局のところ責任ある大人は、「安心」にすがるのでなく、出来る範囲内で「安全」を追求しよう、という結論しか出てこないはずなのである。
 うんざりだけど、本当に。

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4 コメント

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まとまりなく申し訳ないのですが最近の感想など (tokoro)
2011-07-07 23:36:31
こちらに戻ってきてからずっとモヤモヤしてた部分がようやくわかったような気がします。
政府やマスコミが「安全だ」「風評だ」というにつけ、その根拠が今一つわからない。何か騙されているんじゃないかと。

その割には主に首都圏に向けてなんだろうけれども、「被災地は復興しています」「被災地ではこんな大変なことがありました」というように地震が過去のこととして語られ始めています。

でもフクシマだと未だに事故は現在進行形の問題であって、原発だけじゃなくその後そこに住む為の方法とか色々な問題は山積みなんですよね。
しかも放射能汚染は関東にも広がっているかもしれない・・・。

政権がグダグダだから信頼性のない情報が出てくるというのも一つの真実なんでしょうけれども、玄海原発に関する九電の対応なんてみていると「不都合な真実」は隠していこうとする電力会社や一部マスコミの態度が裏で透けて見えてしまいます。

まあそれにしても九電の社長の会見は電力会社の本音を垣間見る思いがしました。
当初社長が工作を指示したかどうかコメントしない、そんなこと聞いて意味あるんですかというような発言を聞いていると、
たぶんこれまでもこの程度のことはやってきたという風に言っているようにも聞こえます。
少なくとも管理責任について故意と過失を混同しているのは間違いないでしょう。指示があれば故意がある訳ですから、最早犯罪に近いと思うんですが。
私なんかはこの言葉を聞いただけで、この会社コンプライアンスめちゃくちゃなんだろうな・・・と思いましたね。後で指示は否定していましたけれども。

最近小出先生のまとめブログを読むようになりましたが、フクシマで「安全」に暮らせるようになるには相当の時間と費用が掛かりそうですね。
そういうのがあるからなのかもしれませんが、フクシマにいたとき反原発の姿勢はヒステリーだという雰囲気は住民の一部には確かにありました。
私の親類もそうでしたが、単純に危険だからといって今住んでいる所は簡単には離れられない。
だからなるべくなら避難しろと言われるよりも安全ですと言って欲しい、そんな気持ちを持っている人はかなりいたと思います。
山下俊一氏も「政府の指示に従うべきだ」発言がなければ、未だに支持を集めていたんではないでしょうか。

小出先生は法律に従えばフクシマの住民の大多数を避難させなければならないと言っています。
私は少なくとも浜通りと中通りに住む子供たちは疎開させるべきだろうと思っているのですが、それを阻むのが安心を求める住民であるという側面はあります。
理性だけじゃ人間は動かせない。複雑ですよね。もし安心を求める住民を説得するのであれば、一旦移転に同意してもらった上で必ず元にいた場所に帰れるという保障が必要でしょう。しかしそれでも動かないという人は相当程度いるだろうなとは容易に想像できます。

しゃくに障るのはそういう心理を原発推進派が上手く突いているということです。原発事故は早く終息してほしいけど今までの生活は維持したい。フクシマにいたときそういう意見は本当に多かった。管総理は避難地域では10年、20年先も住めないとか言ったそうですが、でも小出先生の言うことが事実ならそうなる可能性はある。本当なら政府が勇気を出してそういった見解を出すべきなんでしょう。でも住民の反発が怖い。選挙が怖い。だから事実は話さない。原発推進派にも都合が良い。

そういうのを考えると脱・反原発の世論というのは原発事故終息を境に一気にひっくり返されるという危惧があります。フクシマ復興を旗印としてね。私たちにとっては最悪のシナリオではありますが。
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>tokoroさん (レイランダー)
2011-07-09 17:09:27
ご感想、おおむねこちらも共有するところです。

いつの時代のどこの国でも、大きな災害というのは、その社会の隠されていた問題(すなわち、人災の「素」たる要素)をあらわにするという働きがある。それを、今回くらいまざまざと見せつけられたことはなかったですね。
日本の場合、うわべの綺麗な言葉に無批判に受け入れて、実質を見ない、そういう風潮というか習慣というか。そうして社会のあらゆる場面で「偽装」がはびこっていく、それが飽和状態に達したんじゃないか、という胸やけ感を去年くらいから強く感じるようになって。よし、いつか「偽装国家」というタイトルで長文書こう(笑)、とか思ってる矢先に、3.11を迎えました。そしたら、自分が思っていた以上の「偽装」が次から次から芋づる式にあわられる始末で。もう、いちいち文句を言うのも追いつかないくらい。

原発震災というのは、本当にややこしい。震災だけなら、もう100日以上も経つんだから、前向きに「復興」に向けてトライできているはずが、原発がネックになって進まない。どころか、汚染はどんどんやばいことが明らかになりつつある。しかも事故はまだ継続中。どこの国の行政にしても市民にしても、こんな状況に放り込まれたら混乱するのは致し方ない。そんな中、ネガティヴな情報はもうこれ以上受け付けたくない、と思う気持ちも、被災地の人なら仕方ない、と思う面もあります。
でも、そんな無意味な温情にかまけてる場合でもない。ネガティヴなことも包み隠さず明らかにしよう、そして受け入れようという覚悟を、今なら逆にできるかもしれない。そう捉え直していくことができれば、それはポジティヴなことなんであって。

自然エネルギーへの転換と「今までの生活は維持したい」という要求は、食い違うものではない、ということを周知させるのも、脱原発運動の任務ではある(本来そんな義務はないと思うけど…)ので、それはやっていくべきでしょう。
ただ、表に出てきていないことはまだまだあって、これから福島に住み続けることがどんな結果をもたらすか…それを目の当たりにしたうえで、まだ「今までの生活」などと言っていられるのか、今までとは違う生活へ勇気をもって踏み出すのか、そこは考えどころでしょうね。「今まで」にこだわるのは大人たちですが、子供たちがそれに付き合わされる筋合いがあるのか、ということも考えなくては。

もう三ヶ月以上経った、と言われますが、まだ三ヶ月の時点でしかない、とも言えるわけで。僕は自分も含めて、多くの人がまだ夢心地なところがあると思う。いつか、ひどい目覚め方をするのではないかと、覚悟はしておこうと思ってます。
こちらもまとまりがないレスになってしまいましたが…。
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Unknown (漂瓶)
2011-07-18 17:34:22
誤解もまた風評の一種ということで。発電コストについてのちょっとした記事です。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20110711/193233/


漂瓶を危うく漂便としそうになってしまいました。。。
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>漂瓶さん (レイランダー)
2011-07-18 21:14:36
>誤解もまた風評の一種ということで

それはそうですね。ただこの(原発問題)の場合、意図的に誤解が流布されてきた(されている)経緯もあります。
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