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高校生の時、このアルバムを初めて手にして、音楽そのものはもちろん、アルバムの裏ジャケットにある写真(上写真)に強く惹かれた。車か何かの動力機関のタコメーター(回転数計)らしいのだけど、それが文字通り“レッド”・ゾーンを振り切っている。その写真を見て、また一曲目のタイトル・ナンバー「Red」の重苦しい旋律を聴いて、これは人間の文明がレッド・ゾーンに突入した、そういう警告ではないかと直感的に思った。
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タイトル曲「Red」は、80年代以降再結成されたクリムゾンにおいても、数少ない往年の演目として、ライヴで演奏されている。リーダーのロバート・フリップはその理由を「この曲と「Larks' Tongues in Aspic PartⅡ」(邦題「太陽と戦慄パート2」)だけは、今演奏しても曲を作った時と同じアドレナリンがほとばしる」みたいな、つまりまったく古くなっていないという感触を自身が持っているからだと、インタビューで答えていた。
確かに、この曲は古くなりようがない何か、を持っている。ほとんど錆びることのない金属のような。僕はいつの頃からか、広島の原爆忌が近づくとこの曲を思い出す、あるいは原爆ドームの写真を見ると思い出すという、変な癖がついているのだが、フクシマ以降は、あの屋根が吹き飛んだ建屋を見ても思い出すようになってしまった。
「Red」は「核」か。核の「臨界」だろうか。ちっとも新しくはない、しかし古くもならない。
そして今、スリーマイルを経て、チェルノブイリを経て、フクシマまで来た。越えてはならない一線を越えてしまった、起きてはならないことが起きてしまった。この戦慄、絶望が古くなってくれたらいいのに、と思いつつ、それはこの時代、当分は無理だろうという予感にもうなされる。
「Red」はインスト・ナンバー。聴く人それぞれが違った絵を思い浮かべるだろうけど、この際「なぜ我々はこんな目に会うのだろう・・・?」という問いとともに耳を傾けてみたら、と思う。
http://www.youtube.com/watch?v=YVkKEYcRa4g
何時まで経っても刺激的と言うんでしょうか。
80年代の曲もアレはアレで好きなんですけれども、心にキックを入れてくれる重さはWettonがいる頃のほうがあるように感じます。
Robert Frippの活動は最近全然追いかけてないのでわからないんですが、
YesとVan Der Graaf Generatorの新譜は買いました。
二組とも全く変わりないのが驚きでした。
結構皆良いジイサンになっているのになぁ・・・。
まあなかなか俗っぽくならないからこそ続けられるのかもしれませんが。
いずれにしろ、90年代以降なら、NINとかTOOLとかマーズ・ヴォルタなんかの方が、70年代クリムゾンの言うなれば後継とも言うべき「重さ」を引き継いでる気が、個人的にはしてます。
「偉大なる詐欺師」で始まって、"裂け目"で終わるアルバムはなんと今の(311に至る)日本にぴったりなことか。そして”RED”は崩壊以降を生きる私たちの、、、なんて、暑さのせいかいろいろ妄想してしまいます。
それはそうと、私がロックきく時、まずドラムの音に耳が行くんだけど、そういう聞き方をするようになったのがこの時期のクリムゾン(と、あとはTho Whoのライブ盤)のせいで、人の音楽の聞き方を変えて(歪めて?)しまった迷惑なやつらです。(笑)
地下の岩盤も破壊したし、圧力容器も、格納容器も壊れたし…もっと大きな、科学が人類を救うという信仰の崩壊をクリムゾンは検知していて、それが「Starless and Bible Black」というタイトルにつながっているような気もします。