弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

やさしい心~ガザから始まるフラグメンツ・エクストラ

2009年04月21日 | パレスチナ/イスラエル
(駅前の植え込みに咲いていた名前を知らない花)


 僕はこれまでに、様々な社会の「問題(イシュー)」に関心を持ってきた。このブログでも、パレスチナ問題、死刑の問題、戦争および戦争責任の問題、憲法の問題、環境問題、労働問題、などなどを取り上げている。全部ひっくるめて「文明の問題」と呼んでもいいと思うが、いずれも、世間一般では硬い、難しい、マジメ(深刻)と受け取られることの多い話題だ。
 ただそれらは、「外」にあった問題に、わざわざ自分から頭を突っ込んだというよりも、向こうからこっちの懐に飛び込んで来た、あるいは胸に突き刺さってきたものだ、と僕自身は感じている。自分のなかに元々あった感性だの経験だの伏線になっていたことは言うまでもない。ただ、客観的に見れば自分の方から近づいて行ったという構図なのだとしても、自分としては向こうから来たと感じる。その「感じ」に僕はこだわりを持っているのだ。そのうえで、いつでも立ち返る起点としてのそこ、つまり胸の「突き刺さった」場所をまさぐることができる。だから、中身を知れば、それは難しい、自分なんかには手に負えない「問題」だ、うわー・・・・という気持ちになることがあっても、立ち返るべき場所を知っているので、さほど恐れることはない、という安心感を持っていたりもする。

 時として、友人・知人と語らいながら、あるいはインターネットを介して、知っている人・知らない人と言葉を交わしながら、そうした「問題」にはからずも触れることがある。さらに時として、その話が熱を帯びることもある。
 いろんな人が、いろんな受け取り方をする。僕が日頃ブログなどでその手の発言をしている人間だと知っている人なら、同調してくれることもあるし、逆に何がしかの立場の違いを意識して警戒してくることもある。知らない者でも、僕がこういうことにこだわる「タイプ」の人間だと了解していて、何となく同調してくれる人もいるし、同調しないまでも「この人はそういう人だから」と納得する人もいるし、反発して対抗意見をぶつけてくる人だってもちろんいる。
 いずれも、当たり前のことだ。いろいろな展開があって、何も悪くない。ただ、そうしたいろいろな経験を積み重ねて、今さらながら気づいたことが一つある。それは、その問題に関する知識の差が、同調や反発の分かれ目になろうとなるまいと、僕自身はあまり気にしていないということだ。
 ぶっちゃけて言ってしまえば、むしろ僕が気にしているのは、向き合っている彼ら・彼女らに願っているのは、「自分の意見を理解してくれ、支持してくれ」ということではなく、単に「やさしい心でいてくれ」ということだったりするのだ。それも、直接僕に対してやさしく、ではない。僕が言及している出来事や、それに関わる人たちの直面している苦難に対して、やさしい心でいてほしいのだ。
 そうした心が見えない人と話をするのは、疲れる。僕が苦手なのは、意見が合わない人ではなく、ここではない場所にいる人に対して「同情」する心の働きがあっさり途絶しているような人である。

 これは、ものすごく誤解を招く言い方だということは承知している。たとえば、パレスチナの話で言えば、この問題の歴史的背景・政治的背景、一切分からなくていいから、無知な一般大衆のままでいいから、ただ殺されるパレスチナの子供たちを可哀相と思ってくれ、それだけでいい、どうせおまえらはそういう感情論しか通じないんだからそれで上々──という意味なのかと。
 もちろん違う。殺される子供を可哀相と思うのはこちらが願うまでもないことで、そう思わない人間が相手だとしたら、パレスチナはおろか、そもそもマジメな会話全般、しても無駄なだけだ。
 だけど、こういう言葉にぶつかることがある。子供が殺されるのはひどいことだけど、パレスチナの場合、仕方ない。いや、パレスチナの子供だって子供だから可哀相だけど、テロをやってきたのはパレスチナだから、仕方ない。──という形で、パレスチナに関する中途半端な「知識」が、人間が殺されることの非道を感覚的に遮断し、どこかに隠し、忘却させる。その瞬間を目の当たりにした時。
 あるいは、「イスラエルの子供だって殺されるよ」──と誰かが言う時、イスラエルの「子供の死」が、パレスチナの「子供の死」の前に立ちはだかり、パレスチナの「子供の死」が手品のように隠される瞬間。
 あるいは日本国内で、殺人犯が死刑になることについてでもいい。死刑は残酷だ。それは知っている。だが殺された被害者はもっと残酷な目に会ってる(かもしれない)じゃないか。それはどうする──と誰かが言う時、一人の人間が死刑になることの残酷はどこかに消し飛ぶ。その残像が頭をよぎる瞬間。

 本来、どちらも非道だ、残酷だと感じている「やさしい心」がある。では、それを二つに割って、片方の残酷だけを採用しようと思った時、その心の働きは「やさしい」ままで働いたのだろうか?
 僕は違うと思う。それは、心が別のものに変わってしまったことを意味する。「知る」「考える」「理解する」「判断する」「選択する」・・・・何でもいい、とにかく、本来あった心は失われている。でも、そんな風に、本来あった心が失われたままで何かを知ったとして、理解したとして、身につけたとして、それが何になるのか、僕にはさっぱり分からない。
 ・・・というより、はっきり、悲しいのだ。なぜなら、それは結局、一つの無関心の表明だからだ。「知る」ということを選択したつもりで、実は「知りたくない」「自分のなかに取り込みたくない」「本来自分とは関係ない」という心の働きこそを選択している。
 多くの場合、その人は気づかずにそれをやっている。気づいてやっているなら、それは偽善者だが、多くの人はそうではない。悪気はないのに、一種のオートマチックな反応として、心を不感症にしている。対象と距離を取るとか、「対象化する」なんていう聞こえのいいことではない。要は無関心の表明。それが悲しいのだ。

 それは自分を防御することなのかも知れない。現実を本当に知ってしまえば、やさしい心を持ったままでは引き裂かれる、それが怖い。複雑なものを複雑に受け止めると自分が弱くなる、それが怖い。シンプルで表面的な知識・認識と引き換えに心を不感症にする方が賢明だと、大人になるにつれ学んだ。その方が強い自分でいられる。安定性がある。そのような「無関心」の完成形。
 その気持ちは、分からないではない。だが僕は、そうした完成形を前にすると、揺さぶって崩したくなる。その形作られ方を、逆さになぞって言いたくなる。
 無関心ならせめて、やさしい心でいてください。
 無関心ならせめて、誰のせいにもしないでください。
 知るつもりがないのなら、知りたくないのなら、せめてやさしい心でいてください。人が殺されていく時、人が大切にしているものが破壊されていく時、せめて、「それがなぜ起きるのか私はわからない、けれど、とにかくやめてほしい」と、やさしい心でつぶやいてほしい。男であろうと女であろうと、若かろうと年を食っていようと、そんな心が持てないなんて、つらくない?──これこそ、僕が一番重視する、僕なりの「感情論」だ。

 僕はこれまでの人生で、人から何度か言われたことがある。あなたの言いたいことはわかったよ。たださあ、そういう難しいこと年中考えてるとさあ、つらくない?と。
 かつてはそれに対して、「いつも考えてるわけじゃないよ──いつもはもっとバカなことばっかり考えてるよ」とか、「難しいことが結構おもしれえんだよ」などと、軽い調子で答えていた。
 それは今でも、別に間違っていないと思う。でも、今はもっと肝心な答えがあることに気がついている。
 僕にとっては、それを考えないで・感じないで生きていくことの方が、よほどつらいということだ。
 胸に突き刺さってきたものに対して、不感症になって生きること、一度はそういう生き方をしてみたこともある──してみたというより、なし崩しにそういう生活になってしまったのだが。しかし、つらかった。毎日が、あまりにも空しかった。生きた心地がしなかった。
 だから僕は、同じ「つらい」なら、自分に突き刺さってきた「問題」とブザマに格闘しながら生きるつらさの方を選ぶ。その方が生きた心地がするからだ。
 そのやり方を、人に押し付けようとは思わない。ただ、僕と向き合っている人には、僕のことをおもんばかるよりも、僕が関心を寄せる人々のことを、僕がそれを口にしている時だけでいいから、少しでもおもんばかってほしい、とどうしても思ってしまう。僕の「友達」であるとか、「家族」であるとか、同じ「日本人」であるとか、同じ「地元」であるとか、同じ趣味であるとか同じ境遇であるとか──そんな“つながり”はその際重要じゃない。僕が誰かを気にかけている時、僕が持つその“つながり”に対して、やさしい心でいてほしいのだ。


 ・・・読み返すと、なんだか非常に当たり前のことばかりを、もったいつけて書いているような気がしてきた。いやきっとそうなのだろう。いつものことだ。で、どうせそのうち、「あなたの一部のコメントに対するレスはやさしい心で書かれたのでつか」なんていうイヤミを、懲りずに書いてくるやつが出てくるだろう。それもいつものことだ。待ってるぜ♪

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2 コメント

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Unknown (紫電)
2009-04-24 23:32:28
パレスチナの自爆テロで死んだイスラエル人や巻き込まれた犠牲者パレスチナ人がいた場合、もちろん「可哀想」と考えるのでしょう。

二元論で物事を捉えて意味があるのかは不明ですが・・・。
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>紫電さん (レイランダー)
2009-04-25 00:59:57
>二元論で物事を捉えて意味があるのかは不明ですが・・・。

すいません、全然意味がわからないんですが。
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