弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

映画『ミルク』

2009年04月23日 | 映画
 先の日曜に、公開されたばかりの映画『ミルク』を観てきた。1970年代、同性愛者であることを公言して政治活動を始め、アメリカ史上初めて同性愛者として公職に就いて活躍した人物、ハーヴィー・ミルクの暗殺されるまでの、わずか数年間ではあるが濃密な軌跡を描いた物語である。

 僕はガス・ヴァン・サント監督作品とはこれまでに縁がなく、ゲイ・ムーヴメントにもとりたてて積極的な関心を寄せたことがない。アメリカの異端の俳優・映画人であるショーン・ペンが主演を務めたことは知っていて、それだけで見過ごせない何かを秘めた作品だろうという予感はあったけれど、決定的な観る動機にまではならなかった。
 観に行く気になったのは、最近加入したメーリング・リストでこの映画が紹介されていたこと、そこで映画の主要舞台になったサンフランシスコの「カストロ通り」に、まさにその当時暮らしていたという人の経験談などを読んだことで、大いに興味をそそられたからだ。

 実物の映画は、予想を超える感動を与えてくれるものだった。
 いわゆるゲイ・カルチャーのことは、自分はすでに本や映画など様々なメディアを通して何だかんだと触れていて、今さらそれを特別視することもないくらいに馴染んでいるつもりだった。ただ、そのうち少なくともアメリカ発のものについては、このハーヴィー・ミルクとその仲間達が、70年代に勇気を持って踏み出した歩みによって、あまり関係のない僕ですらが「馴染む」ことが可能になった面が大きい──という、その重みのことは、ほとんど分かっていなかったと思う。どれほど多くのゲイたちが、自分を偽って生きることを余儀なくされ、希望のない人生を強要されてきたか。自由の国アメリカで、いかに彼らの自由は抑圧され続けてきたか、居場所なき者であり続けていたか。この映画の価値の一つは、まさにその重みを実感させることにある。
 しかもそれは、ミルクという人物が、傑出したカリスマ、聖人・超人のような存在だったことを、まったく意味しない。むしろ映画は、これといってとりえのない、日陰者の人生をそれまで生きてきた彼という人物の弱々しさやセコさ、独特のユーモアや向こう見ずや不器用さ、そして孤独などを自然に浮き彫りにしながら、それらに加えて、それこそゲイ・カルチャーに縁遠い人から見れば「気持ち悪い」と思われるしかない性的嗜好までを、あっけらかんと映し出していく。彼の公職への道は挫折の積み重ねでもあり、3度の落選を経て、4度目の挑戦にしてようやくサンフランシスコ市政委員の地位に就いたのは、たまたまその時に施行された選挙区制の改正が彼に有利に働いたから、という側面さえも、正面切って描いている。
 だからこそ観る者は、今さらながら気づかずにはいられないはずだ。ゲイ・ムーヴメントに限らず、様々な差別の撤廃、弱者の人権獲得に向けての闘争、社会を「変える」ためのあらゆる闘いが、傷ついた人間の、個人個人の勇気なくしてはありえなかった・ありえないという真実に。それは口先のきれいごととして始まったことは一度もなく、いつでも当事者達の死活問題として始められたという真実に。

 市政委員に当選して、着実に実績を上げ、支持者達と喜びを分かち合うミルク。そこに酒に酔ったライバルの市政委員(ベトナム帰還兵にして元警官の保守派)が、やっかみ半分にからむシーンがある。
 彼はこんな風に言う、「僕にも“問題”(イシュー)がある。君にもある。ただ君の場合はゲイの“問題”だから、インパクトが違う。それが君の強みだよな。うらやましいよ」。
 ミルクは決然と反論する。
「“問題”だって?僕にとっては“問題”以上だよ。・・・・僕は過去に4人の男と恋人の関係を結んだ。うち3人は自殺未遂を起こしている。──わかるか?命を賭けた闘いなんだ!
その迫力に気圧されて一瞬言葉を失いながら、ライバルの委員は「僕にだって“問題”はある。・・・・“問題”はあるんだよ・・・・!」と、うわごとのようにくり返す。象徴的なシーンだったと思う。

 この彼の言う“問題”が何であったのか、さほど具体的に明示されるわけではない。一説には、彼自身が「隠れゲイ」だったのでは、という話もあるそうだが、それはこの際考えずとも、彼と彼の生きるコミュニティ・階層がキリスト教道徳(ただし彼らに都合のいい、手前勝手な)を人権の上に置き、「社会の安全」を口実にマイノリティを排撃する、そうしたものとつながっていたことは確かだ。全国レベルでも常に頭をもたげる原理主義とマイノリティ排撃の思想に抵抗し、足枷をはめることに成功したサンフランシスコ市政の革新的なムードの中で、彼は浮いてしまう存在、いわば彼自身が一種のマイノリティだった。そのことが彼の大いなる“問題”だったのかも知れない。

 もちろん、そんな具合にキリスト教がからむからといって、これをアメリカ特有の問題といって済ませることはできない。とりわけ昨今のグローバリゼーションの波の中で浮かび上がってきた、反動的なゼノフォビア、「異者」「弱者」排撃の思想の蔓延という構図において、日本の状況とも大いにかぶっているのではないか。特に「安全」や「安心」という言葉を軸に考えれば、嫌になるほど共通点が多いことに気づく。
 その意味で、地上の“問題”と関わる、そこで闘おうとするすべての人にとって、これは必見の映画だと僕は推したい。ヴァン・サント監督が今の時代にこの人物の生き様を世に問うというのも、彼自身がゲイであることとは別に、そうした人びとを今こそ鼓舞したい、という想いがあるからではないかと思う。

付記1:
 ・・・にも関わらず、客の出足は今ひとつ鈍いようなのが残念だ。僕は最寄の練馬区のシネコンで観たのだけど、公開翌日の日曜日なのに、僕が観た回では来場者は10人程度だった・・・・。都心の方の上映館ではよもやそんなことはないだろうけど、ペンの2度目のアカデミー賞受賞という、晴れやかな話題はどこに行った、という感じである。
 一方では「未来への決戦」とか「勇気が世界を変える」みたいなキャッチコピーで盛り上がる『レッド・クリフPart2』は満員御礼で。より身近な闘いに殉じた身近な現代人に想いを馳せる方に、もう少し人が回ってきて良さそうなもんなのに・・・。
 結局「政治」がテーマである、それも普通の「市民」が本当に世界を変えてしまうような映画には、ヴィヴィッドに反応しないのが今の日本人ということなのだろうか。「マイノリティ」という概念に敏感な人以外、関係ないと思われているのだろうか。それではさびし過ぎる。というか、まさにそうした、異端者にふりかかった苦難なんて、多数派の中で大人しく暮らしている私には関係ない、という感覚こそ恐ろしいということを訴えている映画でもあるのだけど。
 ちなみに僕は『レッド・クリフ』を1・2ともちゃんと観ていて、いい映画だと知っている。だけど、あくまで娯楽作品であるあの映画から、「正義とは何か」「勇気とは何か」といった教訓を引き出せる程度に成熟した大人なら、『ミルク』からはもっとはるかに多くのものを引き出せるはずなのである。もしもそうならないとしたら、その人が『レッド・クリフ』から引き出した教訓も、何かの間違いだろう。

付記2:
 オリジナルの音楽はあまり印象に残っていないが、70年代の雰囲気を伝えるロックの挿入曲群は、ミルクの主張や活動の背景とも重なり、面白かった。デヴィッド・ボウイーの「クイーン・ビッチ」、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「エヴリデイ・ピープル」、個人的に極めつけはパティ・スミス・グループの「ティル・ヴィクトリー」。その情報だけで観に行く気になる人が出てきたら嬉しい(ごくわずかな時間しか流れないけど)。

付記3:
 この映画の原典の一つともされる、ミルクの生涯を描いたドキュメンタリー『ハーヴェイ・ミルク』(1984年)が、4月下旬より渋谷のアップリンクXにて上映(再映)されている。少し遅れて5月より各地の劇場でも上映されるようだ。こちらも名作と名高い作品なのだそうで、僕も観に行こうと思っている。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ミルミル (月の子)
2009-04-23 13:34:25
ミルクミルデス。この国のキリスト教も堂々と同性愛者を排除しています。キリスト教撲滅運動、もっと頑張ります。

くさなぎくん、ガンバレ全裸!
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くさなぎくん (レイランダー)
2009-04-24 02:35:35
SMAPの中で一番いい人っぽい(と僕は勝手に思ってた)あの彼が、全裸で「ばかー」とか叫ぶって、よほど腹に据えかねたこと、苦しいことがあったんだと思いますよ。酒飲んでたにせよ、ひょっとしたら薬に手を出してたにしろ(単なる可能性の話ですが)、普通の“失態”なんかじゃない。
そりゃ大人ですから、いろいろ責任取らなきゃいかんことはあるでしょう。個人的には、立小便と同じ程度の軽犯罪だと思いますけど。

鳩山総務相は「みっともない」「なんでそんなのを地デジのイメージキャラクターに起用したんだ」と怒ったとか。僕に言わせれば、奴こそなんで大臣に起用されたのか、理解に苦しむ薄っぺら野郎だと思います。
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Unknown (ところ)
2009-04-26 23:47:21
近代は宗教から人間を解放したところがありますが、現代では同性愛を受け入れられるかどうかが一つの大きな問題になっているのではないかと感じています。イギリスなんかは同姓パートナーシップに法的根拠を与えたりして制度的に同性愛を受け入れるようになっているのを見ると、日本ではまだ同性愛者の意見は弱いんでしょう。

エルトン・ジョンや俳優のイアン・マッケラン(ロード・オブ・ザ・リングのガンダルフ役)
とかイギリスの有名人には同性愛の人が多いですが、彼らは人権感覚が鋭いと感じることが良くあります。たぶん、マイノリティに対する政府や社会からの圧力は一歩間違えば自分たちの存在すら危うくさせるという側面もあるのでしょうね。

私はポップな音楽が好きなもんで
tp://www.youtube.com/watch?v=b7TSDUHhPIw
上のようなのを聴くんですが、これってイギリスで導入されようとしているIDカード法を批判したものだそうです。たぶん彼らはIDカード導入の先に個人情報を制御されることで個人の考えも制御されてしまう危険性を指摘したかったんだと思っています。本当この曲の歌詞は示唆に富んでいると感じています。
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PetShopBoys (レイランダー)
2009-04-27 23:47:22
>日本ではまだ同性愛者の意見は弱いんでしょう。

制度的にはそうかも知れませんが、もうちょっと長い歴史で見ると、たとえば江戸時代の江戸の町民は性的にかなり大らかで、ゲイバーもあった。武士階級では、男色は一種の高尚な趣味と解されていたそうです。今の日本に同性愛に対する白い目があるとすれば、それはさかのぼって明治以降の、西洋近代化の影響じゃないか──この映画を観ていてそう思い始めてしまって。
西洋でも特にピューリタンのイギリスと、その子孫が作ったアメリカでは特に厳しいと聞いたことがあります。ミルク氏は、もしかしたら世界で一番ゲイが生きづらいところで闘っていたのかも知れないと。今はイスラム原理主義の国々の方がもっと厳しいって話もありますけど(昔のアラブ世界はそれほどでもなかったとか)。

PetShopBoys、彼らもゲイでしたね。最初のシングル「West End Girls」、僕ラジオで聴いて、すぐに買いに行ったんですよ。アルバムまでは買わなかったけど、この曲だけはくり返し聴きました。
 http://www.youtube.com/watch?v=pznN2h8PGUs&feature=related
これもなんか、ゾクゾクするような、絶望的な詞でしたよね。そのうちじっくり読み直してみたいです。
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Unknown (megawatt)
2009-05-04 00:21:38
お久しぶりです。
教育基本法改悪キャンペーンで知り合ったものです。
それ以降は貴ブログを拝見していたものの、コメントなど特にせず。

私も「ミルク」を観たのでレイランダーさんの記事を興味深く読みました。
私はショーン・ペンと同じ歳で、ミルクの享年と同じです。
そんなこともあり、またレズビアンの人が私をレズだと思うこともあり
(ちなみに私はストレートですが)、
ミルクに急激に興味を持ちました。
で、映画の最後で登場人物の「その後」が出てきましたが、
写真家になった人にメールを出したんです!
そうしたら返信が来ました(あえてその人の名は書きません)。
曰く、「ミルク」以後一日1000通以上のメールが来て、私が色々書いた(自分のブログ[英、日で書いた]など)をチェックするのに対応できないが、LGBT(レズ、ゲイ、バイセクシャル、トランスセクシャル)についてはこれを参考にするといいと数個URLを教えてもらいました。

とても嬉しかったです。彼には今の騒動が収まりそうな1年後位にメールしたいです。
また、もちろん「ミルク」以後のマイノリティについてもブログで書きたいと思います。
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>megawattさん (レイランダー)
2009-05-05 00:08:18
お久しぶりです。このブログ始めたばかりの頃に、やりとりさせてもらいましたね。忘れずにいてもらって、ありがとうございます。

僕もゲイの人からゲイと思われたことありますよ(笑)。それはともかく、あの写真家の人から返信をもらえたなんて、素晴らしい。やっぱり向こうでも、映画の公開がきっかけでミルクを初めて知った人が多かったり、再評価の機運が盛り上がってるんでしょうね。それに、ミルクの仲間たちがミルクから受け継いだ美点の一つでもあるんでしょうけど、一般の人との間の垣根を作らない自然さというか、それが伝わってくる話ですね。
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