チュニジア、エジプトに続いてイランでも民衆が大規模な抗議デモに繰り出したというニュースが伝えられている。イランでは先の大統領選の時にも同じようなデモが表面化したが、このたびはエジプト民衆革命直後であり、刺激されて・勇気を得て、という側面もないではないだろう。湾岸のバーレーンあたりでも「飛び火」が確認されたとか。
例によって中国でも似たような動きが、という情報がある。この国の場合も、それこそ89年の天安門事件以降、表面的な経済発展の裏で民主化の要求は絶えずくすぶり続けているわけで、実は大して耳新しい話ではなかったりする。
ともあれ、中東諸国の民主化の「飛び火」だの「波」だのを、オバマ大統領は歓迎しているそうだ。民衆を弾圧することのないように、そしていたずらに「不安定化」しないように、民意に素直に従うべきである、と。上から目線は別としても、冷戦時代、エジプトにしろイランにしろイラクやサウジにしろ、中東の非民主的な政権を強力に支援し続けてきたスポンサーは第一に米国であった。そんな話は、完全にどこかに「飛んで」しまっている。言ったもん勝ちということか。
ところで、このようなアメリカ発の「民主化の波」論議には、抜けている話があると思う。
アメリカ、または日本など先進諸国での民主化の進展ぶりについてである。
特に日本に生きる者としては、我が国日本の民主化の停滞・閉塞状況が嫌でも絡み付いてくる。ほんとに嫌で、できれば無視したいんだけど、なにせ生きてる現場なんで。
日本は、とっくに民主化を完了している国である。と、そう洗脳されている民衆が大多数であったりする。代議士制度がある=民主主義である、と勘違いしているような。
都知事選に、ワタミの元会長が出るという。記者会見で、「都民のための政治を目指す」と言ったとか。わー、民主的。とかね。その前に「従業員のための企業」を目指したらよかったけど(*)。とにかく、分かりやすくてその実なにも分からないという、この国お得意のスローガンに、オラオラとツッコむと逆にツッコんだやつが浮いてしまうという、あれですな。
そのような国こそ、本当に「飛び火」を必要としているはずだが、なかなか火がつかない。素人が政治活動に関わるのは、何かヤバい関係のことだと思ってしまうような、他国の民衆が必死に闘っている時に、在留邦人の安否とか、経済活動への影響とかの方が気になるようにしつけられている、そういう去勢された羊人間が多数派では、それも致し方ない。
人のふり見て…ということわざを、ちゃんとわきまえている人達がいる。民主化を成功させた他国の人に、上から目線でなく「おめでとう」と言える人達が日本にもいる。自分はやはり、そういう人の側にいたい。そういう人達が今よりさらに少数になってしまっても、自分が最後の一人になっても、そちらの側にいたい。
天安門事件の頃、中国の民主化運動の象徴の一人だった方励之(ファン・リーチ)教授という人が、民主は賜るものではない─勝ち取るものだ、と言っていて、若い時の自分はその言葉に打たれた。民主化は、「飛び火」を期待するべきものではない。自分達で成し遂げるものだ。──そういうことが、普通に了解される側の人間でありたい。
*非国民通信 さまより
例によって中国でも似たような動きが、という情報がある。この国の場合も、それこそ89年の天安門事件以降、表面的な経済発展の裏で民主化の要求は絶えずくすぶり続けているわけで、実は大して耳新しい話ではなかったりする。
ともあれ、中東諸国の民主化の「飛び火」だの「波」だのを、オバマ大統領は歓迎しているそうだ。民衆を弾圧することのないように、そしていたずらに「不安定化」しないように、民意に素直に従うべきである、と。上から目線は別としても、冷戦時代、エジプトにしろイランにしろイラクやサウジにしろ、中東の非民主的な政権を強力に支援し続けてきたスポンサーは第一に米国であった。そんな話は、完全にどこかに「飛んで」しまっている。言ったもん勝ちということか。
ところで、このようなアメリカ発の「民主化の波」論議には、抜けている話があると思う。
アメリカ、または日本など先進諸国での民主化の進展ぶりについてである。
特に日本に生きる者としては、我が国日本の民主化の停滞・閉塞状況が嫌でも絡み付いてくる。ほんとに嫌で、できれば無視したいんだけど、なにせ生きてる現場なんで。
日本は、とっくに民主化を完了している国である。と、そう洗脳されている民衆が大多数であったりする。代議士制度がある=民主主義である、と勘違いしているような。
都知事選に、ワタミの元会長が出るという。記者会見で、「都民のための政治を目指す」と言ったとか。わー、民主的。とかね。その前に「従業員のための企業」を目指したらよかったけど(*)。とにかく、分かりやすくてその実なにも分からないという、この国お得意のスローガンに、オラオラとツッコむと逆にツッコんだやつが浮いてしまうという、あれですな。
そのような国こそ、本当に「飛び火」を必要としているはずだが、なかなか火がつかない。素人が政治活動に関わるのは、何かヤバい関係のことだと思ってしまうような、他国の民衆が必死に闘っている時に、在留邦人の安否とか、経済活動への影響とかの方が気になるようにしつけられている、そういう去勢された羊人間が多数派では、それも致し方ない。
人のふり見て…ということわざを、ちゃんとわきまえている人達がいる。民主化を成功させた他国の人に、上から目線でなく「おめでとう」と言える人達が日本にもいる。自分はやはり、そういう人の側にいたい。そういう人達が今よりさらに少数になってしまっても、自分が最後の一人になっても、そちらの側にいたい。
天安門事件の頃、中国の民主化運動の象徴の一人だった方励之(ファン・リーチ)教授という人が、民主は賜るものではない─勝ち取るものだ、と言っていて、若い時の自分はその言葉に打たれた。民主化は、「飛び火」を期待するべきものではない。自分達で成し遂げるものだ。──そういうことが、普通に了解される側の人間でありたい。
*非国民通信 さまより