没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

脱原発のためにこそ愛国主義的ナショナリズムを(続)

2012年12月26日 00時59分52秒 | 脱原発

多くの国民が原発推進を選んだという論理

 何か社会運動にも携わるわけでもなく、デモに参加するわけでもなく、さりとてアカデミックに価値ある仕事をしているわけでもない一介のサラリーマンが、本を読んだりネットで知ったことを活字として残したいと思っているのは、ただただ一個の人間として、こんなバカバカしい政治によって内的にも外的にも被曝させられるのはたまらないと生物として感じているからだ。そして、軟弱なサヨの論理によっては、原発を止められないことが明らかとなった以上、ウヨの論理によって原発の是々非々を考えることが必要だと思っている。ということで、本来のテーマからはずれるのだが、ウヨの論理を続けたい。

 国家基本問題研究所の櫻井よしこ理事長は、サヨの脱原発派が完全に敗北した翌日の12月17日に『脱原発を拒絶した国民の選択』という主張を展開されている。原発推進の論理がまことにストレートでわかりやすいので、抜粋してみよう。

『「原発ゼロ」と大書したビールケースに立って選挙を戦った菅直人前首相の敗北は、国民が日本国の進路としてどちらを向いているかを明確に示したものだ。比例区で復活当選を果たしたとはいえ、前首相たるベテランが選挙区で拒絶されたのだ。それは脱原発、対中妥協、反憲法改正路線への峻拒である』

 櫻井理事長はどれほど国民が原発の推進を望んでいるのかを数値をあげて論証してみせる。

『脱原発の民主党は230から57へと結党以来の大幅な議席減となった。「卒原発」の日本未来の党は62から8へと、これまた激減し、「即時原発ゼロ」の共産党も「即時原発稼働ゼロ」の社民党も少ない議席をさらに減らして潰滅状態である』

 そのとおりだ。小選挙区制がいけないとか、はたまた選挙違反すらあったのではないかと脱原発派は必死で訴えているが、この歴然たる歴史的事実の前には、何人も反駁しえないであろう。そして、未来の党の敗北についても鋭い分析を展開する。

『日本未来の党の嘉田由紀子代表は「党の主張を浸透させることができなかった」ゆえの敗北と述べたが、主張の浸透がむしろ更なる議席減につながった可能性もある(略)。原発なしでは日本の産業は立ち行かず、国際競争に立ち遅れ、経済の振興もあり得ず、社会福祉や医療、介護、教育支援などの充実も不可能であることを、国民は認識していたといえる。国家経営の視点を国民は備えていたのであり、その視点を欠いた一連の報道は完全に間違っていたのである』

活断層の罠では脱原発とはならない

 そう、まさに、櫻井理事長のいう「原発なしでは日本の産業は立ち行かない」「国家経営の視点を国民は備えている」という強靭な反駁を受け、軟弱サヨは、自然の脅威、すなわち、地球科学や地球物理の論理からなんとか脱原発を行おうとしている。
例えば、中部大学の武田邦彦教授は、12月23日のブログ『活断層と安全性』で次のように主張されている。

『原発再開に向けてマスコミは盛んに「活断層」の調査について報道をしています。この段階でマスコミが作る「空気」の本質を見破っておかなければなりません(略)。現在、敦賀、東通の原発が報道されていますが、これも作戦の順序に従っています。まずは「活断層がある原発は再開しない」ということで「安全を確保してから原発を再開している」という「実績」をつける予定です。もともと日本の原発の内、敦賀はもう古いし、東通は建設中ですから、止まってもたいしたことはない。とりあえず敦賀は止まることになるから、「真面目にやっている」という形を作るという作戦です』

 同じく、植草一秀氏の12月25日のブログ『知られざる真実』の『「大地震と原発」排除が目的の「活断層と原発」』でこう述べている。

「『原発の活断層調査』が大々的に報道される。『活断層の上の原発はけしからん』との世論が創作される。演出が巧妙なのは、この段階で、『活断層=危険』に反論する役者を登場させることだ(略)。『活断層の上の原発は廃炉』が決定されると、反原発派は拍手喝されてしまう。これが『罠』なのだ。いくつかの原発廃炉を決めたあとで、今度は、活断層の上には立っていない原発を俎上に載せる。『活断層の上の原発はアウト』は『活断層から離れた原発はセーフ』の論理に使われるのだ。つまり、『活断層から離れた原発はセーフ』を導くために『活断層の上の原発はアウト』の実例が時間をかけて構築されている」

 植草氏は「本当は、『大地震と原発』、『大津波と原発』を基準に考えなければならないのだ。こうなると、日本の原発はすべてがアウトになる」と述べている。

 だが、そうだろうか。過去を遡れば、櫻井理事長は、2011年10月20日にも、読売、朝日、日経、産経、月刊WILL12月号、月刊正論12月号で「選ぶべき道は脱原発ではありません」で、いかに日本の原発が優秀であるかを強調している。

「原発事故で大きな岐路に立つ日本。事故は二つのことを教えてくれました。事故が原発管理の杜撰さによる人災だったこと、震源地により近かった東北電力女川原発が生き残ったように、日本の原発技術は優秀だったこと、この二点です。だからこそ、人災を引き起こした『管理』の問題と、震災・津波に耐えた『技術』の成果を明確に分離して考えることが重要です(略)。いま日本がなすべきは、事故を招いた構造的原因を徹底的に究明し、より安全性を向上させた上で原発を維持することです。選ぶべき道は脱原発ではありません」

 どうだろうか。あの東北大地震でさえ、女川原発は生き残ったではないか。この櫻井理事長の論理の前には、「日本の原発はすべてがアウトになる」という論理は到底通用しない。やはりサヨは負けているのだ。

 新ベンチャー革命の2010年3月29日のブログ『米国が日本の原子力技術開発を黙認してきたのはなぜか』も日本の原発がいかに地震に強いかを強調している。

「2007年、新潟中越地震が勃発しました。東京電力柏崎原発の原子炉格納容器は設計外力の2~3倍もの加速度を受けたのに、まったく放射能の大量漏れが起きなかった(略)。日本人のものづくり能力の凄さに驚嘆したはずです」

 同ブログによれば、日本の原子力技術はビル・ゲイツからも一目置かれているという。 素晴らしい。私たち日本人は米国からも一目を置かれるだけの技術力を持っているのだ。そのことは誇りに持っていい。胸をはっていい。

原発技術の優秀性に誇りを持とう

 だが、ここで疑問が産まれる。戦後日本に原発を普及させたのは、CIAの対日秘密工作員であった正力松太郎氏である。だが、それほど日本の原発が優秀だとするならば、なぜ、それほど優秀な原発を創ることが戦後日本に可能になったのか、という疑問だ。このブログはさらにそこを掘り下げる。

「当初、米国CIAは、日本に原子力発電技術を導入することに難色を示していたようです。当然です、米国にとって日本が核大国になる危険があったからです(略)。日本に原子力技術を供与すれば、原爆で仕返ししてくる危険があったはずです」

「原子力発電技術と核兵器技術はともに、核物質を連鎖反応させ、巨大なエネルギーを生成させる物理学的技術ですから、高度の原子力発電技術を有する日本は核兵器製造が十分可能です。東芝など日本の原子力プラント・メーカーの潜在能力は、米国の仮想敵国、イラク、イラン、北朝鮮の比ではありません」

原発は日本最大の軍事的脅威である

 セックスとスクリーンとスポーツによって日本人をパープリンとし、巨悪の軍閥や関東軍といったイメージを通じた洗脳活動によって、絶対に米国には逆らわないよう愛国心を骨抜きにし、日本民族の世論を「親米保守」へとチェンジさせることに成功したとはいえ、最悪の事態を想定するのが米国である。同ブログでは米国は日本を完全に骨抜きにしたとは考えてはいない。そして、潜在的に敵国として日本恐れているという。

 となると、再び疑問が産まれる。なぜ、戦後日本は原子力技術の導入を彼らから黙認され、現在、原子力プラント技術で世界トップに立っているのだろうか。それは、東西冷戦が起きたからだろうか。

「その疑問に対する筆者の仮説、それは、敵国の原子力プラントは、軍事戦略上、絶好の攻撃目標になり得るからです(略)。米国にとって、日本が敵国となれば、日本全国に立地する原子力プラントを集中攻撃すれば、日本を簡単に全滅させることができます(略)。もし、日本が米国に逆らったら、即、全滅させられるわけです(略)。原子力関連施設は、全滅させたい仮想敵国を先制攻撃する絶好の口実になると同時に、敵国瞬時全滅の効果的な攻撃目標にもなるのです」

栗林精神に帰れ

 ああっ、やはりそうだったのか。となれば、櫻井理事長の主張は支離滅裂だし、頭がトチ狂っているとしか思えない。ウヨの論理、軍事防衛力の観点からすれば、原発は我が国の最大の弱点ではないか。

 では、あの強大な米国すらも畏怖させた日本人の底力とは何か。それは、松代出身の栗林忠道師団長の戦闘にある。

 師団長の強力なリーダーシップの下、硫黄島では、玉砕したとはいえ、米軍に対して我が軍を上回る死傷をせしめた。師団長は、万歳突撃を禁じ、自ら起草した『敢闘ノ誓』を硫黄島守備隊全員に配布し、戦闘方針を徹底するとともに士気の維持にも努めたのだ。

一 我等ハ全力ヲ奮テ本島ヲ守リ抜カン
一 我等ハ爆薬ヲ抱イテ敵戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン
一 我等ハ挺進敵中ニ斬込ミ敵ヲ皆殺シニセン
一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ
一 我等ハ最後ノ一人トナルモ「ゲリラ」ニ依ツテ敵ヲ悩マサン

 爆弾を抱え我が身をもって敵戦車を破壊せよ。10人の敵を殺すまでは死ぬな。最後の一人となってもゲリラとして抵抗せよ。これこそが、広島・長崎に原爆を投下せざるをえないほど、米軍を畏怖させたひとつとなった。

 ウヨの論理を繰り返す。天皇陛下のために我が身をささげ、肉弾をもって「散華」できるのが我が大和民族である。我が旧軍が産み出した回天、桜花、剣等の特攻兵器をみるがいい。米国流の近代的な表現をすれば、すべてが狂信的自爆テロリスト集団となるであろう。そのDNAは脈々と我が民族に継承されている。これこそが、ウヨだ。このウヨの精神を評価するかは別としても、ウヨの論理からすれば、軍事的に危険な原発は必然的に無用の長物なのである。


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