日本には100基の原発が必要だ
いよいよ安倍新政権が発足する。原発の再稼働はもちろん、新規増設の可能性も出てきた。軟弱サヨは山口県の『祝島』には、贈与の経済があるだの、「ディーセントな社会理念」が必要だのとうだうだと訴えてきたが、今回の衆院選挙においてこの論理は吹っ飛んだ。自民党が圧倒的多数の国民の支持を得て政権政党となったのである。
見るがいい。
本日のNHKスペシャル、『どうするニッポン新政権に問う』においても、石破茂自由民主党幹事長は、原発の新規増設や再稼働について疑問を呈する香山リカ氏に対して「我々は選挙においても嘘は言わず原発の稼働についても国民に訴えた。そして、勝利をおさめた。一方、脱原発を掲げた某党は敗北したではないか」と力強く訴えていた。これほど左様に今回選挙における脱原発派の敗北は大きい。
ネット上で原発再稼働を切望するウヨのサイトを調べてみると、例えば、「大日本赤誠会愛知県本部ブログ版・自衛隊が目覚めて真の軍隊たらんとするときこそ、日本が目覚めるときだ!!」は12月22日付けの記事『計画段階の原発9基・安倍政権で容認の可能性も、いやいや、原発100基稼働で安定供給です』で「1時間か2時間地層を見て『はい、活断層です』なんて言っている学者の戯言を信じるのですか?。自分の金儲けの材料ぐらいにしか思っていない再生エネルギー推進派の顔ぶれを思い浮かべてみてください。日本の工業力からして原発100基体制で国内の隅々まで安全で環境に優しく格安で安定した電力を供給することが求められています」と書いてある。
私は隠れ脱原発派なのだが、こうした主張を「たわごとだ」と無視してはいけない。これがウヨの論理だ。こうした国民の見解が積りつもって脱原発派は敗北した。なればこそ、今こそウヨとナショナリズムの論理で脱原発を構築していくしかないと考えている。
霧のキスカ
ということで、我が大日本帝国旧海軍の栄光の話から始めたい。我が海軍は圧倒的物量を誇る米国に苦しめられ、各戦線で玉砕を強いられたが、唯一米国の鼻を明かした作戦計画がある。同島を包囲していた米軍艦隊に全く気づかれることなく、全軍が無傷で撤収に成功した昭和18年7月29日に行われた『キスカ島撤退作戦』である。1965年には司令長官木村昌福少将を三船敏郎が演じ、『太平洋奇跡の作戦キスカ』として東宝が映画化もした。勇ましい團伊玖磨作曲のテーマソング「キスカ・マーチ」の我が陸上自衛隊中央音楽隊による演奏はここで聞くことができる。
8月15日に米軍は約34,000名をもってキスカ島に上陸するしたが、存在しない我が軍との戦闘に極度に緊張して上陸したため、各所で同士討ちが発生。死者約100名、負傷者数十名を出した。おまけに、我が軍には余裕もあり軍医の悪戯で『ペスト患者収容所』と書かれた立て看板を兵舎前に残したため、米軍は一時パニック状態に陥って、緊急に本国に大量のペスト用ワクチンを発注したという(1)。なんと、痛快ではないか。
司馬遼太郎氏も「鎌倉とキスカ島」と題して木村少将について書いている。最後のくだりが泣ける。
「アッツ島はすべての人達が死に、キスカ島のほうは全員が救助された。かれらをのせた艦がアッツ島沖を通ったとき、島からバンザイの声が湧くのをきいたという人が、何人かいた。私は、魑魅魍魎談を好まないが、この話ばかりは信じたい」(P346)
ううっ。思わず我が英霊に涙がこぼれる。。。。。
とはいえ、情に流されてはいけない。木村少将はインパールの牟田口廉也中将のように必勝の信念だけを胸に猪突猛進するタイプの人物ではなかった。飛行機とレーダーを備えた米軍の包囲網を突破するには濃霧という自然の利を生かすしかない。一回目の突入時には霧が晴れる危険性があった。艦隊は強力な米軍に袋叩きに会う。
木村少将は「帰れば、また来られるからな」と言い残し撤退した。手ぶらで根拠地に帰ってきた木村への批判は凄まじく、第5艦隊司令部、連合艦隊司令部、さらには大本営から「何故、突入しなかった」、「今すぐ作戦を再開しキスカ湾へ突入せよ」と轟々たる非難を浴びたという。だが、木村は九州帝大卒の気象士官橋本恭一少尉の気象予報をなによりも重視した(1)。東宝映画では福本少尉の名で故児玉清が演じている。備蓄石油も乏しい。行けばなんとかなるだろう等という日本的な空気には流されなかった。科学的であったのだ。
北方領土回復のために自然エネルギーでの自立を邪魔しよう
さて、キスカの映画を持ちだしたのは、木村艦隊の基地として、幌筵(ほろむしろ)島が登場することである。千島列島の北東部にある島で、ほとんどのいまの日本人間では名前すらあがらない島で1945年に日本が降伏したことで、ソ連軍が占領。その後、ロシアが実効支配している。だが、敗戦前には我が大日本帝国の領土はこんな北方まで及んでいたのだ。
ウヨ的な立場に立つならば、竹島や尖閣諸島はもちろん、北方の島々にも我が國威を及ぼし領土を回復していかなければならない。
ここで、軟弱サヨ、辻元清美衆議院議員から「疑惑のデパート」「疑惑の総合商社」と批判された鈴木宗男氏が登場する。前出のブログは「ロシアの天然ガスを持ち出す鈴木宗男のようにまともな日本人が一人でも関わっていますか?」と批判しているが、鈴木宗男氏は実にしたたかだ。
鈴木宗男氏は、北方四島の返還を求めるにあたり、ロシアに恩を売ることから始め、実際にディーゼル発電を建設の援助をすることで、北方四島の住民から感謝されるのだが、地熱発電という自然エネルギーでは駄目だと言う。地熱発電技術を援助すれば自然に優しいが、それではロシアがエネルギー自立出来てしまう。だが、ディーゼルならば、北方四島住民の日本への依存度が高められる。有事の場合にディーゼルを遮断すると言えば、ロシアは困る。それは、日本が天然ガスというエネルギーを輸入する上でも武器になる。
鈴木宗男氏個人は、土着的社民主義の政治家で、田中角栄氏と同じく愛国的でありながら平和主義路線で最も戦争を忌避する人物である。だが、同時に援助の裏にはこうしたしたたかな計算がある(3)。
この鈴木氏のアイデアのくだりを読んで、ふと、キューバのことを思い出した。
憲法改正への反発の中での外交戦略
キューバは米国から経済封鎖されているため、石油大国ベネズエラからの石油がエネルギー確保の生命線のひとつとなっている。キューバはこの石油を確保する見返りとして膨大な医療援助を行っている。
癌が再発したチャベス大統領がキューバで治療を受けていることから、両国の蜜月関係が深いことはよくわかるのだが、チャベス政権といえども永遠ではない。2009年1月14日に憲法改正案が国会を通過し、2月15日に大統領の無制限再選を認める憲法改正案の国民投票が再び行われ、賛成多数で憲法改正が承認されたことから、チャベスの無制限再選が可能となったのだが、それ以前の2008年11月に実施された地方選では、憲法改正に対する反発が強く、首都・カラカスを中心に野党勢力が躍進し、チャベスの翳りが見られるようになっていた(4)。憲法改正が通らなければ、チャベスの権力も危うかったのだ。そんな2008年にハバナで出会った毎日新聞の庭田学記者から聞いたエピソードを披露してみよう。
「ベネズエラのチャベス大統領は強権政治もあって人気に翳りもでてきたし、もしかしたら危ないかもしれません。ですが、ならば、なおのこそ今のうちとばかりキューバはどんどん医師を増やそうとしているのです」
「ほう。ですが、チャベスが倒れたら善意の援助も無駄になるのではないですか」
「いや逆です。今から医療の援助漬けにしておけば、たとえチャベスが倒れたとしても、ポスト政権に対しても人々は『前政権のときは貧しい村までキューバの医師が来たのに。今はどうだ。早く交渉して寄こせ』と批判を浴びせるでしょう。そして、キューバ側は『今度はチャベス政権ではないのだから、もっと高いお金を出さなければ行かないよ』とも言えるのです」
あーっ。純粋サヨ、ゲバラの精神に立脚した人道主義的な援助ではなかったのか。
「いや、人道的援助ではあるのです。ですが、単なるお人よしではない。実にしたたかです。カリブのユダヤ人といわれるだけのことはあります。いや、それだけの戦略があるからこそ、米国と対峙して半世紀も生き残ってきたとも言えます」(5)
鈴木宗男氏の戦略と同じではないか。エネルギー確保は、純粋サヨの地球に優しいや純粋ウヨの必勝の信念だけでは、難しい。愛国主義的ナショナリズム戦略の必要性が必要なわけもそこにある。
【引用文献】
(1)ウィキペディア・キスカ島撤退
(2)司馬遼太郎『街道をゆく42三浦半島記』(1996)朝日新聞社
(3)鈴木 宗男・魚住昭・佐藤優『鈴木宗男が考える日本』(2012)洋泉社新書
(4)ウィキペディア・ウゴ・チャベス
(4)2008年5月筆者インタビュー
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