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中大杉並高校 音楽部

中央大学杉並高校の部活動のひとつ〈音楽部〉のブログです。

活動内容やスケジュール、受賞実績などをご紹介します。

部活動とライブハウス

2016-07-22 01:33:17 | 
この夏、とあるコンテストイベント(以下「S」)に参加しました。結果から言えば、「一定数客を呼ばないと審査対象としない」という条項に引っかかったため、賞には(ほとんど)絡めませんでした。

昨年まで、このイベントS、参加に当たって一定額がかかるライブハウスイベントだったため、何度か関係者から「出ませんか」のお誘いがあったものの、お断りをしてました。

ただ、エントリー料が無料になり、「すでに何度か参加した同種の別のイベントJ」に見かけ上似てきたために、エントリーを許可しました。しかし、エントリー後に、この「客を呼んだら審査する」の条項が明るみに出たため、「次回以降このイベントSには参加しない」宣言をしました。

このイベントSは複数会場・複数日程で予選会が行われるため、それらに分散することで、規定の人数を集めて審査に乗り、上位大会進出を狙うという戦略もありました。ただ、私はそれを良しとしません。

今後もいろんな企画から声がかかると思いますので、主に1年生に向けて、このイベントSからの撤退理由と顧問の方針を示しておきます。


1.大舘にとって、仕事のやりがいとは「それが教育的なものかどうか」

私は「教育」に携わりたくて教員をやっているわけです。ですから、教育的な場を提供できることこそが、お仕事のやりがいです。

翻って、すごく嫌いなのが「生徒たちを遊ばせるためだけに負担を強いられること」です。例えば、かつて私が学年主任だったとき、研修旅行からあらゆる遊びの要素を排除して、完全に「教育的なもの」だけを詰め込んだことがあります。当時の学年の生徒からも「お土産を買えるような場所に行くのか?」と言わせるほどでしたが、私にしてみれば「別に土産を買わせるために連れて行くんじゃない」との考えを持ってました。(一応、そういう場は用意しましたよ。) 保護者からも、「お勉強一辺倒ではなく、もう少し遊びの部分があっても良いのではないか」と、クレームめいたことを言われました。ふざけんな、子どもを教育機関に預けておいて、「遊ばせろ」とは何事だ。

話を戻しましょう(苦笑)

音楽部の活動は、端から見てたら、極めて「遊び」にしか見えないものです。バンド?ライブ?――それらは「教育」という言葉を連想させるようなものではありません。そして、実際のところ、音楽部の活動は「ただの遊び」にも堕しやすいものです。私は音楽部の顧問を楽しくやっていますが、自分で教育的な活動にすることが一定程度できているからこそ、やりがいをもってやれているわけです。たとえ、音楽部の活動であっても、それが「単に高校生を遊ばせているだけだ」と思えてしまったら、楽しくもないし、やりがいもない。

今回、このイベントSにたくさんの部員以外の君たちの仲間が演奏を聞きに来てくれました。彼らは私の顔を見て、「ディズニーランドに来てみたら、先生がいた」とでもいうような顔をします。ディズニーランドだって、ライブハウスだって遊び場ですから、当然のリアクションです。


2.校外での活動は顧問の引率を要する

これは学校のルールです。と同時に、先に書いた通り、私の目の届かないところでの活動は、「単なる遊びに堕す」可能性を多分にはらみます。私の仕事は、単なる遊びにしかならないかもしれない場に意味を与え、そこを学びの場へと変えることだと思っています。部員の皆さんからすれば、甚だ余計なお世話だとは思いますが、別にいいんです。私のやりがいの問題ですから。

引率を原則とすれば、おのずと私の都合には限界があるため、乱立する全てのイベントには参加できません。先述の通り、今回のイベントSの場合、エントリーの会場を分散させたり、あるいはエントリーバンドを絞り込んだりすれば、規定の人数を集めて審査してもらうことはできたでしょう。しかし、「分散」には私が対応できません。また、エントリーバンドを絞り込んで誰かが悔しい思いをしてまでして勝ちに行く価値のあるイベントとも思えません。(あくまで教員としての主観的な「価値」です。)


3.「高校生のサイフを直接あてにするようなイベント」には参加しない

この線引きはまことに難しいのですが――。基本的に私たちは、エントリーにお金がかかる、集客ノルマや、チケットノルマがあるものには参加しません。

高校生が入場料のかかるイベントに向けて一生懸命集客をすることは、「誰かが儲ける片棒を高校生が担ぐ」ということを意味します。そんなことには関わらせたくない。もし、誰かに見に来てもらいたいのであれば、無料で見てもらえる場を用意すればいいだけのことです。

今回のように「出演者からは金を取らないけれど、客からは金を取る」というイベントは、上記の意味合いにおいて、気乗りがしません。

(a)イベントJの場合

同種のライブハウス主催のコンテストイベントJも、「出演者からは金をとらないけれど、客からは金を取る」というイベントです。主催者も「集客もまた審査項目の一つだ」と公言しています。ただ、私はこれまで書いてきたように、部員が懸命に集客に走るのを好みませんから、「無理な集客はするな。その方針である以上、受賞は期待するな」と部員には伝えてあります。

ただ、このイベントJは結果として、本校のバンドに賞をくれました。「賞をくれたから良いイベントだ」というつもりはありませんが、集客が第一義なのではなく、日々の練習の成果や音楽性自体を評価してくれた、ということを言いたいのです。無理に集客をしなくても、見たい人は見に来てくれるし、一定程度公平に評価してくれる――という点において、こちらイベントJは顧問としては「アリ」です。

イベントJの信用度合いが上がったエピソードをもう一つ。このJを主催するライブハウスから、ある日本校のバンドに「ライブに出ないか」とのお誘いがありました。それはおそらくそのライブハウスが主催するライブで、参加するためにはお金がかかるものです。顧問の方針を伝え、お断りをするにあたり、「エントリー無料のコンテストイベントにだけ出演して、そういうライブハウス企画には参加しない学校は『良いお客さん』とは言えませんよね」――そんな主旨のことを伝えたら、「出演者をお客さんだと思ったことはない。ミュージシャンはパートナーだ」とのお返事をいただきました。「ああ、この人は(少なくとも)目先のウチの部員のサイフを期待しているわけではないのだな」と思えた瞬間でした。

(余談ですが、このイベントJ、来場した大人からは結構な額を取ります。ただし、「若者からはお金を取らず、お金を持っている人(=大人)から取る」という姿勢は昨今のビジネスモデルとしては正当ですので、そんなに不快ではありません。むしろ、もっと大人からは取ってもいいから、来場高校生の負担を減らしてもらいたいなあと思うくらいです。)

(b)イベントDの場合

もう一つ、民間主催のコンテストイベントDについても触れておきます。こちらは民間のイベント会社が主催しているものですが、協賛企業からお金を集めることで、エントリーも入場も無料を実現しています。実働はその民間会社でありながら、「実行委員会主催」の形態で実施し、その実行委員長や副委員長は専門学校の先生です。これは民間主催でありながら、公益性をアピールできる非常に上手なやり方で、教員としても安心して参加させられます。

Dの協賛企業は、基本的に「種をまく」ためにこのイベントに投資をしていると思います。つまり、直接高校生のサイフをあてにするのではなく、こうしたイベントを通じて音楽を好きになってもらって、将来的に音楽産業にお金を落としてくれる人になってくれれば良い――そういう発想です。


4.集客は悪なのか

「お金を払ってまでして聞きに来てくれる人がいる――その責任感や緊張感がライブを良いものにする」という意見を良く聞きますし、一理あるとは思います。「自分のためにお金を払ってくれる人に対して、それに見合ったエンタテインメントを提供しなければならない」――真面目な考え方だと思います。でもやっぱり、高校生部活バンドが有料イベントに向けて集客することには賛成しかねます。以下その理由。

(a)所詮は素人の高校生の演奏。お金を取れる領域にあるとは思えません。現状、「聞きたいっていう人がいるから演奏してあげる立場」ではなく、「聞いてくれる人がいるから、演奏させてもらう立場」ですよね。そんな人がお金を取っちゃイカン。

(b)だいたい、タダだって、なかなか足を運んでもらえませんよね。経済学的には、「わざわざ足を運ぶ負担をしてまで来てもらう」ということは、お金を払ってもらっているのと同種です。

(c)集客活動はマーケティングの勉強になる――それも一理ありますが、お友達の経済的負担を強いてまでしてマーケティングの勉強をしなくてもいいですよね。

(d)しかも、お友達が払ってくれたお金の多くは、ライブハウス関係者のところへ行くわけです。仮に、その一部が自分の懐にも入るとしても、なんだか友達からお金をふんだくっているみたいで、イヤじゃない?

――普段から「自己満足で音楽をやってはいけない」と、部員の皆さんには伝えています。だから、聞いてくれる人は必要です。ただ、その「聞いてくれる人」が「お金を払って聞いてくれる人」である必要は、ないんじゃないかと思います。


5.まとめに代えて

実は今日、ちょっと期待していたんですよ。仮に既定の人数を集客できなくても、評価してもらえるんじゃないかと。まったくもってうぬぼれたもの言いですが、今日演奏するウチの子たちは、そんじょそこらの高校生バンドには負けないくらいの高い音楽性と演奏力を持っていると思っていました。ヨソを聞くまでもなく。そうやって、圧倒的なものを見せつけられたら、主催者としても中杉のことを無視できなくなるのではないか、と。

実際、今日の4バンドは他を圧倒していたと思います。特に、オリジナル曲を3曲、4曲と並べた3年生は、その実力をいかんなく発揮できたと思います。「どうだ、これでもか!」と思いましたし、そういうレベルの部員を擁する部活の顧問として、とても誇らしい気分でした。主催の方が、中杉を無視できないとまで思ったかどうかは分かりません。また、イベントの方針を初日から捻じ曲げるわけにはいかない、という事情もよく分かります。

ですから、中杉としては、こうして負け惜しみを言って、撤退するのみです。

あ、でも、8/1の回にも4バンドエントリーしていますので、お世話になります。よろしくお願いします。





2016年 フェス文化におけるLIVEの楽しみ方をめぐる一考察 5/13

2016-05-13 09:28:42 | 
ノリで「BASEMENT-TIMES」風に書いてみました。ちょっと毒が足りないけど。

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いわゆる軽音部系クラブの顧問が口を揃えて言うのが、「イマドキの高校生はLIVEの楽しみ方が一様で気持ち悪い」と言う。LIVEを演る側ではなく、見る側・聴く側の話である。

何が気持ち悪いって、サビになると、あんまりやる気なさそうに、片手上げて、指を揃えた手のひらを演奏者側に向けて、やる気なさそうにリズムに合わせて動かす、あれである。そのやる気なさそうな感じたるや、下手をしたらTwitterのタイムラインを右手で辿りながら左手を挙げかねないレベルだ。ついでに言うと、ギターソロになると、腰をかがめてソリストに向かって両手をヒラヒラさせて「いまこの人がソロを弾いているんでござーい!」と分かりやすく示してあげる、あれもである。高校軽音になると、その挙句に演奏者がまともにソロが弾けてなかったりする。でも、やってあげるのだ、ヒラヒラを。ちゃんと練習して、弾けるようになってからステージに立てや。

高校生に、「ねえ。あのLIVEの時に、ああいう風に動いて、なんか楽しいことあんの?」と聞くと、苦笑いをする。「いやー。(あれが楽しそうに見えるなんて、どこに目がついてんですか?)。でも、どうすんですか?突っ立ってんですか?」とのこと。だいぶ脚色したけど。

じゃあなんでやるのさ、好きに楽しめばいいじゃん――ということを、常日頃からボンヤリと思っていた。先日参加した「高校生のバンドフェス」でも、「手なんて挙げなくていいからさ!好きに楽しんでよ!」なんていうMCを耳にした。どうだろう、高校生は本当に「好きに楽しむ」なんてマネが出来ていただろうか。


そう、その「フェス」である。CDなどという旧時代の遺物が売れなくなり、今やその媒体はカラスを追い払うくらいの価値しかない。音楽業界はビジネスモデルの転換を迫られ、もはやLIVEに足を運んでもらって、物販コーナーでタオルをたくさん買ってもらうしかない。

そして行き着くところはフェスだ。

いくつかの会場をまたにかけて、「この時間帯は〇〇ステージで××を見て、次に▲▲ステージに移って◎◎をみて…」という計画は、楽しそうだ。一日で上原ひろみからBABYMETALまで楽しめるなんて最高!

でもさ、みんなそんなに色んなアーティストの「予習」は出来てんの?フェスだったら、そのバンドの売れてる曲しかやらんのかもしれないけど、ひょっとしたらへそ曲がりなバンドがアルバムの3曲めあたりに配した曲を、しれっと演奏するかもしれないじゃない。

――などとボンヤリと考えていて、行きついた。「そっか、奴ら(=若い客)、予習なんか、たいしてしてないんだ!」 おそらくアニメとかCMなんかでタイアップした曲をYouTubeで何度か聞いて、それでもって「邦ロック最高」とか言ってウットリしていやがる。しかもYouTubeに繋ぐのはWi-Fi環境下のみだ。

おじさんが若い頃はなあ、「ふぇす」なんてもんはほとんどなくて、LIVEといったら大好きなアーティストとの2~3時間のタイマン勝負だ。たいがいは新譜を中心に演奏されるものの、アルバムを10枚~15枚出しているような大御所ともなると、うかつには参戦できない。そんなニワカ者には参戦の資格がない。だいたいヘビーメタルだハードロックだっちゅう音楽に限ると、スタジアムクラスの会場では残響が大き過ぎて、音の粒だとか刻みだとかはちゃんと聞こえない。どの曲のどのあたりではどういうリフが鳴っているのかをあらかじめ把握して、それをLIVE中に脳内補完しながら「うぉーメタルゴッド最高だぜ!」と楽しむものだ。「この曲、このLIVEで初めて聞いた」なんてことは、極力避けなければならない。逆に、「おいおい、こんな曲ミニアルバムにしか収録してないじゃんかよ(でもちゃんと知ってるぜぇ、予習済みですぜぇ)。」とニヤニヤ楽しんだりするのだ。

お気づきのように、その姿は「オタク」文化と親和性が高い。BABYMETALが売れたのも、上記のようにタイマンのライブを楽しんできたメタルおじさんと、「好きなものは隅から隅まで完璧に把握する」アイドルオタクという、姿勢を共にする同志に受けたからに他ならない。


さて、もう答えは言うまでもない。今や音楽とは発表曲を隅から隅までを味わい尽くす類のものではなく、傾向としては「YouTubeのつまみ食い」、下手をしたら「LIVEでの一期一会」のものとなっている。

演奏する側は、客がなるべく知っていそうな自分たちの「売れた」曲を演奏しなくてはならない。のみならず、曲を知らないであろう客さえも、楽しんでもらうような「演出」なり「楽曲の分かりやすさ」なりを工夫しなければならない。

客の側は、アーティスト側から「こうやって楽しんでね」という指示(めいたもの)があれば、それに従うし、それがなければ一様に手を挙げていればいいのだ。そうすれば、「自分は今LIVEを楽しんでいる!オレ、生きてる!」という自己暗示が成立する。音源を聞きこむ予習なんていらない。

翻って、高校軽音。首都圏近郊では、各学校を会場として複数の高校軽音部が集まる「合同ライブ」が行われ、ライブハウスやレコード会社、専門学校などが主催するコンテストイベントにも多く「部活バンド」が参加する。一握りの実力あるバンドは、音源を公開したり、さまざまなライブやコンテストを荒らし、皆に曲を知ってもらえているが、そんなバンドはごくごく一握り。だいたいはLIVEでの「一期一会」である。

でも、せっかく見に行ったからには楽しく見たい(聞きたい)し、演奏する側にしてみても楽しんでもらいたい。そうした一期一会の関係の中での、暗黙の了解が、あの「動き」なのである。目の前で繰り広げられている音楽が素敵なら、もちろん楽しく聞くだろうし、そうでなくても、「つまみ食い&一期一会」音楽文化にあっては、その曲を聞きこんでいようがいまいが(知っていようが知っていまいが)、「音楽とLIVEを愛するワタシ」はLIVEで手を挙げることによって、この音楽シーンに参入しているという調和が成立する。

分かったよ。そういうことなら、もう「気持ち悪い」なんて言わないよ。好きにおやり。

謹賀新年2016

2016-01-01 04:00:00 | 



あけましておめでとうございます。

2015年は

高校生新聞に1面で取り上げてもらい
第8回 全国高等学校 軽音フェスティバルin大阪城 に〈87〉が出場し、
第3回 全国高等学校軽音楽コンテスト に〈曖昧小町〉が出場し、
とよさと軽音楽甲子園2015 にて〈Rabbit bit〉が文部科学大臣賞を受賞する

ということで、(部員が思っている以上に)いろいろなところから注目された1年でした。


本年も、部員・顧問・コーチ一同、新しい挑戦を続けてまいります。
ご指導のほど、よろしくお願いいたします。



画像は以下から頂戴しました
http://blog.digital-lemon.com/

歴史と沿革

2011-11-12 11:10:57 | 

『50周年記念誌』編纂にあたり、音楽部の大先輩たちからいろいろとお話を伺うことができました。部活動の歴史も、ちゃんと残していくことが重要であると感じています。

このトピックは「覚書」として、機会を見ながら書き足していきたいと思います。(2011.11.12更新)
 
 
【50周年記念誌~クラブ史編~ の原稿】

音楽部は本校創立期から存在する伝統あるクラブである。もともと名称と生徒会の予算区分上は「音楽部」だったが、黎明期は「マンドリン」「フォーク」「コーラス」「ジャズ」といった科に分かれており、それぞれ曜日ごとに独立して活動をしていた。

「コーラス」「ジャズ」はあまり長く続かず、一方で流行の変化とともに、10期代前半には「マンドリン」「フォーク」に加え「ロック」が新設された。じきにマンドリンを演奏する者もいなくなり、フォークはロックに吸収され、いわゆる「ロックバンド」スタイルで活動する部となった。

顧問の先生は、マンドリンやジャズなどは音楽の菊池先生、フォークやロックは英語の岩崎先生であった。校舎の変遷に関わらず、長らく活動場所と言えば音楽準備室であったが、現在では第2音楽室にて伸び伸びと活動をしている。

機材の発達・普及に伴い音楽を愉しむ環境も変わり、今は演奏以外に作詞作曲やレコーディングなども活動の一部となっている。


【顧問の先生の変遷】
 
(調査中)
 
2002年 岩崎・大舘・(柄?)
2003年 大舘・松村・池田
2004年 大舘・松村・池田
2005年 大舘・池田
2006年 大舘・池田
2007年 大舘・梅田
2008年 大舘・梅田
2009年 大舘・梅田
2010年 大舘・小泉
2011年 大舘・小泉
2012年 大舘・小泉
2013年 大舘・小泉
2014年 大舘・小泉
2015年 大舘・小泉
2016年 大舘・小泉
2017年 大舘・平良
2018年 大舘・池田
2019年 大舘・前野
2020年 大舘・前野
2021年 
2022年 
2023年 大舘・古平
2024年 大舘・古平
2025年 大舘・古平