(前回の続きです)
このまま「ライブ」「体験」をベースにした、音楽コミュニケーションが衰退する。そうした予測&前提にたったとき、学校の部活同としての軽音楽部はどうするか?――そういうお話でした。
さて、そもそも、この「コロナ禍」が部活動に多大な影響をもたらしているというのは、何も軽音楽部に限ったことではありません。血反吐を吐いて練習を重ねてきた(やらされてきた!?)トップクラスの運動部員にとって、インターハイ中止という決定は「多大な影響」なんていう表現でも生易しく感じられるでしょう。
もし、この新型コロナウイルスCOVID-19の特効薬が開発され、せいぜいインフルエンザくらいの位置づけになるのだとしたら、世界は元通りになるかもしれません。問題は、それにかかる時間ですよね。おそるおそる活動を再開できそうな、屋外の運動部は、顧問や部員、OBOGなどの頑張りによって活動を立て直すことができるかもしれません。
では、以下の運動部あたりはどうでしょう?
・バドミントン・卓球……部屋を閉め切ることが求められます
・柔道・剣道・相撲その他の武道……室内で競技者同士が密着します
・ダンス……照明ありきの演出を前提とするなら軽音楽部と同じ
こうした部活動は、「当面活動停止」になるかもしれません。
文化部においては、そのほとんどが室内で行われるものになります。
・茶道……茶室の風通しを良くしたにしても、狭いですよね
・美術・マンガ・書道・科学系……風通しの良い部屋で、部員通しの距離を保てばアリ?
・演劇……大きな声を出す上に、演者通しが近づくシーンは削れない
・吹奏楽……「密」ですよねえ
さて、こうした文化部のうち、そのいくつかは「まあそもそも、本当にやりたいのなら家で一人でやればよいのでは?」ということになります。(もちろん、部員同士が同じ空間に居て、共に切磋琢磨することには大きな価値があります。「その価値を渋々捨てて、個人の活動に戻される」という意味です。)
室内競技系運動部、格闘技・武道系、個人創作系文化部――こうした部活動が当面の活動停止となることで、中には、それらの活動から「降りる」人が出て来るでしょう。そのうちの一部は、「活動が継続できる部活動」に流れ、一部は、部活動そのものから降りることになります。
同じことが残念ながら、我々軽音楽部業界にも起こることでしょう。今まで部員100人を集めていたマンモス軽音楽部がありましたが、そういう部がせいぜい20人くらいになる、なんていうことも容易に想像できます。軽音楽部に来なかった人たちの一部は他の部に流れ、一部は学校の部活動に所属すること自体をやめます。だいたいにおいて、活動が存続できる部活動にもキャパがあり、そこに殺到してしまったら「密」になってしまうわけですから。(グラウンドで芋を洗うように活動する野球部、いやですねえ。)
軽音楽部がどうなるか?(どうするか?)の前に、一度おさえておきたいこと。それは、「これまで何十年と課外活動(教育)の中心をなしてきた部活動の在り方が、大きく揺さぶられる。もっというと、ようやく学校教育は、部活動指導から解放される。」ということです。
内田良氏をはじめ、昨今「部活動ってどうよ?」という議論が活発になされていました。それに呼応し「ブラック部活問題(教員にとっても生徒にとっても)」「教員の働き方改革」の話題も、ずいぶん増えてきていた矢先のことです。そういう議論がある中でも、なかなか「部活動のくびき」から解き放たれることのなかった学校教育業界が、とうとう強制的に「部活動の重みを減らす」ことを余儀なくされるわけです。――残念ながら、学校の先生の多くは、変化を嫌う人たちです。自分たちの力では変わる(変える)ことのできなかった、根本的な構造にメスが入ることは、ポジティブに捉えて良いと思います。
部活から降りた若者が、非行に走るとか、アルバイトとして搾取されるとか、そういうことは一定数起こるでしょう。部活動という「学校に閉じこめて他の物事に目を向けさせず、若者のあり余るエネルギーを消費させるシステム」が部分的に機能しなくなるのだから、当たり前です。しかし、そういったことについては、今までルーティンに堕していた学校教育全体が、立ち向かうしかないのです。
また、そうした悲観的な話だけではなく、部活動でもない・アルバイトでもない・非行的享楽でもない、新たな若者の居場所や生きがいも創出されていくはずです。実際のところ、本校でも「部活動から社会活動へ」という萌芽が見え始めていたところでした。私は、他の教員に比べれば民間の人とじっくり話をする機会に恵まれています。さまざまな大人がポジティブに若者とコミットすることを求めています。「こういう活動に高校生に参加してほしいんだけど、部活の制約が大きくてなかなか参加してもらえない」という話を色んな人から聞きました。ですので、何も部活動に縛り付けなくても、若者の新しい居場所や生きがいは、ちゃんとできていくのです。
(もう少し続きます)