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中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

「銭湯と横浜」企画展@開港資料館

2018年03月16日 | レトロ探偵団

 先月は横浜市歴史博物館で開催中の企画展「銭湯と横浜」に行ってきたが、今月は横浜開港資料館の方を訪ねてみた。
 タイトルは“ゆ”をめぐる人々だ。
 歴史博物館では写真撮影OKだったのに、こちら開港資料館は一切禁止である。記念撮影用の背景(冒頭の写真)だけは写してもいいというので、これ1枚しかない。

 順路に従って観ていくと、「人参湯」(野毛町)のカランが展示されていた。この銭湯は昔の中税務署裏にあった。今でいうと「にぎわい座」の裏ということになる。


 ずいぶん前に廃業して、跡地には毎度のことながらマンションが建っている。

 さて、このカランという言葉、今でも使っているのだろうかね。語源はオランダ語で鶴を意味するKraanから来ているそうだが、これを日本語に置き換えると蛇口となる。日本では蛇に見立てているのかな。

 展示は開港当時の史料から始まっているが、観ていて興味を惹くのは戦前のものだ。
 昭和9年、東京浴場組合では「家庭風呂の撲滅」について議論をしていたという新聞記事が面白い。内湯が広まるのを阻止しようとしていたのである。

 昭和10年頃の火災保険図も展示されている。それを見ると、当時は各町内に1軒は銭湯があったことが分かる。多いところでは3~4軒も。


 京浜工業地帯が賑やかだった昭和4年から12年にかけて、神奈川区内には80軒、鶴見区内には70軒もの銭湯があったそうだ。

 昭和12年の銭湯一覧も掲示されていて、その中に「桜湯」(中区鷺山1番)、経営者は石川サダと書いてある。これは現在でも続く創業100年以上の銭湯だ。
 今の女将さんも石川さんといい、元町代官坂の石川家とは遠縁だという。


 ところが、資料館でいただいた「開港のひろば」を読むと、なんだかワケが分からなくなってくる。


 北陸地方から次々と横浜に来た人たちが銭湯を経営してきた、その話はよく聞くのだが……


 記事の中に「中区鷺山の櫻湯は有波三祐治が…」営んでいたと書いてあるのだ。
 私が「桜湯」の女将さんから聞いた話では、この銭湯は代々、石川家が経営してきて100年以上になるという。
 専門家の記事が正しいのか、女将さんの話が正しいのか……。これは久々に「桜湯」に行って話を聞いてこなければいけない、そう思って先日、銭湯が開く時間を見計らって行ってみた。


 ちょうどシャッターが上がったところだったのだが……



 なんと、こんな張り紙が!!


 

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