goo blog サービス終了のお知らせ 

中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

『横濱』2017年春号がおもしろい

2017年04月27日 | レトロ探偵団

 季刊誌『横濱』の2017年春号が発行された。今回の特集は“横浜の地図を楽しむ”。

 いろいろ面白い記事が掲載されているが、最も気になったのはこの2ページ。


 私も今まで何気なく眺めていた昔の地図であるが、この筆者はとんでもないウソの橋を発見したというのだ。
 彼は地図の専門家である。その人が今までうっかり見逃していたというのだから、私みたいな者が気付くはずがない。

 これは『横浜絵地図』(平成元年・有隣堂発行)にも載っているので、何回も見てきたのだが……
 ボンヤリと眺めているだけだから私には発見できなかった。

 いや~、地図って楽しいよね。
 

←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね






コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「獅門酒楼」にて2日連続の... | トップ | 中華街の洋食屋さんで生姜焼... »

8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
 (冬桃)
2017-04-28 20:53:45
4~5頁にある五雲亭貞秀さんの絵にも嘘があるとか……。
絵地図はミステリアスですね!
返信する
ほんとだ! (管理人)
2017-04-29 06:13:11
>冬桃さん
よく見たら、西ノ橋が描かれていませんね。
関門だけある・・・・・・
山手の裾野に「ペルリ墓」んなてのも書いてあるし…
たしかに絵地図は毎日見ていると、なにか発見があるかもしれませんね。
返信する
謎が解け始めました (CPH)
2017-05-05 09:24:42
横濱「横浜の地図を楽しむ」を早速、購入しました。創刊50号の「横浜の地図はおもしろい」と題名は似ていますが、非常におもしろかったと思います。昔の地図を見ていて
個人的に思っている「横浜の3つの謎」が解け始めました。
1つが「なぜ、みなと大通りが富士見町でどん詰まりになるのか?」で、これは解決しました。2つ目は「なぜ本町通りは、中華街東門の日本大通り側で曲線を描いているのか?」です。これは、1865年の横浜絵図面を見て「居留地59番地、28番地が凹んでいるから」と分かりましたが、なぜ当時このような形になっていたのか?は謎のままです。最後が「なぜ中華街の道路は周囲と45度ずれているか?」です。これは、横浜新田のあぜ道を当時に水際線沿って造られたから、と言われ、その通りだと思っていましたが、今号の玉蘭斎の絵図を見て、少し疑ってみるようになりました。
返信する
 (管理人)
2017-05-06 06:03:04
>CPHさん
富士見町の先は塀で囲まれた永楽町・真金町の遊郭でしたからね。
本町通りが真っ直ぐでないのは、砂嘴の尾根道部分を利用したからでしょうね。
中華街が周囲と45度ずれて傾いているのは、
横浜新田のあぜ道を利用したからです。
横濱村近傍之図(1851年)とクリペの実測図(1865年)を見比べると、そうとしか思えません。

前回の50号はもう在庫がないそうです。
今号も売り切れそうなので早めに購入しておいて正解でしたね。
返信する
クリペの実測図 (CPH)
2017-05-06 22:48:52
管理人様
CPHです。コメントありがとうございます。
横濱村近傍之図(1851年)とクリペの実測図(1865年)の2つを見比べれば、確かにあぜ道を利用した、というのは納得できます。絵図を地図とみるか絵と見るかで、判断は分かれますが、御開港横浜之全図(1860)や再改横浜風景(1861)を見ると、横浜新田にあぜ道が全く描かれていません。絵画手法的には、むしろ本町通りと並行した線が多く描かれています。御開港横浜正景(1864頃)を見ると、横浜新田に道ができているのが見えますので、1861年から1864年の間に「横浜新田にあぜ道が描かれている」地図や絵図があれば納得できるのですが...1861年の時点で、現ハマスタ、大さん橋通りの北側
まで町ができているので、町を発展するのであれば、あえて45度ずらして家土地を造成するとは考えにくいです。もちろん、1861年には現南門シルクロードの横浜大世界あたりまで居留地ができていたので、居留地側から造成を始めるとなると、45度ずれた道を造るのが自然ではないか、と考えています。
返信する
Unknown (管理人)
2017-05-06 23:26:17
>CPHさん
私はあぜ道を利用したと思っていますが・・・
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/099/02.html
そのあぜ道自体が、なぜ東西南北に入っているのかが不思議に思います。
返信する
ミッシングリンク (CPH)
2017-05-07 11:22:26
管理人様
CPHです。開港資料館のリンクありがとうございます。
もちろんこのページは読んでおります。
横浜村並近傍之図のあぜ道がある地図から、突然クリペの実測図にあるように、45度ずれた道が整備された地図が登場しておりますが、この中間の中華街が整備されつつある地図がまさにミッシングリンクになっていると思います。
そこで、クリペの実測図の地番を順に追っていきました。番地の発展=町の発展と考えると、キーになるのが朱雀門たもとの湘南信金の旧112番地かと思います。旧112番地から南門シルクロードを基準に中華街が発展したと考えると、あぜ道の有無に関係なく、中華街内の道路は斜め45度ずれてしまうのではないかと思います。
クリペの地図を見て、自己解決というか自己満足してしまいましたが、旧居留地の110番から111番、162番から165番が欠番になっているという新たな謎が出てきました。
返信する
地番変更・欠番の謎 (管理人)
2017-05-08 03:58:32
>CPHさん
番地が変更されたり欠番になっていたり、
不思議な部分が多くありますね。
クリペの地図では無かった111番ですが、
明治11年の改正横浜分見地図では112番を分割するような形で出現しています。
その後、112番に合体されたようで、現在は再び欠番になっています。
仰るとおり110番はありません。
そして現在でも。最初から無かった番地。不思議ですね。
クリペの地図にある170番前後の番地も謎です。
明治11年の地図を見ると、その番号は現在の日本大通あたりに移され、
170番付近は185番から190番に付け替えられています。
なんでこんなことをしたのかも謎ですね。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

レトロ探偵団」カテゴリの最新記事